『昭和探偵伝・絆』6回目

前回までの内容
第一章
 昭和三十二年、十月四日、午後九時。僕(小林星矢十五才)は、小諸、懐古園の脇の叢で死体を発見し、ヒデさんと兄の恭介さんに報せる。ヒデさんは死体の財布から勝手に何かを盗む。
 捜査開始。→八時にヒデさん兄弟が現場にいたことが判明。二人は犯行を否認し、唐松林商事の人間がいたと証言。
 翌五日、細田勇気の母親から呼ばれ、勇気の"狂言誘拐"の手紙が来たと教えられる。
"狂言誘拐の指示書"の内容――勇気の父親の会社の商品と愛人と愛人の子供を人質にとったので、四日後に開始する"狂言誘拐"に加われ。身代金は八百万円――。
細田オバさんは、犯人は愛人の赤坂オバさんと湯西だと断定し、勇気を有名にするために加わると所信表明。
第二章
 母親が書いた筋書きか?父親の会社の商品も売れ残っている(大卒の給料が一万円程度の時代に一千万の在庫)ので、父親の筋書きか? オバさんは、勝手に"脅迫状"に『ラジオ放送を要求する』などの文を追加する。
 翌六日、唐松林商事で闘い。如月警部が唐松林商事の人間とヒデさんを容疑者として連行。
 翌七日。午後の八時半。勇気が誘拐された。母親の言「四日後に勇気を隠す予定だったが、二日後に決行された」
 警察に連絡。僕は小諸署に呼ばれる。
 アマチュア無線などを指定してあることから、"狂言誘拐"だと断定され、犯人の"指示書"の内容を話す。僕がオバさんの創作部分――ラジオ放送、ニュース映画撮影――を黙っていたのに、オバさんは話してしまう。
 翌八日の午後六時。海野宿で身代金運搬前に、オバさんがスカートを捲るパフォーマンスをする。
僕は、犯人役をこなすために、隠れて無線を打つが、警部に発見され、主犯だと言われる。
第三章
 身代金運搬の開始は一時間後になる。警部が五日の日に、細田家に部下を送りこんだと漏らす。(僕を最初の殺人<坂之上秀忠殺害>の犯人ではないかと疑って)。今回の計画が全て筒抜けであったことが判明。
 身代金運搬は開始されるが、ラジオ放送されたことで、"狂言誘拐"の噂が立ち、細田夫婦は非難の的にされている。
 運転を開始するとオバさんはウイスキーをのみ、電信柱の手前で急停車(川中島の古戦場跡)。
第四章
 オジさんが運転して善光寺まで行く。オバさんと僕も一緒。善光寺で男からアマチュア無線が入る。「全員降りろ」と。湯西か?降りて本堂裏まで行くと、変な男が襲ってくる。混乱に乗じ、オバさんは車で逃走。男は、金で頼まれたという。頼んだのは四十歳くらいの男らしい。
 翌九日、夜明け前。細田オバさんが無線を打ってくる。その後、「キャー―」という悲鳴と、すごい衝撃音。勇気の悲鳴。無線を逆探知し、菅平へ。菅平に細田家の別荘がある。別荘入り口で身代金の運搬車発見。勇気が車の中にいるが虚脱状態。
第五章
 勇気がいた車の下から細田オバさんの左手小指が発見される。切断され、血が洗われビニール袋に入っていた。勇気は無言。別荘の中には母親の死体。包帯で止血してある。室田医師はショック死の症状だと断定。部屋にはA型とB型の血液が飛び散っている。
 さらに医者は、死体の血液型はA型だと告げる。妻をB型だと信じていた細田社長は、「替え玉だ」と主張。
 その死体が細田オバさんかどうかは、歯型の検証をするまで決定できない。
 部屋には湯西の指紋が大量にある。凶器はないが、包帯で止血している点から、計画性を感じる。
 モルヒネの注射器もある。勇気の腕にも注射の跡あり。注射器には湯西の指紋。
 医者の話。注射器の中のがB型の血液である。心臓発作や脳梗塞の、循環性ショックに症状が似ている。A型のオバさんにB型の血液を輸血→心筋梗塞で死亡。
 近くの別荘から、赤坂オバさんと子供が発見される。外からカギ。
 更に歯型から死体は細田オバさん本人と証明される。
 *****赤坂オバさんは、自分と一緒に細田オバさんも出産して、母子手帳にも親子ともB型と記入されているから、親の血液型は記載間違え、子供は、産院での取り違えではないか。他にも二人出産したから、と主張。*****

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第六章
   1

 翌翌日(十一日)の昼頃だった。
 茅野市の警察から、白樺湖の池の平神社に男の財布が落ちており、争った跡があったが、財布の持ち主は白樺湖に落ちたようだ、との報せがきた。
 因みに財布の中に保険証があり、名前は湯西となっていた。
 単純に信じれば、湯西さんが誰かと争って池に落ち、死んだと考えられる。
 僕と細田のオジさんは、警部から要請され、捜査協力するために、まだ菅平の所轄に泊まっていた。
 電話を受けたのは如月(きさらぎ)警部で、実際に報告をしてくれたのは、監視員だった。
 警部のまとめた情報は以下のものだった。
 前日の夕方、監視員が、湖のそばにある池の平神社の近くの道を歩いていて、二人の男と出会った。
 二人は蒼いおそろいの作業服、おそろいの作業帽をかぶっていた。
 服は汚れていなかった。一人は体が弱そうで、よたよたとした歩きで、相棒に支えられていた。相棒は太めだった。
 監視員は、近くの道路工事に派遣されてきたばかりの作業員だろうと思い、通り過ぎた。
 池の平神社には、もう一人の男がいるように見えたが、暗くなっており、丈の高い草に遮られて、顔つきなどはよく見えなかった。

