『極道デカ』第二回

今週の唐沢類人の仕事。公式HPの『高層の刺客(死角より変更)』にアスキーを数枚追加。アドレスはプロフィールの中。
『極道デカ』第二回
 前回までの粗筋。私(20才、唐獅子組の三代目姐。通称、唐マリ)は叔父貴(橘警視、35才)のご指名を受けて、広域犯罪捜査班(jfbi)で捜査をしている。今回の仕事は誘拐の捜査。被害者は萱本小夜(17才で、年商二十億ももある宝石会社『四葉宝飾』の娘)。身代金の運搬人は後妻の由香(37才)。脅迫状の内容は次――二億円分のダイヤの裸石を持ち、今日の午後八時に、伊勢市二見浦の海岸、夫婦岩の近くにあるクルーザーに乗れ。その後の指令は、クルーザーに乗ってから報せる。とりあえずは北に向かえ――。午後の八時、後妻がクルーザーに乗った後、私は車のトランクから出て、遺留品を探そうとするが、細い少女と鉢合わせをする。相手の言い分は、男が何かを持って北に逃走した。自分は後妻の由香に護衛を頼まれた者。不審に思って捕まえようとするが、いきなり、サイコメトリングの映像が落ちてくる(私は不完全なサイコメトラーで、いつサイコメトリングの映像が落ちてくるか分からない)。

 第一章―6
 「ありえネエ。絶対にありえネエ――」
 アチキは何度も同じ言葉を叫んでいた。
 口ではそう叫んだが、頭ではサイコメトリングに間違いないと確信した。
 アチキのバヤイは、いつも突然に訪れるんじゃ……。
 決して妄想じゃあネエ。地球上のどこかで起こっている事件に間違いはネエ。
 過去の経験からして、いつもそうだ。
 じゃーーーーが、いつ、どこで起こるかが問題で、アチキには、それが推測できネエ。
 よって、不完全なサイコメトラーと陰では噂されておる。
 今、アチキの舌にゃあ強烈な痛みが走っておった。
 と同時に、ヨットの下のほうで、ズガーーンと重い衝撃音がして、強烈な閃光がほとばしり、何かが爆発した。
「どこのどいつが知らネエが、貴様――。アチキのどこに恨みがあるんじゃあ?」
 と叫んで、ふと脳みそに閃光が走った。、
 ――ヨット?
 いや、クルーザーじゃ。
 てえことは、これは、後妻のヤロウ―の見ている映像じゃ!!!!
 否、これから見るに違えネエ映像じゃ。
 イヤ、見るかも知れネエ映像じゃ。
 アチキは確信した。
 じゃーーーーが、あまりにもリアルに送りつけられた映像は、びんびんに脳髄を叩き、アチキ自身も爆発の真っ只中に放りこまれた。
 スーツ姿の体が空中に高く舞いあがっていた。
 暗い海のはるか上のほうで、何回もくるくる回転し、まわりで飛んでいる瓦礫がビシビシとぶつかって来やがった。
 頭蓋骨がカチ割られるような痛みと同時に、中空に眼球だけが飛び出し、空中の一段高い所から自分の体を見下ろしておった。
爆発は何度も起きた。残っている燃料に引火して、何度も何度も起こった。
「やめろ――。ケツの穴にドス、突っ込まれテエかーー?」
 いくら叫んでも、止まらなかった。
クルーザーからは、強化ガラスや胴体の破片が爆風にあおられ跳ね上がり、空中でキルキルと音を立てて一回転し、また暗い海面に落ちていった。
 まるで映画のようだ。
スーツ姿の体は空中でまだ回転していた。
 五つの肉隗に引き裂かれていた。手が二本と足が二本と、頭つきの胴体だった。
あまりにも見事に分断されていたので、マネキンみたいだ、と思った。
 爆発の炎と焦げ付きそうな輻射熱にあおられ、アチキはまた別の爆発事件をサイコメトリングしていた。今度は和服姿の体が空を飛んでいた。
「姐さ――ん。唐マリ姐さ――ん」
 タカが叫んでいた。喉も裂けんばかりに絶叫して見上げていた。
 ――爆破されておるのはアチキか?
 映像の中で、タカはズタズタになった死体に走り寄っていた。
 飛行機か何かの爆発現場で、顔はぐちゃぐちゃで男か女かも判らネエ。
タカの五感が感じとっている限りでは、遺体は百%アチキじゃ。
 ――となると、サイコメトリングとしか思えねえベ。
 背筋が寒くなった。が、映像は途切れネエ。 
 タカは爆発現場に駆け寄っていた。
 近づくと爆破の威力がはっきりと感じられた。
遺体の足の近くには、髪の毛が数十本付着した頭皮が飛び散っておる。
 赤い血を滴らせ、白っぽい豆腐状の脳みそを震わせたままじゃ。
――破れたハンカチのようだ。
 タカは思っている。
顔の肉は大小様々な塊に寸断され、血に塗れた歯も飛び散っていた。鼻の皮も削げ、骨が剥き出しになっておる。
首の破断面では、鮮紅色の血管が心臓の命令を忠実に実行していた。
 規則正しく血管の断面から外に鮮血を送り出していた。
血管の傍には、鮮紅色の血で縞模様になった筋肉があった。
 断層に沿った部分の皮膚は、ミクロ単位で裂けとった。
紅色の肉と白い神経線維が、所どころ千切れ、皮膚の内側にへばり付いておった。
腕の周囲には、破砕された皮膚のかけらが飛び散っていた。
皮膚は、衝撃で直径数ミクロンから数センチまで、無作為の大きさに千切られておった。
 裏にはピンク色の脂肪がへばり付き、微かに震えていた。
手首は衝撃の凄さを物語るかのように、半分ほどの厚さまで凹んでいた。
骨が刺のように飛び出し、そこからも血が滲み出し、アスファルトの上に広がっていた。
大量の血は靴の上まで血が上ってきた。
アキレス腱のあたりでは、白っぽい骨の繊維が二箇所ほど抉られたまま露出していた。裂け目からは肉の層が見えていた。
脚は細いクレーンの先で抉られたかのように、筋を刻み込まれて不安定に裂け、内側のピンクと白い層になっていた。
 肉の断層は、一センチほどの幅で外側に捲れ上がっていた。
「姐さん……」
 ほとんど聞き取れない声を最後に、未来のタカの送りつけた映像は突然途切れた。
 同時に、アチキのサイコメトリングも終わった。いつものパターンじゃ。


