『海へ』『昭和残侠伝』紹介

『海へ』1988、東宝
■出演:高倉健池部良、石田あゆみ、桜田淳子フィリップ・ルロワ小林稔侍、大橋吾郎、宇崎竜童、夏木陽介
■監督・蔵原惟繕(『南極物語』)、脚本・倉本聡(『北の国から』)

 筆者と読者という設定が少し飽きたので、今週はAとBで。
A。「これは任侠映画で」
B。「違うやろう。世界一苛酷なラリー。パリーダカール14000キロ。熱砂の中をロマンが走る、と説明に書いてありますがな」
A。「間違えた。゛男は辛いよ"ちゅうコンセプトの映画で」
B。「だから、それは会社が違うから」
A。「では、まじめに。これはマキノ監督の仁侠映画を現代に置き換えた侠気(おとこぎ)を謳った映画や」
B。「あんさん、さては、流行語大賞を狙っておりますやろ」
A。「へへ。それはとも角、主な登場人物が次から次へと本間英次(♪健さん♪)を苦しめますのや。明らかにマキノ路線を現代へスライドさせたものや。これをパクれば、銀行物でもスポーツ物でも何でもできますが」
B。「でも、パリ・ダカの最中の撮影と言ったら、ドキュメンタリーが主なんでは?」
A。「それが、違うのや。ドキュ・ラマっちゅうか、どこまでがドキュメンタリーでどこからがドラマか判別がつかんのや。でも、こういうのって、監督さん、ものすご――いストレスだったと思いますなあ。なんといっても、ミスが許されまへん。『あ、フィルム入れ忘れた――』なんてことがあったら、一巻の終わりや。首が飛びますがな」
B。「B型じゃあ、絶対無理ですなあ」
A。「うるさい。それより、粗筋を言ってしまったほうが早いかな。粗筋は以下」

――パリーダカール14000キロ。世界でも苛酷なラリーに、チームDANKAIは今年も挑もうとしていた。スポンサーから、今人気上昇中の歌手・吉井竜一をチームの一員として走らせて欲しいといわれ、チーム・リーダーの水木は苦悩していた。苛酷なラリーでド素人を完走させるためには、伝説の男・メカの神様と言われた本間英次を引き入れるしかない。1月1日。ラリー車はパリをスタート、ダカールの海へ22日間。今サハラで様々な想いが交錯して砂漠を疾走する。

A。「で、どういう構図になっているかというと、とにかく、悪役の役者が、理不尽に自己中に、次から次と本間を苦しめますのや」
B。「悪役って言うと、どこかの組が裏にいて」
A。「違う。≪読者≫や。そこらへんにいる≪読者≫が好き勝手に入ってきて」
B。「ですから、それは、あんさんの小説の話で」
A。「そやった。この作品の中では、まず、スポンサーや。スポンサーが理不尽なことを言いますのや。新しい商品を売り出すために、ド素人の歌手を使って、サファリ・ラリーを完走させよと。これがどのくらい理不尽かというと、素人がF1に出て優勝するとか、運転免許のない人間が車の運転をするくらい酷いらしい」
B。「新人賞も通っていない誰かがいきなりブログで長編小説を書くとか」
A。「うるさい。『セカ中』の作者もブログ出身や」
B。「はいはい。先にいって」
A。「うんにゃ。で、その素人さんは、何回も砂にはまって、車をオシャカにしてくれますのや。その度に、他のプロ・レーサーが自分の車を潰して部品を提供して」
B。「待ってください。それは、プロ・レーサーへの試練であって、整備士・本間(健さん)には難の関係もないのでは?」
A。「そや。忘れていた。最初から説明し直すわ。本間は、最初はいやがっていたんだが、池部良に金を借りてギャンブルをしてスッてしまったんで、しょうがなく引きうけるんや。しかし、男が一旦引き受けたら、やり遂げなあかんちゅう信念があるんで、途中でおりられんのや」
B。「ま、仕事なんて皆そんなもんですがな」
A。「そや。そういう状態である上に、次々と無理難題が襲ってくるんや。さっきも言ったが、新人歌手は強引にこの仕事を押しつけられたので、二言目には『降りる』と言うし」
B。「誰かさんみたいで」
A。「うるさい。で、次には、新人歌手の恋人(桜田淳子)が、紅白とレコード・大賞をすっぽかして、恋人に会いに来ていて、それがまた本間の車に隠れていますのや。ビザもないのに」
B。「すごい設定ですなあ」
A。「で、本間としては、スポンサーの意向と、新人歌手のエゴと、人気歌手に潰されそうになるプロ・レーサーの悔しさとかを一身に背負って、自分のチームの一台を何とか完走させにゃならんのですわ」
B。「でも、映画やから、最後はめでたしめでたしで」
A。「まあな。でも、それやったら共感の涙は出ますが、もっと観客の心の深いところで不満が残るから、最後に超ど級の花火を打ち上げてくれましたのや」
B。「それが、この前言っていた、脳みそのぶっ飛ぶような」
A。「そうや。石田あゆみを爆殺してしまいましたのや。それも、一番美しい時期に」
B。「喧嘩を売るなよ」
A。「そういう訳にはいきませんや。喧嘩キャラで売ってきたんでな。ちょっと怖いけどな。行くで。今となってはオバサンになった石田あゆみが」
ビシ。
B。「そこまで」
・・・・・・
A。「にしても、ドキュラマと爆死か。ムフフな題材でんな」
B。「早速使う気ですな? ドキュラマなんて、実際のネットと現実が重なっている設定だから、すぐに使えるような」
A。「どうかな? 難しいが。でも最後の爆殺は使えるのう。雑魚が何人殺されても読者は誰も驚かないが、主役クラスが殺されたら、一気にアクセス倍増や」
B。「また、変なこと考えてますやろ。自分の小説の最後に主役を爆殺しようとか」
A。「いいや。考えとらへんて。だが、主役に対してこれをやったら、主役はジェームズ・ディーンや」
B。「ほら、考えとる。でもって、主役は作者だから」
A。「ぜーーったい考えとらへんて」
B。「でも、わいらから言わせれば、主役は≪読者≫や。あの作品から≪読者≫を取ったら、単なるできそこないの」
A。「うるさい。わてはもうその先を考えとるから、抗議は受け付けん」
B。「またまた、持ってまわった言い方をして。大体あんさんの考えることくらい分かってま。主役も準主役も爆殺。で、その後はどう落すかっつうと、『ハイドXXXX』か『アイデンXxXx』」
ビシ。


