シリアルナンバー3、7回目
これまでの粗筋。
紺野美理はパンジー教団で乳っこが暴走すて、不良を母乳本流で殺しちまう。同じ頃、へり護衛艦『はるな』では副艦長が殺されとるのが発見される。次女の由香里が午後7時に、艦長と砂川医官に「ずみずみ争う音がするだっきゃあ。みてくれなもし」と頼まれて来たが、副艦長室は鍵っこがかかっとって、先に艦長の襲撃体を発見すたのだ。同時刻、艦長も誰かに襲撃されとった。
その後、美理はまた乳っこが暴走して教団員を絞殺しちまう。同じ頃、『はるな』には調査課の人間がやってきて調査をすて、凶器はレーザーメスだと断定する。さらに、由香里が上の階に行く途中に逃げる足音がしねかったことから、犯人は、砂川医官と艦長だと断定する。んで、砂川に対峙すると、片方の乳っこが人工で、中にレーザーが埋め込まれておった。由香里は砂川と戦い、片方の乳っこをざっくりと斬られるが、相手は麻酔で眠らせる。で、舞鶴のヘリポートから運びだそうとするが、病院から抜け出した艦長に邪魔されて、失敗する。一方、美理はまた乳っこが暴走すて教団員を殴りまくるが、銃弾が掠める。が、教授のスミチオン攻撃で難を逃れる。一方、長女の衿は、『ラー』から少女を助けだすために戦っとった。由香里は気がつくと、片方の乳っこが人工レーザーにされちまっとった。美理は、またまた暴走すて、今度は、腰の上に乳っこ唇が出現すて、不良息子の手首を噛み砕いちまった。
第七章
1
――同日、深夜二時半、パンジー教団、道場上のバー。
次女の美理が抜け出すてから十分後。
七階のバーで次男の良次は眠っとったんじゃが、寒気で目が覚めた。
スミチオン溶液の水煙が噴出すて、美理が失神し、八坂教授が連れ去ったのはおぼろげながら覚えとった。
まず道場を飛び出すた八坂教授が行った先の棟を探すた。
一階まで下り、門番役で立っとった男に聞いたら、三男と関が車に乗り込み、教団のホテル棟に向かったと言った。
嫌な予感がすた。急いで近くに位置する教団ホテルに急行すた。
中は不穏なくれえ静まりかえっとった。ホテルに入ると、受付に関と八坂教授がおって、手首の治療を受けとった。
二人は痛み止めのモルヒネを打ってもらってまどろんどったのだが、三回ほど次男に頬をひっぱたかれて、覚醒すた。
何があったのか問い詰めると、恐怖に縁取られたまなこで、七階のスイートは鍵がかかっちょるから入れねと言った。
なすて、と聞くまでもねく、そばの医務室を覗き込んで、理由は判った。
そこには手首からしとどに血を流すて、出血多量で、瀕死の状態の三男の体があった。
そばのエレベーターから血の筋がついとったから、七階で美理の乳っこ唇に噛み切られたんだと推測すた。
嫌な予感は怒りの戦慄に変化すて、二男の爪先から脳天までを、火花が駆け抜けた。
二人を問い詰めると、関が渋々、自分たちがホテルのスイートで目にすたことを話すた。
ホテルで三男が襲われた様子――三男の手首が噛み切られた――を話すた。
関たちは、その後、自分たちも凶暴化すた乳っこ唇に飛びかかられて、手や腕を噛み切られた。
関と八坂教授は激痛で一時失神すただけじゃったが、気がつくと三男はすでに瀕死の状態じゃった。
それで、二人は三男をホテルの医務室に運び、自分たちも医務室で五針ほど縫ってもらっとったのだった。
次男は怒り声をあげて廊下を走り、さっきまでおった道場に戻って幹部連中を叩き起こすた。
幹部たちのほとんどは、まだ夢の中だった。
次男は幹部たちを平手で何度も殴った。幹部たちはようやく現実の世界に返(けえ)ってくると、次男と一緒に我先にとホテルのスイートに駆け戻った。
まだ使えるテープを探すためである。
だども、七階のスイートを開けて中に入ると、そこには、誰もおらず、ビデオテープも、デジカメのチップも一本もねかった。車のキーもねかった。
「糞う。あの女」
怒り狂った良次が拳で何度も床を叩いた。
自分が失態を犯すたと痛感した関は、幹部の後ろから入ってきて汚名挽回をしようと暫(すばらく)考えちょったが、ふとあることに思い至った。
「あれがありますぜ」
関はホテルのカラオケバーの隅っこから、テレビ画面状の物を持ち出すてきた。
「二代目の車には、追跡装置があったはずです」
関が落ち着いた声を上げた。
「使うのは初めてじゃが、これさえあれば、大丈夫でっせ」
追跡装置は、前のポルシェが盗まれた時に買ったもので、これがあれば、車を盗まれても売りさばく前に(めえ)発見でける。
次男がスイッチを入れた。地図が表示され、その端にポッと赤い点が点灯すた。
「やったぜ――」
二人が同時に声を上げ、良次は嬉しそうに目を細めた。
「御岳(みたけ)の南側だ。他の連中に連絡しろ。山狩りだ」
3
――同じ頃、御岳山、南側。
猛スピードで車を駆っていた次女の美理は手頃な林を見つけた。
林の間の空き地にはドラム缶があった。かなりでっかく、自分の肩ほどもある。
美理は月明りの下で目を凝らすてみた。ゴミを焼くドラム缶けえ?