   7

 アチキは悪夢の世界から現実に引き戻された。
 夫婦岩のそば、ニ見が浦の海岸で浅瀬に尻もちをついていた。白日夢だ。
「スッゲエものを見せられちまったぜ」
 これは絶対にサイコメトリングに違えネエ、とは思ったが、実は他にも困った癖がある。
 夢遊病状態になるのである。こっちも場所を選ばずである。
 即、叔父貴に報告しようとは思ったが、一瞬、躊躇した。
 これが妄想だった場合、こっぴどく起こられる。ドヤされ、ドツかれ、曝しもんにされる。
 だから、もう少し、様子をみよう。
 この判断が悲劇を生み出したのじゃが、そう判断するしかなかった。
 ドタマを強く振って現実に戻ったアチキは手を見た。爪の間に黒い繊維が入っていた。
 砂の上にはアチキのゾウリの跡がある。もう一つ濡れた足跡。こっちが逃げた少女だ。
 ――となると、少女とぶつかったのまでは妄想じゃネエ。
 一筋の安心じゃ。
 つまり、少女にぶつかった所までは本当。その後のダイナマイトの爆発部分から後が妄想。白昼夢。
 端から見ていた人間がいるとすると、アチキが少女にぶつかったが、その後、一人で「アチョーー」とか言いながら走り回っていた。
 そう見えたに違えネエ。
 そして、一しきり自分で走り回った末に足を滑らせ、尻もちをついて、現実に戻った。
 その隙に、ぶつかった少女は逃げてしまっていた。
 マジでアチャーである。

