『昭和探偵伝第二部・心の中・第四章』10回目

『昭和探偵伝第二部・心の中・第四章』10回目
第一部・絆の内容
 昭和三十二年、十月四日、午後九時。僕(小林星矢十五才)は、小諸、懐古園脇の叢で死体(坂之上秀忠)を発見した。ヒデさんと兄の恭介さんに報せるが、ヒデさんは死亡推定時刻の前後に現場にいたことが判明し、逮捕される。ヒデさんは死体の財布から真田家の隠し財宝のメモを盗んだ。逮捕の前に僕に渡したと、周囲の人間には話した。
 一方、友達の細田勇気(小学一年)の母親が、子供を映画の主役にしようとして、"狂言誘拐"をする。僕は、途中で犯人役になって無線を打つ仕事を押し付けられ、身代金運搬車に同乗させられ、善光寺まで連れてゆかれる。
 善光寺で一波乱あった後、細田家の別荘で勇気は無事に発見される。だが、不幸な事故があって――狂言誘拐がまずい方向に転がり、世間からバッシングされるのを怖れた細田オバさんが、自分の指を切断。その後、勝手に輸血をし、血液型の不一致で、血栓ができた――、母親が死ぬ。
 しかし、不幸は続いた。勇気が湯西さんを溺死させたらしい、との情報が飛び込んできた。身代金運搬車の中で眠っていた勇気が、湯西さんの渡した注射器に毒が入っていて、それが原因で母親が死んだと考え、復讐に走ったらしい。
 つまり、勇気は、もう一人の共犯者、赤坂オバさんと一緒に、白樺湖で湯西さんを突き落としたらしい。だが、勇気の心情と、湯西さんの無実を知っている赤坂オバさんが、黙って復讐に協力するはずはない。それでは、みすみす勇気を殺人犯にすることになる。なので、勇気には復讐が済んだと思わせ、湯西さんはこっそり逃がした可能性もある。三人は消えたまま。

第二部・第一章
 一週間後。勇気の日記が出てきた。母親が嫌いだと書いてあった。事件解決から一週間後の出現である。如月(きさらぎ)警部は、日記を書いたのは赤坂オバさんで、書いた理由は、僕へのあてつけだと主張。つまり、湯西さんの偽装溺死事件において、主導権を握っていたのは、勇気に同情した僕であり、このまま湯西さんが姿を消した状態である以上、勇気が本当の犯人にされてしまう危険性がある。
 今は精神不安定で逃げ回っているが、このままでは家に帰れない。そこで、僕が主導したことを告発するために、赤坂オバさんが、日記をこっそり細田家に置いた。中には勇気の心の底――母親が嫌いだった――まで書いてある。だから、勇気が湯西さんを殺す動機も生まれない。
 僕は反論したが、信大の繊維学部(上田)で立てこもり事件が発生し、議論は中断。僕は偽装(多分)溺死事件の主導権を握ったのは沙耶警部補ではないかと考える。
 第ニ章
 信大の繊維学部に行くと、カラマリ姐さんとその部下が講堂を占拠していた。要求は次――坂之上秀忠から買った真田家の隠し財宝のメモをよこせ。自分も二年前に金を払ったが、一部を渡され逃げられた。ヒデが盗んだ資料は自分のもの。それを持ってくるか、ヒデを連れて来い――。
 僕らは小諸署に戻り、ヒデさんと兄の恭介さんから、地図と資料についての話を聞く。坂之上は天才的な詐欺師で、上田城の歴史を調べ、あちこちに隠し財宝があると推理し、その情報をかなりの金で売っていた。恭介さんも詐欺にひっかかって多額の金を取られた。坂之上の殺害では、恭介さんも動機がある。それは後で調べるとして、上田に帰ろうとしていると、新たな情報が入る。上田城跡の西櫓で死体が発見された。被害者は、二年前にカラマリ姐さんと駆け落ちをした相手で、第一発見者の証言では、ダイイング・メッセージは、「カラマリに謀られた」だった。

第三章
 第一発見者の証言――被害者は深夜の三時半ちょっと前くらいに西櫓に入った。三十分後くらいにカラマリが入って、出た。すぐ後に入ると首をナイフで突いて瀕死の状態だった。自分はマフラーなどで止血して警察を呼んだが、到着した時は死んでいた――。ナイフを握る被害者の手にはカラマリの指紋あり。小諸署にはすぐに電話がきたので、警部と僕と恭介さんは猛スピードで上田城址まで車を飛ばし、四時半すぎには到着した。警部は、発見者の嘘を見抜き、真実は次であったと推理――発見者は、被害者が西櫓に入ってからすぐに異変を察知して中に入った。被害者に『いつもの狂言心中だ』と言われて外に追い出された。カラマリが入って出た時も中を覗いていたに違いない――。しかし、発見者は、『被害者に頼まれた』というのみ。一方、信大からは、ヒデさんとカラマリが睨み合っているとの情報がくる。