 三十分後、監視員の元へ、一人の男が走りこんできた。
 その男は次のように叫んでいた。
「神社から離れた所にいたんだが、争い声が聞えたんだ。急いで、駆けつけると、誰かが池に落ちたようだった。そいつは泳げないようで、溺れかけていたんだ。俺が神社までかけつけた時には、喧嘩の相手は逃げてしまっていた。俺も肩まで入ったが、水が冷たくて、それ以上は入れなかった。来てくれ――」
 たしかに男の服は濡れていた。髪も濡れていた。
 監視員が池の平神社へいってみると、争った形跡があり、湖の縁には財布が落ちていた。中の保険証は湯西さんの物だった。
 監視員に通報した男は汚れた白い服と白い帽子で、、長髪が下から覗いている。
 顔も半分くらいはかくれている。ぼそぼそとした喋り方で、よく聞きとれなかった。
 とりあえず、溺れた男を救い出すのが先決なので、監視事務所のノートに住所と名前を記入させて帰した。
 溺れていた場所をもっと正確に特定させたかったが、神社の先だと言うだけだった。それに、急ぎの用事があるとかで、監視員が警察への連絡を終わって気がついてみると、姿はなかった。
 ここまで説明した後、監視員は、声を潜めて通報した男のことを話した。
「妙にそわそわしていて、変だとは思ったんですわ。で、今日になって男の書いた番号に電話してみると、該当なしの返事が返ってきたんですわ」
「どういうことですか? その男が急いで間違った番号を書いたんではないんですか?」
 警部の質問に監視員はきっぱりと答えたらしかった。

「いんや。番号は間違いの可能性もありますが、住所は存在しない住所だったんですわ」
「存在しない住所?」
「はい。南佐久郡白田1−1−1と記入してあるんですが、南佐久郡に臼田という住所はあっても、白田という住所は存在しないんですわ」
「つまり、地図を見て、臼田を白田と読み間違えたと」
「ですなあ」
 電話を切った警部は、湯西さんの家に電話をした。留守だった。
 次に、赤坂オバさんなら付き合いもあるし、行方を知っているのかと考え、赤坂オバさんの家に電話を入れた。
 だが、こちらも誰も出なかった。
 念の為、細田家のお手伝いさんに見に行ってもらうと、誰もいないようだ、との返事が返ってきた。
 昨日・十日の夕刊から新聞受けに残っているので、前日から留守だったようだ。
 九日の早朝、細田家の別荘で、細田オバさんの死体が発見され、すぐに赤坂オバさんも近くの別荘から救出された。
 その後、菅平での事情聴取が終わって、一旦、小諸に帰ったのが、昨日の十日午前中だった。
 で、十日の夕刊から残っているということは、十日の日中にはまたどこかへ出かけたのか?
 どこへ行ったのか?
 それよりも、そんなに急いで、何をする必要があったのか?

   2
 
 電話を切った警部と僕は、早速白樺湖まで急行した。
 電車と車を使っていったのであるが、三時間もかかってしまった。
 到着した頃は、秋の陽は傾きかけていた。
 池の平は、開発計画はあるものの、まだキャンプ場としての使用が主で、池の周囲には林と藪が茂り、さびしい場所だった。
 目撃者の監視員に面会した。監視員は六十代の男性で、目は悪くないようだった。
 夕暮れには間があったが、萱のしげる池の端は、監視員が言ったように、誰かが立っていても、はっきりと姿を確認するのは難しい状態だった。
 再度質問をしてみた。
「池の平神社で待っていた男は、背が高いが、髪は短かかったのう。服は黒っぽかったような。夕暮れどきでも、もし明るい色だったら、もっと目立ったはずだ」
 その風貌は、湯西さんの風貌とあっていた。
 僕と警部は湖の端を歩きながら、検討してしてみた。
「細いよたよた歩きの男と太目の男は、まだ我々の把握していない共犯者で、池の平神社で湯西と揉めて、湯西は湖に落ち、二人は逃げたのかなあ」
 警部さんの意見は簡単すぎるような気がしたが、反論する材料もないので黙っていた。
 白樺湖では所轄の主導で湖底の捜索が行われていた。
 かなり大きい湖で、中心付近は人間の背よりは深いらしく、死体はまだ上がらないとのことだった。
 通報者の話では、湯西さんは溺れていたようだったから、中心付近まで漂っていったかもしれない。
 湖底は泥が堆積し、捜索は難航しているようだった。
 