 煮えたぎるほどの口惜しさじゃが、ここでくよくよしている暇はネエ。
 事件はまだ終っとらんのじゃ。
 浅瀬の中で立ちあがり、片方の眼球を押さえながら、クルーザーの爆発地点をすかして見た。
 爆発の形跡はなかった。
 ――つう事は、もっと後、身代金の受け渡しの後に訪れる事件かも知れネエ。とりあえずは着替えるべ。
 アチキはタカにケータイをいれて、着替えを持ってこさせることにした。
 タカは親分を守ることしか興味がねえ。いつもアチキの側にいる。
 こんな時に利用しなけりゃ、利用するときがネエ。
「へい。着替えですね。ありますぜ。即、持参しやす。ガッテンでえ」
 ケータイを受けたタカは、車の中で大きくうなずいた。
 アチキの置き去りにした車に乗りこみ、ちゃっかり暖を取っていたようじゃった。
 そうなると、アチキのぶち当った相手も、死角で見てなかったことになる。
 ――マジで使えねえ奴だぜ。
 タカはすぐに海岸まで走ってきて、大急ぎで着替えを手伝ってくれた。
 パンツまで濡れていたが、タカの持ってきたのはズロースと呼ばれる数十年前の代物じゃったので、パンツだけは、そのままにした。
 一応、タカに隠れ、掌の血を落とさねえように絞るだけはしたが。
 タカは嬉しそうに目を細めて、着替えを手伝っていた。
 ――人が地獄の苦しみを味わっている時に。
 悔しかったから、一発、平手で殴ってやった。
 ――もしかしたら、あの映像も、こいつの妄想かも知れネエ。表面上は《姐さん命》みたいな顔をしてやがるが、心の中ではアチキがいなくなるのを待っているんかも知れネエ。
 ふいと、そう思ったから、ついでにニ、三発よけいに殴ってやった。
 あまりの急なドツキに、タカはキョトンとしておったが、「愛の鞭じゃ」と言い訳をすると、嬉しそうに目を細めた。
 きっと、愛だけ記憶して、後は右から左に逃したに違えネエ。