第四章

   1

 時計を見ると、朝の五時を大きく回っていた。
 僕と恭介さんは上田城跡の西櫓の一階に下りてきていた。
 如月(きさらぎ)警部は、一階の隅で、第一発見者と睨み合っている。
 周囲と中には捜査員が沢山かけつけ、被害者の遺体が運び出されようとしていた。
 僕は、恭介さんに、ヒデさんが小諸署を逃げ出した事情を聞こうと思ったが、目配せで、事情を悟った。
 多分、小諸署から出る時に、部下に留置場に戻すように頼んだんだろうが、その時にこっそりナイフでも渡したに違いない。
 ヒデさんは血の気が多いから、同じく血の気の多いカラマリ姐さんを説得するには最適の人間だ。二人なら、阿吽(あうん)の呼吸で、互いの考えが分かる。
 ヒデさんは、渡されたナイフを有効に使い、小諸にいた刑事を脅して車を出させたに違いない。
 僕は、膠着状態の続いている西櫓から恭介さんを外に誘いだした。
 外はまだ暗い。懐中電灯の光が走り、所轄の刑事たちが走りまわっている。
「あのう、ヒデさんなら、カラマリ姐さんを説得できるだろうと、恭介さんは思ったんだろうけど、大丈夫かなあ」
 思いきって話しかけた。
「ほう。お前さんは、ヒデにカラマリが説得できると思っているんかい?」
 皮肉な目が返ってきた。
「いや。だってそうとしか思えないもん。それに、小諸署からヒデさんを逃がしたのは恭介さんだろう? あの二人は思考が似ているし……」
「へいへい。俺はだーれも逃がしちゃいねえし、ヒデが説得なんつう上等なことをできるとは、夢にも思っちゃいねえぜ」
「じゃあ、ヒデさんを逃がしたのは誰?」
 ――警部だ。
「そりゃあ、俺以外の人間としか言えねえが、逃がした理由は、察しがつく」
 恭介さんが、皮の手袋をしつつ咥えタバコのまま歩きはじめた。立ち止まったままだとかなり寒い。
「あいつら、血の気が多い。エネルギーは余っているし、果し合いでもすりゃあ、熱が冷めるって、思ったんだろう。逃がした誰かさんは」
「じゃあ、警部は、喧嘩をさせようと……」
「まあなあ。あいつらは血を流したほうが普通になるってもんだ。いや、寒空の下で長時間睨みあえば、頭に上った血が下がるかもな」
「そんなあ、まずいよ」
「何が?」
「だって、大怪我をしたら大変だよ。二人とも刃物を持っているんだよ。すぐにでもかけつけないと」
 僕は食い下がる。恭介さんは、まだ半分もあるタバコを、口から落した。
「はん。大丈夫だって。喧嘩といっても、色々と方法があってな。おそらく今は、目と目で火花を散らしている最中だろうって」
「そう言われれば」
 睨み合ってる以外の情報はない。
「だろう。膠着状態は長く続くと思うぜ。二人の実力は互角だからなあ。それに、けっこう、あれは、疲れるんだ。全身の神経を目に集中させなきゃあかんからな。ほっときゃいいさ。そのうち、二人ともへとへとになって、草の上に座り込むって」
 ――何つう奴らだ。兄弟揃って。

   2

「それよか、お前さんは、憧れのカラマリ姐さんが駆け落ちした相手は、どんな小説を書いているか、知りたくはないか?」
「は?」
「だからよう、この二年間、先生は、何冊本を書いて、どれだけ売れたか、もしくは売れなかったかを知りたくはないか?」
 恭介さんは、僕に問い掛けているはずなのに、返事をまたずに、どんどん上田城址から外に向かって歩きはじめていた。
「それは知りたいけど。今は、どこへゆくつもりなの? 大体、そんなの第一発見者から聞けば良いじゃないか。樋口はおっかけだと言っているんだから」
 僕は、警部に断りもなしに外へ出ることが気になって、振り返りながら後を追いかけた。
 だが、恭介さんは、人の心配なんか何とも思っていない。すたすたと上田城址から外の町に出てしまった。
「はいはい。お前さんは、おめでたいね。『先生には僕という人間がありながら』なんてのたまうクレイジーなファンが、本当のことをいうはずねえじゃねえか」
「そりゃあ、まあそうだけど」
 ――確かに、志賀直樹は二年半ほど前に出した作品が売れたのを最後に、低迷してる。それ以降、新しい本の噂は聞いた記憶がない。でも、ニ年半前の本が映画化になるとかならないとかで、ニ回くらいは噂になり、その度に別の女優と心中未遂事件を起していた。心中未遂の話題が長期化したせいで、まだ映画化の可能性はあると報じられている。
 考え込んでいる間に、恭介さんはかなり先に行っていた。
 気がつくと、ある商店の前で立ち止まっていた。
 黒地に金と赤で名前を横書きにした、古本屋の看板が出ている。
「な、何をするんですか?」
「決まったことよ。空白の二年間の情報を集めるまでよ」
 恭介さんが、右手を肩の上まで上げる。
「待って下さいよ。まだ朝の五時すぎですよ」
「だから?」
「迷惑ですよ。このお宅だって、眠っていますよ」
「しょうがない。捜査の早期進展のためだ。睡眠不足はガマンしてもらおう」
 言うが早いか、恭介さんの皮手袋の右手が、遠慮なく波型トタンで補強したドアを叩きはじめた。
 三キロ先まで届きそうな金属質の音が暗闇に沸き起こった。
 一斉に周囲の家の電気が点く。
 僕は思わず耳を塞いで逃げ腰になった。
 当然、中から、怒鳴り返す声がすると思った。
 だが、案に反して、怒鳴り声はなく、ガタピシした戸が、勢い良く開いて、皺くちゃのお爺さんがにんまりとした顔を出しただけだった。
 ――知り合いか?
 そう思ったが、本屋の店主の反応は違った。
「どうも。お早いご来店で恐縮です。先ほどからお待ちしておりました。何でも被害者は志賀直樹だそうで」
「そうじゃ。お主も耳が早いのう」
 時代劇のノリの恭介さんが、敷居をまたぐ。
 中は煌々と電気が点いて、志賀直樹の本が数冊、急遽埃を払った平台の上に並べられていた。
「へい。もう、この一帯はその噂でもちきりでごぜえます。うちの茶の間も、近所の婆さん連中に占領されておりますわ」
 指を指された先を見ると、茶の間から台所から、勝手口まで、中年のオバさんやかなりの年の婆さんまでが、十名以上が、寝巻きの上に半纏(はんてん)を羽おり、目を光らせて集合していた。
「何しろ、数十年ぶりの殺人事件だもんで、みんな、興奮の坩堝ですわ。さすがに捜査の最前線だけあって、テレビ局の方々は来ておらんですなあ」
 店主の老人が、目を細めて笑った。金歯がギラリと光る。

