『極道デカ』(略して『ごくデカ』)第三回

今週の唐沢類人の仕事は、パソコン教室がお休みなので、なしです。
『極道デカ』(略して『ごくデカ』)第三回
 前回までの粗筋。私(20才、唐獅子組の三代目姐。通称、唐マリ)は叔父貴(橘警視、35才)のご指名を受けて、広域犯罪捜査班(jfbi)で捜査をしている。今回の仕事は誘拐の捜査。被害者は萱本小夜(17才で、年商二十億もある宝石会社『四葉宝飾』の娘)。身代金の運搬人は後妻の由香(37才)。脅迫状の内容は次――二億円分のダイヤの裸石を持ち、今日の午後八時に、伊勢市二見浦の海岸、夫婦岩の近くにあるクルーザーに乗れ。その後の指令は、クルーザーに乗ってから報せる。とりあえずは北に向かえ――。
午後の八時、後妻がクルーザーに乗った後、私は車のトランクから出て、遺留品を探そうとするが、細い少女と鉢合わせをする。相手の言い分は次――男が何かを持って北に逃走した。自分は後妻の由香に護衛を頼まれた者――。不審に思って捕まえようとするが、いきなり、サイコメトリングの映像が落ちてくる(私は不完全なサイコメトラーで、いつサイコメトリングの映像が落ちてくるか分からない)。
 その映像は、後妻がクルーザーの床下にしかけてあったダイナマイトで爆破されたものと、将来、自分が爆破されるシーンの二つ。数分間、映像に翻弄されて、気がつくと、ぶつかった相手はいなくなっていた。
 その後、すぐにクルーザーの爆発が起こった。妄想なんかではなく、真のサイコメトリングだったのだ。そのことをミカリ(14才、天才プロファイラー)に相談すると、私の襟にしかけてあったCCDカメラの映像から、ぶつかった少女の外見を特定してくれた。同時に犬並の嗅覚を持つ赤影(17才、忍者の里で育った)がかけつけ、少女がバニラの匂いを残して行ったこと、さらには、駐車場の端から自転車で逃走したことを発見。

 第二章―1

 午後十時。
 いよいよ、鳥羽署で捜査会議が始まった。
 会議室には三重県警から五十名ほどの捜査員が参加し、橘警視、菊田警部、うちらJFBIがホワイト・ボードの前に陣取った。
 叔父貴は、アチキをチラチラと見ては、何か言いたそうだった。
 着物は同じ柄のを着たのでバレる筈がねえと思ったが、すぐに、思い当った。
 CCDカメラの映像では尻餅をついている。
 当然ながら濡れている筈なのに、乾いている。それで、着替えたのに気がついたに違えねえ。
 つうことは、タカが来ているのもバレたか?
 しまった、とは思ったが、もう遅い。シカトすることにする。
 じゃが、一悶着起こりそうな、ヤーーな雰囲気じゃった。
 さて、捜査会議が始まる前には、後妻・由香夫人の遺体と思われる部分が発見されたとの連絡が入った。
 誘拐に事故はつきものであるが、今回のような事故は予想できなかった。
 一部には、事前にクルーザーの下調べをしておくべきだ、との意見もあった。
 だが、それをしてしまったのでは、最初から警察の関与を犯人に教えるようなものであり、逆に誘拐された人間に危害が及ぶ危険性がある。
 当然ながら、犯人は自分の用意したクルーザーを監視しているであろうし。
 その上、誘拐では、親族や会社の部下などに共犯者がいる場合も多い。その際、共犯者にとってみれば、警察が動くのは想定の範囲内ではある。
 が、主犯にとって都合の悪い展開になるのは困る。
 例えば、車を何台か乗り換えさせようと思っている場合、警察が先回りしてその車を捜索してしまっては、主犯にとっては困る。
 となると、警察が先回りした段階で、共犯者は主犯に連絡を取り、主犯から身代金受け渡し中止の連絡が来る。
 そうなっちまったら、被害者の命にかかわるってもんじゃ。
 であるから、捜査側としては、クルーザーの捜索はしたいのだが……の状態であった。
 以上は、数回の誘拐捜査でうちらの体得した悟りである。
 おまけに、今回のバヤイ、後妻が一番臭かった。
 何故なら、誘拐されたのが生意気盛りの娘で、身代金運搬人が美人の後妻。
 誰が考えたって、後妻が狂言誘拐を仕組んだと思うわなあ。
 そんでもって、後妻は途中で殺されそうになるマネをして、自分の嫌疑を晴らすだろう、と推理する。
 当然うちらも、途中で車の衝突くらいはあるだろうなあ、とは考えていた。
 じゃが、爆死までは考えられなかった。
 無念じゃ。
 が、死んだ時点で、後妻の無実は証明されたようなもんだ。

