シリアルナンバー3、9回目

これまでの粗筋。
 紺野美理はパンジー教団で乳っこが暴走すて、不良を母乳本流で殺しちまう。同じ頃、へり護衛艦『はるな』では副艦長が殺されとるのが発見される。次女の由香里が午後7時に、艦長と砂川医官に「ずみずみ争う音がするだっきゃあ。みてくれなもし」と頼まれて来たが、副艦長室は鍵っこがかかっとって、先に艦長の襲撃体を発見すたのだ。同時刻、艦長も誰かに襲撃されとった。
 その後、美理はまた乳っこが暴走して教団員を絞殺しちまう。同じ頃、『はるな』には調査課の人間がやってきて調査をすて、凶器はレーザーメスだと断定する。さらに、由香里が上の階に行く途中に逃げる足音がしねかったことから、犯人は、砂川医官と艦長だと断定する。んで、砂川に対峙すると、片方の乳っこが人工で、中にレーザーが埋め込まれておった。
 由香里は砂川と戦い、片方の乳っこをざっくりと斬られるが、相手は麻酔で眠らせる。で、舞鶴ヘリポートから運びだそうとするが、病院から抜け出した艦長に邪魔されて、失敗する。一方、美理はまた乳っこが暴走すて教団員を殴りまくるが、銃弾が掠める。が、教授のスミチオン攻撃で難を逃れる。一方、長女の衿は、『ラー』から少女を助けだすために戦っとった。由香里は気がつくと、片方の乳っこが人工レーザーにされちまっとった。美理は、またまた暴走すて、今度は、腰の上に乳っこ唇が出現すて、不良息子の手首を噛み砕いちまった。
 その後、美理は自分の撮影されたビデオを盗み出して燃やすのに成功するが、不良息子に捕まる。衿は『ラー』の教団員の耳を噛み切って少女を奪還。催眠術をかけられた由香里は『パンジー教団』へ、「艦長を確保した」と嘘をついて凱旋する。
 催眠術にかけられた由香里は、命令で衿に向かってレーザーを発射する。衿が何か逃れる策を考えていたと期待していたが、裏切られ、衿は倒れ、由香里は失望する。美理は本格的なライオンに変身する。

第九章
  
  1

 ――数分後、女子トイレ
 由香里は、茫然自失の状態で便座に腰をかけていた。
 トイレに用事があったのではねえ。ここ以外にぼうっとする場所がねかったからじゃ。
「艦長も姉ももっと複雑な思考をする人種だと思っとったのに。あげん単純な人間だったとは……」
 由香里は頭を抱えて何度も呟いた。
 衿は昔から比較的単純思考で、一抹の不安はあったが、そんでも艦長は、あんだけ長く考え込んじょったんだから、絶対に何か回避策を考えており、衿にもそっと教えとったと踏んだのじゃ。
 だども……あげな形で姉を殺しちまうなんて。
 いくら悔いても悔い足りねかった。
 これで姉妹は二人だけになっちまった。
 それだけじゃねえ。噂によっと、次女の美理は、獣に変身しちまったのだとか。
 話に聞いただけでは、とうてい信じられるものではねがったが、教団員の一人が、たまたまロビーで暴れとる半身獣の写真を撮って、見せてくれただ。
 その写真を見て、由香里はまたがっくりと肩を落とすしかねがった。
 顔はキメラのように半分ずつが人間とライオンで、体はほぼライオンで、乳っこも片方がライオン頭だった。
 こげな生き物がいることすら信じられねえのに、それが実の姉じゃから。
「ああ、この先、どうしたら良かっぺ?」
 自暴自棄になった由香里は、壊れかけとった便座のふたをバリンと引きむしっとー、ちっと広えところに出て、渾身の力を込めて、床に投げつけた。
 プラスチックのふたは、自分の背丈ほども高く跳ね返ったが、『はるな』で椅子を投げつけた時ほどは、すっきりすなかった。
「ああ、もう、死にてくなっちまったべ」
 泣きかけて、壁に凭れてずるずると座り込むと、隣接しとる男子トイレから、きわめて低い声が聞こえてきた。
「何だ、姉が死んだくらいで、そないに落ち込んじまったのかなもし。どうやら、わーの見込み違いだったのかのう。わーは気骨のある闘士とみこんだんじゃが」
 艦長の声だった。
「艦長ですっぺえ
 思わず壁にすがりつくと、天井のちっと下まである壁の上から懐かしいごま塩頭が覗いた。顔までは見えねかった。
「由香里君、わーはおみゃあさんを気骨のある戦士と睨んじゃから、一つだけ重要なレクチャーを授けよう。人の上に立つ将たる者は、決して真実を語ってはならんのだっしゃ。身内にもだ。良く言うではないか。敵を欺くならまず味方から、と」
「どげな意味ですか?」
「そのくれ自分で考えるんだもし。前にも話したと思うが、歴史上最高の偽装作戦は、真珠湾攻撃における米軍上層部の作戦じゃ」
「ああ、スプルーアンスの自叙伝にあった、例の話でがんすね。日本の真珠湾攻撃の暗号を、米軍諜報部は解読していた。だども、その情報を米軍の参謀は、中将以上にしか伝えねかった」
「そうだ。そんでもって、移動は、新型の空母だけに限定したのじゃ。だから、最新型の『エンタープライズ』に座乗していたハルゼーは自分の艦隊を率いて外洋に避難したが、『アリゾナ』などの旧い空母は移動を禁止されたんだ。情報は、旧式の空母の中将にも伝わったが、部下に伝えるのは禁止されたっちゅう噂もある」
「因みに、当時少将だったスプルーアンスは『エンタープライズ』を護衛する艦に座乗すてたんで助がった」
「そんだ。もうわーの言いたいことは分かったじゃろう。わーはレーザーの開発をしとったけ、レーザーには詳しいんじゃ」
「もすかすて」
 由香里は、本当はわからねかったが、姉が助かったかもしんねと思い、わかったふりをした。
「そうじゃ。そういうことじゃ。それから、話は変わるが、レーザー兵器に関して言えば、おみゃあさんと砂川君に実験をさせた結果、銃よりも威力が劣ると判明した。じゃから、わーはこの研究は止めるように、研究機関に忠告する。代わりに、変身人間の研究を始める。美理はんの細胞を、咲子研究員の金庫からいただいた。あれは使える。ハイパー自衛隊構想にはぴったりじゃ。ちゅうことで、おみゃあさんの乳の中の兵器は、自分で始末してくんろ。それからおみゃあにかけた催眠術も、わーの最後の言葉と共に解けるから、安心しーや。では、わーは練習艦と言う名の研究艦に即刻戻ることにする。おみゃあさん方のやろうとしちょることは警察の関与すべきことなんで、わーはノータッチにするぞなもし。では、さらばじゃ」
 その言葉と同時に、由香里の脳の中で、小せえ電気ショックのような衝撃が走り、同時に、壁の向うの艦長の頭と思しき物体が破裂したっぺ。
 頭の中のショックは、催眠術が解けた証拠で、壁の向うの衝撃は、艦長の頭に擬態させた何かが破裂すたものだあ。
 由香里は隣の男子トイレに走った。
 案の定、そこには、艦長の頭を描いた風船の破片と、超小型テレコの破片が飛び散っておった。
 すんばらくすっとー、敷地の端からUH−1の飛び立つ音がすた。
   
