由美姐、36,37,38回目

明日から仕事なので、明日から三日分でございます。

粗筋。アチキ(小夜)は由美姐に命じられて、マトリの仕事をすることになりやした。
横浜の難破船でシャブの密売が行われたようで、売ったほうのベトナム人と、買った方の山城組の若頭が撃たれて死んでおりやした。
そこへこっそり忍びこんだマトリの一人は海へ落ちて死に、もう一人は瀕死で湾岸署に船で逃げ込んだのでございやす。
アチキは、やましろ組の賭場へ証拠をつかみに潜入せよと姐さんから命じられやした。
そこで、やましろ組の賭場の行われているビルのそばの電話線を切って、電話の修理を装って潜入したのでございます。で、ひやひやしながらも、なんとか盗聴器を設置して脱出いたしやした。
家に帰ると、やましろ組から、トシを誘拐したっつう手紙と手の指が送られてめえりやした。そこで県警に連絡して、身代金運搬の準備をいたしました。
その夜、アチキは湖に死体が浮いているっちゅうサイコメトリングをいたしやした。夢ではなく、ホンマのサイコメトリングでございます。なぜなら、実際にその場所、――相模湖のそばの小汚い池――に赴きやしたら、本当にブツがあったんでございやす。おっと死体ではないので、正式には、夢かもしれませんが。それから、身代金運搬にかかりました。
最初に指定があったのは八景島シーパラダイスでやんしたが、アチキの身代りになった婦人警官が、うっかりミスをして身分がバレちまいましたんで、急きょ姐が運搬人になりもうした。
(36回目)

    六

一時間後。
アチキはサイドカーに乗って、人形の家に来ておりました。
姉貴は紫色のティアナ一号が警察の車と判明してしまったので、ティアナ二号に乗り換えておりました。
横浜人形の家は、平成十八年四月にリニューアルオープンしました。白亜のこぎれいな建物でございやす。
世界百四十カ国、約千三百点の人形を常設展示しておりまする。
四階だてで、一階はミュージアムショップ、カフェ、二階は展示室、ノスタルジックハーバー、ワールドフェスティバル、ドールメモリー、三階はコレクションモール、人形ふれあいアトリエ、企画展示室、四階は、「あかいくつ劇場」がございます。
館長は石坂浩二、プロデユーサーは北原照久です。
傍にはマリンタワーがございます。
アチキが駐車場にサイドカーを駐車して待っておりますと、「人形の家に入れ」とケータイがきました。
さらに、「次の指示があるまで中をめぐれ」とお言いやした。
刑事さんたちの車は、マリンタワーの傍や他の駐車場に別れて駐車なさいました。
アチキは指示に従って歩き始めました。
今度は、プリウスに乗車していた刑事三号(Gパン)と四号(龍の刺繍)が数メートル離れて尾行を始めました。
しばらく中をめぐっていると、警部から無線がきました。
「どうだ。次の指示はきたか?」
「いいえ。まだです。ただ中を歩いているだけで。とうとう四階まできてしまいました。ここは人形劇の劇場で、誰もいません。どうせよっちゅうのでしょうか」
アチキが応えていると、突然、ケータイが鳴りました。
出ると、ボイス・チェンジャーを通しても冷たい調子の声が流れ出しました。
「無線を切れ。こちらには警察無線を傍受できる装置がある。今、周波数を合わせた。君の声を傍受した。すぐに無線を切らないと、トシの命は保障しないぞ」
 アチキは、思わず周囲を見回しましたが、誰もいませんでした。
どうやら、無線を傍聴されているのは、本当のようです。
まあ、そこまでしなくても、ここに来いと指示があったのですから、先回りして、ここの中に盗聴器でも仕掛けておけば、アチキたちの会話をキャッチするのは可能でございましょうか。
「警部。無線を切れと、向こうの指示です。どうやら、傍聴されているようです。しょうがないです。無線を切ります」
 仕方なく、無線装置をはずしました。
 暫くすると、次の指示がまいりました。
「トイレの窓からコカインの袋だけを棄てて、ボストンバッグを持って、マリンタワーのむこうのブリキのおもちゃ館へ行け」
 アチキは思わず反論いたしました。
「待って。ブリキのおもちゃ館は山手公園の方。マリンタワーの反対にあるのは、たぶん、宝石屋さんの経営する、機会じかけのおもちゃ館。一見、ぶりきのおもちゃ館とそっくりだけど」
マリンタワー横の店は、ブリキのおもちゃ館とは別ものである。よく似ているので間違えるのでございます。
こんなんで、無事に最後までゆけるのでしょうか?
 それでも、私はトイレに入って窓を探しました。
しかし。
「だめです」
「なぜ?」
「トイレに窓がない。外に面していないです」
 ケータイからは少し焦った声が返ってまいりました。
「じゃあ、どこか、ブツを棄てられる窓はないか」
「窓はあるけど、開かない。それに、人が多くて、すぐわかる」
「そうか。インターネットでは、そこまでは調べられなかった」
 残念そうな声が響いてまいりました。
インターネットで調べて策を練っておるんかい。
警察無線を傍聴――盗聴かもしれませんが――までしておいて、なんともはや。
やはり、インターネットだけの情報に頼った向こうさんの計画には穴があったようでございます。
「しょうがない。元町を走って、途中から坂を上り、元町公園の中にあるエリスマン邸に行け。念のためと思って第二の策も立ててある」
 敵さんが、即座に頭を切り替えたようでございました。
「えー、あの急勾配の汐汲み坂をバイクで上るの? きついなあ。北側からまわりこんでいっていい?」
 アチキは懇願の声を上げました。
 山手町は、元町通りの西側に位置し、南側から港の見える丘公園、元町公園、山の手公園の順に並んでおりやす。
途中にある汐汲み坂は非常に傾斜がきついです。
「それでもいい。では三十分後に、エリスマン邸についた頃連絡する」
敵さんが譲歩してくださったので、北側から坂を上ることにしやした。
(37回目)
    七

