『極道デカ』(『ごくデカ』)10回目『単騎、千里を走る。』紹介

『極道デカ』(『ごくデカ』)10回目。開始は12月19日

第六章

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『読者からの挑戦状』(番外編)
≪読者H≫。「作者はん。先週、次は最終回だなんて宣言しておいて、まだ最終回ではないじゃないですか?」
作者。「煩い。挑戦状をころっと忘れとったんじゃ。それと、友達からもったいないと言われたから、予定変更じゃ。大量の焼酎のせいで妄想と現実の区別がつかん。再来週から終わりに向かうわい。e−booksで電子出版するにしても、一回は了を打たんと、始まらんからな」
≪読者H≫。「もう。いい加減にしてくださいよ。それじゃあ、狼少年ですやん」
作者。「煩い。脳みそ、アルコールで溶けとるから何も覚えてないわい。それより、うっかり口を滑らしたのに乗った読者に応えんと。それにしても゛作者が犯人だ"なんてのが来なくて良かったわい。挑戦状はしめきったからな。では、『萱本三郎&由香。お前らが殺人犯だ』をやっつけるぜ」

   2

 小夜の父親は、『告発状』と書かれた手紙の文章を手に、考えこんでいた。
 どこのダレとも分からぬ人物から送られた手紙で、内容は、『萱本三郎&由香。お前らが殺人犯だ』であった。
 萱本三郎は、受話器を取った。ある番号に電話をした。
 コール音が二十回を数えてから、受話器が取られた。
「誰?」
 いつものように、ぶっきらぼうな声が応答した。
「由香、どうしよう。ダミーの件が」
 萱本三郎は急き込むように、受話器に語りかけた。
 が、相手は極めて落ち着いた声で返してきた。
「うだうだ抜かすんじゃないわよ。DNAは同じなんだから、でーんと構えていれば良いの。バレっこないんだから。それより、切るわよ。忙しいんだから。つまらないことで電話しないで。警察に目をつけられるから」
 ガシ。
 受話器は無慈悲な音を立ててフックに戻された。
 相手は由香であった。
「由香……」
 萱本三郎は、ツーツーと音を立てる受話器を見つめて、唇を噛んだ。
 まだ、それほどケータイが普及している時期ではなかった。
 それなのに、高い基本料を払ってでも、重いケータイを買うと言い出した時から、由香が何かを計画しているのだと勘づいていた。
 まさか、こんな、大それた事だったとは……。
 萱本三郎は大きく溜息をついて受話器を元に戻したのだった。
 
 今、萱本三郎の手には二回目の『告発状』がある。
 告発状を待つまでもなく、萱本三郎には人に言えない過去があった。
 十年前にも同じようなことをしたのである。
 実行場所が佐渡であったので、誰もその事実を指摘するものはいなかったが。
 十年前、第一回目の計画の筋書きは次のようなものであった。
 まず、当時、小学生だった小夜に睡眠薬を服用させて眠らせ、広い自宅のどこかに隠す。
 次に、由香の妹が運搬人に指定されたかの手紙を自宅に送り、運搬人が身代金のダイヤを持参して、佐渡の七浦海岸でクルーザーに乗る。
 次に、重い鞄を床から海中に落とし、運搬人もクルーザーが北上する途中で、誰かにすり替わる。
 やり方は簡単である。クルーザーの床は二重になっているので、最初に重い鞄を落したのと同じ要領で、北上中のクルーザーから海中に脱出する。
 この際には、クルーザーの中の電気は消しておく。
 さらに、運搬人が海中に脱出する地点には、あらかじめ、誰かの死体を沈めておき、運搬人と入れ替わりにクルーザーに入れる。
 勿論、死体には運搬人と同じ服を着せておく。運搬人は脱出する前に酸素ボンベを背負い、自分の靴などを持って脱出する。
 死体は由香の妹が調達した。
 かなりの金を払って、もぐりの医者から譲ってもらった物らしかった。
 ヤク中で死んで闇から闇に始末する予定の死体だろう、とは思ったが、何も聞けなかった。
 十年前。クルーザーは佐渡、相川町、七浦海岸に停泊させてあった。
 クルーザーは自動航法に設定しておいたので、そのまま北上し、尖閣湾の近くで、時限爆弾により爆発した。
 翌日、DNA鑑定のために髪の毛を貰いに来た鑑識の人間に、萱本三郎が、『由香の妹の髪の毛です』と言って、その死人の頭から抜いておいた髪の毛を渡した。
 これで、死人=由香の妹と思わせることができた。
 由香と萱本三郎が、遺体は由香の妹に間違いないと、強く主張したこともあり、遺体は解剖には回されなかった。
 遺体は由香の妹として処理され、妹は一旦アメリカに帰った。