 僕らはそのまま車と電車を乗り継いで菅平の捜査本部まで戻った。
 途中、お蕎麦屋さんに寄ったのだが、そこでは、プロレス中継の間に、勇気の泣き顔がテレビで流れていた。
 身代金運搬車で発見された後、父親に抱きついて泣いた時の顔だった。
 映画館のニュースフィルム担当とラジオ局しか尾行させていないはずだったのに、いつのまにかテレビ局の人間が潜入していたらしい。
 父親は、テレビやラジオに出演し、自分の会社の抱えている訴訟問題は示談にしたい、と話していた。
 だが、勇気のオーディションに関しては、黙ったままだった。
 勇気の行方に関しても知らないの一点ばりだった。
 赤坂オバさんと連絡を取っているのかいないのか、その点については黙秘を続けているので、推測できなかった。
「主犯は湯西と揉めていた男たちだったのかもな。責められないな。金を取られ、奥さんも死んでしまったんじゃあな。子供が助かっただけでも良かったというべきか。それにしても、勇気と赤坂親子はどこへ消えたのか? 釈然としない事件だな」
 捜査本部でも警部は、何度も僕に囁いた。
 口ではそんなことを言っているが、頭ではそうは思っていないのは、一目瞭然だ。
 なぜなら、赤坂親子と勇気が昨日から行方不明であり、なお且つ、湯西さんと赤坂オバさんは、昔から親しいのだから、この二人の間には、何の連絡もないはずはないのだ。
 その上、警部の目は、まだ僕を疑っているように見えた。
 そりゃあ、確かに僕は、計画の段階から参加している。
 細田オバさんにも相談されたし、オジさんとの喧嘩の現場にもいた。
 でも、細田オバさんも赤坂オバさんも、決して、僕には心の内は見せなかった。
 何かを隠している。
 その証拠に、善光寺では、細田オバさんに騙されて車から落とされるし、赤坂オバさんにまで、とんでもない屁理屈で犯人にされるし。良い迷惑だ。
 本当にいい加減にしてくれーーと叫びたい。
 もう、こうなったら、僕が謎を解いてしまうしか、濡れ衣を晴らす手段はないべ。

   3

僕らが捜査本部に戻ったのは、夜の九時ころになっていた。
 捜査本部は、木造の旧い建物であったが、屋根の上から誰かが、えいやっと叫んで何か重い物を投げ落としていた。
 グアッシャーン、ギ。
 僕らの目の前で、金属性の箱が鈍い音を立て、縁が土に突き刺さった。
 捜査本部からの薄ぐらい光の中で、駐車場の砂利が一メートルも飛びあがり、箱の蓋がベコッとへこむのが見えた。
 僕らが息を呑んで立ちすくんでいると、屋根の上から一人の男の声がした。
「あ、警部。おかえりなさい」 
 幾田警部補だった。
 落ちた箱に近寄ってみると、アマチュア無線の箱だった。
「何をしているんだ?」
 警部が怒って見上げると、磯田警部補の能天気な声が返ってきた。
「ああ、警部。アマチュア無線の箱があれだけこわれるには、どのくらいの高さから落とされたのかを確かめようと思って。僕、江戸川乱歩のファンなんです」
「だって、あの橋の上から落ちたに決まっているだろう」
「それが、違うようなんです。さっき検死の先生が言っていたんですけど、人間が落ちたときの損傷の統計があって、ビルディングの一階と十階では損傷の度合いが違うって」
「当たり前だろう。で、何が言いたいんだ?」
「だから、アマチュア無線の機械もそうかなあって思って」
「もう一度聞く。何が言いたい?」
「だから、あの橋の高さ、二階くらいなら、蓋の部分は割れても、角の部分は外れないんですよ。コップの角が割れにくいと同じで、角のネジくぎはけっこう頑丈で、二階からおとしたくらいじゃあ、蓋ごとはずれないんですよ。もう一度実験してみますか――?」
「止せ――。いくら壊れている物ものだからと言って、それ一台が、俺の給料の何ヶ月分だと思っているんだ――」
 警部の悲痛な叫びに、やっと磯田警部補もヤバイと気がついたようだった。
 彼は済まなそうに結果を報告しつつ、屋根の向こうにひっこんでしまった。
「あ、検討した結果はですねえ、二階から落したくらいでは箱型の物は壊れないと判明しました。以上」
 急いで姿を隠した磯田警部補のかわりに沙耶警部補が屋根から顔を出して、イタズラっぽく囁いた。
「誰かが意図的に分解して捨てたんじゃないの〜〜」

   4

 翌十二日、僕は恭介さんと一緒に捜査に乗り出すことにした。
 捜査陣が別荘周辺の捜査に取られてしまったので、過去のことを調べようとした僕は、単独行動をせざるを得なくなったのだ。
 しかし、警部は犯人が別にいて僕が狙われると考えているのか、あるいは僕が犯人で逃走するとでも思っているのか、単独行動を禁止した。
 なので、手の空いている恭介さんに協力を仰いだのだった。
 自称明智探偵は、「小林少年の頼みなら、断れねえなあ」と、ボランティア探偵を引きうけてくれた。
 まず僕らは、細田オバさんの実家のある別所温泉へ行ってみた。
 細田オバさんの実家・大きい温泉宿で、お産婆さんと会うことにした。
 細田オバさんたちの子供を取り上げたお産婆さんが、温泉に泊まりにきていたのである。
 大きい湯船の縁に座って、僕はガラスの向こうの滝を見ていた。
 湯船は十畳ほどもあろうか。
 窓も二メートルくらいはあるガラス窓で、端のところが少し空いて夏ならスダレになる。室内なのに、露天風呂の雰囲気が楽しめる。冬場は戸が締められる。
 今は昼で、従業員さんが掃除をしているので、半分くらい開いているが。
 圧巻は窓の向こうの滝である。
 窓よりも十メートルは広いコンクリート製の人口岩の上から、白いカーテンのように水がとうとうと流れ落ちている。
 滝のカーテンはある所は長方形になり、ある所は逆三角形になって、絶え間なく動いている。
 右と左がくっつき、離れ、透ける布のコスチュームをまとったダンサーが踊っているようでもある。
 うっとりと見とれていた。しかし、幻想的な雰囲気はそう長くは続かなかった。
「ごめんやっしゃ」
 すぐ後ろでしゃがれ声がし、皺々の掌が置かれていた。
 お産婆さんの到着だった。
 僕は、幻想に浸りたい気持ちを打ちきって、謎解き作業にとりかかった。

