『ハイド&シーク』そのうちDVD

アリ・シュロスバーグ脚本、20世紀フォックス。
内容*ほとんどが父親視点で貫かれている。まず、少女(エミリー)の母親がバスタブで死んでいて、それを発見したのも父親。次には、エミリーが幻覚らしきことを言う。「チャーリーがいるから、夜も平気なの」など。
なので、父親は困って田舎に引越しをする。だがエミリーの妄想は止まらない。エミリーがぬいぐるみをずたずたにする→言い訳は、「チャーリーがやったの」。
父親は精神科医なので、チャーリーを否定するのは治療上良くないと知っている。あえて「チャーリーと一緒に遊ぼう」と懐柔してみる。すると、娘には「チャーリーはデビッド(父親)が嫌いなの」とうまく交わされる。
そのうちに、エリザベス(デビッドの新しい恋人)が尋ねてきて殺される。これについても、娘は「チャーリーがやったの」と言う。父親は娘が多重人格であると、心底から考え、心配する。
一方、隣にも気味の悪い男が住んでいる。チャーリーとはこいつのことではないかとも。
結論*チャーリーは確かに実在している。多重人格という形で実在しており、それが、娘の頭の中に住みついているかどうかは、ネタに関係するので、言えません。是非見てください。
父親が、チャーリーは娘の頭の中に住みついていると推理しているので、本当に娘の頭の中に住みついていたら、面白くはないのですが。
この作品を見たときに「サイコ」を連想しました。非常によく『サイコ』を研究している。エリザベスが殺されるシーンなどは、『サイコ』の主人公が殺されるシーンとそっくりである。

参考までに、『サイコ』と比較。
『サイコ』の内容*主人公の女(金を横領して逃げている)が田舎のモーテルの経営者であるノーマン・ベイツに気に入られて、モーテルの後ろにあるベイツの家に招待される。
しかし、約束の時間にベイツに会えなくて、勝手に家に入ってゆくと、母親の声がする。母親は、息子を主人公の女に取られると思って、息子と喧嘩をしている(声がする)。「あの女は嫌いだ」
で、ちょっと飛んで、女はシャワーを浴びている時に殺される。
これは、あまりにも有名な話でネタバレしても良いかと思うので、ネタを言ってしまうと、実は、ノーマンが多重人格で、母親と息子の一人二役をやっている。で、母親の登場するシーンは声しかない。だから、観客は本当に母親が生きているのかと思う。
それに比べると、この作品では、女の子が一人二役をやったりしないので、(もっとも話の展開上、それはできないが)、ちょっと分かりにくいかな?
でも、『サイコ』を下敷きにしていて、『サイコ』よりはぐっとハイレベルのミスディレになっている。

参考までにヒッチコック研究を少し。
『鳥』内容*鳥が襲ってくる。この作品から発想したネタ。
私は森の中の一軒家に住んでいる。ある日、鳥に襲われる夢を見て目がさめる。母親に話すと、(母親は後ろを向いていて食事の用意に専念している)、ヒッチコックの『鳥』の見過ぎじゃない、と軽く言われるだけ。
寝過ごして仕事に間に合わないので、食事も立ったまま取り、仕事に出かける。玄関には人間の眼球を入れたビーカーが沢山置いてある。
仕事に行く途中でも、沢山の鳥に追いかけられる。仕事場で(モデルの初仕事)は、何とかカメラの前に立つが、カメラには自分が無様な鳥の姿として写るらしくて、文句を言われる。私はショックで喧嘩してしまい、クビを言い渡される。→ぐでんぐでんに酔って帰る。
すると、母親が猛禽の顔をしていて、お皿に鳥の餌が盛られている(手を叩いたとたんにそう見える)。ギョッとして母親を見返すと、母親は「あら、催眠術が半端にしか解除できていないようね」と言って手を叩く。すると自分の姿が鳥になる。どうやら自分は鳥だったようだ。母親は言う。
「今日、仕事場から電話があったわ。あなたが鳥だということは承知の上で採用したのに、ちょっと汚れた顔だったので文句を言ったら逆上して帰ったとか。そんなことじゃこれからは仕事はもらえないわよ。向こうさんも鳥なんだから」
「じゃあ、あれは催眠術?」と私。
「そうよ。ちょっと、私の催眠術が下手だったようね。でも、飲み屋の人間も皆鳥で、ばれなかったのだから、及第点ね」と母。
「なんだ、謎が解けて、安心したわ」と私。
「さあ、今日のノルマ。人間の姿に化けて、工事の人たちの宿舎に行って、眼球をくりぬいてくるのよ。それから向こうの森の端に家を作った人のも」と母。
「ようやく分かったわ。あの玄関の眼球は私がくりぬいたのね。私、森を守るためにがんばるわ。そう言えば鳥たちが盛んに話しかけてきたけど、あれは応援をしていたのね」私。
「そうよ」と母。(乙一の『恐怖童話』みたいになってしまった)