 確かに十年前は成功した。
 由香の妹がアメリカでライフ・セイバーの仕事をしていたこともあり、実に手際良く海中で入れ替わり作業を行い、警察の関心が爆発地点に集中している間に宝石を回収して、出発地点である七浦海岸の南側の海岸から陸に上がり、駐車してあった車で逃走したからだ。
 妹は、その後、別人のパスポートを手に入れ、数年後には別人になりかわって日本に来て、冒険好きの男と結婚した。
 今回、クルーザーを売ったと警察に話した男であり、一年のうちの半分はヒマラヤ登山に行っている。
 今回も由香の妹夫婦はヒマラヤにいる。
 ケータイは由香の妹が管理しており、万が一、警察が由香の妹の結婚相手のケータイ番号を調べて連絡を取っても、由香の妹が声色を使って対応するので安心、と由香は言っていた。
 しかし、今回の事件の後、由香からの連絡はない。由香の妹の連絡先も知らされていない。

「今度も成功すると言ったのに」
 萱本三郎は大きく溜息をついた。
 今回も由香から渡された髪の毛を警察に渡した。それが、クルーザーの中に置いた人間の髪の毛であるのは間違いない。
 由香は゛前回と同じ仕掛けをする"と断言して髪の毛を渡してくれた。
 もぐりの医者にもかなりの金を払ったと言った。
 そして、爆発で寸断された遺体のDNAと萱本三郎が警察に渡した髪の毛のDNAは一致した。
 だから、遺体はこっそりと買った死体であると断言できる。
 歯の部分は回収されなかったので、歯型から追跡調査はできないが、それ以外は考えられない。
 ならば、なぜ、事件後、由香からの連絡はないのだ?
 最悪、こういうことは考えられないのか?
 これだけの大それた犯罪だから、当然、共犯がいるに違いない。
 
 警察に発見されないように海中で遺体をキープしておくには、当然ながら、早い時間から遺体を沈めておくわけにはいかない。
 クルーザーが北上するルートの近くに釣舟でも浮かべておいて、クルーザーが発進するのと同時くらいに、釣舟の二重底から遺体を海中に沈め、共犯が海底を移動しながら遺体を運ばねばならない。
 二重底の中に予備の酸素ボンベなどを準備しておけば、それほど難しい作業ではなかっただろう。
 警察や海上保安丁は、近くに接近して捜査することはできなかったのだから。
 だが、これだけの危険な作業をするとなると、共犯はそうとうな額の金をもらわねば割があわない。
 当然ながら、数千万から億の金を要求されたに違いない。
 前回は、由香が遺体入れ替えの役を果たしたらしいが、今回は、誰がやったのだろう?
 由香の妹はヒマラヤに行っているのだし。
 もぐりの医者とつながりがある組の人間とも考えられる。
 由香はその辺のことは少しも教えてくれなかったが、かなりヤバイ状況ではある。
 仕事はうまく行ったが、その後、揉め事が起こっていないとは言えない。
 
 あの由香だから、万に一つもぬかりはないと思うが……。
 それにしても、由香から連絡がないのは何故だ?
「由香。死んでいるのか? 生きているのか? 連絡くらいくれよ――」
 萱本三郎の瞳から一筋の涙が零れた。

