由美姐33、34、35回目

粗筋。アチキ(小夜)は由美姐に命じられて、マトリの仕事をすることになりやした。
横浜の難破船でシャブの密売が行われたようで、売ったほうのベトナム人と、買った方の山城組の若頭が撃たれて死んでおりやした。
そこへこっそり忍びこんだマトリの一人は海へ落ちて死に、もう一人は瀕死で湾岸署に船で逃げ込んだのでございやす。
アチキは、やましろ組の賭場へ証拠をつかみに潜入せよと姐さんから命じられやした。
そこで、やましろ組の賭場の行われているビルのそばの電話線を切って、電話の修理を装って潜入したのでございます。で、ひやひやしながらも、なんとか盗聴器を設置して脱出いたしやした。
家に帰ると、やましろ組から、トシを誘拐したっつう手紙と手の指が送られてめえりやした。そこで県警に連絡して、身代金運搬の準備をいたしました。
その夜、アチキは湖に死体が浮いているっちゅうサイコメトリングをいたしやした。夢ではなく、ホンマのサイコメトリングでございます。なぜなら、実際にその場所、――相模湖のそばの小汚い池――に赴きやしたら、本当にブツがあったんでございやす。おっと死体ではないので、正式には、夢かもしれませんが。それから、身代金運搬にかかりました。
(33回目)
     二

ここで、読者の影の声

読者A「それから身代金物で有名なのでは、新幹線の窓から鞄を投げろっちゅうのもありましたなあ」
読者B「はいはい。黒澤明の『天国と地獄』でんなあ。燃やしたらピンクの煙の出る薬を鞄にしみこませておいて。
って、このネタは『湾岸警察』でも真似されとりましたなあ」
読者C「それから、岡島二人の『九十九パーセントの誘拐』の中では、自分が運搬人になって、ある周波数の音のでる笛を吹くと、電話の向こうのパソコンが次の指示を出すっちゅう設定にしておいて、衆人環視の中、自作自演で身代金の運搬をしてましたなあ。
これは、身代金がダイヤだったんで、途中で隠すのは比較的簡単でおましたなあ」
読者A「まあ、アクロイドの傑作だすなあ」
読者D「それやったら、おなじ作者の『明日天気にしておくれ』では、身代金を競馬の掛け金にするっつう話がありましたが。地方競馬の一番人気のない馬に二億円を賭けさせたんどす」
読者A「知ってる。知ってる。で、自分は別の全ての馬の馬券を買ってあったんどすな」
読者D「そう。ちなみに、その時の各馬に掛けられた金は、地方競馬ですさかい、二百万くらいどした。
ここで、一番遅い馬に二億円がかけられたんどす。他の馬の倍率が、がーんと上がりよりましたがな。
普通やったら、本命は勝率が低いんやけど、ニ億円が人気のない馬に駆けられるよってに、逆に本命の勝率が上がって、本命かそれに近い人気の馬が儲けられるってこっちゃ」
読者E「それやったら、『ホワイト・アウト』では、身代金は銀行振り込みやったけど、犯人たちが、無線を経由させることで、自分たちのいる場所を偽装して、警察の手を逃れるっちゅう方法がありましたで。
映画では最後がちと変わっておりましたが」
読者F「変わっておると言うたら、『誘拐』っちゅう映画では、身代金を運ばせる人間に、極限まで早く走らせて、その人間を心臓発作なんぞによって、死に至らせるっちゅうネタを提示しておりましたが。
身代金は眼くらましで、その運ばせる人間たちに恨みがあって、そいつらに復讐しようっつう意図だったんですなあ」
読者G「ところで、この作者は、想像力が今一よってに、今まであったどれかをまねるに違いありまへん」
べしべしべし。作者の手。

        *

「それから」
 警部は、どうしてもチナちゃんに運搬をさせるつもりか、敵の要求順路の予想と、こちらの尾行予定なんぞを話しはじめやした。
「誘拐犯は、まず午後三時に、八景島シーパラダイスの水族館に行くように要求している。それで、我々は駐車場にスタンバイする」
アチキは、頭にきたので、ゴス・ロリかメイド服にでもしてやろうかと思い、自分の部屋に行きました。
ですが、数分後、「捜査会議を始める」っちゅう伝言を受けたのです。
 しょうがない、ゴス・ロリのままで着替える暇はなく下りてゆくしかありません。
それでも、アチキは急いでメイクをし、メイベリン・ボリューム・エックスプレスで倍に伸ばした睫と、SK?ピテラでひたひたにした頬をし、BB四〇で紫外線対策をし、ディオールの口紅を塗り、コフレ・ドールのシャドーでメリハリをつけ、ツバキでシャンプーした髪を結い上げ、姉貴にもらったヴィトンのバッグを持って伊右衛門を飲みながらリビングに行きやした。

