『昭和探偵伝・第二部・心の中』7回目

途中が、入り組み過ぎていてつまらない、との指摘があったので、5回目の途中と、6回目の途中を、大幅にカットして、読者と作者を乱入させて、修正しました。***と***で挟まれた部分です。

第一部・絆の内容
 昭和三十二年、十月四日、午後九時。僕(小林星矢十五才)は、小諸、懐古園の脇の叢で死体を発見した。憧れているヒデさんと兄の恭介さんに報せるが、ヒデさんは死亡推定時刻の前後に現場にいたことが判明し、逮捕される。だが、ヒデさんは死体を発見した時に、死体の財布から何かを盗んだ。ヒデさんが逮捕された後、僕は、唐松林組の舎弟たちに命を狙われる。ヒデさんが盗んだ物は、被害者の持っていた真田家の隠し財宝の地図で、逮捕の前に僕に渡したと話したらしいのだ。唐松林組の連中に襲われた時、僕は沙耶警部補のお祖父さんで、元刑事部長に助けられる。
 一方、友達の細田勇気(小学校一年生)の母親が、子供を映画の主役にしようとして、"狂言誘拐"をする。僕は、途中で犯人役になって無線を打つ仕事を押し付けられ、身代金運搬車に同乗させられ、善光寺まで連れてゆかれる。
 善光寺で一波乱あった後、細田家の別荘で勇気は無事に発見される。だが、不幸な事故があって――狂言誘拐がまずい方向に転がり、世間からバッシングされるのを怖れた細田オバさんが、自分の指を切り落とさせた。その後、勝手に輸血をし、血液型の不一致で、血栓ができた――、母親が死ぬ。
 しかし、不幸は細田オバさんの死だけに留まらなかった。勇気が湯西さんを溺死させたらしい、との情報が飛び込んできた。身代金運搬車の中で眠っていた勇気が、湯西さんの渡した注射器に毒が入っていて、それが原因で母親が死んだと考え、復讐に走ったらしい。
 つまり、勇気は、もう一人の共犯者、赤坂オバさんと一緒に、白樺湖で湯西さんを突き落としたらしい。だが、勇気の心情と、湯西さんの無実を知っている赤坂オバさんが、黙って復讐に協力するはずはない。それでは、みすみす勇気を殺人犯にすることになる。なので、勇気には復讐が済んだと思わせ、湯西さんはこっそり逃がした可能性もある。三人の姿は消えたまま。


★★連載広告★(二回目)★★★★★★★★★★★★★★★
★『中伊豆・黄金崎・紅葉狩りの殺人』実業之日本社
★著者・若桜木虔
★前回の続きです。気に入ったのでまた対話形式で紹介しますが★
★B。先週は、トンネルの上から首なし死体が降ってきたところまでだったが。人間の死体で間違いないんだな?★
★A。そや。で、先に行くと、まず、西伊豆堂ヶ島の北六キロほどの所にある黄金崎のトンネルで、首なし死体が降ってきたのが、十一月ある日の午前の七時。と言っても、通りかかった車が死体を轢いたのと、死亡させたのは同時刻らしいんじゃ★
★B。よく判らんがな★
★A。つまり、何か仕掛けがしてあって、車が通過したとたんに首が吹っ飛んで死んだってことらしい★
★B。らしいって、まだ全部読んでないんか?★
★A。当たり前や。自分の小説も書かないといかんのに、他人の小説なんか、読んでいられるか?★
★B。他人て、畏れ多くも広告主様だぞ★
★A。そやった。わたくしも最後の十数ページと最初から半分くらいまでしか拝読しておりませぬ。ですが、なかなかすごいトリックでとてもテンポがよくて★
★B。白々しいが。先、先★
★A。うん。で、その被害者は、医療少年院を出たばかりの男(樅山貴人)で、死亡した前日の夕方に静岡県登呂遺跡の近く(駿河区登呂)にある親のマンションから連れ出されたらしいのやが、その連れ出された時間に、ある新婚カップル(神林夫妻)が伊豆の芳泉荘っちゅう旅館に泊まっておって、これが、誰が見ても犯人じゃが、鉄壁のアリバイを有していたっちゅう設定や★
★B。設定ってなんや?★
★A。いかん。つい、作者側の会話になってしもた。言い直す。神林夫妻には殺人の動機はあった。昔、妻の姉妹が樅山に殺されたんじゃ。どや。ブラックホールよりも冥(くら)い動機じゃろうが★
★B。あんさんの小説やないやないか。威張るな。先★
★A。ええと、神林夫妻は、午後の六時から八時まで、伊豆市吉奈温泉の芳泉荘に、泊まっていて食事をしていたんじゃ。吉奈温泉は、♪天城超え♪で有名な天城峠の近く、湯ヶ島温泉側にあり、芳泉荘の夕食は豪華な料理で、一品ごとに女将さんが運んでいっており、最初の一時間は妻のほうが食事をしていて、旦那はお風呂にでも入っているのか、姿がなかった。で、後半の一時間はその逆だった★
★B。立派に怪しいが★
★A。そうかあ?うちなんて、同じ部屋ににいられるだけでうざいから、普通だと思うけど★
★B。それは、中年の夫婦の話で、この二人は新婚だろ?★
★A。そうか。二十年も昔で、忘れてしもうたが。ま、それはそれとして、登呂遺跡と中伊豆の吉奈温泉までは、駿河湾を挟んで100キロ以上も離れており、おまけに伊豆半島の道は狭くてまがりくねっているんで、片方が車で樅山貴人を拉致しに行ったとしても、とても一時間で往復できないんじゃ★
★B。でも、新婚なのに片方が一時間も席をはずすってのがちょっと★
★A。そうかあ? もしかしたら、両方とも会社の宴会部長で、女将さんが見た時は、交代で柱に化ける練習をしていたとか★
★B。ありえんだろう★
★A。まあな。でも、二人ともモデル並の体系の美男美女だったらしいから★
★B。だからといって、柱に変装はありえないだろうって★
★A。まあな。つうか、推理小説の主役クラスの登場人物って何で皆細いんや?★
★B。それは逆恨み。あんさんが痩せないのがいけん。痩せる痩せるといっていながら、八月の一月間で何キロ痩せたんや?★
★A。痩せたで。−1キロ★
★B。太っておるやないか。あんなに”悩んでいる”なんて公言しておきながら★
★A。まあ、おいおい実行するがな。それより、アメブロの藤田社長が、ブログは写真が入っていて文字は少ない方が効果的、と言っていたので、次回は写真入りで広告するが。その後はどこかにリンクを張って、アニメ広告にも挑戦するぜい★
★B。前からそないなこと言っていて、全然やらんやないか★
★A。あのなあ、忙しいんや。鬱病にもなっとるから、病院でまた精神安定剤ももらってこんといかしん。ああ、そうや。精神安定剤には、痩せるっちゅう副作用があるんや。知っとったか?★
★B。あのなあ、副作用ってなんや。副次的な効果だろうが。それに、痩せるって、たまたまだろうが。間違った情報を発信すな★
★A。そないなことないて。わて、精神安定剤を飲む前は、朝から頭が痛くて、夜も眠れなくて、キッチンドランカーやったんや。よって、カロー過多で、太ってしょうがなかったんや。それが、精神安定剤もらってからは、お酒を飲まなくても眠れるから、痩せたんや。この半月で、15号から13号まで、サイズが落ちたが★
★B。へいへい。話半分に聞いときまひょ★
★★★★★★★★★★★★★★★★