   3

「これが志賀直樹の最新の小説か?」
 店主の雑談には興味を示さずに、恭介さんが冷めた視線を平台の上の本に落とした。
『灰と熾火(おきび)』と題されていた。
「暗いタイトルだが」
 恭介さんと僕が本を手に取るのももどかしく、店主が内容を話し始めた。
「よろめき小説ですから。と言っても、前のとはかなり趣向がちがってますわ。前回までは、よろめき物でも、駆け落ちや離婚前の話が多かったですなあ」
「そうです。そうです。亭主に知られないように、昼間、二時間だけの逢瀬をするんですわ。知り合いに見つからないように遠くまで行くんで、往復時間を差し引かなきゃいけんわ。だから、正味一時間だけの逢瀬に、心の底から燃えるんじゃわ」
「それに、誰にもみつからないように別行動をとりながら、生垣に隠れて曖昧宿(作者注・ラブホテルのこと)にはいるとか、そりゃあ、もうドキドキで」
「さいです。さいです。まるで『愛染桂』か、最近の『君の名は』に匹敵するくらいの切ない物語りですがな」
 茶の間にいる婆さん連中が、一斉に騒ぎはじめた。まるで、自分の経験のように。
「待ちーな。今話しているのは、わしじゃからに」
 店主が遮って、身を乗り出した。
「でもって、前回の作品は、志賀先生の最高峰と、評論家さんたちからも称えられたんですわ。そりゃあ、もう、会いたいのに会えんで、婆さん連中も皆、涙々で……。特に旦那が凄いでんなあ。妻の浮気に気がついているのかおらんのか、逢瀬の日となると禄でもない用を言いつけるんですなあ。それで、妻が『前から、同級会と言っていたじゃないですか』と抗議すると、何も言わんと、不気味に笑うんですわ。おお、それから、姑も、小姑も同じように、次々と邪魔をするですわ。こっちも、下らん用事を言いつけ、『先月も同級会だったわよねえ』とかほざくんですわ。まあ、毎回同じような言い訳しか考えられない主人公も少しバカですが」
「そこへゆくと、この作品は、ちいと物足りんですな」
 また、婆さんの一人が割り込んだ。
「左様。駆け落ちして、好きな人と一緒に住んでいたんじゃあ、ドキドキもはらはらもないわねえ。時々前の旦那が取り戻しにくる場面が興奮するくらいで」
「待って」
 再度、婆さんたちが、一斉に口を開きそうな気配に、僕は逸早く手を上げて制した。
「この書き出しは、カラマリ姐さんが僕に残した書置きとそっくりだ」
 最初の頁を読み、声を潜めて、恭介さんにだけ囁くと、恭介さんも頷いた。
「左様じゃ。先生は、前回の作品が良くできすぎて、燃え尽きちまったんだ。あれ以上の物が書けなくなっちまったんだ」
「そうか。それで、タイトルが『灰と熾火』なんだ」
 僕らは頷きあうと、軽く店主にお礼の視線を送って、そそくさと古本屋を出た。でないと、しつこく追いかけられそうだったから。

