石持浅海・二冊紹介、中篇小説『血文字』一回目

『扉は閉ざされたまま』(祥伝社)『水の迷宮』(光文社)石持浅海
前者内容*犯人役の主役と探偵役の女友達が交互に語る、倒叙ミステリー。まず密室で殺人が行われて、犯人が密室を作る。次には同窓会で集まった友達たちが、被害者(まだ寝ていると思われている)が起きてこないのはどうしてかを推理する。主役は、電気は点けたままで良いのかとか、密室はどうすれば完璧にできるかなど、あらゆることを考えて完全犯罪を目指したのだが、一人の女友達が、扉も開けないのに、小さな齟齬から犯人と動機を当ててしまう。


感想*目から鱗の本格推理。まず、ドアを鉈で破らない設定が新鮮。今までの推理では、密室なら条件反射的に鉈やチェーンカッターが登場する。まるで必需品であるかのごとく。日本の推理が外国に翻訳されれば、日本の家庭の必需品は、鉈とチェーンカッターと電子レンジと思われそうなほど。しかし、ちょっと考えればやっぱり変。高級住宅に鉈は置いてないだろう。その針の先ほどの疑問点から発展させた発想の転換は見事。で、結局十時間以上も扉は開かれないのだが、それが殺害の動機にもなっている。常識を破る斬新さ。『このミス』の一位に行きそうな勢い。


後者内容*水族館で不審な事件が相次ぎ、ケータイで金を脅迫される。脅迫金額は低いが殺人事件が起こる。主人公は、自衛策を講じつつ、姿の見えない犯人を割り出してゆく。
感想*非常に良く水族館のことを調べたミステリー。重層的でかっちりと組み立てられたゴシック建築を思わせる構造だけど、発想の転換と面白さの点では、『扉は閉ざされたまま』が上かな?


中篇小説『血文字』(発想の源は『黄泉がえり』。ホラーでハート・ウォーミングで誰かが幽霊。主人公が天から語りかけてきたのは、7月4日のブログ『埋もれ木』の追伸を書いていた時。今月からまた長編に集中するので、六回分は『血文字』です。何しろ短編は長編と同じだけ、ネタに苦労するので)