第ニ部・第一章

   1

 一週間後。小諸署。深夜一時。
 如月(きさらぎ)警部が、汚れたノートを読み上げている。
 いつものように、片手でネクタイを緩めながら、半分だけ閉じた瞼で、眠そうにあちこちを見まわしている。
「『僕は、お母さんが嫌いだ。自分が一番正しいと信じて、いつも、叱ってばかりいるから。遊びたい時も、眠たいときも、つかれた時も、いつも、えんぎの練習をしないさい、としか言わないから』。これ、本当に勇気が書いたのか? 小学校一年生だぜ。うま過ぎると思わないか?」
 僕は、部屋の隅にある椅子に腰をかけて聞いている。
 警部は、十月なのに、額にはうっすらと汗をかいて、ぐっと鼻を僕に近づける。
 脇の下もでっぱったお腹に食いこむベルトの周囲も汗で色が変わっている。
 僕らは小諸署に帰っていた。
 菅平で、狂言誘拐と溺死偽装事件の謎解きをしてから、一週間が過ぎていた。
 あれから、勇気と赤坂オバさんと、湯西さんの捜索願が全国の警察に出されていたが、依然として行方は知れない。
「そんなことを、僕に聞かれても……。実際に、そのノートは細田家のリビングから出てきたんでしょう?」
 僕の問いかけに、警部が「まあな」と小さく応える。
 今は深夜の一時で、薄暗い電球が一つしか灯っていないから、電球の下にきたときだけ、警部の表情が見える。
 でも、表情を変えないのは、警部の特技だし、そばに来た時は薄暗いから、考えを読むのは不可能だ。
「そうだ。勇気の使っていた算数のノートだ。半分までは算数の問題が書いてある」
「じゃあ、勇気が書いたんじゃないの?」
 僕は靴の先で、床に落ちているコロナビールの瓶を転がした。
 昨日、小さい事件でも解決し、打ち上げの時に飲んだのだろう。
「だがなあ、このノートは昨日発見されたんだ。ちょっと変だと思わないか?」
 裸電球の明りを撥ね返しながら、板ばりの床を転がっていった瓶を、警部の埃だらけの靴が器用にすくい上げた。
「どこが?」
「だから、事件の直後、つまり、一週間前、菅平事件の解決直後に細田家のリビングを捜索したときには発見されなかったのだ」
 警部は、軽くけり上げたビール瓶を、片手でキャッチして、部屋の隅にある箱の中にいれた。
 学生頃にサッカーでもやっていたのだろうか?
「ちゃんと、捜索したの? あの時は、僕が事件を解決した後だったから、皆も遊び気分で、報告書を書くことだけに専念していたんじゃないの?」
「バカを言え。いくら解決した後の裏付け捜査だとはいえ、そんな所で手を抜く部下じゃない。ノートはなかった」
「つまり、何が言いたいの?」
「だから、一週間前にはなくて、一週間経ってから手品のように現れたんだ。どう考えても、勇気の親しい人間がこっそり勇気の部屋からノートを持ち出して書いたとしか思えないだろう」
 警部は顎で黒板に貼ってある赤坂オバさんの写真を指した。