何でもええが、とにかく早く始末すてしまわねと……。
鞄を逆さにすて、テープとデジカメのチップを投げ込んだ。
カメラの中にあったチップは抜き出すて捨てた。ポシャンと、嫌な音がすた。
(まずいべ、水だっちゃ……)
雨水が溜まっていたんじゃ。
慌ててドラム缶に手をかけ、横倒しにすたが、でっけえドラム缶は、なかなか横にならね。半分ほども雨水が溜っちょるようじゃ。
全身の力を込めてドラム缶にしがみつき、ぶら下がり、ドラム缶を横倒しにすた。
魚の腐ったような匂いの水がドブンと顔にかかったが、構っていられねかった。
車のヘッド・ライトを最低限にすて、照らすた。
誰かに見つかるかのう、とも思ったが、幸い周囲には民家はねがった。
下草の生える空き地の上には、腐った玉葱や穴だらけのズボンなどが、ぶちまけられた。
様々な物がへー、水の上に漂っとる。
鼻を摘み、臭え水の中からテープやビデオ・カメラや、デジカメを探し出すた。
テープとデジカメはすぐに見つかった。チップは水で駄目になったじゃろとは思ったが、一応捜し出した。
テープの数は覚えとったが、デジカメ・チップの数は思い出せんかった。
それに、小せえチップは、動かせねライトの中では、まんずまんず探しにくかった。
見つかると困る、とは思ったが、残しておくわけには行かね。
思い切って、車の方向をずらすてライトを最大にすて、チップを探すた。
チップは四つ見つかった。それ以上は、どこを探しても見つからね。
前の道場からバーまで同行しちょった男は二人。ビデオ担当とデジカメ担当が一人づつだった。
その他に、幹部で撮影しとったのは三人だった。
ならばこれで全部だ。その辺の藁を集めてきて、また火っこを付けた。
火っこは藁には点いたが、肝心のテープなどは煙を出すだけだった。
(何とか、完全に中身を溶かすくれえは燃やさねと)
頭を絞った。着ているジャケットを脱いで、消えかけた藁火の上に置いた。
ドラム缶の底も覗いた。白とピンクの筋の入った脂身が、何枚も目に入(へえ)った。
周囲には、薄汚れたラードのようなもんも見える。
手当たり次第にラードを掻き出すて、火のそばに置いた。
そんで全身全霊を込めて、一刻も早く証拠品が焼失するように祈ったのだっしゃ。
4
――同日、深夜三時、御岳(みたけ)山東・道場
長女の紺野衿は奥多摩町の『パンジー教団』の敷地に来ておった。
さっき、『ラー』の不良教団員の方耳を食った後、二人の教団員は、恐れをなして逃げていった。
両手は縛られたままだったのへー、手首の関節をはずしそうにもがいて、やっと解いた。
その後、美代も救い出すた。
ケータイで呼ぶと、恐れで動けねくなって、途中の小屋に隠れとったた部下が、すかさず車でかけつけた。美代を警視庁に送らせた。
自分は妹を救いに御岳山東の道場に来ていたのじゃ。パンジー教団のことは調べてあっんで、すぐに御岳山東だと予測をつけた。
部下と別れた後、まっすぐここへやってきて、とりあえず本線道路から一番近(ちけ)え建物に目をつけた。
その建物は、林に隠れて建ち、三階以上に、ポツポツと明かりが点いちょった。
七階だけはカラオケバーがあるのか、燦々と明かりが点いちょる。
衿は一番東側道場の裏口の鍵を壊して侵入すた。
ここは拳銃などのヤバイ物が置いてねえのか、警備員はいねがった。
廊下に入るとすぐに黒い服のおなごに呼び止められた。咲子研究員だっつうのは、下調べで判明しとった。