山手町の北側にはお嬢様大学として有名なフェリス女学院大学があるんでおます。
フェリスは中東部や高等部は別の場所にあるのですが、大学の部分が山の北にあり、その入口の傍らを通り過ぎ、大学の裏手に回ると緑多い丘の斜面に山手公園がありまする。
山手に暮らす外国人たちのために明治三年に開園した庭園が発祥で、日本初の洋式公園として知られていまする。
明治十一年には敷地内にテニスコートが造られ、日本でのテニス発祥の地としても知られまする。
園内にはこれを記念して「日本庭球発祥の地」碑やテニス発祥記念館などが置かれています。
山手本通りからは少しばかり離れているためか、普段は観光客も少なく、静かな園内に地元の人たちの憩う姿があるだけです。
また歴史の古い公園らしく園内には桜の大木も多く、春の桜の時期の景観はとても素晴らしいどす。

フェリス女学院高校にむけて北側から坂道をトコトコと登りやす。
山手本通りに到着し東へと辿ると左手に学校の建物が並びます。カトリック山手教会の道路向かい側にあるのは横浜山手女子高校・中学です。
横浜山手女子高校・中学は、明治四十一年創立の横浜女子商業補習学校が母体といいます。
大正末期に横浜女子商業学校を併設し、戦後の学制改革時に横浜女子商業学園中学校・高等学校に改称、平成になって普通課を併設、現在の校名となったのは平六年のことです。
横浜山手女子高校・中学の東に隣接するのはフェリス女学院大学付属のフェリス女学院高校・中学です。

汐汲坂の少し先には「代官坂上」交差点があります。
この交差点から元町側へと降りる坂が「代官坂」です。
坂の途中に横浜村名主石川徳右衛門の屋敷があったことから「代官坂」と呼ばれるようになったもので、もともとは箕輪坂と呼ばれ、元町方面から丘を越えて本牧方面へと繋ぐ道が抜けていたのだといいます。
今でも丘を南へ降りれば本牧通りへと抜け出ますが、丘の下をトンネルも抜けており、「代官坂」を上り下りするのは観光客だけでございやす。
「代官坂上」の交差点から坂道を見下ろすと、マリンタワーがちょうど正面に見えます。
道路脇の家々の木々の緑も美しく、なかなか素敵な景色が望めまする。

「代官坂上」交差点からさらに東に山手本通りを辿ると、左手にベーリックホールがあります。
ベーリックホールは昭和五年にイギリス人貿易商ベーリックの私邸として建てられたもので、昭和三十一年から平成十二年までセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッッジの寄宿舎として使われていました。
元町公園の一部として平成十四年夏に一般公開されたものです。
スパニッシュ風様式の建物はなかなか大きく堂々としており、内部も自由に見学することができまする。

「ベーリック・ホール」の前を過ぎて緩やかに曲がる山手本通りをさらに辿ると左手は元町公園です。
通りに面した広場にはエリスマン邸が建っています。
淡いピンクと白を基調としたすっきりとして美しい姿は他の洋館とは少々印象が異なりますが、「日本近代建築の父」とも呼ばれるレーモンドの設計といわれます。
大正末期にスイス人貿易商エリスマンの私邸として建てられたものを移築復元したものです。
さっきの人形の家と比べ、こちらに並ぶのはどれも明治から昭和の初期に建造された洋館群で、窓はいくらでもあって、自由に開けられます。
つうか、すでに開いていて、気持ちのよい風がカーテンをなびかせていまする。
いや、身代金運搬で興奮していなければ、身を切るような冷たい風でやんす。
観光客もまばらです。