「続きを読むぞ」
 僕が窓の外を見て黙ってしまったので――そっぽを向いたとも言う――警部は諦めて、ノートに目を戻した。
「『ぼくは自分もきらいだ。お母さんをなぐって”ぼくはお母さんがきらいだ。たまには一日中マンガを読ませろ”と叫びたいのに、言えないから。そんなことをしたら、お母さんの叫び声が余計に大きくなって、お説教も長くなるので、すぐに”はい”と返事をしてしまうから。それから、ぼくはお父さんもきらいだ。お母さんがこわくて何も言えないから。それと、ぼくは星矢兄ちゃんもきらいだ。口では、”お前も大変だなや。そのうちおれがガツンと言ってやる。それまでガマンだな”なんて言いながら、本当は何も言えないから。お母さんのごきげんをそこねるとアルバイト料がもらえなくなるから。それにそれに、赤坂オバさんもきらいだ。”勇気のお母さんはきびしすぎるわよ”なんて言っていながら、目の色が冷たいから。頭の中では、自分のしょうらいのことばかり考えている。株をやるときと同じ色だから』ときたもんだ」
 警部は、最後だけおどけた表情で目を細め、ノートをパタンと閉じた。

「何度もいうようだけど、小学生にしてはうますぎる文章だ。大人が子供を真似てかいたけど、子供の文章になりそこねたような、中途半端な文章だ」
「でも、それくらいのこと、小学生だって、書けるとおもうけど」
「いや。俺はそうは思わない。言葉では言える。『お父さんも、お母さんには頭があがらないんだ。僕を遊園地に連れていってくれるといいながら、お母さんが演技学校のほうが大事だなんて言うと黙ってしまうんだもの。ずるいよ』なんてな。まあ、書いたのは赤坂婦人だろう。いつも勇気の面倒を言葉を聞いていたんだ」
「まあね。じゃあ、こういうことだね。勇気は勘が鋭くて頭が良いからそれくらいのことは言っていた。それを赤坂オバさんが書いた」
 僕は、ここで言葉を切ってほんの少し考え、やっぱ、自分に関する部分だけは訂正しておいたほうが良いと判断した。
「あのう、一つだけ訂正しておくね」
 警部が先に行けと目で語りかけてきたが、無視した。自分のプライドだけは守らなきゃ。
「僕が何も言えないっていう部分は間違いだよ。多分、理香ちゃん事件の時のことを言っているのだと思うけど」
「何だ、その理香ちゃん事件ってのは」
「うん、勇気の初恋の相手。小学校に入って一回だけうちに呼んだんだけど、細田オバさんが、高い人形をその子にあげて、『もう一緒に遊ばないで』といって遠ざけたの」
「有名になるためには恋もご法度ってわけか?」
「まあね。その時ぼくが『ガツンと言ってやる』と断言したんだ。で、小さい皮肉を言ったんだ。『オバさんは策略家だね。たまには恋でもさせてやらないと、窒息してしまうよ』って」
「そしたら、怒鳴られたのか?」
「いや。哀しそうな目で見られて『子供のためには鬼になるの』っていわれて、何も言えなくなってしまったんだ。だから、正確には小さい皮肉はいうけど、その先が言えなくて」
「わかった。お前のぐちはもう良い。先」
 警部が興味なさそうに顎を動かした。 

 このノートは、昨日、と言っても三時間前だが、細田家のお手伝いさんが、掃除の時に発見して警部の所に持ってきたものだ。
 そして、昨日の夜の十時から、僕と警部は、小諸署の一室にこもって、現在に至るまで延々と議論をしていた。すでに三時間あまりも同じ顔を見ていることになる。
 その間に、僕の祖母ちゃんが、ニ回ほど捜査本部に乗りこんで来た。「児童虐待だから、すぐに返してくれ」と言って。
 だが、僕は、自分から、追い返した。
「これは僕の仕事だから、余計な口は挟まないで」と。
 祖母ちゃんに向かってタンカを切った時に、ちょっとカッコ良過ぎるかな、と思った。
 案の定、そのタンカで、余計、警部は僕に不信感を持ってしまったらしい。
 
   2

 時間を追って説明しよう。
 ノートが届けられる前まで、僕らは、第二の事件――湯西さんの偽装溺死事件――は、母親を殺されたと思った勇気が復讐をするためにでっちあげられた、と考えて納得していた。
 だが、このノートには「お母さんが嫌いだ」と書いてあった。
 それを見てから、僕の謎解きは間違いだと言う刑事が増えた。
 如月警部も最初はそう言った。
「俺は、一週間前からあの謎解きには疑問を感じていた」とまで言った。
 僕は頭に来た。
「じゃあ、なぜ、菅平で謎解きをした時に、僕の推理に反対しなかったんだよう?」
 そう聞いたら、シレっと応えた。
「そりゃあ、オメー、その推理が一番単純でわかり易いし、それに、報告書に書きやすいからだ」
「酷いなあ。それだけの理由で、誰も反対しなかったの?」
「当たり前だ。刑事は忙しいんだ。報告書なんか、さっさと書いて、次の事件に着手しなきゃならねえんだ。それなのに、『中学生の小林星矢はこのようにすっきりと謎解きをしましたが、警部である私はそうは思いません。人間の心は複雑で、一重ではありません。確かに勇気は母親を殺されたと思って、一時は湯西を殺したいほど憎んだかもしれません。ですが、人間は怒りだけで殺人を行えるような単純な動物ではありません。だから、白樺湖の溺死偽装事件には、もう一人の犯人がいるかも知れません。ですが、非常に忙しいので、それを調べる時間はありません。あしからず』、なんて、書けるか?」
 