「あなたが美理の姉の衿ね」
向うも三女から聞いて紺野家のことは知っているようで、親しげに声をかけてきた。
「そうだきにー。美理はどこや?」
衿は挑戦的に聞いた。
「教えられないわ。あれは分析した結果、非常に重要なサンプル、シリアルナンバー3と判明したんだから」
「シリアルナンバー3?」
「そうよ。以前、さる研究所が開発したという記録があるけど、実物を見たのは初めてよ。一説によるとホメオティック遺伝子を操作したとの見解もあるけど、詳しくは不明なの。ホメオティック遺伝子とは、肺の基本的な構築計画を制御する遺伝子、分かり易く言うと動物の節を司る遺伝子よ。ホメオティック遺伝子集団、別名ホメオボックス遺伝子は、ショウジョバエから発見された遺伝子で、これに異常があるショウジョバエでは、体の一部が本来とは別の部分に変換してしまうの。つまりこの遺伝子を自由に操作できるようになると、節足動物の関節から足を生やしたりできるのよ。勿論ヒトゲノムにもこの遺伝子は高度に保存されているから、人間でも操作は可能だわ。ああ、それとも、最近、皮膚細胞から発見された、万能細胞から作られたウイルス薬かも。西側では最近の発見だけど、東側には昔からあったのかも。いずれにしても、このサンプルを使って研究が完成すれば、私はノーベル賞学者だわ」
咲子研究員は、嬉しくてたまんねえ表情を浮かべ、滔々と難しい言葉を羅列すた。
衿は嫌悪を覚えて見下ろすた。
「妹の遺伝子に興味があるなら、細胞を摂取する以外、することぁないがやきー。そん後すぐに返してもらうばい。そったらことより、妹は今、どこにいるんかやー?」
「教えられないわ。でも、殺しはしないから安心して。丁重に扱うと約束するわ。もっとも、あのサンプルは誰も殺せないわ。馬鹿息子たちも、悪戯をしかけた教団員も皆返り討ちに遭って殺されたわ。簡単に死ぬような被検体じゃないから安心していいわ」
目を細めた相手に、衿は尚も侮蔑の視線を返すた。
「妹をモルモットみてえに」
「いいえ、意味合いが違うわ。さっきも言ったけど、大切な大切な遺伝子サンプルよ。それも瞬時に変身する遺伝子を埋め込まれているのよ」
何度も同じ言葉を繰り返す研究員に、衿は疑問を覚えた。
「待ちーな。妹が何かに変化したのかいや?」
「知らないの?」
信じられねとの視線を返すてきた。
「なんもなんも。家じゃあ普通だったきに」
首を振る衿に、咲子研究員は、呆れつつ、自分だけ宝くじに当たったような目を返すた。
「そう。ならば、教えてあげるわ。乳が変質したの。多分、そこだけ遺伝子組換えが行われているのだと思うけど。それも、例の遺伝ウイルスのおかげよ。キマイラ化現象と呼んでもよいわ。いずれにしてもノーベル賞クラスの発明よ」
「待ちーな。おめはんが言ったことから推測すっとー、乳が蛇のように変形したり、色を変えたり、噛み付いたりしたってことになるちや?」
衿が眉を寄せて聞き返すと、咲子研究員は、目を細めてほくそえんだ。
「まあね。それも瞬時によ。奇跡よ。遺伝子操作の最先端よ」
「すぐには信じられねえけどよー。どっちゃにしてもおまはんらの自由にはさせないちー。すでに細胞は採取したんじゃろうから、もう返してもらうばい」
自分の目で見てねえ衿には信じられずに、尚も連れ帰ると主張すた。
「ごめんなさい。そういうわけにはいかないのよ」
咲子は残念そうに答えると、衿の後ろにいた警備員みたいな男に軽く目で合図した。
(何?)