『昭和残侠伝』1965、(東映
■監督・佐伯清
■出演・健さん池部良松方弘樹、梅辰(アンナパパ)、三田佳子、江原真ニ郎、菅原謙二、水島道太郎、山本麟一、八名信夫室田日出男

A。「これは、多分シリーズ最初の作品ですなあ。始まりが『仁義なき闘い』そっくりで驚いてしまいましたが」
B。「どういうことですかいな?」
A。「戦後の焼け跡、闇市から始まりますのや。昭和21年頃ですやん。これが、第二作目から何で、突然昭和10年代に逆行するんや? 訳わからん」
B。「あんさんのと同じで、単に監督さんの気分だったとか」
A。「それしか考えられへん。あるいは、男は着流しにチャンバラじゃあ――、と気がついたとかな」
B。「待っておくれやす。つうことは、この作品の中ではほとんど着流しはないってことでっか?」
A。「そうや。最後の殴り込みのシーンだけでおます。まずは、『りんごの唄』が流れる戦後の闇市に、スーツ姿の池良が現れますのや。満州から復員してきたっつう設定ですわ。ええと、この作品は、内容が多すぎて本が一冊できてしまうくらいなので、箇条書きにしま」

1、浅草の神津組の庭場(墨田市場?)に、新興勢力・神誠会の舎弟がやってきて、いちゃもんをつける
  ここで使える台詞。「せいぜい貧乏しなよ」

2、みかねた松方弘樹が喧嘩を売る。そこへ風間重吉(池良)が加勢にはいる。しょっぱなから銃で威嚇。風間は神津組にわらじを脱ぐ。

3、神津組から暖簾をわけた西岡組(菅原謙二)と健さんの元恋人・三田佳子は結婚して神誠会の傘下で仕事をしている。神誠会の親分はやり手で、焼け跡に屋根つきのマーケットなるものを建設しようとしている。しかし、ご禁制の闇物資を扱っているので、浅草で仕事をしている旦那衆には反感を買っている。

4、神津組の親分が誰かに暗殺され、跡目はセイジ(健さん)に、と遺書を残す。セイジが帰ってくる。風間は妹を探している、と打ち明ける。

5、神津組は露天商に物資を卸しているのだが、物資を運搬中の五郎(松方)が神誠会の連中に襲われる。で翌日、復讐にゆき、捕らえられる。そこで、健さんが引き取りに行く。

A。「ここからの台詞がドラマ・ドラマなので、引用しま」

敵(敵の事務所内)。「庭場と引き換えに五郎(松方)を返すぜ」
セイジ。「からかっちゃあいけませんや。オメーさんたちもヤクザのはしくれなら、あっし達が庭場を命よりも大切にしていることぐれえ、ご存知でしょうが」
敵。「そうかい。じゃあ、命はどうだ。庭場か命か?」
セイジ。「決めるまでのこともありませんや」と詰め寄る。
敵。「こっちは本気なんだ」と銃を出す。
セイジ。「あっしも冗談は言えねえ性分なんでね。どこでも構わねえ。ぶちこんでみろよ」と詰め寄る。
敵の親分、手を震わせながら、至近距離から一発。
しかし、腕に当っただけ。
セイジ(ぐいっと近づいて)。「それだけかい? どうせ狙うならここ(胸)を狙えよ」更に一歩近づいて「こいつは貰って帰るぜ」