 整理をしよう。警部の主張はこうだ。
 僕の謎解きは一応は正しい。だが、そこに、もう一人の別の人間――つまり僕――が介在している。
「いいか。俺は小林星矢探偵の推理をくつがえすつもりはない。確かに、母親を殺されたと思った勇気は湯西に復讐をしようと思ったのだろう。でも、それを一人では実行できなから、一番親しい人間、つまり、お前に相談したんだ。お前は刑事ではないから、捜査をする必要はなく、けっこう勇気の側にいたしな。お前は悩んだ。このままでは、勇気は復讐の鬼になって、何も手につかなくなる。そうしないためには、自分が復讐したように見せかける。その様子を見て、勇気は復讐が済んだと、安堵するだろう」
 警部は、そこで大きく踵で一回転し、飲みかけの、冷めたお茶を一気にあおった。
「おっと、少し違うか? お前さんが、泣いているの勇気を見て、色々と話しかけたんだ。そして、勇気が、湯西を殺人犯だと思っていると知ってびっくりした。つまり、勇気の勘違いだ。湯西が母親に毒入りの注射器を渡したと思っていたことだ。その頃、細田婦人の死因は血液型の不一致だと医者が断言した。でも、勇気の勘違いを訂正するのは難しい。血栓なんて小学校一年生には理解不可能だ。で、いくら説明しても、理解できないのなら、そのまま放置しているのと同じだ。放置していたらどうなる?」
「まあ、勇気が自分で復讐をするでしょうねえ。例えばナイフを持って、突っ込んでゆくとかね。普通なら」
「そうだ。だが子供が大の大人に適うわけがない。でも、勇気の気持ちをすっきりさせないと勇気はノイローゼになっちまうかもしれない。そこで、お前さんは、赤坂婦人と相談して、あの湯西の偽装溺死事件を考えだしたんだ」
「その推理だと、赤坂婦人も僕と同じことに勘づいていたことになるね」  
「そのとおりだ。赤坂婦人は、最初からの首謀者だ。だから、すぐにお前の意見に同調した。だが、実際に白樺湖の脇で湯西と喧嘩の演技をしたのは、オメーだ。オメーは刑事ではないのだから、抜け出す時間はいくらでもあった。それに間違いない」

 警部は主張し出すと頑固だった。痴呆老人のように、同じ事を何度もくりかえして、僕をウンザリさせた。
 ぼくは、最初は否定していたが、早く家に帰りたかったので、少しつきあってあげることにした。
「じゃあさあ、仮に、僕がその溺死事件を主導したとして、それと、このノートとどういう関係があるの? 言い代えると、わざわざ一週間後になって、勇気の筆跡を真似て、勇気のノートにそんなことを書いて、何の意味があるの?」
 警部は俄然、はりきって、目を輝かし始めた。
「良くぞ聞いてくれた。それはだ、お前を脅迫するためだ。菅平でのお前の推理は間違いで、溺死偽装事件の犯人は勇気ではない、それを主導したのは赤坂婦人ではないと、主張するため」
「……」
 黙って溜息をつくしかなかった。

   3

「あのさあ、もう一度聞くけど、赤坂オバさんが、一週間も経って、なんで僕が犯人だなんて、告発しなきゃならないの? あれは、偽装事件で、正確に言うと、誰も犯人じゃあないし。百歩譲って、僕が第二の事件に関与していたとしても、湯西さんは生きているんだから、問題ないじゃない」
「バカを言え。それは、お前さんの側の理論だ」
「は?」
「だからあ、勇気の立場に立ってみろ。確かに、お前さんはカッコよく謎解きをした。それを赤坂婦人にも連絡したんだろう。これで暫く逃げていて、勇気の心が落ち着いてから三人して姿を現せば、事件として扱われることもなく、勇気も復讐鬼になることもなく、全てが上手くおさまるって」
「だって、そのとおりじゃないか」
「確かに。赤坂婦人も、最初はそれに賛成した。だがだがだがじゃ。二日三日たって、それでは勇気が殺人犯にされてしまうと気がついたんだ。湯西が警察に電話して生きていると証言しない場合だ。問題は勇気だ。勇気は、本当に湯西が溺死したと思って、精神に変調をきたしてきたに違いない。赤坂婦人は困って、あれは偽装溺死事件だと、勇気に説明したんだろう。勇気を復讐鬼にしたくなくて仕組んだお芝居で、湯西が生きていると言ったに違いない。だが、勇気の心には、トラウマが発生してしまって、いくら、赤坂婦人が説得しようがダメだった。おまけに、理由はわからんが湯西と連絡が取れない」
 随分、ご都合主義の推理のような気もしたが、一応最後まで聞くことにした。
「そこで、板ばさみになった赤坂オバさんは考えたの? このノートがきっかけで、事件が再調査され、僕が犯人だとなれば、僕は逮捕される。そうすれば、湯西さんは、生きていることを証明するために、僕らの前に現れなきゃならない。そうすれば勇気も納得するって」
「よく出来ました。つまり、お前さんを、俺に逮捕させるために、赤坂婦人はこのノートを書いて、細田家のリビングにおいた」