   4

「どうやら、今回の作品を書いたのは、カラマリだったようだなあ」
「そうですねえ。まるで、日記みたいだものなあ。あるいは、素人の作文か」
 僕らは上田城址に向かって歩いた。
「そうだ。主人公がヤクザの姐さんで、小説家と一緒に駆け落ちなんざあ、カラマリの体験そのものだ。まあ、駆け落ちした男女が両方とも結婚している設定じゃから、よろめき物と言えないこともないが」
 恭介さんが夜空に白い煙を吐く。僕も、数ページを捲って得た情報から、同じ感想を持っていた。
「それにしても、先生は、全然手を貸してくれなかったのかなあ」
「そうだなあ。まあ、小説の形にするくらいの協力はしたかもしれないが、基本的には投げていたんだろうなあ」
「投げて?」
「ああ。自分が最高峰まで行ってしまった後は、書けなくなると聞くぞ。前のを凌がなきゃいけないっつうプレッシャーでな。ならば、書かないも同じ。いっそ、下手なら下手で評判が落ちるし、それならそれで、逆にプレッシャーがなくなって楽になると思ったんじゃないか?」
「でも、この作品は、一読しただけで、志賀直樹が書いたんじゃないって分かるのに、何で出版社は出したんだろう?」
「そりゃあ、名前だけでも、ある程度は売れるからなあ。それにタイトルが『灰と熾火』だ。今は先生は『灰』かもしれないが、ここで赤字をガマンして繋いでおけば、そのうちに『熾火』として復活した時に、また自分の会社に原稿を渡してくれるかも、と計算したんだろうなあ」
「そんなあ、可愛そうに。カラマリ姐さん、きっと、必死に努力して書いたんだろうに」
 僕は同情したが、恭介さんは極めて冷たい目で見返してきた。
「逆にそれが、うざったくなったんじゃないか? 先生としては。人間つうのは、追いかけられると逃げたくなるものだから。それに、小説家として一回、大ヒットを飛ばして、その後スランプに陥って抜け出せないってのも、辛いらしいし。その辺に今回の狂言自殺、もしくは自殺の真の原因があるんじゃねえか?」
「じゃあ、恭介さんの意見では、志賀直樹は、カラマリ姐さんから逃れたくて、同時に今のスランプ状態から逃げたくて、狂言自殺をしたっていうの? でも、志賀直樹の手の甲にはカラマリ姐さんの指紋があったって言うし」
「まあ、その辺りの事情は、カラマリの口から吐かせれば良いがな。それより、今回の作品を書いたのが、カラマリだと分かった時点で、第一発見者の言葉は、別の意味があると判断せにゃいかんなあ」
 ――あ。そうだ。樋口は『先生は侍だ』と言ったのだ。まあ、自分の作品を宣伝するために首を切りつけるのも相当な覚悟が必要ではあるが。
「そうだ。樋口君のいう『先生』とは、カラマリの意味とも取れる。考えてもみろ。彼は、『自分は志賀直樹の物だ』といったり、カラマリを『あんな俗な女』といったりしていながら、最後には、『頼まれた』の一点ぱりだった。かなり混乱しておっただろう。その辺を全て加味して考えるに、俺の結論はこうだ」
 恭介さんが、ちょっと言葉を溜め、キザったらしくタバコの煙を輪にして空中に放出する。
「樋口君は、志賀直樹を小説の先生としてあがめていた。だが、自分は、スランプに陥った先生を救うことはできなかった。一方、素人でヤクザの姐さんでありながら、カラマリは小説家を支えようとして下手な小説でも書いていた。そういう意味から言ったら、人生の師でもあったわけだ。そうなると、彼の言葉――『カラマリに謀られた』といってくれと『先生に頼まれた』――、あれも、別の意味をもつことになる」
 ――そうだ。
「でも、そんなことって。そんなことって」
 僕はそれ以上が言えなかった。だが、日本全国を歩いて色んな殺人事件に出くわしている探偵さんは、さらりと言ってのけた。
「警部も言っておったが、三時半頃、第一発見者の樋口君は、小説家と直接会話をしているはずだ。その時に、『狂言心中だから黙って見ていろ』といわれた。と同時に、別の言葉も聞いているかもしれない。小説家の心情に関する根源的な言葉をな。ま、これは、あくまでも俺の勘だがな。一方、四時頃、樋口君はカラマリとも顔を合わせているはずだ。さすがに、カラマリが西櫓の中で、志賀直樹と会った時は見ていないだろうが、出てきた時には話もしているはずだ。そして、スランプに落ち込んだ小説家を支えていた姐さんに対しては、別の意味で『先生』と呼び尊敬していた。ならば、そこで、カラマリに、小説家の吐いた言葉を伝えないはずはないだろうし、カラマリが、それに対して、何らかの助言をしないはずもない」
「ま、待って。じゃあ、恭介さんは、『カラマリに謀られた』と言えと助言したのは、カラマリ姐さんで、裏にはもっと別な事情があり、小説家は別の言葉を吐いた、って言いたい訳?」
「まあな。そっちのほうがすっきりするからなあ」
「どんな言葉を?」
「さあな。ま、想像できないことはない。きっと、世間の連中が知ったら姐さんや人気作家の恥になるような言葉じゃねえの。言い代えれば、売上の落ちる言葉だな」
「待ってよ。待ってよ。言葉の問題は別にしても、もっと大事なこと、つまり、本当に志賀直樹を殺したのは誰?」
「だから、そんなのはあ、カラマリ本人に吐かせりゃ良いって。おっと、それより、車に乗ろうぜ」
 ちょうど上田城址まで戻ってきていた恭介さんが、お堀の側に停めてあった警察車両に無断で乗り込んだ。
 中には運転手の刑事が乗っていたが、恭介さんを知らないらしく、ギョッとした目で振り向いた。
「ああ。警部から伝言だ。我々を信大の立てこもり現場まで運んでくれたまえ」
 刑事は、信じてはいないようだったが、あまりの堂々とした態度に、圧倒されてしまい、ただ、コクコクと頷いただけだった。