 リビングに全員が集まると、警部は、向こうの考えた布陣をとうとうと喋り始めました。
「まず、運搬にはサイドカーを使う。それは、小夜が十七歳で車の運転ができないからだ。それで、脇に十キロのコカインを載せる。そして、一般の車数台を挟んで覆面パトカーが一台、さらに、一般の車数台を挟んで、もう一台。その他に、最初の指定の場所に、一台、そこで次の場所の指定がきたら、別の一台を先回りして、スタンバイさせる。それ以降は、最初にスタンバイしていた車が交代で、次の場所に先回りする」
 警部はリビングのチューダー王朝風のテーブルの上にコーヒーの缶やコーラの空き缶を並べて、説明しました。
「それから、一番近い尾行の車に載っている刑事は、指定の場所に到着し次第、車から降りて、運搬人の周囲を囲む配置に付くから。
身代金運搬が長くなり、不審者を尾行するのに人手が割かれ、あらたに車が必要となったら、緊急配備をしいて、所轄の覆面パトカーを要請する」
 一通り説明が終わると、最後に、菅原警部は、偉そうに訓示をたれなさいました。
「くどいようだが、誘拐事件の基本は、人質の早急かつ安全な救出だ。それを肝に銘じるように。
次に、犯人がピストルを所持している可能性も高い。仮に犯人と遭遇しても、性急で軽率な対処はしないように。
一般市民に危害が及ぶ可能性も高い。一般市民には怪我を負わせてはならない。
今日の案件は俺がキャップだからして、四課からの応援の人間にも俺の命令に従ってもらう。このことだけは肝に銘じるように」
 どうやら、肝に銘じるようにが、菅原警部の口癖のようです。
 (34回目)
    三

同日午後三時ちょっと前。
沼から発見された小汚いコカインの袋を、昨日と同じ形状のまま――四ケの袋に入れ紐で繋いで――うちにあったヴィトンのボストンバッグに入れ、婦人警官のチナ君が、サイドカーでトシの家の前にスタンバイなさりました。
服装は、昨日、アチキの着ていた電話会社の作業服で、髪は結い上げて、その上にヘルメットを着用しております。
ちなみに県警の用意したサイド・カーはモトグッチ八五〇ルマン?サイドカー付でやした。
『コチ・カメ』の本口リカの愛車でおます。
坂の下に待機したティアナ一号の中には、運転手を兼ねる刑事と、アチキと姉貴が、乗り込んでおります。
結局、アチキはトシの店のバイトだと思われるようにコンビニのユニフォーム――メイドフェアの時の服でございます――に着替えました。
姉貴は、この期に及んでも和服――京友禅――でございます。
まあ、敵は、マトリの手伝いをした人間がコンビニのバイトをしていると考えておるのでございやすから、途中で、マトリ出て来い、などと要求されたときには、姉貴には、率先して出て行ってもらいましょう。
それにしても、トシはアチキのことをどんな関係だと誘拐なさった連中に説明しておるんでしょうか。
運搬人には小夜を、と指定したからには、アチキが親族、姉だとでも説明したのでしょうか。
アチキの外見は、昨夜、あいつらには目撃されやしたが、でも、その外見イコール小夜だとは分からぬはず。
ですから、トシが十七才の姉がおり、小夜というと主張すれば、信じるかもしれまへん。
おまけに、山猫建設の社長はんは、アチキが命を張って写真を撮って、ねじ込んだことをご存知です。
ですから、アチキがトシと家族同様だと思ってるかもしれませんし、その上でマトリの手伝いをしたこともあると、そのように山城組に説明なさったかもしれません。
その上、山猫建設のお兄いさんと刀の斬りあいもしておるんでございますから、相当に鼻っ柱が強いと思っておるでしょう。
となると、その様に山城組に情報が伝わり、途中で手荒なことをしかけてくるやも知れません。
ならば、身代わり運搬人にもその辺の注意をしておいたほうがよいのでございましょうか。
いやいや、運搬だけなら、余計な情報はいらぬかも。
などと思っていると、突然、無線で、菅原警部の声が入ってきました。
「ちょっと訊くが、トシの性格はおとなしいほうか」
菅原警部は、別の車に乗っておるんです。ティアナ二号でおます。
ちなみに、今回投入されたのは、ティアナ一号と色の違う二号、フォルクスワーゲン・ポロ、プリウス、ポルテなどでございます。
「トシの性格、ですか」
 アチキは、何と応えようか考えこんでしまいました。
「ああ。素直におとなしくしているほうか。それとも、相手を撹乱しようとして、色々と話しかけるほうか。それによっては、早く解決しなきゃ危ねえ場合もあるしよう」
 菅原警部は、自分なりに心配しているようでございまするが、アチキは、返事に窮しておりやした。
一言で言ってしまえば、トシの性格は、悪いです。
アチキの唇を奪うために、坂の上から車椅子ごと落ちるなんて、何とも思やしまへん。おっと、これは、無鉄砲というのでございましょうか。
しかし、さすがにこれを、隔離しておる山城組の組員に対しておこなうような馬鹿ではないでしょう。
して、その次に思いつくのが、盗撮マニア。
これは、どうやって説明したらよいのでしょう。
これも、まさか、むくつけき男に対しておこなうような非常識な人間ではございませぬ。
アチキが、答えを探しておりますると、姉貴がズバッとおっしゃいました。
「あいつは、おなごに対しては性欲の塊じゃが、男に対しては、借りてきた猫じゃ。心配ねえ。おとなしくしてるさ」
何と、姉貴に対してまで、唇を奪おうとしたのでしょうか? 向こう見ずも甚だしいでござんす。いや、むしろ命知らずの粋かも知れまへん。
「さよか。じゃあ、体のどこかを切断される危険性はねえな。じゃ、そろそろ行くか」
(35回目)
       四