「待ってくださいよ。もう一度整理するけど、警部は、僕が、捜査の隙を見て、赤坂おばさんと共謀して、勇気と湯西さんを白樺湖まで連れ出して、溺死にみせかけた事件を仕組んだって、言ったよね」
「そうだ」
「すっごいなあ。溺死事件まで、たった二日だよ。もしその考えが本当なら、たった二日の間に、僕らはあれだけの筋を考えて逃げ回っている湯西さんと勇気を説得した。さらに捜査の隙を見て菅平を逃げ出し、溺死偽装事件を実行して三人を逃がしたってことになるんだよ。たった二日でそこまでできるなんて、僕は天才だなあ」
「茶化すんじゃあない。推理好きで、いつも江戸川乱歩とか甲賀三郎とかを読んでいるお前さんなら不可能ではない。何しろ、二日もあったんだ。その間、捜査陣は証拠集めや聞きこみに忙しかったが、お前さんが何をしていたかは、殆ど記憶にない。確かに最初の一日は身代金運搬の報告書を作るんで部下と一緒にいたが、二日目は、姿を見ない時間が多かった。半日くらい抜け出しても誰も気が着かない。おまけに、赤坂親子と勇気も、初日に事情聴取を終え、その日の夕方には小諸に帰っていた。だから、作戦を練り実行する時間はたっぷりあった。そうだ。第二の事件は、全てお前の計画に違いない。だからこそ、菅平署で、あれだけ見事に謎解きができたんじゃ」
 警部が確信に満ちた目で僕を威嚇した。
 ――勝手にしてくれ。
 
 と、まあ、ここまでは、二回ほど行われた議論である。最初は警部の針の穴を突くような推理に、完敗であったが、今は三回目。 ここまできて、ようやく、その推理に欠点があることが見えた。
 なので、僕は反論に入った。
「判った。警部の鋭い推理力はよーくわかった。で、仮にそれを認めるとして」
 ――ああ、今日で何回目の台詞だあ。
「なぜ、その日記が細田家のリビングに置いてあったんですか?」
「だから、いくら、母親の復讐と言っても、このままでは一生姿をくらまして生きさせるのは不憫だ、と赤坂婦人が思ったからだ」
「ああ、そうか。そう言えば、そうだ」
「白々しい顔をするんじゃない」
「すんまへん。これは地顔です」
「ふん。口の減らない奴だ。先へゆくぞ。数日前、赤坂婦人からこっそりお前さんに連絡がきた。内容はこうだ――この前聞いた筋書きだと、勇気が殺人犯にされているようだけど、実際にあの筋書きを考えたのは星矢君だよねえ。白樺湖のほとりで喧嘩をしたのも星矢くん。管理人がくるのを見計らって演技をしなきゃならないから、管理人がどの辺を歩いているかを手旗で教えたのは勇気。当然、君にもアリバイはない。そこで、警察に行って、『湯西を突き落としたのは星矢君です』と言ったらどうなるかしら? 充分に筋道の通った謎解きになるわよねえ。そしてこのまま湯西さんが現れなければ、最悪あなたは――。とな」
「待って下さいよ。言うにことかいて、今度は僕が殺人犯ですか? 洒落にもならないなあ。もっとも偽装殺人だから、殺人犯ではないか? まあ、どっちもでいいや。でも、仮にそうだとしても、それと、日記を細田家に置くことと関係があるんですか? 直接警察に持ち込めばよいじゃないですか」」
「そうや。やっと、最後にきたな。お前は、赤坂婦人から電話で以上の内容を聞き、これはヤバイと思った。赤坂婦人は、もっときつい言い方をしたのかもしれない。今すぐにでも警察に行って本当のことを話すと。その際に、勇気が本当は母親を恨んでいたと証言する必要がある。だから、この日記も提出する。警察に見せたら、警察の心証を悪くする可能性はある。だが、殺人犯として逃げ回るよりはましだ」
「待ってくださいよ。肝心の問題。何で、細田家のリビングに置かなきゃならにんですか? 今の推理なら、直接警察に提出したほうが」
「まあ、待て。普通はそうだ。だが、実際はそうではなかった。本当はこうだ」
 警部がかなり長い間をおき、きざったらしく喋り始める。

   4

「赤坂婦人が電話をしてきた時、お前はヤバイと思った。だから、日記を提出する前に読ませてくれと頼んだ。赤坂婦人も一応OKした。で、こっそり会って読んだ上で、こう提案した。『前の推理は間違っていた、と警部に話します。偽装溺死事件では、別の推理をします』とな。何しろ、”勇気が復讐した”と言っているのはお前さんだけだからな」
「待ってくださいよ。別の推理といっても、今度は誰が犯人だと言えばいいんですか?」
「そりゃあ、お前、体が細くて比較的背の低い人間なら誰でも良いだろう。菅平で勇気と話す機会のあった人間。悔しい気持ちを聞けた人間だ」
「はいはい。じゃあ、仮に、百歩譲ってそこまでは、認めるとして、体が細くて比較的背の低い人間て誰ですか?」
「誰でも良い。沙耶君でも誰でも。菅平の現場から抜け出す時間のあって、細い人間ならな。しかし、あれは勇気をノイローゼになるのから救う唯一の手段で、おまけに偽装事件だった。実際に湯西は死んではいない。だから情状酌量をお願いします、と訴える」
「すごい推理ですねえ。でも、僕なら、こんな勇気に不利な日記を細田家のリビングに置かない」
「そうだ。そこが問題だ。だが、赤坂婦人が書いたことまでは意見が一致したな」
 警部が嬉しそうににんまりと目を細めた。誘導訊問に成功した時の目だ。
 僕は、慌てて大きく両手を振る。
「もう。待ってくださいよう。意見が一致してはいないですよう。仮に仮に、を重ねた末の話ですから。僕は認めてないですよ」
 とは言いながらも、日記を書いたのが赤坂オバさんであるのは間違いないだろう、と感じた。
 認めたくはないが、現時点では警部の推理は筋が通っている。
「ふん。口の減らない奴だ。まあ良い。で、さっきの続きだ。実際はこうだった――赤坂婦人と密会したお前は、別の推理をすると断言した後、日記を預かって、次のように思った――こんな日記を見せたら、勇気のイメージが傷つく。たとえ母親を憎んでいたのが本当だとしても、映画の主役を獲得できるかどうかの瀬戸際にあるんだから、こんな日記は出さないほうが良い――とな。つまり、お前さんはこの日記はこっそり捨てる気だった」
「じゃあ、なぜ捨てなかったんですか?」
「だから、忘れたんだ」
「は?」
「だから、細田家で赤坂婦人と会ったのは、多分、今朝の早朝だったのだろう。で、こっそり会ったのだから、誰かが入ってきて、逃げ出さなければならなくなった。それで、忘れた」
「あのねえ。杜撰もよいところ。それに、最初の主張と違っているし」
「どこが?」
「だから、赤坂婦人が置いたって点ですよ」
「あ、そやな。その点は修正じゃ」
「本当にもう」