    5 

 約五分後。
 僕らは信大繊維学部の門の前に下りたっていた。
 構内は、所々が明るい照明で浮かび上がり、それ以外は黎明前の暗闇で、遠巻きに警官隊が取り囲んでおり、映画撮影じみた雰囲気だった。
 講堂の前で、主役気取りで睨み合っているのは、着流し姿のヒデさんと黒装束のカラマリ姐さんだった。
 長期の緊張状態につかれたのか、二人とも匕首(あいくち)を懐にしまい、カラマリ姐さんは、黒頭巾は外して、ゆっくりと間合いを計っては、右に歩いたり、左に移動したりしていた。
 しかし、互いに全身に気迫をみなぎらせ、タイマンを張りあっていた。
「オメエさんの、行き方に文句をつける気は、さらさらねえが、カタギの連中にまで迷惑をかけちゃあ、女が廃るぜ」
 僕らが後ろに来たのを察知したのか、それまで黙っていたヒデさんが、ドスの聞いた声を出した。
「はん。煩いねえ。アチキだって女なんじゃ。好きな男が映画化に望みをかけているんなら、立てこもり事件でも何でも起して、協力したって、バチは当るめえによう」
「へえ。随分殊勝なことを言うじゃねえか。そいじゃあ、上田城址の西櫓で、恋しい男を刺し殺したのも、宣伝の一環だとのたまうのかい? へん。お前さんが、そこまで男に惚れこむなんざ、考えられねえなあ。虫唾が走らあ」
「大きなお世話じゃ。アチキだって、一生に一度くらいは、身を滅ぼすような恋がしたかっただけじゃ」
「ほう。ようやく本音を吐きましたなあ。今の言葉、きっちし、過去形だったぜ。つまり、オメエさんは、もうあの男には惚れてねえってこった。あっしの勘じゃあ、一年、いや、半年で愛想がつきたってところだろうぜ」
「あのなあ、人の恋路に口を挟んで欲しくはねえなあ。アチキだって女なんじゃ。確かに半年で愛想は尽きたが、それだけで別れられるってもんでもねえやなあ」
 カラマリ姐さんは、講堂からの光を後ろに背負い、ギリシャ悲劇のヒロイン然として歩き回る。
「燃え尽きちまって、スランプから抜け出せねえあいつの気持ちは痛いほど分かったつもりだった。で、もしかしたら、突き放したほうが早く這い上がれるかもしれねえと思ったり、あいつの嵌った千尋の谷は、簡単にはいあがれるほど生易しいものじゃねえ、と思ったり。そりゃ、一丁前に悩んだんじゃ。逆にそれがアチキには、今までに味わったことのねえ幸せな時間でもあったんだよ」
「へん。ヤクザのお姐さんのおのろけなんざ、聞きたかねえわ」
「うるせえ。アチキは、あいつの甘い言葉に騙されて駆け落ちしたけど、一生に一度、世界の中心にいるような体験をしたんじゃ。その間の気持ちは、簡単に説明できねえわ。黙って聞け。もうニ度といわんから」
 最後は迫力がなかった。その後は蚊の鳴くような声だった。
「確かに、あいつは意気地なしだったんじゃ。自分はスランプで書けないのに、気が小せえもんだから、出版社には良い顔をして、大丈夫なんて返事をしてしまうし。映画になれば、あと数年は人気が続くだろうし、その間は次の物は書かなくても許されるだろうし、そのうちにはまた新しいアイデアが落ちてきて書けるようになるだろうなんて、計算をしていたんじゃ。だから、映画化の噂が出ると、待ってましたとばかりに狂言心中事件をおこして……」
「分かった。で、今回は、オメエが心中の相手になってくれと頼まれたんだな。それで、殺したんだろう」
 ヒデさんのからかい口調に、姐さんの顔が少し明るい色に戻った。
 さすがに似たもの同志だ。どうすれば元気になれるかを熟知している。
「違う。狂言心中は前にも頼まれた。でも、死ねばいいって言ってやったんだ。大体、アチキはあいつの愛人じゃあなかったんじゃ。あいつにとっては相棒か母親に過ぎなかったんじゃ」
 僕は、変な言い方だけど、少し感動していた。
 駆け落ちするまでは、ヤクザの姐さんとして虚勢をはっている姿しか見ていなかった。
 カラマリ姐さんに、こんな複雑な心情が宿っていたのか。姐さんの苦しみを共有した感じがした。
「そうかい。そうかい。色気のねえ女にも悩みはあるんじゃ」
 相手の落ちこんでいる姿をみて、返答に困ったヒデさんが、話題を変えた。
「じゃあ、なんで、小説家先生は『カラマリに謀られた』なんて、囁いたんじゃ」
 ヒデさんはまだ、西櫓での経過を知らない。
「へえ。何かの間違いじゃ、ねえの。アチキはやってねえってば。大体、あたしゃあ、不甲斐ない男は嫌いじゃ。手を貸す気にもなれんわ」

   6

 二人はしばし黙ってしまった。
 すかさず、小諸署の磯田警部補があたふた走りだし、二人の間に入った。
「兎に角、ここはひとまず匕首(あいくち)をしまって下さいよ。話し合いで解決できるんなら、話し合いで」
 沙耶警部補の姿は見えなかった。確かに一緒に来たはずだけど……。
 僕と恭介さんも、何か言わなければと思い、現場に近づいた。
「あ、花田恭介さんに星矢君、ちょうど良かった。なんとかして下さいよ――」
 ようやく助っ人が来たと知った磯田警部補が泣きついてきた。
「違う。正式名称で呼べ」
 恭介さんが肩で風を切って前にでた。
「自称、『明智探偵』と『小林少年』だ」
 自称、とつけなきゃならないところが、情けない気もするが。