   3

≪読者H≫。「作者はん。何ですの、これ?」
作者。「何って、何や?」
≪読者H≫。「だから、もう十回目、最終回近くですやん。それなのに、死体も犯人も増えとりますが」
作者。「それがどうした?」
≪読者H≫。「だから、逆切れしてどうします? 普通、最後に向かって、絞りこみに入るもんですやん。分かります? 絞りこみ。大勢いる犯人候補者の中から条件に合わない人間を排除して行く作業をそう呼びますのや、普通は」
作者。「煩い。これしか思いつかなかったのや」
≪読者H≫。「すると、今回はこれで終わりでっか?」
作者。「当たり前や。ネタはこれだけや。それに、小説よりもっと大事なことを忘れていたのに気がついたんや」
≪読者H≫。「『単騎、千里を走る。』が、ほとんどの映画館では、今週で終わってしまうってことですやろ。終わる前に紹介せにゃ、意味がないってことですやろ」
作者。「何で知っておるのや?」
≪読者H≫。「そんなの、『ぴあ』見れば、分かりますやン」
作者。「まあなあ、わても、任侠物だけを紹介するつもりでいたんで、最初は予定に入っていなかったんじゃが、見たら、予想以上に良かったんで、紹介するがな。小説よりも♪健さん♪出しておったほうが、アクセスは増えるし」
≪読者H≫。「そんなに良かったんでっか?」
作者。「うん。何か、ものすごーーく大きい掌で背中を押されたような気がしましたなあ」

(続きは再来週)
作者注・この作品はフィクションであり、現実の名称とは何の関係もありません。

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『単千(単騎、千里を走る。)』紹介
 これは、♪健さん♪の作品の中で言えば、山田洋次監督の『遥かなる山の呼び声』と似た路線の、感動巨編ですなあ。自分探し路線とでも言いましょうか?
 『遥山』はそのうち紹介しますが、♪健さん♪が自然に泣いたのは、『遥山』以来、この作品で二度目のような気がします。
 それに、チャン監督は、無骨なまでに伏線や虚飾を排除して、真正面から勝負をかけてきますんで、見終わった後、脳みそが流れでるか、両目が流れ落ちるくらい涙が出ましたわ。
 でも、子供を育てたことのない世代にはちょっと理解でけまへんやろなあ。
 つうか、40、いや50才以上の人間しかターゲットにしていないような気がします。
 苦労して子供を育て終わって、背中の荷物を下ろして、いざ、自分の人生をふりかえったら何も残っていなくて、この先、何をして良いかわからなくて、それからは、地を這って必死で自分の生きる道を探すような、そんな映画でんなあ。
 身につまされますなあ。
 では、ストーリーに沿って話しま。

 まず、♪健さん♪は息子と疎遠になっておるんですが、その息子が癌の末期だと知るんですな。
 そこで遭いに行くんですが、過去に何かあって、二人の間には溝があり、遭ってくれんのです。
 で、息子が凝っていた中国の仮面劇『単騎、千里を走る。』の中のリー・ジャーミンという舞踏家の舞を撮影しようと、中国へ飛ぶんですな。さすれば、息子ともう一度やりなおしができると思ったんです。
 ここのところ、人の親であれば、非常に良く分かりますなあ。
 一般的に、子供は、親のいう事なんざ聞きやしませんし、親を尊敬してもいませんにゃ。
 しかし、何か目立つようなことをすれば、少しは子供も尊敬の目でみてくれるんではないかと考え、世の親は、出版に走ったり、ブログに走ったりするんですな。
 見栄というか、面子ですなあ。 
 でもって、ストーリーですが、中国に到着して三日目、リーが刑務所に入っていると判明したとたんに、ちゃんとしたガイドは、「これは無理です」と言って仕事を降りてしまうんですな。

 しかし、ここに、調子の良い中国人ガイドが登場しますのや。
 口を開くと、「シャチョーはん。中国人、嘘つかない。タイジョウブ。タイジョウブ」とか言うタイプのガイドですわ。
 で、能天気なガイド、チュー・リンが、ほとんど通訳の仕事をこなさないまま、何とか大陸奥地の刑務所まで行くんですわ。
 さらに、重要時はほとんど専門の通訳にケータイで通訳してもらい、何とか、刑務所内での撮影の許可を取るんでやんす。
 が、今度は、リーはんが、「子供が恋しくて、泣けてしまうんで、踊れない」とか言い出すんですわ。
 一難去ってまた一難。まるで、゛おしん゛でんなあ。
 ここで、♪健さん♪は、゛子供"っつう言葉に、ジー―――ンと来てしまうんですな。
 自分も子供とやりなおしたいと思うあまりに、中国くんだりまできたんですから。
 で、また、「通訳が頼りないというなら、お前がせーよ」などと現地人に喧嘩を売るチュー・リンと一緒に、更に奥地の村に子供を探しに行くんですわ。
 子供はすぐに発見できました。
 ですが、この子供が途中で、「おら、行かん。父ちゃんとも思っていない奴のところへ、なして行かな、あかん。おら、いやじゃ」と反乱を起すんですなあ。
 