 僕らは暫く黙って別々のほうを見つめていた。赤坂オバさんが日記を偽造した点までは合意していたが、その先は、合意していなかった。
 どうやって、相手を打ち負かすかを考えていたのだった。
 しかし、僕が反論を開始する前に、ドアがノックもなく、いきなり開かれた。
「警部。大変です。上田署内で殺人事件と立てこもり事件が発生して、犯人グループが交渉人として、星矢君を指名しています」
 僕らは、今度は別の意味で黙って目を見合わせた。
「どういうこった? なんで、もっと早く知らせなかった」
「さあ。うちの署に連絡があったのが、今なんで」
「何で、僕が?」
 狐につままれたような。
「さあ。立てこもり犯人の関係者なんじゃないですか?」
 若い刑事が、シレッと失礼なことを言った。
「あのねえ」
 殴ってやろうかと思って手を振り上げた僕のすぐ隣で、警部が空気を震わせて立ちあがった。
「ああ。どいつもこいつも役たたずでよう」
 足音も荒く、警部は部屋を出て行ってしまった。巨像の行進みたいだった。
 僕は、仕方なく椅子から腰を上げた。しかし、その時ふと、窓の向こうで何かが動いたような気がした。
 窓から飛び出して、懐中電灯で叢を照らして見ると、長い髪の毛が落ちていた。
 それを見て、思わず呟いた。
「細い人間って、本当に沙耶さんなの? 二日もあって、散らばって捜査していたんだから、アリバイなんてないし。それに、背の低いってのは、遠くからみた管理人の印象だから、その時だけ腰を曲げれば良いし。それにそれに、実際僕は無関係なんだから。おまけに、警部の推理だと、もう一人の協力者がいて管理人の動きを監視していたということになるが、そっちの仕事を勇気がやったかもしれないし」
 知らず知らずのうちに暗闇の中を歩き回っていた。動いていたほうが推理がまとまり易いからだ。
「そうだ。沙耶さんは、勇気が確保された後、長く、一緒にいたし。それに、あの焦点の定まらなくなった眼をみていたら、同情しないほうが無理だし。僕だって胸が潰れそうだったんだから。それに、刑事なら、裏づけ捜査だと言えば、いつでも細田家のリビングに忍び込めるし」

***ここで5回目、6回目に続き、三度、読者、乱入***
 ネット回廊の中。
読者A。「これはまた白々しいミスディレですなあ」
読者B。「星矢の独白の部分が長すぎる点ですな。地の文にしてないことが、ミスディレだと白状しているようなもんだもんな」
読者C。「どういうこと?」
読者A。「だからあ、一読すると、沙耶さんが犯人のように思えるだろう?」
読者C。「はい。そんで、そこまでがミスディレだというのはわかります。その先が」
読者B。「沙耶さんがミスディレの場合だけど、次のステップに行って、じゃあ、犯人は誰かってことになるわなあ」
読者C。「はい」
読者A。「そこで、普通は、読者はアクロイドを疑うんや」
読者C。「ああ。主人公が犯人ってやつですね」
読者B。「そや。その場合、地の文で嘘があってはいけないのや。だから、『細い人間云々』の文章を地の文で心象で書いてしまうと、嘘になるんや。だから、わざと、「」の中にいれたんや。「」の中なら、いくら嘘をついてもいいんや」
読者C。「じゃあ、最終的に、星矢が犯人? 湯西が連絡が取れないって記述もひっかかりますもんね」
読者A。「いいところに気がついたねえ。と言いたいところだが、湯西は、白樺湖の管理人に通報しているから、少なくとも白樺湖の泥の中に埋まっている可能性は低い」
読者B。「わかりませんよう。警部の推理では、第二の事件には、星矢君か、あるいは、第四の人間がいたようですから、その第四の人間が管理人に通報すれば、湯西は泥の中に埋まっていても不都合はない」
読者あ。「まあ、湯西の件はそのうち出てくるだろうから放っておいて、さしあたって、アクロイドにはしないと思うな。そのくらいは大半の読者は読むから、アクロイドじゃあ、作者の負けじゃ」
読者B。「となると、細い人間は誰でしょうかねえ? つうか、作者の性格からして、誰に定めるでしょうかねえ?」
読者A。「磯田の風貌の記述がないから、磯田にするかも。でも、アバウトなB型だから、磯田の風貌がないのは、単純に書き忘れたのかもしれないが。それに磯田じゃあ、面白くないし」
読者B。「意外と、色々と考えた挙句、やはり勇気だったなんてことになるかもな。少なくとも、警部は、星矢か勇気を視野に入れていると思う。でも、本当に湯西が死んでいたら、問題だし」
読者A。「多分、死んでいると思わせて、最後にひょっこり登場させるとか」
読者B。「B型の作者だもんな。多分、その程度の単純な」
ビシ。
読者C。「誰や?」
作者。「わてや。作者や」
読者A。「お、またまた出てきましたねえ。絶対に出ずにはいられない性格だから、いずれは、と思ってはいましたが」
作者。「煩い。わては、今度こそは際物(きわもの)でのうて、正統的な本格推理を目指していたのに」
読者B。「ま、無理でしょうが。ところで、溺死偽装事件で、第四の人間は誰にしようとしているんですかねえ?」
作者。「そんなの、まだ考えとらんわ」
読者A。「まあ、作戦的に考えて、心では決まっていても、教えられないというところでしょうか?」
作者。「誰に向かって喋ってるんや」
読者C。「まあまあ、オタクに向かって怒っても」
読者A。「誰がオタクや」
ビシ。ビシ。
作者。「へへへ。読者同志が殴りあいを始めたで。わてはすっきりしたので、バイバイじゃ」
読者。「あのなあ」
***************