(38回目)
    八

アチキはエリスマン邸にはいりました。
もう四時半すぎで、冬の日はかたむきかけ、中にはほとんど人はいませんでした。
うろうろしていると、やがてケータイが鳴って、次の指示がきました。
「中のコカインを出して、後ろの木立の影になっている部分に落とせ。それからボストンバッグだけもって、向かいの山手二三四番館へゆけ」
アチキは道路からは反対側になる、裏手の窓を開けました。
周囲には高い木が茂っておりやす。
要求通りに、道路側に陣取っておる警部たちにみつからずに、館の裏手にコカインの袋だけを投げ落とすことができそうです。
アチキは周囲を見回し、誰もいないのを確認すると、さっとコカインの袋だけを窓から落とし、何気ない顔をして、エリスマン邸を出て、道路を渡って、山手二三四番館に行きました。

山手通りを挟んでエリスマン邸の向かいには、山手二三四番館や山手聖公会などが並び、この辺が横浜山手観光の中心でございます。
夏場は、建物と木々の緑との織り成す風景が美しく、記念撮影する観光客や元町公園側の広場でスケッチをする人も多いです。
山手二三四番館は昭和初期に外国人向けのアパートとして建てられたもので、外国人向けのアパートとしては現存する唯一の建物でありんす。
館内には山手の歴史を紹介する各種の資料が展示されていまする。
この近くの横浜山手聖公会は開港直後には山下町にあった教会ですが、後に現在地に移転しました。
当時は尖塔のある煉瓦造りの教会堂であったらしいですが、これもやはり関東大震災で倒壊、現在の教会堂は昭和初期の再建です。石張りの外観が印象的な重厚な印象の教会堂でございます。
山手二三四番館に隣接する「えの木てい」は昭和二年に建てられた洋館のリビングを開放して喫茶店としたものです。異国情緒溢れる雰囲気が人気で、常に多くのお客で賑わっております。
テラスは犬もOKです。
 
ここでも、アチキは道路の反対側の窓を大きく開けて、ボストンバッグだけを落としました。
「落とした」
 入ったままのケータイで連絡をいれると、すぐに次の指示がありました。
「そこのトイレの水タンクの中にカミソリが隠してある。それで、自分の手首を切れ。そして、カミソリを窓から棄てろ。それから、大声で助けてーと叫べ。そのとき、必ず窓は開けておくように。警部が飛び込んできたら、男に教われて、手首を切られた、男は窓から逃げたと言え」
 トイレの個室の中で、水タンクを探すと、一番奥の個室のタンクの蓋の後ろに貼り付けてありました。
窓を開けようと思いましたが、個室の中には窓がありませんでしたので、水道の傍まで戻りました。
 
 そして、要求されたとおりのことをしました。
「キャー」
 叫び声と同時に、後ろから、尾行してきた、菅原警部と刑事一号(ゼナ)と二号(ウインダム)が飛び込んできました。
三人は、たまたまトイレの個室から水道のある場所に出てきた女性に飛び掛ったでのございます。
「抵抗するな。そのまま」
 トイレの中は大混乱となりました。
アチキは必死で叫びました。
「違うの。違うの。敵に要求されたの――」
アチキは敵に要求されたことを説明しました。
「この人は関係ないの――。電話で命令されたとおりにしたの――。まず、エリスマン邸の中でコカインの袋だけを後ろの窓から棄てろと言われたから、その通りにして、ボストンバッグだけを持って、こっちへきたの――。そして、トイレに置かれていたカミソリで、自分で手首を切って、叫び声をあげたの――。誘拐犯に、そういう風にやれって命令されたの――」
アチキは興奮で泣き崩れやした。
警部は、すぐに建物の裏手に回り、鞄の中を開けました。
「糞。底に追跡装置までしかけておいたのに」
追跡装置。正式名称トランスミッターと呼ばれるものでございましょうか。
それならば、よく、推理物で車を追跡するのに登場する奴でござんす。
送信機と受信機のセットになっておりまして、安いのは有効半径が八キロ程度です。高いのになりますと、最大送信距離が八十キロまで伸びまする。
それとも、PADと呼ばれるものでございましょうか。
こちらはマイクロ波で五キロ程度をカバーするものです。パソコンのモニター画面に表示し、GPSナビゲーションシステムと連動しており、よく、推理ドラマで、液晶画面に緑の点で表示される奴です。
警部は、どちらともおっしゃって下さいませんでしたので、どっちかなのでしょう。

次に警部は無線を持ちました。
「おい、エリスマン邸の後ろだ。ブツはそっちで。エリスマン邸の後ろを探せ」
 部下に命令しております。
「探しております。今、不審者を発見しました。白い袋をかついで逃走中です。四っつの袋をストラップでつないでありますから、我々の用意したブツだと思われます」
 無線機から返事がありました。
 大きな木にかこまれていまする。
曇り空で、すでに薄暗くなっているのでございやす。
「犯人は東に向かって逃走中。山手八十番館遺跡の方角です。走って追跡します」。
四課から派遣された刑事三号(Gパン)と四号(龍の刺繍)でした。
エリスマン邸の手前を元町側へと入り込んでゆくと山手八十番館遺跡があるのでございます。
公園の緑に囲まれてひっそりと横たわり、往時の面影を偲ばせまする。
「俺たちもコカインを追跡するぞ」
菅原警部が叫んで走りだしました。アチキたちも続いたのでございます。