   8

 タカが車に戻ってゆくと、ほぼ同時にドー――んと、地面がゆれるような爆音が響いてきた。
「やられた。爆破じゃ」
 アチキはすぐに悟った。
 さっきのサイコメトリングが、もう現実に起こってしまったんじゃ。
 北のほうをすかしてみた。
 爆発が起こっていた。
 車に戻りかけたタカがポカンと大きく口を開けて、立ち止まっていた。
「さっさとバイクに戻れ。警視にみつかるぜ」 
 怒鳴ると、タカは慌てて駐車場端に止めてあった自分のバイクに乗って、腰玉神社の林の中に走っていった。
 アチキは警視に情報を貰おうと思ってケータイを探した。
 だが、さっきの闘いの最中でどこかになくしたらしく、みつからない。
 仕方ないので、爆発現場に目を凝らして、どの辺か推測しようとした。
 浜辺の形状から辿れば、相当離れた地点での爆発と思われるのに、夜の火事と同じで、すぐ近くに感じられる。
 一秒後に輿玉神社の遊歩道の上で『津軽ジョンガラ節』が鳴った。アチキのケータイじゃ。
 即、浜辺のごろごろ石を飛び越えて、遊歩道まで走りあがり、ケータイに出た。
通話は息を荒く弾ませている金沢ミカリからだった。画面に縦ロールでお姫様ファッションのミカリが現れる。
 ミカリは十五歳の中学生だが、天才的記憶力をもつ少女で、通称マダム・キュリーという。JFBIのメンバー。
 鳥羽署の緊急対策本部で、全ての情報を統合、分析、推理をしている。
「大変。運搬人の乗ったクルーザーが爆破されたの。場所は輿玉神社から十キロほど北、宮川の河口の北」
ケータイから夜気を劈いて震える声が響いてくる。
 アチキもこちらの状況を説明した。
「大変じゃ。クルーザーのあった地点にアチキくらいの少女がいてアチキを殴った。男が北に逃げたといった。アチキが失神から回復したら、いなかった。嘘じゃネエ」
 そこまで告げると、ミカリは一瞬考え込んだ。
「お主、また例の妄想だと思っているんか?」
 疑いの眼に、ブチっと切れたアチキは凄んで、何度も本当だと力説したが、返事はネエ。
 アチキは更に詳しく説明した。
 今起こっているのが、数分前に見たサイトメトリングとそっくりな爆発であること。
 後妻の視線で送られてきていたこと。
 細っこい少女がいたことは現実で、爪の間に相手の服の繊維が挟まっていることなど。
「そうですか? その中で有力な手がかりと思われることは何? リーダー」
 アチキの凄みが全然怖くないのか、冷静きわまりない双眸のミカリはケータイの画面を真正面から見据えて聞いた。
「判らねえ。つうか、全てじゃ。全てが有力な手がかりに決まっておるべ。お前は信じネエのか」 
 暫くミカリは黙って考えていた。ケータイの画面から外れ、歩き回っている足音だけが聞えた
 ――ヤバイ。まじで妄想なんかい? てえと、どうなる? このまま妄想癖がなおらないと、クビになっちまうか? まあ、それでも良いか?どうせ止める気だったし。じゃが、使えネエ極道だと思われたまま辞めるのはシャクだし……。
 心配がピークに達したとき、ミカリの顔が画面に戻ってきて、返事があった。
「お待たせ。リーダー。今、CCDカメラの映像をチェックしたところ、少女がちゃんと映っていました」
 そうだ。私がしょっちゅう妄想に陥るんで、最近、CCDカメラを襟に取り付けてもらったんだ。良かった。
「ええとですねえ、CCDの映像だと、相手の少女の肩しか映っていないです。リーダーと衝突したのは本当のようです。二言三言喋って、そのすぐ後にリーダーが失神してます。妄想状態に入ったんでしょうね」
「違うだろ。サイコメトリング状態じゃろが」
「ああ、そうです。で、その後、何も写っていないので、逃げてしまったようです。あ、タカさんの声が入っていますが、タカと一緒に着替えをしました? その後、タカさんの声が入っていますが。『姐さんの裸。姐さんの裸。貧乳だったぜ』って何度も唄っていますが」
 ――そうだった。あのバカ。どうしてくれよう?
 思わず拳骨をふりあげかけると、殺気を察したミカリが言葉を挟んだ。
「タカさんが見つかると、警視が荒れそうでヤバイので、消しておきます。それよりも、少女についてですが、外見はリーダーの見た通りです。少しはリーダーも役に立ったようですねえ」
 完全に馬鹿にされた。
「それと、少女の言った、逃げる男というのは嘘ですね。対策本部には巡視艇などから映像が送られてきていて、それらをチェックしました。一台のカメラは、夫婦岩の北の観光用の海女小屋に設置されていて、その映像を見ました。でも、逃げて行く男は映っていないんです」
 ――やられた。
 アチキはショックで思わず自分の頭を拳で思いっきりぶった。
「その少女こそが共犯です。海女小屋のカメラからは輿玉神社の遊歩道脇は死角になって見えないのです。ですから死角を選んでその少女が海岸に入った。あるいは反対側、つまり海に向かって右側から回りこんだのかも知れません。いずれにしても、その少女が何かを取りに行ったとしか考えられません」
 説明しているうちにミカリも興奮してきて、アチキよりも大きい声で叫んでいた。
「でも、主犯ではないでしょう。主犯ならば、まだ警察がいるかもしれない地点にのこのこ出て来たりはしません。多分、主犯にお金を貰って、遺留品の回収を頼まれた共犯でしょう。リーダーに話したことは、訓練して覚えさせられたのでしょう。こんな警戒網の残る中に遺留品回収に行かされるのですから。遊歩道脇の暗いところを歩いて監視カメラに写らなかったのは計算ですね。まあどちらにしても、私たちの一歩負けです」
 ミカリの言葉の端々には悔しさが滲みでていた。
「分かった。すぐに合流する。ミカリは応援を呼んどくれ」 
 アチキが叫ぶと、ミカリもOKと叫び、警察無線に飛びついたようだった。