   5

 三十分後。僕らは、上田の繁華街の東の端に位置する、信州大学繊維学部の前にいた。
 信州大学は松本にもあるが、繊維学部関係は上田にかたまっている。
 広い敷地には、林と池と、あちこちに点在する校舎や、講堂、養蚕試験場などが見えた。
 講堂の前に、十数名の警官が盾がわりのトタン板をもって並んでいる。
 講堂の中からは煌々と明りが漏れていた。
 講堂は、薄いピンク色の瀟洒(しょうしゃ)な建物で、横方向に板が張られ、三角屋根のついた縦長の窓が並んでいる。
「講堂を占拠した犯人と要求は何であるか、はっきりしておるのか?」
 レンガ製の門柱のすぐそばで警察車両をおりた警部が、周囲を見まわしながら、ポケットの中から”いこい”を取り出し、ボンネットの上でとんとんと落とした。
 両切りたばこだから、こうしないと、口の中に葉っぱが入ってくるのだ。
「犯人たちは、唐松林組の連中ではないかとの情報が入っています。信州大学の外の道に車が乗り捨てられていて、それには唐松林組の紋がありましたので。それで、要求は、ただ、小林星矢を呼べと」
「ほう。さっきよりは少し進展したか。まあ、上田の所轄も手をこまねいていただけじゃねえんだな。よーし、では、相手がはっきりしたところで、星矢、お前、交渉に行け、と言いたいが、ここは本当に立てこもり犯のいる現場か?」
 警部がタバコの先で講堂を指した。
「中をみたところでは、映画の撮影をしているとしか思えないが」
 警部がこっちを向いて意見を求めた。
 確かに、講堂の中には、黒い忍者の衣装を着た人間が手をつないで、一列に立っているだけだ。
「全員が黒の忍者衣装ですよねえ。あれじゃあ、誰が犯人か区別がつかないですが」
 僕も同意した。
「それなんですが」
 向こうから歩いてきた上田署の男が敬礼しながら口を挟んだ。
「ご足労かけて申し訳ありません。上田署の谷村と申します。今夜は他にも事件がありまして、上の者がおりませんので、警部補ですが今まで現場を取り仕切っておりました」
 谷村警部補は、三十ちょい過ぎの、エリートコースを目指している感じの男だった。
「これまでの経緯を説明いたします」
 谷村警部補が黒いメモ帳をめくった。
「最初に上田署に、信大の繊維学部で立てこもり事件がおこったらしいとの通報があったのが今から一時間前です。付近の住民が騒ぎ声とどたどた走る足音を聞いて通報してきました。歩きながらご説明します」
 如月警部に軽く合図し、先に立って案内を始めた。
「一時間前というと、深夜の一時頃ですね」
 小諸署から同行してきた磯田警部補が後ろから声をかけた。
 因みに沙耶警部補は、出かける前に小諸署中を捜したが、姿が見えなかった。
「そうです」
 谷村警部補が、自分の隣を歩く如月警部から視線を逸らさずに応える。
 自分と警部以外はなきに等しいと思っているようだ。
 中々出世欲の強い奴だ。
「我々は通報からほどなく、ここに急行してきました。おそらく十分とは経ていなかったと思います。ですが、その時はすでに、今の状態になっておりました。つまり、忍者姿の若者が十名ほど、手をつないで窓の向こうに立たされておりました。その後ろには、同じ黒装束の人間が数名、銃をかまえて身構えておりました」 
 そこで谷村警部補は、手帳の間から折りたたんだ一枚の紙を出した。
「これは、最初に犯人側から出された通達書です。すでに指紋採取は済んでおります。窓の間から外に投げ出されたもので、野次馬の一人が拾っており、我々が到着すると渡してくれました」
 警部は軽くメモに目を通し、僕に投げた。
 中には次のように書いてあった。
『我々は小さい要求を満たすために、止むを得ずこんな手段に出た。これから数時間、講堂に立てこもる。ここに侵入した時、中で眠っていた学生たちには申し訳ないが、人質になってもらった。それから、人質、全員に忍者の格好をさせた。これで我々と人質の区別がつかないはずだ。我々の要求を無視して突入したら、自分たちの手で人質の命を奪うことになるかも知れない。注意せよ。それから交渉人として小諸署にいる小林星矢を呼べ』
 メモを磯田警部補に回し、講堂の前まできた。
 講堂の正面には丸い時計があり、女子が可愛いと叫びそうな玄関だった。
「忍者ごっこなら、飛び道具を持たないでやってくれって言うんだよなあ。あいつら本気で立てこもるとほざいてるんかいのう?」
 呆れ顔の警部が、タバコを捨てて、大きく伸びをした。
「というよりも、本物の拳銃でしょうかねえ?」
 磯田警部補が茶々を入れた。
「それは、本物です」
 谷村警部補が窓の一箇所を指した。