 捜査会議が始まると、叔父貴が由香夫人に対してお悔やみの言葉を述べ、深く頭を下げた。
  その後、すぐに一回目の悶着が起きた。
 叔父貴が着席するかしないかのうちに、菊田警部が、次のような発言をしたからだ。
「゛満月の絞殺魔"の可能性を考えて、わざわざJFBIを呼んだのに、最悪の展開になってしまいましたなあ」と。
 菊田警部は恰幅の良い四十台の男である。一見して食えねえ親爺である。
 まず顔が極道よりも極道っぽい。スーツは地味なグレーであるが、ネクタイが鯉の滝登り模様である。
 スマートでアーバン・モスグリーンのスーツの叔父貴と並ぶと、いっそう泥臭さが香立つ。
 そいつが、うすら小ばかにした笑いを浮かべ、明後日{ルビ=あさって}のほうを向き、小声で嫌味を言ったのである。
 それも、警視庁出身のエリート警視様に。
 叔父貴のコメカミに青筋が立ち、プチプチと切れる音がした。
 叔父貴は一番右端に陣取り、アチキは左端に陣取ったのであるが、はっきり聞えるほどじゃった。
 叔父貴は気が短え。唐獅子組の三代目姐はもっと短え。
 であるから、叔父貴の堪忍袋の緒が切れる前に、アチキの右手がドスにかかっていた。
 叔父貴の嫌味――上げ底乳バンドにドスを隠すのは楽じゃろう――じゃねえが、隠しておいたドスはすぐに抜けそうになった。
 しかし。
 シュバ!
「痛!」
 どこから手裏剣が飛んできたのじゃ。
 黒い回転凶器は、手の甲を掠めると、開けっぱなしの廊下のドアから外に飛んでいっちまった。
 瞬間的な出来事に、一瞬、何が起こったか、判らなかった。
 が、アチキの手から血が飛沫を上げる前に、事態は急変した。 
 同時に、叔父貴が野太い胴馬声を上げたのじゃ。
「警部さん、そりゃあ、うちらに喧嘩を売ってなさるんかい?」
 警視庁から飛び出し、目上の人間がいなくなってから、抑えていた反動か、極道言葉がしばしば聞かれるようになっていた。
 それはとも角、注目が叔父貴に集中してしまったんで、鞘を払うキッカケを失ってしまった。
 目だけは、自分の手を傷つけた相手を探していたが。
 ――どこかにタカがいる。
 赤影は隣にいるから、手裏剣を投げれる距離ではねえ。
 アチキは壁や天井を見渡した。 
 しかし、見事に木目と同化しているのか、タカは、影も形も見えなかった。
 
   2

 数メートル向こうでは、菊田警部と叔父貴が半腰を浮かしかけ、険悪なタイマンの張りあいをしておった。
 元へ。
 壮絶なるにらみ合いをしておった。
 そこへ、如才のねえ赤影が、すかさず割って入っていく。
「まあ、まあ、誤解もおありでしょうが。私たちも、日本全国を飛び歩いて、命がけで、捜査をしているんですから。ここはひとつ、穏便にお願いしますよ。県警のベテランさんと、警視庁出身のエリートさん。お互いにプライドはあるでしょうが、尊重しあいましょうよ。それに、お二人とも良い年の大人なんですから」
 赤影は、大きく両手を振り上げて、二人の顔をそむけ、強引に席に付かせた。
 アチキは唇を噛んでいた。
 ――そうじゃあ。テメエが悪いんじゃあ。テメエが、来てくれって、頭を下げて頼んだから、クソ忙しいのに、わざわざ出張{ルビ=でば}ってきてやったんじゃねえか。うだうだ抜かすんじゃあねえ。ブォケ! それ以上デッケエ態度とったら、ぶっ殺すぞ。
 と叫びたいところだった。
 が、ここで喧嘩を売ったら、本気で叔父貴にぶっころされそうだったので、必死で我慢してやった。
 何でも、今回の犯人の指定したホームページと、過去の゛満月の絞殺魔"のホームページのアドレスが似ているんだとか。
 県警の連中は、いつもやくざもんと張り合って啖呵にはなれているのか、最初は少しだけざわついたが、すぐに興味なさそうな顔になって、見守っておった。
 でも、さすがに極道育ちで、筋の入った啖呵を聞いたのは珍しいらしかった。それも、警視庁のエリート警視さんの啖呵であるから。
 アチキは、もっとやれーーっつう気分で、期待の視線を送ったが、二人はジャブの応酬をしただけで、後は借りてきた猫みてえにおとなしくなっちまった。
 まあ、どっちも地位も名誉もあるんで、しょうがねえが。

「では、まず、私から、誘拐の過程を話させてもらいます」
 気まずい静けさを打ち消すように、菊田警部が県警の連中に向き直って、冷静さを装った声で口火を切った。
「ここに誘拐の被害者と殺された被害者の写真を貼ってある」 
 警部はまず、ボードの二枚の写真を指した。 
 後妻の由香と、誘拐中の萱本小夜の写真である。
 母親はおとなしい茶系の髪を後ろに結い上げて、黒のスーツを着ておるが、娘は、渋谷あたりによくいる典型的クソギャルスタイルじゃった。
 かなり明るい赤に染めた髪を肩に届くくらいに伸ばし、シャギー気味に梳いておる。
 両方の耳に太い銀管のピアスを、各三ヶもつけ、鼻にも牛の鼻輪状のピアスをつけ、皮膚は日焼けサロンで何日もかけて灼き、爪にはネールサロンで数十万をつぎ込んで花模様を描いてもらっていた。
 服はアロハシャツにあるような花模様のワンピースであったが、シャクに触ることにゃあ、スタイルだけは抜群に良かった。
 もし、顔が日焼けしておらず、鼻輪型の巨大な銀色ピアスが入っていなければ、美人かもしれねえ。
 目は一重であるが。
 しかし、銀色ピアスの印象が強すぎて、これのない顔を想像するのは難しかった。
 全体の印象を一語にまとめると、死語かもしんねえが、脱色したヤマンバって、とこか。
 