「ヘイヘイヘイヘイ。お二人さんよう、折角、見物人の中心でお楽しみを享受している最中に真に済まんがねえ、俺たちも登場人物に加えちゃくれねえかいのう」
 恭介さんが、遠慮もなく、弟の肘を掴んだ。
 匕首を抜かせない積もりなのだろうか?
 それとも、騒ぎになり、警官隊が突入して怪我人が出たらまずいと思ったのだろうか。
 しかし、ヒデさんは冷たく兄を退けた。
「へいへいお言葉ですが、いくら兄貴だからと言って、あっしの邪魔はさせねえぜ。これは、あっしとカラマリの勝負なんじゃ。意地と面子をかけた果し合いなんじゃ。邪魔だてはご免こうむりたいですなあ」
「さいですか。そりゃそりゃご立派なお心がけで」
 隙のないヒデさんを切り崩すのを諦めた恭介さんが、僕と磯田警部補に目で合図をした。
 カラマリ姐さんのほうをなんとかしろと。
 僕らは一瞬目を合わせたが、磯田警部補の決断は早かった。
 きっと、ここで手柄を上げて、昇進を狙っているのだろう。
 磯田さんは、そそくさとカラマリ姐さんに右から近づいた。同時に、僕には左から廻りこんで気を惹けと目で合図をした。
 僕は、自信はなかったが、後々恭介さんやヒデさんから、臆病者となじられるのも嫌だったから、適当な言葉を並べたてて近づいた。
「あのう、カラマリ姐さん、実は、西櫓で相当な進展があったんで、二人きりでお話を」などと。
 しかし、そんなことで騙される姐さんではなかった。
 僕に注意をむけるふりをしながらも、後ろから近づく警部補の動きを見逃さなかった。
 警部補も作戦が下手だった。
 なんの挨拶もせずに、いきなり、カラマリ姐さんの肩に触れた。ナイフを抜かせないためだ。
 だが、その行動が逆に、頭に血の上った姐さんの勘に触った。
「キエー―イ」
 いきなり鋭い叫び声をあげた姐さんが、鞘つきのままの匕首を取り出した。
 匕首が宙を飛んだ。
「キャ――」
 磯田警部補が、女のような悲鳴をあげて逃げ出した。何を血迷ったか、僕のほうに一直線に走ってきた。
 僕も戸惑って、姐さんと警部補の間に割って入った。
 とりあえず、姐さんの頭に上った血を下げようとしたのかもしれない。分からない。
 警部補が僕のまん前まで走ってきた。
 だが、その足の先には大きい石があった。見事にけつまずいて、まっすぐに僕の上に倒れてきた。
「そ、そ、そんなあ……」
 僕は、自分の掠れ声を、別人のように聞いて、失神した。

   7

 数分後。
「大丈夫?」
 肩を強くゆすられて意識が戻った。
 講堂の後ろ、会館の前に引きずられていて、横には沙耶さんがいた。
「磯田君と二人で安全圏内まで引きずってきたのよ。あんな危険な場所に子供がいてはいけないわ」
 子供って言葉がカチンときたが、折角、二人だけになれたのに、険悪な雰囲気になるのも嫌だったから、反論はガマンした。
 磯田警部補はまた、危険圏内に戻っていたようだった。
 会館と講堂の間には大きい木があって、向こうは見えないが、たぶん、カラマリ姐さんと、ヒデさんの間で右往左往しているんだろう。
 いや、挑発の声は聞えないから、睨み合いか、小休止に入ったのだろう。
 それより、沙耶さんは、なんで、一人だけ、会館の方にいるんだろう?
 立ちあがって、問いかけようとすると、疑問を察したのか、沙耶さんが会館の二階を指した。
「あのニ階で、カラマリがどんな手を使ってアリバイ工作をし、抜け出したかを探っていたの。ヒデさんが来るまでは、一階の入り口に見張りの人間がいて、中に入れなかったけど、ヒデさんが来て、『カラマリ出て来い』って怒鳴ってから、カラマリも見張りも講堂に行ってしまったの。だから、それからはずっと空白状態。絶好のチャンスだったのよ。君も一緒に捜査をする?」
 沙耶さんは、言葉だけはやさしいが、僕の返事なんか待たずに、さっさと薄ぐらい階段を登っていってしまった。
 さすがは、鬼の如月警部の下でしごかれているだけのことはある。
 狭い階段を上がり、『日本の織機および編み機研究会』と書かれた木のドアを空けると……。
「そこは雪国だった、なんてね。そんなことないよね」
 沙耶さんが、僕の考えを読んだかの言葉を吐いた。
「え? 何で? 何で、僕の考えが分かるの?」
 驚きの目で見返すと、沙耶さんがにっこりと微笑んだ。多分、猫が純真な気持ちで魚をおねだりする時の目をしていたのだろう。
「さあ、どうしてかしら?」
「どうしてかしらって、言われても」
「それは後からじっくり教えてあげるとして、それより、君はこの部屋を見てどう思った?」
 僕としては、沙耶さんの読心術の謎を先に解決してほしかったけど、それじゃあ、二人の時間が台無しになってしまうので、とりあえず、合わせることにした。
 部屋の中を見まわすと、そこら中が機械の部品で埋まっていた。
『日本の織機および編み機研究会』というだけあって、機織(はたおり)の機械から、最近はやりのニット編み機まであった。
 ニット編み機は小型だが、機織(はたおり)機や工業用の編み機は大きく、幾つかの部分に分解されて、部屋のあちこちに雑然と積み上げられていた。
 中には、中世のオルゴールのように、大きい円盤に無数の突起のついたものもあった。
「さあ、では、ここで問題です。私と磯田君と谷村君は、君らが小諸署に行っている間もずっとここで犯人たちと交渉をしていました。講堂の前で見張っておりました。席を外したのは、信大のトイレを借りた時だけ。それも交代で行きました。その間、カラマリの姿は、ずっとこの会館の二階に見えていました。たしか、二回だけ奥に引っ込みました。きっとその時に何かにすり替わったのかもしれません。では、何にすり替わったか、つまり、どうやってアリバイ工作をしたか。お答えをどうぞ」
「そんなあ、待ってよ。何の手がかりもなくて」
「チー―ン。残念でした。時間ぎれです。これだけヒントが揃っているのに、アホウか、君は、でございます。では、私が謎を解いてしんぜましょう」
 いきなり人格の変わった沙耶さんが、スキップをしながら、微笑んだ。
「待ってよ。僕にも捜査する時間を下さいよ。僕が主役なんですから」
「いいえ、待てません。まず、この部屋の機械を見ただけで、アリバイ工作が解けないようじゃ、君は探偵失格です。これだけ沢山のヒントが並べられてあって、何の推論も導けないなんて」
「べ、別に、探偵になろうなんて」
「煩い。お黙り」
 コロコロと人格の変わる沙耶さんが、心底から意地の悪い目つきで睨んだ。
「この円盤に無数の突起のついたオルゴールの部品のような物と同じ物が、ここにあります」
 沙耶さんが、機械の部品の間から取り出したのは、蛇腹状に折りたたまれた幅広の板に、無数の穴が開いているものだった。
 ――たしか、オルゴールでも、これと同じものはある。
「そうです。これは、機械を思い通りに動かす基板です。これをオルゴールにかければ、メロディが流れだすし、これを編み機に通せば、ジャカード織りのニットが作れます」
「待って。そのジャカード織りのニットってのは、僕も写真で見たことがあるけど、その前。なぜ、沙耶さんは、僕の心が読めたんだ。さっきも疑問だったけど」
「はー―はっはっはっは。それは、簡単。これが夢だから」
 シレッとした返答が返ってきた。