疑う間もねく、背後に男の気配を感じた。
反射神経では誰にも負けねえ衿は、咄嗟に腰をかがめ、後ろから迫ってくる男の手を逃れた。
そんでー、半腰のまま廊下を走り、必死で、ロビーの端にあるエレベーターに飛び込んで、一番上の階を押すた。
男たちが追いすがって、ドアが閉まる直前で、一本の腕が差し込まれた。
衿は、咄嗟にホルダーから銃を抜き、銃でその腕を力任せに殴った。
ぐぎっという鈍い音がすて、男が悲鳴を上げた。
ドアがビーっという音を立てて、開きかけた。
衿は、力任せに、しまるのボタンを押し続けた。
ビービー。
ドアは何度か警笛をならすたが、やがて、静かに男の手が抜かれるのと同時に閉じただー。
最上階でなくともいい。人目のねえところから探し始めっぺ。
二階。
美理が遺伝子の変化する、サンプル。シリアル・ナンバー3?
五階。
乳っこが変形した? それより、どこにいるんじゃ? とにかく、発見せねば。モルモットにされちまうだに。
七階。
兎に角、おりて、頭を整理しよう。いやいや、その前に、美理を探さねば。だども、どこから探し始めれば?
八階。
ついに最上階に到達しちまった。
静かにドアが開く。最上階は、色んなビリヤード台や、マージャン卓や、バーカウンターのある、遊戯場といった趣の広い部屋だった。ビリヤード台などの上以外は真っ暗に近い暗さだ。
ドアの影に隠れて廊下を観たが、誰もいねかった。
一歩踏み出そうとすて、ぎりぎりで止めた。
最上階の真ん中はビリヤードのできるプールバーになっておって、その真ん中辺りに二人の男たちが立っておった。
一人は猪首で、赤ら顔のでっぷりすた男。もう一人は、顔にでっけえ痣をこしらえた若え男だった。
心臓がキュんと縮まった。応援を呼ばれたら、美理を発見する前に自分も捕まっちまうだに。
この部屋に出るわけにはいかね。
どうすっぺえ?
この階から降りるか? じゃどん、階下のそれぞれのドアの前には咲子の手下が見張りについちょるに違えねえ。
どうすっぺ?
ふと見回すと、同じ壁にそって、向こうの端に、もう一台のエレベーターがあるのが見えた。
この階と七階はバーででっけえ造りになっちょるが、その下の階は、修行の部屋とかで、これほどでっけえ部屋はねえ。
とすると、北側の廊下で、前にここの図を見たときの記憶によれば、たしか、地下に通じちょるはずだ。
うろ覚えだから、そっちに乗り移るのは冒険でしかねえが。じゃが、とりあえず、咲子研究員の部下にとっつかまらねえで逃げるには、それに賭けるしかねえ。
衿は、そっと壁つたいに横歩きしながら、そっちのエレベーターに飛び込み、地下のボタンを押すた。
地下の階でエレベーターが開いた。そっと外を見回すたが、誰もいねかった。
ここは、穀物の倉庫と駐車場が半分半分になっている場所だった。
エレベーターの前には、ジュート製のコーヒーの袋や人参やジャガイモの袋が積み上げられ、向こうの半分が駐車場になっておった。
衿はエレベーターから出た。
頭はめまぐるしく回転しちょる。
どこから探したら、美理は発見できるじゃろうか? モルモットにされるらしいから、実験塔のどこかに閉じ込められちょるのだろうか?