 身代金運搬前には、菊田警部から次のような説明もあった。
 写真とは違うが、誘拐時に小夜のつけていたのはお気に入りのアクセサリーだとか。
 イギリスの有名デザイナー、ジェフリー・タークにデザインを依頼して自社で製作したブレスレットやチョーカーなどで、しばしば付けていたとか。
 チョーカーは、でっかいバロック真珠と小粒のエメラルドを金の鎖で繋いだデザインで、売価は五百万はするとか。
 ブレスレットも指輪も同じデザインで、チョーカーほど高価ではないが、本物のバロック真珠とエメラルドが象嵌されている。
 そう言われれば、後妻のヤローも身代金よりも高価そうな指輪やネックレスをしておったわい。
 いや、失言。後妻の由香玲夫人である。
「萱本小夜(十七歳)は十月十八日の午後十時ころに、鳥羽市内の四葉宝飾・直営店に現われ、残業していた母親に会い、思わせぶりな口調で『これから面白いところに行くの』と言い、店を後にしたのが目撃の最後である。その後、小夜から一度も携帯連絡はなかったが、連絡もせずに旅行にでるなど、自由奔放な生活態度の娘だったので、あえて連絡は入れなかったらしい」
 
    3 

 脅迫状は、以下の手順で贈りつけられていた。
 まず今日の昼(十月二十日)、萱本家に変声機を使用した声で「郵便受けを見よ」と電話があり、後妻が郵便受けを覗いたら封筒が入っていた。
「封筒の中の紙に書かれていた内容は、以下である――娘さんを誘拐した。二億円のダイヤを用意せよ。その後に身代金運搬の指示が出ていた――。最後には出発してからの指示を出すホームページのアドレスが載っていた。そのアドレスが゛満月の絞殺魔"のアドレスと似ていたので、JFBIに応援要請をした訳である」
 菊田警部が、一応気を使って、叔父貴に目配せをした。
゛満月の絞殺魔"の概略を話してくれという意味らしかった。
 しかし、叔父貴は、ぶすっと一言吐いただけだった。
「゛満月の絞殺魔"については、捜査会議の最後に検討する」
 さっきの事を、まだ根に持っているらしい。玉がちっせーぜ。 

「郵便受けの封筒に郵便局の消印はなく、犯人か共犯が直接入れたと思われる」
 アチキと同感だったのか、菊田警部も叔父貴を無視して先に話を進めた。
「脅迫状を読んだ両親は悩んだが、三時間後には警察に通報した。脅迫状の紙などに指紋はなし、封筒はどこにでも売っているもので、特徴はなかった。脅迫文よりクルーザーの係留してあることも判明したので、捜査員が輿玉神社で聞き込みをしたが、前日の深夜より停泊していたとの情報しか得られなかった」
 後妻は、自分の判断で、商売用の宝石二億円分をバッグに入れたようだった。
 出発前、うちらにも二億円のダイヤを見せてくれた。
 大小さまざまなダイヤの裸石が三十個ほど、宝石保存用のごく薄い箱に入れられており、卸値で二億程度の価値があるとのことだった。

「で、脅迫状を読んだ後、母親は娘のマンションへ連絡を入れたが、通じないので、娘のマンションに行ってみた。すると、部屋のドアには鍵がかかっておらず、部屋の中には血が飛び散り、抜けた髪の毛も落ちており、抵抗した末に拉致されたと思われた。争った拍子に壊れたのか、置時計が二時で止まっていた。母親は、その時間に怪しい人を見かけなかったか、マンションの隣の住人に聞いてみた。だが、就寝中で争った音は聞こえておらず、失踪時の目撃者はなし」
 ここで菊田警部は、一番前に座っていた持田警部補にバトンタッチした。
 持田は、遭ったその日からお友達関係になれそうな、あるいは、大学の先輩によくいる気さく過ぎるタイプである。
 よく言えば風のように爽やか、皮肉っぽく言えば、印象に残らないような。
 身長は百七十以上あり、顔も南欧系で明るいベージュ系のスーツが似合い、イケメンの範疇かもしれねえ。
 
 ご指名を受けた持田は、すっくと立ちあがり、捜査員たちのほうをフリ向いて、続きを話し始めた。。
「ただし、十月十九日の午前の二時頃に車が急発進する音を聞いた住人は何人かいました。母親が駐車場を点検すると娘のシボレーがありませんでした。よって、小夜は十月十九日の午前二時すぎに、鳥羽市内に借りている自分のマンションから誘拐されたと推定されます。脅迫状を見つけた後、母親は父親に相談しました。警察に通報しないで身代金が奪われた場合、娘の捜索の手がかりがなくなってしまう。この点を懸念して警察への通報に踏み切ったようです。両親の家は伊勢神宮・内宮のそばにあります。参考までに母親が社長を務める四葉宝飾は、伊勢市内に本社、鳥羽に直営店が二店あります」
 こいつは、菊田警部のお気に入りらしく、いつも菊田警部の側にいて、何かにつけ用事を言い付かっていた。
 アチキは、ホモ関係にでもあるんだべ、と邪推しておった。
「母親の由香夫人は三十七歳で、五年前に萱本家に入りました。萱本家は代々宝石店を営んでおり、十年前に死んだ小夜の実母が経営していた時は、それほど大きな会社ではなかったようです。五年前、後妻の由香が入ってきてからは、率先して外国のデザイナーと契約を結び、独自のブランドを設立して、みるみるうちに大きくしてきたとか。外国人デザイナーとのライセンス契約は前からしていたのでありますが、直営店で限定販売していただけでした。それを、全国のデパートなどに卸し販売を始めて飛躍的に売り上げを伸ばしたのであります。参考までに、父親の三郎は元大学教授で七十三歳です」
 そこまでを淀みなくくっちゃべると、持田のヤローは、軽く前髪を跳ね上げて着席した。