 で、結論を言うと、赤坂オバさんの証言――細田オバさんと赤坂オバさんは、六年前に、同じ産院で一緒に子供を出産した――は正しかった。
 赤坂オバさんは薬剤師の資格があり、さらに看護婦の経験があり、入院中から注射のし方などを細田オバさんに伝授していたことも聞きこんだ。でも何のためかは不明だった。
 細田オバさんの血液型と、両親の血液型に関しても、赤坂オバさんの証言が正しいことをつきとめた。
 つまり、子供の頃、細田オバさんはB型と言われた。両親がA型だったので再検査してもらうとA型だった。
 その事件以来、血液型判定を信用していない。
 だが、僕は、何かひっかかるものを感じていた。
 赤坂オバさんは、看護婦さんの経験もあり、薬剤師の資格もあるのに、なんで、その仕事を止め、細田オジさんの子会社で、株の売買なんか始めたのか?

 僕は恭介さんに聞いてみた。
「そうだなあ。俺も訊き込みをしたら、赤坂さんは、子供を出産する前に前夫と別れ、細田社長の子会社に入って、株の売買を始め、少し注目されかけていたようだ」
 僕と別行動で訊いていた恭介さんも、赤坂オバさんの過去には興味あるようだった。
「その頃、子会社を経営していていたのは細田夫人であったが、実体のない幽霊会社であった。で、株の知識があり、利益を出した赤坂真由美さんは、子供を産んだ後、正式に子会社の社長となった」
「看護婦さんの仕事も薬剤師さんの仕事もせずに、細田オジさんの子会社に入ったわけだ」
「そうだ。中々鋭いぞ。小林少年。普通に考えれば、看護婦や薬剤師のほうが、ずっと安定していて給料も良い。なのに、それらを捨てて、給料もそれほど良くない子会社に入った。何か原因があったに違いない。まあ、株で儲ければ給料の安い分は補填できるかもしれないが、看護婦ほど安定しているわけではない」
「何かある。いや。出産した時に何かがあったんだ。****あの日は、他に二人出産しているから、取り違えもあっただろうが、他の何かが****」
 僕らは同時に頷いた。

 ところで、別所温泉から菅平まで帰る途中で、恭介さんが急に先に帰れと言い出した。上田だった。
突然のことであり、一瞬、僕は無意識に頷いて一旦は降りたが、列車が出発する直前に、好奇心から、又乗り込んでみた。
 こっそり、恭介さんを尾行して行くと、長野まで行き、善光寺近くの温泉宿の物置にこっそり入って行くのを発見した。
 さらに物陰から監察していると、物置の二階にアマチュア無線の機械が隠してあった。
 恭介さんは、その無線を回収すると、物置の裏においてあったスクーターに乗せて、さっさと発進してしまった。
 そう言えば、恭介さんは途中までスクーターで追いかけてきたのだった。
 善光寺細田オバさんに車から振り落とされ、後で勇気を発見するなどの事件が立て続けに起こったので、すっかり忘れていた。
 ――でも、恭介さんはアマチュア無線は持っていなかったはずだ。では、あれは誰のものだ?
 僕は考えながらまた駅まで戻い、自分で上田まで切符を買って、列車で帰ったのだった。

   5

 上田駅につくと、誰かに尾行されているような気がした。
 もう真っ暗で、警部に電話して迎えに来てもらうべきだったと気がついたが、その時は遅かった。
 僕は必死で逃げ出した。菅平入り口の真田町まではバスで行こうと思っていたが、こうなったら、
細田家で貰ったアルバイト料をはたいて、タクシーを拾うしかない。
 しかし、ひたひたひたと追いかけてくる複数の足跡は、途中で二手に分かれ、僕が疲れきった時には、道路の前と後ろをふさいでいた。
 全員、黒いスーツで、黒のサングラスの姿の男たちだった。
「誰だ?」
 僕は叫んで男たちの間を突破しようとした。
 だが、一人が凄んで僕の肩に手を置き、低い声を押し出した。
「例の地図はどこだ?」
「は?」
 何のことかわからなくてキョトンとしていると、男の顔がグッと近づいた。
「ヒデが漏らした。埋蔵金の隠し場所の地図だ。逮捕直前、お前に渡したそうじゃないか」
 男はゆっくりとサングラスを外した。
 道路脇のタバコ屋の薄暗い電気の中で、男の瞼は開かれたままぴくりとも動かなかった。
 冗談を言っている目ではなかった。
「あ、ええと、ヒデさんが? あ、例の地図を?」
 僕は何のことか予想もつかなかった。
 が、誘拐の前々日、ヒデさんが、殺された男の財布のようなものから何かの紙を抜き取ったことが頭を掠めた。 
 ――だとすると、あれが埋蔵金の地図? そう言えば、唐松林組は埋蔵金を探している駒次さんに資金を出している。普通に考えれば、宝が出たところで横取りする予定だ。でも、何で、留置所の中のヒデさんが、こんな奴らに情報を? いや、確か、唐松林組の人間も同時に逮捕されたから、中にいる間に、取引をしたのかも。金で情報を買おうとしたのかも? ヒデさんは、金に綺麗なような顔をして、意外と分からない部分もあるし。きっと、自分で地図を隠したが、目先をくらますために、僕の名前を出したのだ。だとすれば、こいつらには、僕が持っているような顔をして撒かないと……。