穀物の袋の陰に隠れながら、車が飛びとびに止まっている駐車場を突っ切るかどうか、迷う。
駐車場を途中まで突っ切った。突然、男たちの堂間声が入り口から聞こえた。
二人くれえで、大声を出すて、「背の高い女を捜せ」とわめきあっちょる。
衿は無意識に、駐車場の一番奥まで戻り、車の陰に隠れた。
聞こえるのは、男たちの靴がコンクリートの床に落ちる音と、自分の息切れしちょる声と、男たちが棒で車のバンパーなどを叩く音だけじゃ。
実験棟の方角を見極めなくてはいけね。
暗闇に慣れてきた目で、周囲を見回すた。第二修行場、実験棟方面と書かれた金属板が目に入った。
決心をすて、そっちの出口に向かった。
そんでへー、階段を上り始めた。
階段の上は、暗闇の支配する世界じゃった。幾つかの修行棟が、でっけえ建物の周囲に点在しちょる。
そっと、出口から一歩足を出すた。
じゃが、そこで、後ろと脇から数人の人間が湧き出すように近寄ってきて、腕を捕まれちまった。
待ち伏せされとったのじゃ。
そう想うまもなく、首筋の後ろ、肩の部分に冷てえ針の感触を覚え、衿は意識が遠のいた。
5
――同じ頃、御岳山東側・研究棟
三女の由香里は、咲子研究員のいる建物に入(へえ)ってきとった。
香川艦長やアリサと一緒だった。前もって携帯で、『香川艦長を拉致すたので凱旋する』と伝えてあった。
艦長は教団にもぐりこんで、内部の調査をすて、ついでにレーザー光線の威力も確かめる気らしかった。
由香里とアリサは、艦長に催眠術をかけられちまった。
んだもんで、自分たちが利用されるとわかってても反抗できねえ。
どげなことをさせるるかは、眠っちょる間の刷り込みだったんで、不明じゃ。
由香里の手術が終わった後、アリサの操縦で、舞鶴の基地にスタンバイすてあったUHー1ヘリで移動すて、教団の敷地に降りたったのじゃ。
UHー1ヘリを操縦するのは、アリサは反対しねで従ったが、教団に着陸すた後については、素直に艦長の支持に従う気はねえようだった。
教団内に行っちまえば、催眠術を解ける人間はいるじゃろうから、そこまでは黙って従っていて、その後一気に、と思っているようじゃった。
だども、現時点では彼女も自分の意志では何もできねえ状態じゃ。二人には後催眠もかけられておって、キーワードと共に強制された行動が開始するらしか。
催眠術は眠りとは違い、頭の中は覚醒すちょるが、手足が自分の意思に従わね。
どんなに強固に反抗すようとも、艦長の命令がかかると、手足がその通りに動くのじゃ。
だもんだから、ギリギリと歯軋りをしながらも、ただ艦長の命令に従っているしかねえのじゃ。
だども、アリサが、ヘリに設置すてある弾薬箱の中にカールがこっそり忍び込むのを目撃すた。由香里にも目で知らせてくれちょった。
カールは自分に一目ぼれしちょる。その上催眠術にかけられてねえ。
カールなら、何とか二人を催眠術から解き放ってくれるっぺ。
艦長はカールが乗り込んだのには気がついていね。
ヘリに乗り込む時は真っ暗で、おまけに局部麻酔で自由に歩けねえ由香里の運び込みに手をとられていたのじゃ。
ヘリには『はるな』の他の乗組員は乗り込まねかった。
艦長の言によると、ハイパー自衛隊構想は『はるな』のごく一部の隊員と秘密の研究所の極秘任務らしい。
そんじゃけえ、舞鶴の航空自衛隊の隊員も知らね。
艦長は極秘に行動する必要がある。舞鶴基地でカールに邪魔された時も、一部の隊員が不審に思って官舎から駆けつけてきたが、極秘任務じゃと帰らせた。
でもって、手術が終わった後も、誰にも通報しねでスタンバっとったヘリを発進させたのじゃ。
どうやらまだ人間兵器は実験段階で、ここへもぐりこんだのは、あくまでも実験のつもりらしかった。
「まあ、まあ、まあ。ようやく気骨のある教団員が帰ってきたわね。さっきまでは麻薬中毒の不良息子ばかりで、この教団はどうなってしまうかと心配でしたのに」
二人の姿を見ると、咲子は、手放しで喜び、相好を崩すた。
アリサと由香里の二人は、にこやかに宣言すた。
「自衛隊の最新兵器をうばったじゃー」
当然、由香里の手術も自ら志願すて受けたのだと説明すた。
咲子は、二人の戦士に対しては抱擁せんばかりに歓迎すたが、後ろから入ってきた艦長の顔をみると、怪訝な目をすた。
携帯では艦長を拉致すたと報告すてたから、手錠でもかけていると思っちょったんだんべ。
由香里は慌てて説明すた。
「艦長は洗脳すてパンジー教団の協力者にすたんだべー」
ここで艦長を怒らせ、教団の人間に向かってレーザーを発射するような命令を出させてしまったら、元も子もねえ。
自分までが教団員から疑いの目を向けられちまう。
由香里としては、教団の財力を利用して社会保険庁や国土交通省なんぞにミサイルを撃ち込むのが目的でここにいるようなものじゃから。いんや、それだけじゃねえ、厚生労働省と、独立行政法人にもじゃ。それに、防衛省の上層部にもじゃ。官僚の天下りと税金の無駄使いに怒っておったんじゃ。