    4

 イケメンが着席しても菊田警部は座ったままじゃった。
 こっちもエリート警視様に対し、まだ腹に一物を持っているらしい。苦虫を百回ほど潰した顔をしている。
 それをみて、ようやく叔父貴が立ちあがった。
「では、我々の専門分野である広域犯罪の視点で検討に入ろう。まずは、過去の゛満月の絞殺魔"との関係ある方向。次は関係ない独立した誘拐&殺人の方向で検討する」
 叔父貴は偉そうにそれだけ言うと、顎で赤影に合図をしてまた座ってしまった。
 すかさず腰ぎんちゃくの赤影が後を引き継ぐ。
「ここ半年ほどで二回、満月の夜に誘拐殺人が起こっています。いずれも被害者は絞殺されておりました。最初の身代金運搬は、四月二十三日。運搬の三日ほど前に仁科栄子という女子高生が誘拐されていました。身代金の運搬人は母親で、犯人の指示通りに身代金は運びましたが、両親は警察へ届けませんでした。身代金の額が五百万と小さかったので独自に指示に従ったのであります。詳しくはお手元のプリントを参照してください」
 
 プリントには次のように続いている。
 うちらは、見なくても知っているが、かい摘んで述べる。
 身代金の運搬の翌日、娘のバイト先の近くの林の中で、娘の遺体が見つかった。絞殺されていた。
 同時に、インターネットの『満月ウサギ』と銘打ったホームページに、〝狼男〟と名乗る人間の犯行声明が掲載された。
 二回目の誘拐殺人も、ほぼ同じような経過だった。そこでうちらは”満月の絞殺魔゛と命名したのだ。
 JFBIは、最初の事件の後から広域捜査に乗り出し、インターネットで、「身代金の要求があった場合は必ずJFBI宛に連絡をくれるように」と注意を促していた。
 じゃーーが、結果は惨敗であった。
 金額が小さいので、どこの親も娘の命を第一に考え、こっそり処理してしまうのである。
「〝狼男〟の件は、一部のサイトで有名になっていたようであり、犯行声明は、悪戯で開設されたかなりの数のサイトで模倣されてもいます。それに身代金受け渡しの際に、警察が捜査網を敷き、なおかつ相手が現れてくれないと、犯人の情報が収集できないです。したがって、犯人像の絞込みができない。誘拐された人間が殺されて死体の遺棄がされても、証拠がほとんどない。犯行の後、所轄に出かけて捜査はしましたが、誘拐の起こった場所が広域で、犯行後の捜査開始であったので、出遅れました。付け加えると、犯人の立ち上げたホームページの捜査もしましたが、ホームページはいくつもの海外のプロバイダーを経由してアップされてすぐ取り消され、アップロードした際のメール・アドレスを突き止めることはできなかったのです。以上の理由で、捜査はほとんど進展していないです」
 そこで叔父貴が一言付け加えた。
「それに、今までは数百万程度の要求であったのに、今回は二億円と、桁違いに多い。全然違う目的のような気もするな」
 叔父貴のコメントに、県警の方々からは、同意のうなり声が返ってきた。
 菊田警部一人は、「しかし、『満月ウサギ』のホームページはライブドアを使っていますし、今回の脅迫状の指定もライブドアですし」と反論した。
 だが、苦笑いを浮かべた叔父貴が、「現場の警部さんの勘って奴ですかな?」と揶揄したので、黙っちまった。

 ようやく主導権を握った叔父貴は、エリート然として先に進める。
「ところで、巡視艇からは、『近くに不審な船はいなかった』と報告がきている。これにより、爆弾は、リモコン式ではなく、時限爆弾だったと考えられる。しかし由香夫人がクルーザーに乗った時、コチコチ音が聞えたとは言っていなかったので、デジタルであると推測される」
 ここで一呼吸置いた叔父貴は、皮肉っぽい目でアチキを見て、こうのたまわった。
「時限爆弾の部品に関しては、もっと大量の遺留品が発見されれば、犯人特定に向けて絞込みができると思う。それから、今日の時点で、大きな収穫と、その収穫を上回る大きいミスがあった。その辺に関しては唐マリから説明をしてもらおう」

   5

 警視のきつい嫌味に促されて、アチキは渋々立ちあがり、さっきの神社での出来事を話した。
 サイコメトリングの映像も漏れなく話した。さすがに自分が爆破されるシーンはカットしたが。
 それから現実に起こったことも話した。
 少年体型の高校生くらいの少女に騙されて、ダイヤを回収されてしまったことである。
 これはCCDカメラの映像も使って解説し、゛妄想"ではないと力説した。
 最後に、さっきの少女の外見を詳しく述べた。
 ――暗くてはっきりとは見えなかったけれど、顔は細面で眉も細い、髪はストレートで耳の下でボブカットにして揃えている。化粧はしていない。唇は薄く口紅もなし。塗っていてもリップ・クリームくらい――
 さらに、その少女が黒くて袖の長い服を着ていた点、空手か柔道の練習をしている点、血糊を用意していた点、バニラのような匂いがした点などを述べた。
 最後に、個人的な推測ではありますがと前置きをして、次のようにコメントした。
「主犯はクルーザーの近くに移動していたはずでありますから、輿玉神社の近くには主犯クラスの共犯がいたと推測されます。じゃが、アチキの行動は見えなかった。つうことは、アチキの見えない位置にいたと推測される。まさか、自分で宝石を回収に行くほどバカではないでしょうから。もしもの場合を考え、駐車場と反対側、二見プラザのほうで待機していたと思います」
 アチキは自分の推理を話しながら、もしもの場合ってなんだろう、と考えていた。
 もしもの場合。
 当然、主犯にとってまずい場合。
 例えば、あの時点で、この頭にサイコメトリングが落ちてこなくて、共犯にワッパをかけちまった場合じゃ。
 そうなったら、どうしていたのじゃろう?
 当然ながら……。
 そこまで考えて、背筋が寒くなった。
 当然ながら主犯は、自分に累がおよばねえように、チャカを用意してあって、アチキとあの共犯をブチころしていた!
 そうとしか、考えられなかった。
 となると、サイコメトリングがこの命を救ったんじゃ。
 自分の脳みそに感謝すべきじゃ。日ごろはすぐに暴走する脳みそじゃが。
 アチキはこっそりと自分の頭を撫ぜて、着席した。
 