 午後三時。
指示に従い、八景島シーパラダイスまでまいりました。
八景島シーパラダイスは、横浜の南のはずれ、金沢八景のそばにございます。
もう、鎌倉に近い辺りでやんす。
ここへ入園するのは無料でございますが、各アトラクションごとに入場料が取られるシステムになっております。
中でも、水族館は、動くトンネルなどがありんして、シーパラダイスの中では一番高い料金となっております。
巨大な水槽――正式名称はアクアミュージアム――の中には、五千種、十万疋の海の生物がおり、一日中眺めていても、飽きないでございます。
他には、いるかのショウの行われるアクアスタジアム、海に突き出したサーフコースターなどなどが有名でやんす。
マリーナなども併設されておりまして、観光船でクルーズを楽しむこともできます。
その水族館の中へ入って、すぐの所に椅子があって、その下を探ってみよ、との電話でございました。
この敷地内は団体のバスを除いては、車の進入は禁止でございまして、橋の前の駐車場に停めることになっております。
チナ刑事が、駐車場でサイドカーから降りて橋を渡り、水族館の中に入っていきました。
コカインはサイドカーに残したままです。
敵を油断させるためです。
小汚いボストンバッグに手を伸ばす人間がいたら、即、確保する予定でございます。
チナ君が歩き始めると、すぐに、サイドカーから数メートル離れたところに駐車したフォルクスワーゲン・ポロから刑事一号(ゼナ)と二号(ウインダム)が降りて、水族館入り口付近に向かいました。
出発前、菅原デカ長さんから、無線で、次のように訓示されておりました。
「第一の尾行組は、フォルクスワーゲン・ポロじゃ。尾行は無線で連絡を取りながら、つかず離れずですること。
チナ君がサイドカーから下りて歩き始めたら、安全を確保するために、少しはなれて、徒歩で尾行すること。
角を曲がったときなどは間隔をつめ、見失わないように。防弾チョッキと短銃は忘れないように」
 フォルクスワーゲン・ポロから数メートル離れたところにはプリウスが、それからさらに数メートル離れた場所にポルテとティアナ二号がスタンバイしております。
うちらの乗るティアナ一号は、ポロとは反対側ですが、サイドカーの比較的近くに駐車しております。
 ちなみに、警部さんからは、全員の刑事の名前を教えられましたが、覚えられないので、次のように覚えました。
便宜上ですが、フォルクスワーゲン・ポロに乗車しているのが刑事一号(ゼナ)と二号(ウインダム)で、プリウスに乗車しているのが刑事三号(Gパン)と四号(龍の刺繍)。
ポルテに乗車しているのが刑事五号と六号。
うちらと一緒にティアナ一号に乗車しているのが、刑事七号で、菅原警部と一緒にティアナ二号に乗車しているのが、刑事八号でおます。
ポルテに乗っている刑事五号と六号は、二人とも四十台前半で、細身、仕立てのよい鎌倉シャツと細身の流行の先端らしきスーツでした。
兄弟のようによく似ていて、シャツは程度の差こそあれ、薄いピンクの細い縦じまで、スーツもグレーの細い縦じまで、一見区別がつかないでおました。
因みにニックネームは、ニューヨーカーと二十三区でした。
刑事七号と八号は、二十代中頃で、よく似たあまり特徴のない顔のデカさんで、二人とも、黒のスーツでした。
アチキは、着ている服から、コムサとコムデ・ギャルソンと覚えやした。
 アチキと同乗していている刑事七号(コムサ)と姉貴、二人の眼は、まっすぐにコカインに注がれております。
片手を懐に入れて、怪しい人物が現れて、そのバッグに手をかけたら、すぐにでも短銃がぬけるようしておるのでございます。
 アチキまで緊張で、肩がこってくるような感じです。
フルフェイスのメットに電話会社の修理の制服姿のチナ君は、まっすぐに水族館に入っていきやした。
「今、水族館の中に入りました。すごい人ごみです。これから入り口付近の椅子の下を探します。あ、人が座っています。椅子の下に落し物をしたふりをして、どいてもらいます」
 頭に装着した無線を通し、チナ君の緊張した声が響いてくるです。
「あのう、すみませんが、その椅子の下に落とし物をしたみたいなんですが」
流石に刑事でおます。お客を強引にどかして、椅子の下をさがして始めました。
「あ、すみません。ちょっとかかりそうなので、あっちの椅子に移動してもらえます」
これは、お客にいっている言葉。
「あ、椅子の下には、ケータイ電話が貼り付けてあって、メモが一緒に張り付いています。今から読みます」
これは、捜査陣に対しての言葉。
そういったきり、しばらく言葉が途切れました。
どうしたのでせう。
次の情報が来る前に、今までのことを整理してみました。