「どうなんだ? さっさと吐かないと、痛い目にあうかもしれねえぜ」
 男たちは詰めよってきた。気性の荒い男たちだ。頭から血が落ちて行く音がした。
 ――落ち着け。僕が地図を持っていると、相手が考えている以上、こっちのほうが有利なんだから。 
 どうやって返事をしようかと考えていると、後ろからしわがれた声がした。
「良い大人が大勢で、中学生を恐喝かい? あんまり誉められた行為じゃないのう」
 その声を聞いたとたんに、ヤクザふうの男たちが顔色を変えた。
 僕が振り向くよりも早く、ばらばらとバラけ、てんでに逃げて行ってしまった。
 一人になってようやく振り向くと、立っていたのは、作務衣姿の老人だった。
 唐松林組に殴り込みに行った日に、助けてくれた人だ。

「あ、あなたは」
 開きかけた僕の口を遮って、作務衣の老人が僕の肩に手をかけ、親しげに喋り始めた。
「ああ。わしの身分に関しては、深くは問うな。それより、わしがこれから、細田夫人の死亡について見解を述べるから、君の意見をきかせてくれ」
 老人は、前置きをし、相手の反応も待たずに、さっさと喋り始めた。


*****(ここで突然ですが、つまらなくなったとの指摘があったので、訂正)***
「わしは、君らの捜査については、全てを把握している。なぜかは問うな。その上で、わしの見解を言うぞ。良いか。勇気がB型。勇気の父親はA型じゃ。すると、母親はB型でないとならない。だから、勇気の生みの母は別にいて、その女の血液型がB型だと思う。つまり、細田婦人は流産を繰り返していて、また死産だったんじゃ。じゃが、双子を産んだ女が同じ病院にいて、こっそりもらったんじゃあ」

 ここで、またしても、お約束の読者と作者がネット回廊から乱入してきた。
読者A。「だから、それは、森博嗣の『カクレカラクリ』のネタだから、関係ないっしょ。それに、母親と子供の血液型が違うのは、産院での子供の取り違えじゃないかと、ほぼ結論がでたんですから。あ、たまたま同じネタだったってこともありうるかな?」
読者B。「だから、そもそも、君の意見は、時代錯誤。今、目の下にいる謎の老人は、昭和三十二年に存在しているっちゅう設定ですから。それと現代の僕らが議論をしたら、作者と読者のネット上での乱入の上に、タイムトラベルまでしたことになってしまいますから」
星矢。「止めてくださいよね。そうやって、卑怯な手段で主役を奪うのは。この小説の主役は、他の誰でもない、この僕ですから」
作者。「煩い。この作品の主役も作者と読者じゃ。前の”ネットで話題になった作品”と同様にな。今後も、”つまらない”なんて反応がでたら、ガンガンこの手を使うぜ」
読者A。「つうか、話を戻しましょう。仮に謎の老人の推理通りなら、細田婦人の対応は反対になったと思うんですよう。もし、勇気が貰い子と分かっていたのなら、細田婦人は指を切った時に、積極的にB型の血をもらったりするか?」
謎の老人。「するする。細田婦人は、自分の血液型をちゃんと調べ直してもらわずに、自分のずぼらな性格から単純にB型だと信じるようなオメデタイ女だから」
作者。「止めてよね。B型をバカにする発言は。天才的といって欲しいわ」
読者A。「天才と何とかは紙一重だって言うから」
作者。バシ。バシバシバシ。
 ここで、またしても、唐突に作者と読者はネット回廊へ退場。
********

作者と読者が走馬灯のように消えた後、謎の老人と激しく言いあっていると、後ろのほうから沙耶さんの唖然とした声がした。
「お祖父ちゃん。ここで何をしているのよ?」
 その声を聞いた途端に、作務衣姿の老人は、慌てて、走り去っていってしまった。ああ、ちょっと用事が、と口ごもりながら。
 老人の後ろ姿を見ながら、沙耶さんが呟いた。
「まったく。困ったもんだわ。あれは私の祖父。元県警の局長なの。私がうっかり相談したばっかりに、余計な口出しをして。困ったもんだわ」
 ――道理で捜査状況をよく知っていたはずだ。それに、唐松林組の舎弟たちが逃げたのも、相手が元デカだったからか。納得。

「ところで、どこに行っていたの? 事態は急展開したのよ」
 沙耶さんが、ぐっと顔を近づけた。
 僕は敢えて説明しなかった。沙耶さんが言う急展開は、予想がついていたから。
 でも、興味津々の顔をして沙耶さんの目を覗きこんだ。
「あのねえ、大樹が帰ってきたの。さっき、細田家のお手伝いさんから電話があって、大樹が一人で帰ってきて、細田家にいさせてくれって頼んだんだって。母親にそうしろと言われたんだとか」
「嘘?」
 一応、白々しく驚いてみせる。
「嘘じゃないわよ。で、どこへ行っていたと証言したと思う?」
「さあ」
「それがね、母親と勇気と一緒に車でドライブしていたけど、ずっと眠っていたんで、どこに行ったかわからないっていうの」
「へえ。で、勇気と赤坂オバさんはどこに?」
「うん。それが問題なんだけど。勇気はものすごいショックを受けていて、落ち込み方も普通じゃなくて、口がきけない状態なんだって」