 続いて、鑑識が神社の境内から採取した少女の靴底の型と、自転車のタイヤ痕の写真を見せた。
 鑑識の説明は以下だった。
 ――靴は近所の量販店で売られている型であり、採取された自転車のタイヤ痕と一致する自転車は、近鉄鳥羽駅前に乗り捨てられてあった――
 やはり、盗んだ自転車だったのである。
 それから、由香夫人は過去に合気道を習ったこともなかった。これは、夫の証言で明らかになった。
 共犯のクソガキの言葉が改めて嘘であったと立証されたわけである。
 鑑識は、他にも鞄の内側からガムテープのようなものを剥がした形跡があると発表した。
 これに対しての鑑識の推測は以下であった。
「夜の海岸で鞄を探すのはかなりむずかしいです。例えクルーザーの係留されていた地点がほぼわかっていたとしても、十キロの石が入っていたとしても、鞄は波で移動しますし。電気信号のような手がかりがないと無理です。ですから小型の発信機が貼り付けられていて、共犯は受信機をもち、その信号を頼りに鞄を探したと思われます。ですので発信機を販売している店の捜索もすれば、有効かと思われます」

 最後にマダム・キュリーことミカリが、バニラの匂いを使用している化粧品などの一覧を印刷して、捜査員全員に配った。
 自分の見解も述べた。
「私は、主犯は一人、共犯も一人だと思います。なぜなら、クルーザーの爆破は以前から計画していたと推測されるので、自分は爆破地点に移動する必要がないからです。ですから、主犯も輿玉神社の傍にいたと思います。待機していた場所は、唐マリ姐さんの推理と同じですが。それに、誘拐の場合、共犯は少ないほうが主犯にとっても安全ですので、共犯はこの少年体型の少女一人なのではないでしょうか。それと、運搬人などを簡単に殺す手口からみて、゛満月の絞殺魔"と同じ凶悪性を感じます。以上」
 いつも自分の思考に絶対的な自信を持っているミカリは、挑戦的な目で見下ろした。
 共犯の数なんぞ、些細な違いではある。
 異を唱えられたアチキは、一瞬だけ考え、すぐにミカリの主張を認めて軽く肩をそびやかした。
 そうである。
 クルーザーが爆破されたことから考え、そっちの推理のほうが理論性がある。
 大体いつもミカリの方が理論的なのだ。悔しいことに。

   6

 ここら辺で休憩に入る予定であったが、「その前にもう一つコメントを」と菊田警部が手を上げ、また持田警部補を指名した。
「爆死したことで、由香夫人の共犯の可能性はなくなったわけでありますが」
 菊田警部が座りきらねえうちに、持田のヤローが立ちあがって、勢い良く喋り始めた。
「僕は素人犯人説を支持します。つまり小夜の狂言説です。過去の゛満月の絞殺魔"とは無関係だと思います。何故なら、金額が違いすぎるからです。で、犯人が素人であると限定した理由は、要求が二億円のダイヤという大雑把なものであるからです。二億といっても、小売で二億なのか、卸値で二億なのかの指定はありませんでした。商売人なら、何カラットのダイヤをいくつ、と指定がありそうですが。ここで、萱本小夜と友達の犯人説が浮上してきます。つまり、萱本小夜は宝石商のお嬢様であるから、二億程度のダイヤはいつでも店にあり、すぐに用意できることを知っている。ならば、警察に通報せずに誘拐を終了させられるだろう、と踏んだ」
 ――そう言えば、こいつは地元鳥羽の出身じゃ。確か、赤影の先輩である。ミキパールを筆頭にこれだけ大量の宝石店がある地区だから、その手の事件も多いらしく、宝石には詳しい。
「もし、まんまと二億円分のダイヤが手に入ったら、小夜が家にある過去の取引先台帳を調べて、高く買い取ってくれそうなお客にこっそり売るつもりだろうと思われます。その際に、半額くらいで売れば、小夜が犯行に関与しているとバレても、買い取った人間は、ダイヤを返すのが惜しいから黙っているだろうと思われます。以上が、小夜&友達犯人説です」
 持田のヤローは堂々と自分の意見を述べる。
「それから再度申しますが、母親犯人説はほぼないと思われます。一部には、主犯が別にいて、由香夫人は宝石の運搬だけを請け負ったが、主犯が身の安全を確保するために由香夫人を爆死させた、との意見もあるようです。他にも、母親が、会社の金を使い込んでいて、会計監査などが入りそうなので急遽狂言を仕組んだのでは、との意見もあります。ですが、リスクが大きすぎます。四葉宝飾は年商二十億もある宝石会社です。年商二十億もある会社の社長が、狂言誘拐などを仕組んで社会的信用を落とすはずがないです」
 したり顔をした持田は、自分に向かって大きく頷いた。
 持田のコメントを最後に休憩に入った。