じゃが今は、教団員に疑われる前(めえ)に、何とか催眠術をとかせるのが先決じゃった。
由香里の説明を聞いていた咲子は、最初は信じたようじゃったが、すぐに態度を硬化させた。
「そうなの。ヘリ護衛艦の艦長ともあろうものが、簡単に洗脳され新興宗教の教団員に協力するとは、日本も落ちぶれたもんねえ」
咲子は皮肉っぺえ目で見返すて、微かに顎を動かした。
「では、その洗脳された艦長とやらと、あの女を使って由香里君が本当にまだ教団の協力者であるかどうか、試してみようじゃないの? 例の女を連れてきて」
咲子が命令すて連れ出させてきたのは、長女の衿だった。
衿はまだ半分眠っておる状態で、支えちょる教団員が手を離すと、ずるずると床に崩れ落ちた。
素早く善後策を検討し始めた由香里は艦長を盗み見た。
満身創痍の艦長は、何を考えちょるのか、わがらねえ。
脚の包帯をなぜながら、興味深そうに衿の周囲を歩き回っとった。
由香里は艦長の立場に自分を置き換えてみた。
艦長は催眠術をかけている方じゃ。もし、由香里が銃で脅されてスイッチを押すたとしても、キーワードを呟いて、由香里の体を自分以外の人間に向けさせることはでける。
レーザー光線は銃弾と違って、数秒同じ部分に照射ねえと、ダメージを与えることはできね。
それに由香里の装置は眼科のレーザーメス程度の威力である。
一瞬の照射くれえでは皮膚の表面から軽く煙が上がる程度じゃ。
つまり、由香里に近づき、スイッチを入れるのを見届け、顔を振って暴れるようなキーワードを囁やけば、由香里が自分から暴れてレーザー光線を反らせたと思わせることがでける。多分その手を使うに違えねえ。
次、姉について。姉に対しては、咲子はどうあってもスイッチを押せと命じるだべ。
艦長としては、自分はレーザー光線の威力を検討するために潜入すてきたのじゃから、刑事が襲われようと、痛くも痒くもねえ。
いや、別の考え方もある。この四面楚歌の中では、一人でも味方がいるほうが有利じゃ。自分に対するときと同じ手を使うかもしれね。
いずれにしても、このままでは二人に向かってレーザーのスイッチを押さざるを得ねえ。
そう考えた由香里は、一刻も早く催眠術を解くすべがねえかと頭をめぐらすて、カールの姿を探すた。
だども、まだ飛び込んで救えるような状態ではねえと考えちょるのか、カールの姿は、建物の窓の外にもどこにも、ねえ。
6
――同日、深夜三時半、御岳山南
紺野美理は、燃え上がる炎を見つめてへなへなと土の上に座り込んどった。
(よがった。これで、ポルノ・ビデオは完全に消滅すた)
知らず知らずのうちに、頬を涙が伝っていた。
声を上げて万歳をしてえ心境だった。ふと気が付くと、股間が生暖かかった。
我慢に我慢を重ねていた尿が、安心すると同時に漏れたのだった。
良次のズボンが惨めに、臭え液体に浸食されていった。
(ざまあみろ)
美理は思わず悪態をついた。
復讐をとげた快感が胃の底から駆け上って来た。
「ヒーッヒッヒッヒ」
自分でも気味の悪くなる笑い声が喉の奥から弾けでた。
「燃えろ、はー燃えろ。もっともっと燃えろ。ハーッハッハハハ」
笑いは次から次へと押し寄せて出てきた。
美理はズボンを濡らしながら、狂ったように、踊り狂った。
キキ――!
急ブレーキが掛けられ、道路で車が止まる音がすて現実に戻された。
停まるのももどかしく、二人の人間がドアを蹴るようにすて、飛び出すて来た。
「あのクソ餓鬼がー」
「車の近くにいるはずじゃて。ヘッドライトが見えるじゃ」
次男と関と呼ばれた男の声だった。
美理は暗闇に慣れた目で周囲を見回すた。
ちっと離れたところに、建物がみえた。ぼんやりすた電球の下に、入り口と書いてあるのがみえたような気がすた。
美理は木の陰を選んで、そっちに走り始めた。
建物は、三階だてで、昔は何かの工場のようだった。今は廃業しちょるのか、電気がついてねえ。
一階は駐車場か倉庫のようで、シャッターが四枚ほど下りちょるが、端に押して入(へえ)る扉がある。
鍵がぶっこわれちょるのか、風でぱたぱたと開きかけておった。
逃げ込むべえーか? 中で追い詰められたら、一巻の終わりじゃし。
後ろで声がする。だんだんと近づいてくる。
迷ってる暇はねえ。
美理は一目散に開き戸に突進すて、思いっきりひっぱった。
鉄扉はぎーっと気味の悪い音を立てたが、すぐに開いた。
美理は中に入って、内側から扉を閉めた。
中は閂がかかるようになっちょる。力っこをこめて、さび付いちょる閂をかけた。
「あっちじゃ。あの建物の中じゃ」
その音で、二人は気がついちまったようじゃった。足音と叫び声が急接近すて、ドアノブをぎしぎしとひっぱる音がすた。
隠れねば。だども、どこへ?