『血文字』
プロローグ
篠つく雨が降っている。
風も交えた横殴りの雨は激しさを増し、窓を伝わっている。
パラパラと音を立てる雨粒は、時には静かになり、コツコツと窓を叩く拳の音に代わって行く。そのうちの幾つかが赤い血に変わり、窓を滴り落ちて行く。
「お姉ちゃん。助けて」
 弟が私に手を差し伸べている。五歳くらいで抜けるように色が白い。
「ここから出して。熱いよう」
 ……キチチチチ……
どこかで大きい羽の昆虫が舞い上がる。甲殻類は嫌いだ。私を襲ってくるから。
口に飛び込んで、喉にまで入り、窒息させようと様子をうかがっているから。
……キチチチチ……
「おねえちゃ――ん。苦しいよう。助けて――」
もみじのような手が、びしびしと蒸気で曇ったガラス窓をたたく。まだ窓を割るだけの力はない。
「雄介、出ておいで――。早く――」
喉を嗄らして叫び声を上げている私は窓の外にいる。一階の土の上。
弟のいる風呂場は盛り土をした土台の上、普通なら二階に当たる高さにある。
おまけに低い土の塀と広い庭の向こうである。
「助けて――」
 真っ黒い煙にまかれて、一瞬弟の顔が消える。泣き声だけが響き、真っ赤な血のついたもみじ模様が、幾つも幾つもガラスに押し付けられる。
「雄介――」
 私は半狂乱になって泣き叫んでいる。何とか助けたい。なのに、親戚一同が後ろから羽交い締めにして、中に入れない。
――なぜ?
そうこうしていると、突然風向きが変わる。
ゴウウウウと腹の底から湧き上がるような振動を伴って、左手にある離れの一部が燃え上がる。飛び火だ。母屋から火が飛んだのだ。
「逃げろ――」
伯母さんたちの声がする。私を抑える親戚の人間の手が一瞬だけ、力薄になる。
――今だ。
その瞬間を逃さずに、私は手を振り切り、全速力で離れに向かって走り出している。
でも、走っても走っても離れには到達できない。
どうして? と自分に問いかけながら、答えはわかっている。
これは夢だから。すぐ目の前に見えても、離れはずっと遠いのだ。
後ろで伯母たちが叫んでいる。「戻ってこお――」と。
でも、だれも私を追いかけてこない。理由はわからないが、私には都合が良い。
ようやく離れに近づく。雨粒を交えた真っ黒な煙が土を盛った離れから、傍の道まで降ってくる。
自分の喉から狂いそうな叫び声が溢れ、足が離れの中に飛び込んでゆく。
「雄介――――」
離れの中は、まだ炎に支配されてはいない。白から突然灰色や真っ黒になる煙が縞を描いて流れてきては、反対の出口から流れ出して行くだけだ。
私は土間の隅にあった甕の水をかぶった。
離れと母屋の間では、誰かが髪を振り乱して何かを叫びながら、走っている。母屋の上からも助けを求める声が聞える。
口を押さえて、腰を低くかがめると、離れの中を突っ切ろうとした。
離れから母屋に向かって伸びる通路では、青い炎が、悪魔の舌のように変幻自在に伸び縮みし、揺れている。炎は自分の家だと主張するかのように暴れまくっている。
煙はそれほど黒くはなく、向こうが見えるのだが、目と鼻を刺す強烈な刺激臭があって、どうしても通路に入る勇気がでない。
「おねえちゃ――」
母屋の方から弟の悲痛な声が聞える。今度は別の方角からだ。
一旦離れから出て見上げると、いつ移動したのか、弟が雨の降り注ぐベランダに立って泣き叫んでいた。物置があるので、五歳の子供には飛び越えるのは無理だ。
おまけに、何故か雄介の体からは炎が吹き出して、服が燃え始めている。
「雄介――」
その姿を見た私は一瞬、自分がどこにいるかを忘れて、また離れに飛びこんだ。そして、夢中で通路に向かう。
通路は煙が充満しているだけで、燃えてはいない。しかし、通路の向こうはオレンジと青の炎に包まれていた。
通路と母屋をつなぐ木の扉は燃え落ちていた。四方の板壁や天井、床からは、ちろちろとオレンジの炎が噴出して、火の海になっていた。
「助けて――」
 また別の方角から声が聞えた。
……キチチチチ……
耳のすぐそばで大きい羽の昆虫が舞い上がる。大量の昆虫が火の周りを飛び交っている。
……キチチチチ……
ピシ――ン。
ガラスの扉が砕け、風の流れが変わった。母屋では、真っ赤に焼けた天井がはがれて落ち始めていた。
「ここからじゃ駄目だ」
自分に向かって叫んだ私は、また離れまで戻って外に出た。
離れから飛び出すと同時に、通路とそこに接続していた部分が燃え落ちた。
大量の熱風と同時に、燃える木の柱や板が飛んで来た。風にあおられて周囲を踊り狂う。
まるで私を襲う機会をうかがっているようだ。
「沙希――。けえれ――」
畑の向こうで、伯母さんが怒鳴っている。すすで真っ黒になって手にはバケツを持っている。でも、決して助けにきはしない。
火の手があちこちで上がって、あっちでもこっちでも消火にてんてこ舞いになっている。
 ズガガガガ――。
 恐ろしい音を立てて母屋の左が、燃えながら崩れ落ちた。一本の大きい梁が私の肩と腕に落ちてきた。
 燃えている部分ではなかったが、腕がちぎれるほどの激痛が、肩から頭蓋骨にまで走った。一瞬、頭が真っ白になって意識が完全に飛んだ。
「雄介――」
 ようやく意識を取り戻して弟を探すと、雄介はまた別の部屋に移動している。
――夢だから。どこにでも行けるんだ。
 自分で自分に解説している。周囲は燃え落ちた木で地獄のように燃え盛っていた。
 燃えるカーテンや真っ白な煙を上げるプラスチック容器などが、火山の噴火のように、上空に舞いあがり落ちてくる。
息を吸うと、耐えきれない熱波といがらっぽい煙が喉に突入してくる。眼も煙に攻撃されて、痛くて開けられず、睫もちりちりする。
それでもよろよろ立ちあがって煙を追い払い、雄介の姿を探す。
頬に激痛を感じて手を当てると、右頬から顎にかけて、ざっくりと傷ついて血が流れていた。視界もかすんでいる。
しかし、その後に見えたものは、間違いなく雄介が燃える姿で、死んでも現実だとは認めたくない光景だ。
銅像のようにベランダに立ち尽くす雄介。燃え盛り、取り巻いて踊り狂う炎。
赤と青の縞になった炎と煙の層が、竜のように雄介の身体を包み、ベランダの板を舐め、ギリギリと歯軋りにも似た声を立てて、ベランダと母屋を赤い口の中に飲みこんでいった。
と、大量の煙が私に向かって襲いかかった。咳き込んで、雄介、雄介と叫びながら、私は土の上に押し倒された。

そこまで来ると必ず悲鳴を上げて目が覚める。腕には必ず『Y』の血文字が浮かび上がっている。
 伯母たちに夢を話し、いくら理由を聞いても、誰も答えてくれない。
「村の掟じゃから、仕方がなかったんじゃ」と答えるだけ。

 第一章

 中天には月齢二日程度のきわめて細い月がかかっていた。
青草の生い茂る夜の校庭ではコオロギが鳴いていた。昨日まで暑かったのに、蓼科高原の秋は足早にやってくる。
 私(八神沙希・十八歳)と新ちゃんは、けっこう距離を取ってゆっくり歩いていた。新ちゃんの名前は八神新一。私と同じ村の出身で、同い年である。
 新ちゃんは初恋の人であり、本当は手を取って歩きたいのだけど、あんまり急に電話してきたので、少々面食らっていた。
「そうかあ。死んだ弟が夢に出てくるのか」
夜中にいきなり電話で呼び出したのに理由を言わない新ちゃんは、何かを隠しているような顔で、私の話に頷いていた。

ファイルが重くなったので、続きは公式HPへ移動作業中。アドレスはプロフィールの中。