 休憩中、アチキは、トイレで煙草をふかしていた。
 何かが頭の隅にひっかかっていた。
 確かに持田のヤローの推測は正しい。一見、非の打ち所がねえ。
 じゃーーーーが。じゃがである。
 何かがひっかかっている。
 なんだろう、と突き詰めて考えると、やっぱ、あのホームページに行きつく。
 デカの勘じゃあねえが、これだけ多くのプロバイダーやサーバーがあるのに、同じ会社のページを使うのは、やはり、同じ人間じゃねえか、と思われる。
゛満月の絞殺魔"で、自称゛狼男"は犯行文の最後に絵文字で署名をしておった。
 狼の顔である。
 絵文字というのは、サーバーによって、微妙に指定が違う。
 まあ、ホームページビルダーで作れば、それほど酷く崩れはしねえが、掲示板やブログなどでは、フォントが違うと見れねえほどに崩れてしまう。
 例えば、巨大掲示板である2チャンネルなぞは、MSPゴシックの12フォントを推奨しとる。それを使わねえと、崩れる。
 当然、それを使いなれてる奴は、そのフォントで作った絵文字の使いまわしをするから、別のサイトの掲示板に移行するのは億劫になる。
 つまり、一回でもライブドアで絵文字を作った奴は、次にもライブドアのサイトでホームページを作るのが一番簡単である。
「やっぱ、゛満月の絞殺魔"でねえべか」
 そうなると、菊田警部の勘を認めることになっちまうが、デカの勘というのは、バカにできねえ。
 
 菊田警部を少し見なおしながら、何気なく壁の向こうから聞える内緒話を聞いていた。
 赤影と持田警部補の声だった。
 さっきも言ったが、赤影は忍者の里出身、持田は鳥羽の方の村の出身で、中学の先輩と後輩の間柄である。
「警部と警視。あの二人、あれでけっこう良いコンビなんだよな」
 ――あの二人? 警部と警視? 菊田と叔父貴? なんじゃ、それは?
「唐マリに辞められると困るから、あんな白々しい喧嘩の売りあいをしているんだ」
 ――おい。どういうこったよ。
「そうそう。唐マリは単純バカだから、義侠心に訴えれば、自分から飛び出して行くんだよ。鉄砲玉なんだよ。たとえ、それが間違った相手だとしてもね」
 赤影の声じゃ。
「そうか。じゃあ、犯人が絞りきれない場合、自分の手を汚したくなく警視殿は、唐マリを利用するんだ。頭良いよね」
 ――クソ。それじゃあ、アチキは単なる鉄砲玉かよ。
「それから、タカが来ているのも知っているよな」
「タカって、あのタカ? 中学の後輩だった? 懐かしいなあ。確か中学のときにグレて問題起こして、東京に行ってしまったとか」
 ――なんだよう。タカまでお友達かよ。
「そう、今じゃ唐獅子組の舎弟になってるんだ。昔から『極妻』の岩下志麻姐さんに憧れていたから、今は天国にでもいる気分だってさ」
 ――泣かせるようなことを言うじゃねえか。
「そう言えば、あの手裏剣はタカが投げたんか。そうか。昔から飛び道具は上手かったもんなあ」
「そうさ。俺たちの向かい側から手裏剣は飛んできた。となれば、県警の刑事たちの一番後ろに、ねずみ色のスーツに身を隠してまぎれているとしか考えられないじゃないか」
 ――クソ。赤影までタカのことを知ってたんかい。
「確かに。投げたときは一瞬でどこから飛んできたか判らなかったけど、そうとしか思えないね。警部も警視も必死でシカトしていたもんね。あのときは思わず失笑しちまいそうになったぜ」
 ――クソ。叔父貴まで知ってたんか。許せねえ。そうか。それで、会議の前からちらちらとアチキを見ていたんだ。人を馬鹿にしおって。でも、何で、タカがいるのに、黙って見過ごしているんじゃ?
 真剣に頭を絞って考えたが、アチキの頭では、あいつらの考えは読めなかった。

「ところで、持田先輩は、本当に由香夫人は死んだと思ってるの? 俺はダミーと入れ替わった可能性も否定しきれないと思うんだけど」
 ――ゲ。赤影は、マジでアチキのサイコメトリングを信じておらぬのか?
「俺はまだどの説にも頷けないでいるね。推理を展開するには、現状では資料が少なすぎる。さっきはああ言ったけど、由香夫人の死体と考えられる胴体の一部も、由香夫人の着ていた服だったからそう断定されただけで、巧妙にダミーと入れ替わったのかもしれない。あの暗さで、岸から遠くては、誰もクルーザーの中までは見えなかった。中の電気は消えていたし」
「でも、唐マリ姐さんのサイコメトリングでは、由香夫人の視線だったとか。いや、でも、妄想の場合もけっこうあるしなあ。菊田警部もこっそりそんな風なことを言っていたしなあ。俺も小夜と由香夫人の共同犯人説に傾きかけているなあ」
 ――クソウ。どいつもこいつも人を馬鹿にしやがって。
「だが、一つだけ言えることがある。そう。もし小夜や由香夫人が犯人だったとしても、警察に通報されてしまったのだから、たとえ犯行が成功しても、すぐにはダイヤを売り捌けない、という事」