   8

「夢? 僕の?」
「決まっているじゃない。これは、君の夢。だから、何が起こってもよいの」
「僕の夢って、いつから?」
「さっき私が起した所からよ。さ、下らない説明はカットカット。では、理解力のないアホウは置いておいて、とっとと、先に行きま――す。そんで、もって、これは何でしょう?」
 沙耶さんがガラクタの下から取り出したのは、二つに分解されてはいるが、明らかにからくり人形の部品だった。
 ぎしぎしと湿った音を立てて、二つの部分を合体させると、黒い忍者衣装のからくり人形になった。
「そうです。そして、この足の下を見て下さい。板があります。日本でもからくり儀右衛門などの天才からくり人形士がいましたが、その伝統にのっとった技法を改良したものです。足の下にある板に、無数のぽっちが出ています。まるでオルゴールのようですが、そのポッチに合うように、この穴の開いた板をベルトの上に流してやると、こうやって、足や腕が動くようになっているのです。さっき一度組みたててみましたから、簡単に再現できまーーす」
 沙耶さんは、赤いマフラーと赤いマスクを黒装束のからくり人形に装着すると、椅子に座らせた。
 そして、みるも鮮やかにジャカード織りの織機も組みたて、からくり人形の胴体から伸びる棒に結わえつけた。
 次に、足下の板と輪になったベルトを重ね、ベルトを操るモーター部分から伸びているコードを壁のコンセントに指しこんだ。
 電動ベルトが静かに回転する。
 沙耶さんは、からくり人形の後ろに畳まれていた穴だらけの板を伸ばし、ベルトと人形の足下のポッチつきの板の間に差し込んだ。穴だらけの板が静かに流れ出す。
 さらに沙耶さんは、ジャカード織り機の向こうから流れ出した穴だらけの板を、機械の下の隙間を通して、再度、折りたたまれていた部分の端に嵌めこんだ。
 板の最後の部分と最初の部分は、ぴったりと合体した。
 からくり人形が、手を動かして、ジャカード編みの織機を操っているように動き、それと連動して、ジャカード織り機の横棒やヒ(横に跳ぶ物)が糸の間を跳び、カタカタと音がした。からくり人形の持った毛糸が揺れる。
 実際には布は織られていないのだが、窓の外から見ると、胴体の上の部分しか見えないので、人間が編機を操っているように見える。
「す、すごい。じゃあ、カラマリ姐さんは、僕に紙を落した後はずっと、ここにはいなくて、からくり人形が動いていたの――?」
「そうじゃあと言いたいが、正確にはちょっと違う。追々説明して進ぜよう。それよりも凄いのは、穴の開いた板が輪になっているせいで、永久運動になる点だ。まあ、いつも同じ動きだったが、誰も、そこまで真剣に見ていなかった。では、ここでアホウの質問に答えるが、カラマリがいついなくなったか、分かるかー―?」
 僕は頭を横に振る。
「簡単なことじゃー―。お前らに、『隠し財宝の地図を持ってこい』と紙を落してからしばらく後じゃーー」
「そんなに前?」
 一応、話を合わせながらも、戸惑っていた。
 急に警部みたいな喋り方に急変した沙耶さんにはまだついてゆけない。
 でも、これは夢なんだから、本当はそんな人じゃないんだと、必死で自分に言い聞かせる。
「そうじゃ。『隠し財宝』は凄いインパクトのある言葉だったんじゃ。だから、君らが小諸署に立ち去った後は、この現場は、その噂でもちきりになったんにゃあ」
 猫踊りをしながら、沙耶さんの演説は続く。
「私や磯田君や谷村君ですら、隠し財宝で頭が一杯になって、他のことは考えられなくなったわ。当然、裏の道にいた刑事や野次馬にもその噂が広がり、裏にいた連中は、皆、隠し財宝の地図があると勘違いして、ぞろぞろと講堂の前までやってきたんじゃ。よって、裏はがら空きになったんじゃ」
「そうか。その時なら抜け出せる。その時に、ジャカード織りの機械とからくり人形にすりかえて」
「そうじゃ。おまけに、外に出る時は、安全作を考えて、刑事の服も持ってでたに違いない。刑事の服はここに隠してあったわん」
 犬のマネをした沙耶さんが、ガラクタの下から、警察官の服を探しだした。
「で、でも、カラマリ姐さんが戻ったのは、いつ?」
「そんな、ことも分からないのか、アホウ」
 憧れの人の口からツバが飛ぶ。警部のツバではないから、嬉しくないこともないが。
「そ、そんなこと言ったって」
「簡単じゃ。西櫓で、瀕死の小説家が発見されたと通報があった時じゃあ。四時を廻ったころじゃ。あの時は所轄からの連絡でカラマリと聞いて、谷村君が大騒ぎをして、小諸署に通報したじゃろう。あれで、また後ろの通路に帰っていた刑事や野次馬たちが、どっと、講堂の前までなだれこんできたんじゃ。あの時は、大騒動で、十分以上も、会館の前で警官たちが、カラマリの姿を確認しあっておったわ。当然、後ろはガラ空じゃったわ。じゃが、会館の一階には犯人の一人が銃をかまえて立ちふさがっていたし、二階では、カラマリが編物をしている姿が見えたから、誰も中に踏み込めなかったんじゃ」
「その時に、カラマリ姐さんは、裏窓から侵入したっていうの? そうか。当然、途中はバイクで移動しただろうし、バイクは近くで乗り捨てても五分あれば可能だと警部さんも言っていたし」
「当然じゃ。大騒ぎの最中、一瞬、カラマリの姿が消えたんじゃ。突然だったが、講堂のほうで犯人たちが騒ぎを起していたんで、誰もあまり気にしなかったんだ。そのすぐ後にまたカラマリが現れたから。きっと、その時に、ジャカード織りの機械を分解したんだ」
 沙耶さんの推理は理路整然としている。でも、僕は、もの凄――い怒りを覚えた。
「待ってよ。待ってよ。でも、何で、沙耶さんがとっとと謎を解いてしまうんだ。これは僕の小説だ。僕が主役だ。僕がカッコ良く謎を解くべきなんだ」