 ここのところが、人の親をやっていると、またまた身につまされるんですわ。
 子供には良い暮らしをさせてやろうと思って、十二時間労働をしたり、頭を下げたくない人間に頭を下げたり、ソリの合わない姑とも同居しては、子供を良い学校に行かせているのに、子供は平気で「俺は、産んでくれとは頼まなかった」なんて、言いよりますからなあ。
 あ、いや、これは、一般的な例で、うちの話ではおまへんからな。
 このほかにも、親が苦労して高い金を払って塾に入れてやり、見事大学に受かっても、ある日、急に大学を止めてお笑いの学校へ行ってしまったりすることもありますなあ。
 それも、苦労して入ったのが医学部で、勝手に辞めたのは、数千万の寄付金を払った後だったなんて事もおます。
 本当に、子供は難しいでやんす。
 こんな時、「親はなあ、オメーのために雨の日も風の日も雪の日もチラシ配りをして売上を取っておるんや。肺炎になりかけの日だって仕事は休まんかったわ。それもこれも、全てはお前ら、子供の将来のためなんだぞ。少しは感謝せー」なんて言っても、駄目ですなあ。
「そんなの自己満足に過ぎんわ。子供には子供の人生ってもんがあるんや。人の人生に口を出すな。うぜーぞ」と、言い返されるのが落ちですわ。
 くり返しますが、これは一般的な話ですえー。

 こういう言葉を返されて、初めて親は、「自分の人生は何だったんだー」って考えますのや。
 おまけに、気がついてみれば、己の年は五十を超え、この先、二十年くらいの時間しか残されておりませんやんか。
 その時になって、初めて、自分探しの旅に出かける必要性に迫られますのや。
 でも、自分探しと言っても、決まった道があるわけではございません。
 この映画のように、道もないところを進み、言葉もわからずに頭を抱え、その上、道に迷って、あげくは、土の上に這いつくばって進まねばなりませんのや。
 子供を育て終わった己の姿は、まさに、手探りで道なき道を進む♪健さん♪と重なりますなあ。
 
 この映画はフィクションですさかい、息子は「ありがとう」と手紙をくれますし、中国の奥地で、♪健さん♪は何かを掴みとりますが、実際は………、ですなあ。
 そういう意味で言ったら、来年退職する親爺連中には、是非見てもらいたいですなあ。
 退職した後が、本当の戦争でっせえー。
 会社にいる間は、「課長さん、お体が大切ですから、どうぞ、無理をなさらないで下さいね。私、課長さんの体だけが心配で」なんて、言ってくれる美人部下もおりますが、退職後は、そんな言葉は一切なくなりますな。
 そのかわりに、「明日、ゴルフ? ああ、そう。ならば、トイレ掃除と玄関掃除と庭の草むしりをやってから出かけてよねー。それから帰りの飲み会の費用は渡せないわよ。それと、私はソムリエ教室の後、同級会で、その後は流れで朝までカラオケだから、あんたは帰りに鮭弁買ってきて自分でチンして食べてよね。味噌汁の分までは出せないから、お茶か水で我慢して」なんて言葉がビシバシ飛ぶようになりますが。

 ま、色々申しましたが、感慨ひとしおでした。
 あんまり泣きすぎて、頭蓋骨の中、すかすかしてま。
 同時に甲状腺々腫を切除した時のことを思い出しましたな。
 自分の気持ちが、悩んでいたり、落ちこんでいる誰かに届けば良いって、あれですな。
 よーく考えて見ると、ブログも自分探しの媒体だと思いますな。
 映画が終わった後、目玉が溶けそうに泣いて、おまけに、サイバラ・ウイルスに汚染されて、脳の中はずるずるですし、つまらない事はぜーんぶぶっ飛んでしまいましたな。
 初心に戻って、再来週から、少しながーい最終回に入りますえー。