二人の叫び声がシャッターの前をあっちやこっちへ移動しちょる。
シャッターが開かねか、棒を差し込んで、力いっぱい押し上げようとしちょる。
美理は周囲を見回すた。天井近くの窓から弱弱しい月の光が差し込んで、中の様子が次第にわかってきた。
かなり広(ひれ)え駐車場だ。農協か、どっかの大農場主の持ち物か?
トラクターが数台並んでおって、その上に、木の箱が積まれておるものもある。
それに、建物の半分は倉庫で、同じよな木の箱が詰まれておって、中からは、腐りかけのジャガイモみてえな匂いがしちょる。
トラクター二台の間に走りこむ。足音を消すように、そっと奥の方に進んだ。
さっき、おもらししつまったんで、ズボンが冷てえ。
倉庫の一番奥まで行ったが、逃げ道はなさそうだった。
(どうしたらよかんべ?)
身動きがとれねえ。
せっぺせっぺと忙しねえ息をついて、泥の床の上に両手をつき、外の音に耳を澄ました。
二人の声はずっとでっけえままで、倉庫の周囲を行き交っておる。
今にも、どっかのシャッターを押し上げて、中へ入ってきそうじゃ。
必死でトラクターのドアを引っ張ったが、びくともしねえ。
じゃが、薄暗闇の中で、何とか隠れられそうなところをみっけた。
一台のトラクターの上、壁と天井の境の部分に、丸い穴が開いておるのじゃ。
埃で汚れた鉄板の上に、黒い、人の入れそうな穴じゃ。
たぶん、上の階に蓄えられた穀物を、選別する際に、腐った物だけを落とす穴だと思われた。
思わず、嬉しくて、またおしっこをもらしそうになっつまった。
あの穴しか、隠れるところはねえべ。
穴の下にはトラクターが止まっておる。
シャッターの方では、棒で押し上げたのか、ぎーっつう音っこがすて、シャッターが数センチ上がる音がする。もう何秒もしねえうちに、二人が入ってくる。
喉がからからだ。心臓が喉から飛び出しそうじゃ。
思い切って、トラクターに向かって走った。
幸いに下は土で足音はしねかったが、トラクターの後ろに隠れたときは、めまいがして、息が切れておった。
這いずって入れるくれえ、シャッターが上がった。じゃが、声はすれども、光はささなかった。
懐中電灯はもってこねかったようだ。
「どこにいるんだーー。でてこーーい」
二人の叫び声だけが、倉庫にこだまする。
美理はそろりそろりとトラクターの上に這い上がった。上には、ジャガイモの木箱が積まれていた。
木箱の陰に隠れて、二人のいる辺りを垣間見た。二人は、二階に上ったと思ったらしかー。
弱え光の中で、二階への鉄階段を上り始めておった。
手を伸ばすて木箱の一番上に体を引きずり上げた。
かなりの高さがあったし、木の表面がささくれだっておった。
ちくちくと、手のひらに棘が刺さったが、我慢すて体を箱の上まで持ち上げた。
箱の上でうつぶせになったが、胸が木箱の上でどきどきと音を立てそうに動悸を打っておる。
そのまま耳を澄ました。二人の声と足音は、上の階から聞こえてきちょる。
壁の穴に向かって手を伸ばすた。隠れ場所はここしかねえ。
穴までの距離は、ちょうど、伸び上がって届くくれえだ。何とかなるべ。
また耳を澄ますた。二人が二手に分かれたようだ。上に行く足音と、下に下りてくる足音がする。
早くしねえと。みつかっちまうだ。
木の箱の一箇所にふさがりきってねえ部分があったので、そこから手を入れて中を探った。
グシュ。
湿ったものに指をつっこんじまった。腐ったジャガイモだ。
でも、これしかねえから、それを出すた。幸い半分はクサってねかった。
それを、穴に向かって投げた。ぐしゃっつうか、ぶしゅっつうか、湿った音がすて、着地すた。
落ちてはこねかった。どうやら、角度はそんなに急ではねえようじゃ。