「口がきけない状態?」
「そうなの。それで、母親が言うには、『勇気の治療をしなければいけないから、あちこちの病院を回る。だから、一人で先に帰って、細田家でご厄介になっていなさい』って」
「へえ。勇気はそれほど悪い状態なんだ。車の中で発見された時からほとんど口を利かなかったから、相当なショックは受けた、とは思ったんだけど」
「そうらしいの。で、そのショックの原因だけど、何だと思う?」
「分かりませんねえ。それに、赤坂オバさんも、何か隠しているようですねえ」
「でしょ。でしょ。私もそう思うの。でも、勇気のショックの原因のほうが重大な問題よねえ。本当に君も心当りはないの?」
「ええ。まあ、もしかして、くらいの推理はありますが」
 僕は口を濁した。
 推理を発表するとしたら、やはりオジさんや皆のいる前でないとまずい。

   6

 その日の夜。菅平の所轄。
 全員に捜査本部に集合してもらって、誘拐事件の謎解きをすることにした。
 別所温泉での成果を如月警部に報告し、謎解きをしたいと申し出ると、警部はすぐに捜査陣全員を召集してくれた。
 もう十時過ぎであったが、誘拐捜査のほうの人間も含め、三十名ほどが集まった。
 まず、僕は今までの情報を整理してみた。
 細田オバさんはA型。歯形から、死体は、細田オバさん本人と証明された。両親の証言からも、替え玉となる親戚はいない。つまり、替え玉説は否定された。
 勇気の血液型はB型。勇気の父親の血液型はA型。母親もA型。
 となると、残る可能性は、勇気が貰い子だった、としか考えられない。
 まあ、ここまでは沙耶さんのお祖父さんの意見だが、なかなか面白いので使わせてもらった。 
「で、ここから謎解きに入ります。今までの情報に加え さらに新しい情報があります。赤坂オバさんの血液型です。それはB型でした。おまけに出産した産院が細田オバさんと同じでした。さて、ここで、全ての条件を満足させる答えは何か?」
 僕は、ここで一旦言葉をきり、おもむろに全員を見まわした。
「赤坂オバさんと細田オバさんは、同時に出産したのです。赤坂オバさんは、前のご亭主と別れた後だった。赤坂オバさんの子供は前のご亭主の子です。それから、出産した時期は細田オジさんの子会社で、株の才能を認められた頃だった。普通、女性はこんな時、どんな夢を抱くでしょう。あくまでも、一般論ですが、僕が女性なら、できれば社長夫人になり、自分の子供に跡を継がせたいです」
 僕は細田オジさんを観察しながら話した。

 オジさんの表情は変わらない。さすがに商売人だ。感情を表に出さない。
 僕は先に進めた。
「赤坂オバさんは株の実力はあった。しかし、外見は、元女優の細田オバさんには適わない。会社の商品は、スリムな細田オバさんの載ったパンフレットのおかげで売れている。子会社の社長になれても、細田オバさんを押しのけ、社長夫人になるのは無理だ。いくら薬剤師の資格があり、看護婦さんの経験があっても無理だ」
 見守る全員の喉がゴクっと鳴った。
「そこで赤坂オバさんはある策略をめぐらした。まだ、世間では血液型に対して、それほど注意を払っていない。輸血がそれほど一般的ではないからです。現に、細田オバさんも、出産するまで自分の血液型をはっきりとは知らなかった。間違って告げられることは日常茶飯事です。そこで、赤坂オバさんは、自分の実の子供が細田家の跡取になる方法を考えた。それには、自分の子供と細田オバさんの子供をとりかえれば良い。生まれたばかりの赤ちゃんは、よく似ていて区別がつかない」
 細田オジさんが、ギョッとした目で僕を見返した。
「それに、お産婆さんはきっちりと足輪をするわけではない。なので、自分の子供と細田家の子供の取り替えを決行した。しかし、細田オバさんはA型だった。でも、一回、間違って自分の血液型を教えられたことがあり、判定を信じてはいなかった。そこで、母子手帳をB型に書き換えた。『やっぱり、B型だったらしいわよ』とか言って。で、自分の産んだ勇気はちゃんと調べてもらって、B型と判明した。細田オバさんは納得した」
 全員の視線が、僕を見直す色になりつつある。
「しかし、ここで問題が発生した。勇気が誰かに輸血する場合は問題がないが、細田オバさんが誰かに輸血する場合は大問題になる。例えば、勇気が大怪我をして母親から輸血を受けなければならなくなった時、本当はA型の細田オバさんから輸血されたら、勇気は危険だ。死ぬ」
 全員の視線が尊敬に変わりはじめた。

「だから、赤坂オバさんは片時も目を離せなくなった。仕事にかこつけてさりげなく見張り、あるいは年中勇気を自分の家に呼び寄せて、面倒をみなければならなくなった。さっき、僕が、看護婦さんの職を捨ててまで細田オジさんの子会社に入ったのには理由がある、といいましたが、これです。まさに、自分の子供から目が離せなくなったのです。勇気の命を守るために、今までの自分の資格や仕事、全てを捨てて勇気のそばにいなければならない。幸いに勇気や細田オバさんが輸血を必要とするほどの怪我をすることもなく、現在まできました。だが、ここで、予想外の事故がおきたんです。細田オバさんが、勇気を有名にするために、狂言誘拐を仕組んだのです」
 今度は、全員の喉が小刻みに動きはじめた。
「僕は、誘拐の筋書きを書いたのは細田オバさんだと思う。赤坂オバさんは、逆らえなかった。親会社の社長夫人のアイデアだからです。そこで、仕方なく、売れ残りの高級ストッキングを湯西さんに頼んで隠してもらったり、自分たちが誘拐されたようにみせかけた。では、問題の事故にゆきます」
 僕は事故を強調した。
細田オバさんは、自分の子と信じる勇気が有名になるためには手段をいとわない性格だった。自分の指を切り落としてもらうくらいは平気でやる根性があった。いや、最初はマネだけだったかもしれない。でも、途中で、狂言誘拐だと騒がれ始めて、引っ込みがつかなくなった。どうしても不利な噂を払拭しなければならない」