    9

 一分もすると、北上中だったバイクが、猛スピードで引き返してきた。
 バイクには本物の赤影が乗っていた。金髪に近い長髪を風になびかせ、高そうなブランドのジャケットを着こなしている。
 ジャケットの下に網Tシャツを着込んでおる。今日は、三日月を象ったオブジェ付きの鉢巻をしておらん。これでも地味じゃ。
 赤影は犬並の嗅覚のほかにも五点ゼロ以上の視力と、オリンピック選手並の跳躍力を持つ。
 あの少女を見てすぐに逮捕していれば重大な手がかりを得られたんじゃがと思うと、喉を絞めたいほど悔しかった。
「共犯がいたんだって?」
 走ってきた赤影は、アチキに近付くと、掌の血に気が付いた。
 赤影の後ろからは、県警の覆面パトカーもかけつけ、、懐中電灯が忙しなくあちこちを交差し始めた。
 一応、映画の撮影を装って、照明を当てる人間と、反射板を持つ人間はいる。
 アチキは頷き「彼女、肩が真っ赤だった」と叫びながら、赤影に掌を見せた。
 掌だけでなく、着物のあちこちが移り血で赤く染まっていた。
 赤影は暫く鼻をひくつかせて嗅いでいたが、やがて、ぽつんと呟いた。
「血糊だ」 
 犬並の嗅覚が、血の匂いを検出しなかったのじゃ。
「そいつは遺留品を取りにきたんじゃ。違いないべ」
 アチキはミカリの推理を借り、額に指を当てて考えるフリをし、浅瀬を指した。
「入って調べてみる。ものすごく慌てていたから、遺留品を取り逃しているかもしれネエし」
 言いつつ浅瀬に入った。
 だが、クルーザーの係留地点を探して発見したのは、蓋の明けられた重い革の鞄だけだった。
 鞄の底は二重底で十キロはありそうな石が入っていた。
「やられたね。まあ、リーダーの話を聞いた時から予測はしていたが」
 後ろから歩いてきた赤影が低い声で呟いていた。
 赤影の後ろには、捜査員たちがおり、海岸の岩地を投光機で照らし出しては、「岩がコンクリートで固められていて、海岸に、検出できるほどの足跡は残っていませんねえ」と冷たい声で告げてくれておった。
 血糊の混じった水滴だけは、海岸からぽたぽたと付いていたが、途中で袖や裾を絞ったようで、少しの水溜りを最後に消えていた。
 何のことはネエ。
 犯人からの指令で、運び人がダイヤを移し入れた革の鞄は、二重底になっていて、底には十キロの石が入っていたのじゃ。
 ボタンを押すとクルーザーの床が抜けて、その鞄ごと落ちる仕掛けになっていた。
 鞄はこの地点に落ちて、ここに留まるように重石が入っていたのだ。
 ダイヤは鞄と一緒に浅瀬に落ち、皆の注目が北上するクルーザーに集中し、ここから捜査員がいなくなった隙に、共犯の少女が回収したのじゃ。
 きっとクルーザーの底も電動で瞬時に開閉ができるような二重構造に改装してあって、運搬人に怪しまれないようになっていたんだ。
 ーー重大な失態をしてしまったぜい。極道の名折れじゃわい。
へなへなと岩場に座りこんでしまいそうになった。
そもそも、高校生くらいの少女が三十七歳の後妻の友達、と聞いた時点で変だと思うべきだった。あるいは殴られる直前に。
 いくら友達だからって、警察に連絡までした運搬人が、個人的警護を頼むはずがないじゃないか。
じゃが、取り乱した姿は、林から見ている舎弟の手前、見せられない。
 不可抗力じゃ、という顔をして歩きまわっておると、叔父貴から赤影にケータイがきた。
 赤影は手際良く要点だけを伝えた。