「ア――ホ。だから、さっきも言ったじゃないか。これは夢なんだって。夢だから、何をしても良いんじゃ。なので、今は私が主役を掻っ攫ってやったんじゃ。これは主役争奪戦。仁義なき、推理下克上なんじゃ。ほー―っほっほっほ」
 沙耶さんが三メートルも飛びあがった。その度に天井が左右に割れる。
「嫌だ――」
 僕は頭を覆って座り込んだ。
 ビシ。ビシビシビシ。
 いきなり、沙耶さんが僕を殴った。
「何で? 何で殴られなきゃあかんのや?」
「だから、夢だからじゃー―。夢の中では、何をしても良いんじゃ――」
 バッシ――ン。
 もう一度、沙耶さんの右腕がうなった。
 プロレスラーのような豪腕で、僕の体はバリーーンと二階の窓を破って、芝生の上まで跳ばされた。
 ドッシー―ン。
「嘘」
 痛くはなかったが、ショックが大き過ぎて、パニックになりそうだった。
「ほー―っほっほっほ。嘘じゃあないわー―。今は夢だから、必ずやあたしが主役を奪うゼーー。キエ――イ」
 さらに僕の上に、沙耶さんが窓を乗り越えて、飛び降りてきた。
 くわ――っと耳まで裂けるくらいに口を開いて、吸血鬼並の牙が生えていた。
 大きく広げた両手の間にはこうもりそっくりの膜が生え、目をらんらんと輝かして雄たけびを上げていた。
 怖かった。死にそうに怖かった。たった一つだけ、スカートが大きく捲れあがっていて、ピンクのパンツが見えているのだけは嬉しかったが。
「嘘だ」
 僕は咄嗟に横に転がった。腹の上に着地しようとした沙耶さんを避けたのだ。
 危うく足蹴りをくらうところだった。
 転がりながら僕は泣き叫んだ。
「僕は、僕は、絶対に納得しないぞ――。それに、なんだーー。これは本格推理だろうーー。たとえ、僕でない人が謎を解くのは、百歩譲って許すとしても、ものすごーく不公平ではないかーー。大体、会館の二階にカラマリ姐さんがいて、僕に紙を落した時に、入り口に見張りがいるなんて、一言も書いてなかったじゃないか? そんなのは片手落ちも良いではないか?」
 僕は、混乱して、自分が何を言っているのかさえ、分からなくなっていた。これも夢だからなのか?
 しかし、沙耶さんは、またシレッと答える。
「ひー―っひっひっひ。それは、作者がアホやからや。アチキの責任ではないわ。それに、お前が変な夢を見るから、作者が怒って、お前から主役をアチキに変更したんじゃーー」
「そんなことはねえぞー―。単に書き忘れただけなんじゃ――」
 その時、上空から大声が響き、空が二つに割れて、巨大な石が僕のすぐ横に落ちてきて、地表が数十メートルに渡って割れた。
「嘘だ……」
 僕が呟くと、周囲の人間全員が答えた。
「嘘ではないわ。これは夢じゃ。それから作者がアホなのは本当じゃ――」
 全員の口には真っ赤に染まった牙が生えていた。

(続く・次回もまだ夢の中や。多分4週間後になると思うけど)
注・登場する団体や個人名は架空のものであり、実在の物とは何ら関係ありません。


来週は、Yahooで新商品の紹介をする予定。うまく行けば『ごくデカ』を電子出版にアップできるかもしれないので、頭を使う物(漫画とか)はお休みです。何しろ『ごくデカ』の中には、『雛形る』とか、『中田、田中る』とか、時事ネタを入れこんであるので、あんまり先に延ばせない。