A。「ありえまへ――ん。ぜー―――っ対にありえまへん。わずか十センチの至近距離からぶっぱなして、胸に命中しないなんて。いくら粗悪品のトカレフでも考えられまへん」
B。「ものすごいデフォルメでんな」
A.。「もうここまできたら、お笑いでしょう。まあ、他にもコント顔負けのシーンがありますが。『人間の盾だ。坐りこみだー』みたいな事を言って、土の上に仰向けに寝るとか。あ、その前に、ここで、健さんが演技力のねーのを暴露で」
B。「また喧嘩をうるなよ」
A。「だって、本当ですわ。腕の銃弾を風間にナイフで掘り出してもらうんですが、ただ唇を噛んだりしているだけで」
B。「だから、喧嘩を売るな」
A。「それに、麻酔もしない銃弾摘出手術の最中に、心底からにこやかに微笑むな――」
ビシ。
A。「気を取り直して、筋を」

6、梅辰の兄貴が神誠会の売春宿で働いている女に惚れこみ、金を渡すが、逆に神誠会の舎弟に殺される。

7、梅辰の葬儀のところへその女がやってくる。これが、風間の妹。肺病を患っているらしい。

8、神津組の庭場へ、神誠会の連中がやってきて、「ここは地主から俺達が買ったので、おめー達は出て行け」と暴力で追い出そうとする。
 しかし、セイジが坐りこみ(寝こみ)で阻止していると、浅草の親分が、地主の嘘を見破って助けにはいる――地主は正式には売っていない。たんなる口約束――。なので、最初に借りていた神津組がそのまま使用。

9、浅草の親分衆が金を出してくれて、神津組もマーケットを建てる。一方、神誠会が卸値を二倍にする。腹を立てた西岡(菅原謙二)が殴りこみに行って殺される。

10、神津組のマーケットがガソリンを撒かれて焼かれる。やったのは神誠会。セイジは一人で殴りこみに行く決心をする。風間(池良)と五郎(松方)が加勢に入り、セイジ以外は殺される。

A。「最初っから、ガソリンで焼かれるっちゅう筋は決まっていたようでんな」
B。「たしかに、ルーティーンちゅうか」
A。「それに、三田佳子の言葉『行かないで、なんて言えないわねえ』も、どこかで聞いたような」
B。「そっくりなのがありましたなあ」
A。「で、この後の殴りこみのシーンなんですが、これがまた細かい仕事の積み重ねで」
B。「カメラが同心円を描いて撮影したり、セットが回転したりとか?」
A。「違いまんな。カット割りが丁寧で、シーンが二十以上もありまんのや。階段の下で待ち伏せしたり、トラックで突っ込んだり。佐伯監督は本当に仕事人でんなあ。これに比べたら、マキノ監督のはNG集と呼びたくなるような」
B。「どこが?」
A。「だから、殺陣のシーンは一回しか撮影してませんのや。健さんが机に躓いて尻餅ついても、途中で明らかに主役が殺されているようなシーンがあっても、そのまま。取り直しの時間がなかったんでしょうな。ファンとしては素の健さんが見れるのでおいしいのですが」
B。「まあなあ。予告編もかなりツギハギだしなあ。予想外の大ヒットで態勢の補強も人員の倍増もできないままにやってたんでしょうなあ」

 次回は、前に紹介すると言っていた『遥山(遥かなる山の呼び声)』と『網走番外地・望郷偏』の予定。

 来週は用事があるので、アップはニ、三日遅れるかも。一応本編の最終回の後半で、その後は番外編に行く予定。用意ができれば、『昭和探偵伝・兄弟』に行く予定(時代は昭和二十年代の前半にするか後半にするか、場所は獄門島にするか、月琴島にするか、小諸にするか、上田にするか、浅草にするかなどを、金田一シリーズを見て検討しているので)。

 先日、駅で「一般の読者を置き去りにしていて、全然話がわからない」というコメントをもらいましたが。確かにその通りです。2チャンネルの読者と悪意をもって真剣に斬ったはったをしているだけなので、ストーリーなんて関係ありまへん。自分でも何を書いているのか分かりまへん。おそらく『熊の居場所』(舞城王太郎)とか『ドーナツ』(北野勇作)くらいにはわからないかも。ただ、テレビなどでは受け取る側の人間が、ネットでは主役になれるってことが魅力で、作者も読者(2chの)も参加しているだけです。ネットに参加しているときだけが生きていると実感をもてる時間でんなあ。これをネット中毒というのでしょうか? 一回はまったら、辞められまへんが。最後は全精力を傾けた悪意で斬りこむつもりです(こう言ったら、ネタばれかな?)