    五

ケータイは、どうせ、ネットで募集して金で雇った人間に買わせた物に違いありません。
あるいは、金で借りた免許証で買ったか。
どっちにしても、このケータイから犯人を特定しようとしても、無理です。
あっと、失礼しました。犯人は山城組の人間と割れているのでございますが。昨日のカジノの電話から、刈谷若頭だと思われるのですが。
しばらく歩く足音がしました。
そして、さらに、走る音がしました。次の情報は送られてきません。
アチキたちが顔を見合わせていると、橋を渡り、駐車場に走って帰ってきて、ティアナ一号に近づいてくるチナ君の姿が見えました。アチキたちの乗っている車です。
チナ君は、まっすぐにティアナ一号に近づき、ノックもせずにドアを開けると、急いでドコモを見せて、訊いてきました。
「すみません、トシさんのコンビニに電話しろと書いてあるんですが、電話番号がわからないんです。教えてもらえますか」
 それを訊いて、アチキと姉貴は顔を見あわせ、同時にため息をつきました。
「あーあ」
 アチキたちのため息と同時に、菅原警部からも、無線を通じて怒鳴り声が響いてめーりやした。
「アホウか、君は。敵が監視しておるかも知れないのだぞ。刑事の車に近づいてどうする」
 それを訊いて、チナ君の顔が真っ青になりました。
 無線を通じて、チナ君の声を聞いていた菅原警部の声が、さらに大きくなります。
「君は、小夜君なんだ。トシのコンビニの電話番号くらいすぐに分からなきゃいけないんだ。だから、本当なら、ポケットからノートを出して、トシのコンビニの番号を探すふりをしながら、無線で、コンビニの番号を聞かなきゃいけなかったんだ。それを。それを。わざわざ刑事の車に聞きにくるなんて。刑事がいると、教えているようなもんじゃないか」
「すみません。初めてで、緊張していて、どうすればいいかわからなくて」
 チナ君が泣き崩れました。
 それと同時に、チナ君の手の中のケータイが鳴り始めました。
 驚いたチナ君は、思わずケータイを取り落としましたが、気を取り直して、それを拾い、オンにしました。
中からは、ボイスチェンジャーを通した男の声が流れてきました。
「君が小夜君でないのは、今確認した。こちらの要求と違うので、今回の運搬はこの時点で中止する。
次は、本当の小夜くんでやるように。警察には応援を要請するな。一時間後にそのケータイに指示を出す。
それまでに横浜人形の家に行っているように。今度こちらの要求を無視したら、トシ君の体に危害が及ぶことを覚悟しろ」
「ま、待って。私は刑事じゃないわ。小夜の姉よ。だから、トシの家の番号を知らなかったの。バイトしてないから。本当よ。信じて」
 チナ君の涙交じりの声と、咄嗟の嘘にも関わらず、電話はぷつりと切れました。
 敵は、この広い駐車場のどこかか、橋の上辺りから見ていたのに違いありません。
 チナ君は、コンクリートの上に泣き崩れながらも、なお、警察には応援は頼んでないわ、信じて、と涙ながらにくりかえしておりました。
 しばらく顔をみあわせていますると、駐車場の端から、フルスピードで出てゆく車がありました。黒のベンツでした。
いかにも組関係の方々のすきそうな車でございやす。
ポルテが急いでそれを追いました。
この時点で刑事五号(ニューヨーカー)と六号(二十三区)は尾行業務に転向でやす。
 どこかで職務質問をかけるのでしょうが、これで捜査員が二人減ってしまいました。