「我が子にかける母の一念ね」
 沙耶さんがうっとりした顔で口を挟んだ。
「母親は、子供のためなら、どんなことでもするもんな」
 磯田警部補まで大きく頷いた。僕は続ける。
「自分の切られた指を見て、勇気が本心から泣き、それがテレビで放送されれば、主役は間違いないと考えた。だから、別荘から離れた森の中でモルヒネを注射して、湯西さんに指を切断してもらった」
「でも、血だらけの指を見て、勇気がショックをうけ、ノイローゼになっては困るので、血を洗って勇気のいる車の下に置いてもらったんだ」
 沙耶さんが勝手に判断した。僕は頷き、進む。
「指を置いたのは湯西さんである。その時、勇気は眠っていた。湯西さんは、凶器はどこか遠くへ捨てた。しかしニ、三時間後、別荘にいってから、まずいことになったのに気がついた。オバさんの指の痛みがぶり返し、ばい菌が入ったのか、出血が止まらずヤバイ状況になっていたのだ。しかし、オバさんとしては、誘拐犯に監禁されていると公表している手前、病院へは行けない。そこで、共犯である湯西さんは、予備のモルヒネを注射した」
 僕は、自分の目で見てきたように解説した。
「こういう状況を予想してモルヒネや消毒薬は用意してあった。薬品や注射器を用意したのは赤坂オバさんだ。赤坂オバさんは元薬剤師なので、比較的楽に手に入った。これで痛みはなくなったが、意識が朦朧としてきた。そこで、細田オバさんは輸血が必要だと考えた。だから、別の注射器でB型の勇気から血を採取してもらって、自分に輸血した。自分はB型だと信じていたから」

 数人の喉でゴクリと音がする。
「しかし、それが命取りになり、ショック症状を起して死んだ。室田先生に聞いたら、解剖の結果、やはり、血管内に血栓ができて、心筋梗塞の状態だったようです。一方、湯西さんは、勇気の血液の入った注射器を渡しただけで、輸血するまえに、『ここにいては危険だ』と細田オバさんに言われ、どこかに姿を隠した。善光寺では行きずりの男に捜査撹乱を頼んだが、その後始末が残っていたのです。つまり、善光寺裏の空き地に自分の足跡などが残っていたら、それを消さなければならない。僕は、善光寺で男に撹乱の仕事を頼んだのは湯西さんだと思う。まあ、でも、それは捜査当局が解明してくれるでしょうから、先に行きます。別荘で湯西さんの去ったあと、ここにまた不幸な事故が起こったのです」
 言葉を切った僕に代わって、警部が低い声を出した。
「そうか。勇気だ。ここで勇気が絡んでくるんだ」
「はい。そうです。勇気は、車の中で自分が血を採取された時点で、目が醒めたのです。そして湯西さんの後を尾行した。別荘に残っていた注射器に半分の血液が残っていて、それには湯西さんの指紋しかなかったことから考えて、湯西さんはポケットにニ本の血液入りの注射器を入れていたと仮定してみよう。勇気から一本半の血液を採取したのだ。勇気は、その時点では腕に注射痕跡のあることから、注射器の中には自分の血液が入っているだろうと思った。で、別荘の外からのぞき見ていて、一部始終を目撃した。つまり、湯西さんが母親に注射器を渡して立ち去ったのも、その後に一本の輸血をしたのも、勇気は見たのです。さらに、自分で輸血をした母親がショック死した現場をも見てしまった。きっと、母親が急死した後、慌てて勝手口に回り、半ロックだったので、中に入って、母親を起そうとした。だが、起きないので、走りまわったのじゃないか? その時に足跡がついたのです」
 沙耶さんが、悲痛な溜息を漏らして顔を手で覆った。
「しかし、暫くしてから、何が起こったのかを推理したのです。血液入りの注射器が二本あって、そのうち一本を注射した母親が死んだ。だが、血液型不一致のことなどは当然知らない。血栓のせいで死んだとは思わない。小学一年生の頭で推理できること。それは、毒くらいだ。そう。勇気は、湯西が渡した二本の注射器に、血液と毒が入っていたと考えた。だから、頭の良い勇気は、一本の空になった注射器をこっそり自分のポケットに隠し、それを証拠に湯西に復讐をしようと考えた。湯西が警察から逃げた場合の話だが。もう片方の血液が半分入っているほうは、毒が入っているのだし、湯西さんの指紋もあるし、証拠となる。だから現場に残した」