思い切って伸び上がって、波型の鉄板のごつごつした部分に指をかけて、体をひっぱり上げた。
思いっきり力をこめて、まんずは、胸まで。そんで、次には肘と足をかけて、体全部を斜めの穴の中に引っ張り上げた。
さすがに腐ったじゃがいもを落とす穴だけあって、途中は臭えし、ずるっとすべる。
じゃが、何とか、穴の入り口から数十センチまで進んだ。
腐ったジャガイモに足を取られて、ずるっと落っこちそうになったが、進んだ。
中は真っ暗だった。
だども、車に戻って懐中電灯を持ってきたら、お終いじゃ。下から光を当てられたら、見つけられてしまうべ。
美理はさらに進んだ。身をよじり、壁面にしがみつくようにすて、滑りながら先に進んだ。
次男の叫び声がいっそうでっかくなってきちょる。
トラクターのすぐ傍まできちょるようじゃ。
数センチ進むと、ひゃっこくて、ぐしゃっとすたもんに、頭からつっこんだ。ぐにゅっと柔らけえ手触りで、臭え。
それがぎっちりと、管の先に詰まっておる。
嗅いでみると、腐ったジャガイモの堆積すたもんだった。
今いる斜めの管は、枝分かれすた官で、本官が目の前の直立すた管に違えねえ。
つうことは、これ以上は進めねえ。
うんざりすて膝をかかえて、枝官に横になった。後戻りも、先に進むこともできねえ。
寒さで眠くなってきた。
突然若い男の声がすた。
心臓が飛び出しそうになって、目が覚めた。うとうとすてたらしか。
助かった。ここで眠り込んどったら、凍死するところだった。
声が穴の下、トラクターの向こうまできていた。
関と次男だった。
二人は、この階の捜索を諦めたようじゃった。それに、朗報があった。この倉庫の裏には別の出口もあるのを発見すたようだった。
「明日の朝、早く、応援を呼んで、一斉捜索をすっぺや」
「だなあ。どっかに隠れておったとしても、十人も応援がいりゃあ、見逃しやしねえべ」
二人は話しながら、シャッターの方へ去っていって、そして、美理が閉めたかんぬきをはずして、ドアから外に消えていった。
美理はほっと息をついた。腐った匂いがぶりかえすてきた。
だども、朝前に脱出すれば大丈夫じゃろう。後、一時間くれえは、応援はこねえだろう。
美理は枝官の出口まで後戻りすて、そろりそろりと、トラクターの上に降りた。
そこから、月の動きを眺めた。
疲労はピークに達すておった。まだまだ不安で、膝も肘も擦り傷だらけで、痛くてしょうがねかった。
背中もこわばっておる。頭は腐ったジャガイモの匂いで、ゴミ捨て場にいるようだった。
じゃが、とりあえずは、二人は去り、当分は安全だと思われた。腐ったジャガイモの匂いがありがたかった。
だども、応援が来る前にここから逃げ出さねばならね。
月が一時間でどのくれえ動くかはわからねかったが、一つの窓枠から次の窓枠に移動するまで待った。
そんで、トラクターの上でクビを伸ばすて、周囲を見回すた。
二人の姿はねかった。
そろりそろりとトラクターから降りて、裏口を探すた。
裏口はすぐにみっかった。ラッキーなことにこっちも鍵が壊れとった。
そっと開けて、月明かりの下で、周囲を見た。だんれもいねえ。
ほっと息をついて、外に足を踏み出すた。
すっと、横から、棒が延びてきて、思いっきし強く叩かれた。
「痛えっ」
すっころんで、見上げると、二人の男がにんまりと笑っておった。
次男と関だった。
「この糞餓鬼が!」
次男が鬼の形相で美理につかみ掛かった。顔の筋肉がぴくぴくと痙攣すていた。
だども、激痛の中に浸っていた美理は、動くこともできねかった。
立ちすくんでおる美理を、次男は強引に拉致すて、ずるずると引きずり、車に押し込めた。
車はすぐそばまで転がしてきてあっただ。
間髪入れずに関が車を急発進させた。
(続く)