    7

 そこまで黙って聞いていたアチキは、とうとう我慢できなくなって、いきなり男子トイレまで走ると、勢い良く、ドアをバンとあけた。
 二人は、向こうの壁の便器に向かって話しておったが、ギョッとしてこっちを振り向いた。
 肉色の棒が二本、ちらっとだけ見えた。
 しかし、一瞬後には、金色に光る二筋の噴水が、複雑な弧を描きながら、アチキに向かってほとばしってきた。
「ギエーーーー」
「しまったーー」
「臭エーー」
 叫ぶと同時に、アチキは、会議室に向かって、廊下を走り始めていた。

 夢中で走ると、廊下の途中で菊田警部にぶつかった。
 アチキは、何の説明もせずに、いきなり、菊田のヤローに食ってかかった。
「テメエ。アチキがあれだけ力説したのに、まだサイコメトリングを信用しとらんのか?」
 唾を飛ばして怒鳴ると、敵は、キョトンとした顔で問い返してきた。
「何の話かな?」
「だからあ、アチキは、後妻のヤローがマジで送りつけてきた映像を見たんじゃ。つまりい、後妻は完全に爆破されておるのじゃ。よってえ、後妻が誰かとすり替わって、まだ生きているなんて、可能性はないのじゃ。それをそれを、お主は、信じておらぬと、言っておるそうではないかーー」
 さっきの二人の主張にとことん反駁すると、菊田はおやつを待つ子犬のような穢れなき眼でアチキを覗きこんだ。
「ははあ、唐マリ姐さんは、誰かが『あれはサイコメトリングなんかではなくて、単なる妄想だ』と言っているのを聞きなさったんですね。それも、この菊田がそう言いふらしておると。して、問題は、それを言った人間ですなあ。誰がそんなことを申しあげたのかな? 三代目、唐獅子組の姐さんに」
「持田のヤローじゃあ。トイレで、こっそり赤影と話しておったんじゃあ。それだけじゃあねえ。オメーが、アチキを利用するために、わざと叔父貴とタイマンの張り合いをしておると。二人は仲がいいが、白々しい演技をしあっておるとまで、話しておったんじゃ。クソー。人を馬鹿にしおってエーー」
 アチキは思わずドスをぬきそうになった。
 じゃが、曲者の菊田は、殆どない目をさらに細め、アチキに微笑みかえした。
「ほほう。さようですかな。それで、二人のヒソヒソ話の最中に闖入してやったと。その結果、そのような、かぐわしい香をつけられるような事態を招いたと」
 アチキの鼻にくっつきそうに匂いをかぎ、さらに廊下の方を指差した。
 廊下の後ろのほうからは、アチキと同じ匂いを漂わせる二人の刑事が、おろおろしながら、覗いておる。
 
 それだけでも一触即発の雰囲気なのに、更に事態を紛糾させるような人物が、二人の後ろから現れた。
 叔父貴じゃった。
 それも片肌脱ぎになって、内ポケットのドスに手がかかっておる。
 肩の葵のご紋の刺青が真っ赤に染まっておる。
 これは、小さい時に水戸黄門に憧れ、親に黙って入れてもらった刺青なんだとか。
 アチキが小せえ時には「この紋所が目に入らねえかあ」と凄んで笑わせてくれたが、久しぶりに見たぜ。
 あ、いやあ、刺青を忘れてここまでするのは、よくよく怒った時しかねえ。
 ――ヤベエ。
 少し後じ去ったが、時既に遅かった。
 神経質なくせに、気の短え叔父貴は、アチキと同様、切れると、場所と立場を忘れる性癖がある。
 今も、県警の刑事さんたちのたむろする真中で、こう怒鳴っちまった。
「テメエ、俺がいつ、白々しい演技をしたっつんじゃあーー」
 アチキは慌てて弁解した。
「あ、いや、アチキが言ったじゃねえんじゃーー。赤影と持田のヤローが」
 しかし、この言葉がよけいに極道気質の叔父貴を起こらせる結果になっちまった。
「持田のヤローとは何じゃ。なんつう口のききかたをするんでえ。カタギの衆によう。俺は、オメエーをそんな極道の道に外れた人間に育てた覚えはねえ」
 確かに、アチキは叔父貴におんぶされて大きくなったようなもんじゃ。
 小さい時から、筋の通らぬ喧嘩はするなとか、目上の人間は敬えと教えこまれて大きくなった。
 だから、持田のヤローっつう言葉を吐いた時にはしまったと思った。
 じゃが、口癖だから、仕方ネエ。それにアチキはまだ怒りの元を抱えたままじゃ。
 他でもねえ、「唐マリは単純バカだから、義侠心に訴えれば、自分から飛び出して行くんだよ。鉄砲玉なんだよ」っつう言葉じゃった。
 ――鉄砲玉。鉄砲玉。
 その言葉が、何度も頭の中を駆け巡っていた。
 じゃが、その言葉を聞かれたと知らない叔父貴は、一方的にアチキの言葉使いだけを非難してきおった。
「良いか、ここは、オメエの仕切る組じゃねえ。判るか。カタギの衆の仕事場じゃ。だから、目上にはヤローなんて言葉は使うな。それから、さっきのあの言葉はなんじゃ。あれが、親分さん、否、警部さんに対する態度か。俺は、そんな不遜な人間にお前を育ては覚えはねえ。ここでキッチリ心を入れ替え、警部さんにしっかりと頭を下げろい」
 叔父貴は、何も反論させずに、強引にドスの持つ所でアチキの頭をこずいた。
 こっちの反論はまるっきり聞く耳を持たなかった。
 