   10

 叔父貴視はしばらく黙って聞いていたようであるが、やがて的確な指示を与える声が響き始めた。
「過ぎたことは悔やんでも取り返しがつかない。それより、今できることを全力でやれ。とりあえず、共犯のプロファイルをせよ。身長や外見や言葉使いなど、思い出せることを、すべて唐マリに思い出してもらえ。訛りはなかったか、特徴的な匂いはなかったか? 体臭はどうだ。あるいは、身のこなしはどうだ」
「それらは、はっきり覚えています」
 アチキはすかさず口を挟む。
「それから、共犯だとしたら、特技などを見込まれてダイヤの回収を頼まれたのだろう。ならば、武道の心得はありそうだったか。などなど、思いつく限りをメモっていけ。では、十時に対策本部で」
 叔父貴の通話は、要件だけを伝えると、プツッと切れた。
ようやく何とかせねばと思いたった。
 それからの数分間で、今まで生きてきた間に使った量の何倍ものエネルギーで、記憶を呼び覚ますことに集中した。
「まず、身長はアチキくらいじゃった。暗くてよくわからなかったけど、黒の袖の長い服で、体は細くて、後から考えれば、身のこなしに隙がなかったべ。叔父貴の推理どおりで、武道の心得はあった。何しろ、アチキとぶつかった一瞬後には我に返っていた」
 無意識に一人二役をやりながら、記憶を辿っていた。
「それから、血糊が右肩に仕込んであって、咄嗟に左手を自分の肩にぶつけて、怪我をしたと言いおった。男と戦ったのだと。もしかしたら手品の練習もしているかも知れネエ」
 慌ててさっきの経過を喋り始めると、赤影が掌サイズのノートを取り出して、アチキを遮った。
「ふむふむ。身長は百六十くらいで、細くて身のこなしに隙がない。武道の心得がある。そこまでは頷けます。しかし、咄嗟に血糊の袋を破ったので手品の練習をしているってのはどうですかね。こんな危険任務をするんですから、この程度の突発事項は想定にいれてあり常識の範囲と考えるべきでしょうね」
 赤影はメモすると、いきなり私の手を握って再度自分の鼻先までもっていった。
「ほう。面白いことが分りました。マダム・キュリーにケーターしてみましょう。」  
 にんまりしつつ、反対の手でケーターの番号を押していた。
 画面には、待っていたかのようにミカリが出た。
「ああ、マダム・キュリー。ちょっと聞きたいのだけど、バニラの匂いに心当たりはない?」
 お蝶夫人と呼んだほうがふさわしいミカリがアップになる。
「バニラの匂い?」
「うん。残り香があるんだ。微かに」
 赤影がアチキの手首に鼻をくっつけて、ヒクヒクとうごめかした。
「唐マリ姐さんが握られた手首についているんだな。相手の服か皮膚についているのが、移り香となったと思われるが。腕を握られた時に移ったんだろうな」
 揶揄する時のくせで、赤影は、めったに使わねえ呼び方をする。
 いくら揶揄されても、今は怒る気にならねえのが、切ネエところだが。
 赤影は、蛙の置物に寄りかかりながら、片足に体重を移動した。
 年は十七だが身長は百七十くらいあり、モデル並のルックスで、たまに、年上のアチキでもクラッときてしまいそうになる。
 しかし、口の悪さは一流だから、すぐに冷めるのじゃが。
「そうねえ。クイーンの『Yの悲劇』には、バニラの匂いの塗り薬という記述が出てきて、これはかなり有名だけど」
「そうか。心当たりを調べてくれたまえ。それと」
 赤影は、ふと蛙から体を離し、高い服が汚れるのも構わずに土にはいつくばって、歩き出した。
「残り香で追いかけられるってことを忘れていたよ」
 赤影は岩のごろごろした浜辺から駐車場に歩き始めた。まさに犬並の嗅覚だ。
 後ろにいる捜査員が懐中電灯の光を投げると、微かであるが、砂地を中心とした駐車場には足跡も見えた。
 赤影は輿玉神社の西の端、赤い鳥居のはるか先で立ち止まっていた。
「ここで匂いが消えている。それに砂地の靴跡も消えている。二十四センチくらいだ。ここから自転車の轍がついている。共犯は自転車で逃げたようだ」
 赤影は立ち上がって、断言した。
「自転車のタイヤ痕は取れば取れるが、盗んだものだったら、期待はできない。これだけ計画性のある犯人だから、当然、盗んだ自転車と考えたほうが良い。着替えの服も用意してあり、血糊の着いた服は途中で着替えただろうな」

 そこまで推理した赤影は黙ってアチキにケータイを差し出した。
 今までのプロファイリングを叔父貴に報告するべきだと、目が語っておる。
「ご報告は一応、リーダーからのほうが良かろうかと」
 ーーう。さすが忍者の里で上下関係に厳しく育てられただけはあるぜ。任侠の漢{ルビ=おとこ}にも負けネエぜ。 
 ウルときたが、ケータイを受け取ると、アチキは、すぐにスイッチを入れた。
 落ち込みは激しいが、立ち直りも早いんじゃ。
 ケータイに出た叔父貴は周囲に指図をしている途中だった。
 何かと頼りになる赤影とプロファイリングをしている間に、クルーザーの爆破現場では、海中捜査になったようである。
 しかし、叔父貴は、一方的に自分のほうから喋り始めた。
「すでに暗く、海中での視界が利かないので、捜索は一旦、打ち切りになった。海上保安庁の人間が初動捜査だけは行う予定だ。県警の人間は、十時からの捜査会議に向けて、鳥羽署に向かっている」
「だから、報告は後じゃ」
 こっちの報告を一言も聞かずに、気の短けえ叔父貴はさっさとケータイを切っちまった。
 しょうがネエ。うちらも鳥羽署に向かうことにした。(続く)