 そこには明かに銃弾が貫いたと思われる穴が二つ開いていた。
「我々が到着して、すぐに、中から銃声が聞こえ、あの穴が開きました。そこで、我々は接近するのを中止し、今のラインで立ち止まったわけです。それとほぼ同時に、信大の南側に住む住民から、黒塗りで紋のある車が乗り捨てられているとの情報があり、調べたら、唐松林組の紋でした。正確には、半年前に唐松林商事と改名したようですが」
「それにしても、約五十分も前に、おたくらは到着していたわけですよねえ。何で、うちの署への連絡が、こんなに遅れたの?」
 プライドのぶつかりあいからか、磯田警部補が、異常に皮肉っぽい言葉で質問をした。
「ですからあ、それは、我々だって、手をこまねいていた訳ではないですよ」
 顔を十五度だけ後ろに向け、視線だけはきっちりと如月警部に定めた谷村警部補が声を尖らせた。
「我々も最初は、自力で交渉をしようとしたんです。組長、いや、現社長とは、祭りの度に何度か顔を合わせておりますので。ですが、社長は、こう言ったんですよ。『足抜けした奴らのことなんぞ、わしは知らん』とね」
「足抜けした奴らって?」
 僕は思わず口を挟んだ。
「四名ほどが退職届を出していたそうです。正確に言いますと、四時間ほどまえに、社長が仕事先から事務所に帰りますと、社長の机の上に『これから組に迷惑のかかることをしでかすんで、退職します』と書かれた紙が置いてあったそうです。四人の連盟だったそうです。社長は、どうせ、花札賭博でもするんだろうと思って、放っておいたそうです」
「で、君は、自分で交渉しようとしたが、五十分たっても埒があかないんで、小諸署に連絡してきた訳だ」
 如月警部が二人の警部補の喧嘩をおしまいにするように、大きい声で断言した。
「ええ、まあ。人質に万一のことがあってもいけませんし」
 谷村警部補が口を濁すと、講堂の後ろの建物のほうから、一人の刑事が、紙を持って走ってきた。
「警部補、第二の通知書が落とされてきました。後ろの会館の二階からです」
 講堂の後ろには、同じ造りの薄ピンクの建物があった。講堂よりは一回り小さい。
 そちらの前にも数名の警官が警備に当っている。会館の後ろは塀である。
 塀の向こうからは、野次馬のざわめきと、警官の声と、『車に触るな』と叫ぶ声がしているので、道路にも警官は配備され、犯人の車の捜査をしていると思われた。
 刑事が紙を谷村警部補に渡そうとすると、如月警部が横から奪い、懐中電灯の光がそこに集中した。
 警部はすぐにそれを僕に渡した。二人の警部補の頭も近寄る。 
 犯人からの第二の通知書には、次のように記されていた。
『小林星矢は到着したようだな。すぐにこの紙を渡せ。要求は真田家の隠し財宝の場所を記したメモだ。お前が花田英次郎から預かったものだ。あの地図は、我々がなけなしの金をはたいて坂之上秀忠から買ったものだ。したがって、正当な所有者は我々だ。即刻引き渡すことを要求する。小諸署にいる花田英次郎は、星矢に渡したといったが、もし、花田英次郎が嘘をついているのなら、花田英次郎もここに連れてこい。私の前で決着をつけさせてやる。仮面の忍者赤影
仮面の忍者赤影ですか。こりゃあ、やっぱり、遊ばれたかな?」
 僕の鼻先で、二人の警部補が、プッと噴出した。
「そうだ。赤影とはなあ。星矢、一つ、お願いしてもよいか?」
 警部までもが、前に最高に歪みを持たせた唇を突き出した。
「お、お願いって、何ですか?」
 僕は、反射的に退く。
「だから、お前さんを、殴ってよいか?」
「ま、待ってくださいよ。これは、お遊びなんかじゃないですよ」
 僕一人だけが、真っ青になっていた。
「だ、だって、これは、姐さんですよ。ある小説家と一緒に駆け落ちをした、唐松林組三代目姐。唐松林マリさん。通称カラマリ姐さんです」
「何で、そんなことが判るんだ?」
「だって、仮面の忍者赤影の話をしてあげたのが、僕ですもの。っていうか、小さい頃、遊び相手がいない時に、よく遊んでもらって、その時、二人で仮面の忍者ごっこをしたんですよ。で、カラマリ姐さんの好きなのが、赤影で、仮面舞踏会に出るような赤い目の回りだけのマスクと、赤いマフラーをするんですよ」
 そう叫んで、会館の二階を見上げると、そこには、確かに、赤いマスクと赤いマフラーをした仮面の忍者赤影の姿があって、僕に向かって、軽く手を振っていた。(続く)

作者注・この小説は架空のものであり、登場する団体や名称は現実の物とは関係がありません。次回こそは、上田城での殺人事件と、真田家の隠し財宝を巡るストーリーに発展させる予定。