「子供ながらも必死に推理をめぐらしたわけね。天才だわ」
 沙耶さんがうっとりと目をつぶった。
「で、ポケットの中の注射器だが、その注射器は、捜査の間中、針を抜かれて勇気のポケットの中にあったのだと思う。針は砂利の下にでも隠したのでしょう。でも、捜査陣は、勇気の周囲は調べたが、勇気の服は調べなかった。以上の理由で、現場に残された注射器には湯西さんの指紋しか残っていない」
「それが、白樺湖での二度目の殺人事件。湯西の溺死した事件になるのか?」
 警部が重苦しい息を吐き出し、他の刑事たちからも隙間風のような溜息が漏れた。
白樺湖の事件では太目の男とよろよろ歩く男が目撃されている。しかし僕は思う。太目の男は赤坂オバさんの変装。よろよろ歩く男は、勇気が竹馬を履いていたせいではないか?二人は、湯西さんを呼び出した。そしてあの注射器を見せて、復讐をしてやると叫んだ。で、動揺した湯西さんは自分から足を滑らせて湖に落ちた。しかし泳げなかったのと水が冷たかったのでしょう、溺れてしまった。きっと深い場所に沈んでしまったので、遺体は揚がらないに違いない」
 ここで警部が口を挟んだ。
「だが、今の情報は勇気のほうから見た現象だ。これを赤坂真由美や湯西の目からも見たほうが良くはないか?」
 僕は頷いた。

「赤坂オバさんは、湯西さんとも付き合いがあった。細田オバさんとも話していたに違いない。当然ながら、湯西さんに殺意がないことは知っていた。だから、僕と同じ推理をし、湯西さんが犯人ではないと考えた。でも、母親の死んだ姿を見てしまった勇気は、湯西さんが犯人だと信じており、母親の復讐をしないと気が済まない。血は繋がっていなくても、母親だと信じているので、勇気の信念は固かった」
 乾いた唇を舐め、先に進む。
「赤坂オバさんにしてみれば、湯西さんは殺したくはない。しかし、どうしても湯西に復讐をしたいと考える勇気には逆らえない。そこで、両方が満足するような筋を考えた。それは、湯西さんが湖に沈んで死んだと思わせることである。難しいことではない。勇気が湖から離れた後、湯西さんが対岸から丘に上がって、別人に変装し、監視員に通報すればOKである。つまり、対岸に服を隠しておいて、水から上がった湯西さんが、服を取り替え、鬘をかぶり、監視員に通報する。『池の平神社で喧嘩があり、一人が溺れたらしい』と。目撃証言である。この時、着替えの服とカツラは水でぬらしてから監視員に通報に行く。一方、勇気は、赤坂オバさんがどこかへ連れて逃げる」
 そこで僕はまた息を継ぎ、最後はゆっくりと締めた。
「しかしその後、復讐が済んで気が抜けた勇気は、あまりのショックに放心状態になってしまった。どうやら口が利けなくなってしまい、赤坂オバさんはその治療のために医者を探しているらしい。これは大樹の情報です」
 
 さらに僕は、細かい部分の謎解きもした。
善光寺で僕らの車に無線通信を打ったのは恭介さんだね。善光寺の駐車場の見える所から『本堂の裏に行け』と打ったんでしょう。そして、僕らがあたふたしている間に近くの宿までスクーターを走らせて隠した。ある温泉宿の物置に無線機を隠してあったのを目撃してしまったのでね」
 恭介さんを真正面から見た。
「バレタか?」
 恭介さんは素直に認めた。
細田夫人に頼まれたんだ。中々湯西が接触してこない場合は僕が打ってくれとね。細田夫人は勇気がいなくなった日に接触してきたのさ。無線装置は細田夫人から渡された。ああなると予想してスクーターの後ろに積んで尾行していたのさ。それより、菅平でアマチュア無線の機械を橋から投げ落としてくれと頼んだのはお前、星矢だろう。頼んだ相手は湯西しかいないが。分解してから投げ落としてもらったんだよな」
 と恭介さん。さすがに明智探偵を自認しているだけのことはある。
 きっと、磯田警部補が屋根からアマチュア無線機を落とすのを見ていたのだろう。
「なぜ?」
「お前しかいないからさ。あんなものを欲しがるやつなんて。おまけに欲しかったのは中の部品だけだろう。だから、分解して部品だけを盗んで、いらない部分は捨てたんだ。あたかも橋の上から落ちて壊れたようにみせかけてな」
「鋭いね。中のトランジスターだけはどうしても欲しかったから、湯西さんに、機会があったら、無線機を橋の上まで運んで隠しておいてくれと頼んだんだ。橋の上から落としたのは僕で、皆が捜査している最中にやったのさ。海野宿で、細田オバさんが、こっそり湯西さんと会っていたからね」
「なんで、そこまでして、部品ごときを欲しがるんだ?」
 警部が横から口を挟んだ。僕は思わず見下した目になってしまった。
「阿呆ですか。トランジスターは、ダイヤモンドの数百倍の価値があるんだよ。トランジスター部品は次世代の電化製品には必需品で、世界の富を手にできると言われているんだ。現にアメリカでは、トランジスター・コンピューターが売り出されようとしている。商品名、パーソナル・コンピューターだ。それを改良できれば、僕だって世界一の金持ちになれるんだ」
 僕は力説したけど、誰も本気にしなかった。
 それより、勇気と赤坂オバさんはどこへ行ったのだ?
 湯西さんも生きていると思われるが、どこにいるんだ?

続く。
第一部終了(ここまでを第一部とします)。次回からは第二部。
 予告――上田城跡の建物か信州大学の繊維学部に忍者姿の一団が侵入して、そこにいた学生を人質に取って、警察に埋蔵金の地図を渡すように要求する。犯人たちは忍者姿で、人質にも忍者の服を着せる。(どこかで読んだような気もしますが)→僕とヒデさんは交渉人として警備員の服で中に入る。
作者注・作中に登場する名前や団体は架空のものであり、実在するものとは一切関係ありません。