 まあ、アチキも、ヤローなんて言葉を吐いたのは反省しておった。
 しかし、一方的にドスの木の部分でこずかれては、我慢ができなかった。
 数分は我慢しておったが、ついに切れた。
「悪かったねえ。アチキだって、叔父貴の期待に添うように、努力はしてるんじゃ――。じゃが、どうしても我慢のできねえことだったあるんじゃ」
 よっぽど「鉄砲玉で悪かったねえ」と言ってやりたかったが、それだけは言ってはいけないような気がして、ぐっと我慢した。
 なんでだろう?
 そう言ったのは叔父貴のほうであり、アチキが遠慮する必要はこれっぽっちもないのだが、それを言ったら、全てがおしまいになってしまいそうで、言えなかった。
 その代わり、もんもんとした気持ちは、態度に出ちまった。
 極道の血のなせる技か?
 気がついたら、ドスを抜いていた。
 叔父貴もドスを抜いていた。
 叔父貴としては、゛どうしても我慢のできねえこと"を言わないのが許せなかったのじゃろう。
 なんども、それは何じゃと聞いていたが、アチキがガンとして言わねえんで、ついに切れたという格好じゃった。
「キエエイ」
「ナロウ」
薄ぐらい蛍光灯の下で、鋭い刃が火花を散らした。
 うちらはそれほど派手な立回りをした記憶はなかった。
 いつもの軽い喧嘩程度のつもりだった。
 しかし、慣れとは恐ろしいもんじゃ。
 気がついたら、叔父貴の片方の小指が半分切れ、アチキの肩には、ドスが突き刺さっていた。

 痛みは感じなかった。あまりにも興奮しておったから。
 が、監察医がかけつけ、刑事たちに取り押さえられて、縫ってもらっている途中で、急に激痛を覚えた。
 叔父貴も同じ状態だった。極道の意地で、痛いとは一度ももらさなかったが。
 監察医は、慣れたもんで、麻酔もせずに、大雑把に縫い合わせると、さっさと包帯を巻いて去って行こうとした。
 だが、アチキと叔父貴がやせ我慢をして、大量の汗を掻いていたのを見て、軽い麻酔だけは射っていってくれた。
 叔父貴はバツ悪いのか、麻酔が終わるとさっさと会議室に引きこもってしまった。
 刑事たちも自分たちの仕事に戻って行った。
 廊下にはアチキと喧嘩の原因を作った例の二人と菊田警部だけになった。
 ひとしきりうなって疲れたアチキは、どこかの部屋で横になろうと腰をあげかけると、極道顔の菊田親爺がのそりと立ちあがった。
「なあ、唐マリ姐さんよう。一言申し上げてよろしいかいな」
 何か言い知れぬ威圧感を感じたアチキは、思わず、大きく頷いてしまった。
 それで、許可を得たと思ったのだろう。菊田警部の顔が大きくアチキの顔の上にのしかかって来た。
「一言で言っちまえば、俺たちは将棋の駒なんだよ。俺もエリート警視様からすりゃあ、オメーさんと同じなんだよ。姐さんが鉄砲玉なら、俺は、鉄砲玉を操る射撃手なんだよ。鉄砲玉を有効に動かすのが仕事なんじゃ。まあ、将棋の駒に喩えれば、姐さんは゛歩"。俺は少し格上の゛飛車"ってところかな。警視殿に命令されれば、筋書きに沿って演技をするのが仕事。射撃手には射撃主の仕事。鉄砲玉には鉄砲玉の仕事っちゅうもんがあるんだ。だから、鉄砲玉は与えれた仕事を黙ってこなしていりゃあ、良いんじゃ。どうせ、足りねえ脳みそなんだから、うじゃうじゃ考えずに行動しろって言うんじゃ。ド阿呆が」
 あまりの迫力にアチキは思わず腰を抜かしちまった。
 力の抜けちまった身体の上に極道親爺はさらに覆い被さって、気色の悪い笑顔を作って、一言言った。
「そういうわけだけど、。何か、反論がおあり?」
 アチキは、反吐を吐きそうになったまま呆然としておった。
 しかし、一瞬後には、猛然と腹が立ってきた。
 クソ田舎警察のくせに、生意気な。それに、さっきのトイレでの会話もむかついていた。
 ――唐マリは鉄砲玉。唐マリは鉄砲玉。
 これははっきり喧嘩を売られたんじゃ。
 売られた喧嘩は買わにゃあ、極道じゃあねえ。
 常日頃そう教えられてそだったアチキとしては、気がついたら、条件反射的に叫んでおった。
「鉄砲玉で悪かったねえ。それに、確かに、共犯を取り逃がしたのは、アチキの責任だ。じゃが、もとはと言えば、あそこに犬並の嗅覚と聴覚を持つ赤影を配置しなかった、叔父貴の責任じゃ。アチキは責任はねえ。辞めて欲しいんなら、いつでも辞めてやるぜ。そうさ。アチキのサイコメトリングを信用しねえような奴らとは、もう金輪際一緒に仕事なんぞ、してやらねえぞうーー」
 まるっきりお門違いの反論だったような気もするが、口から出た言葉は取り返しようがなかった。
 話の成り行き上、啖呵を切っちまったアチキは、後ろも見ずに捜査本部を飛び出していた。ザマア見ろじゃ。
にしても、アチキは一度も鉄砲玉なんて言葉は使わなかったのに、怒りの元を当てやがった。菊田はすげえ勘だぜ。

(続く)