   2

 ――同じ頃
 衿の体にはもう用事がねくなった咲子研究員は、部下に衿の体を片付けるように命じ、自分は次の作戦を練るために、美理のいる研究棟へきとった。
 そこには、催眠銃で眠らされた美理の体が横たわっとった。まだ部分的に獣の面影を残すていた。
 さっき銃で撃たれた後、教団員の一人が、咄嗟に睡眠薬入りの銃を放って眠らせたのじゃ。
「どうすれば、この獣の意思をもった動物を、私たちの思うように扱うことができるかしら?」
 相談を持ちかけた咲子に、専門家によって催眠術を解かれたアリサが即答すた。
「催眠術をかければよかっしょ」
 教団員から今日の美理の暴れぶりをつぶさに聞いたアリサは、提案すた。
「変身期間は短えようだから、すぐに人間の体に戻るだしょうが。催眠術なら扱い易いっぺ。大がかりな装置も必要ねえし。例えば、暴れたら自分の片手が銃を持って、自分の乳っこに銃を向けるっつう催眠術なんてどうでがんしょ。これだばすぐにかけられるし、たとえ片方の乳っこがライオンに変身すても、銃口を見たとたんに片手が勝手に銃を持って自分に向けるきに、脳が危険を感じ、乳っこもすぐに沈静化するでがんしょ」
「ということは、常に美理のそばに銃を置いておく必要があるってことよねえ」
「まあなあ。だども、銃はガードの教団員に持たせておいてもよかっぺ」
「そうね。では、とりあえず、それで実験してみましょう」
 咲子研究員は、顎で合図すて、美理をつれてこさせて、強引に頭をゆすって、眠りから覚まさせた。

 美理が何度目かの眠りから覚めると、目の前でコインがゆれとった。
 体はまんだだるいが、意識はかなりはっき覚めとった。じゃが、目の前にはプロの催眠術士がおった。
 何か変だべと悟った時にはすでに、催眠術士の手によって催眠術が開始されとったようで、抵抗すっぺと思った時にゃあ、もう浅え眠りに入りかけとった。
 次に目を覚ますた時は、手足を縛られて水の中へ落とされる途中じゃった。
(ああ、もう、ええ加減に眠らせてくんろ)
 昨晩から、何度も酔わせられたり縛られたりすて、暴れまくっとったんで、頭はとことん疲れきっとった。
 だども、体の奥底に巣食う獣はまだ眠る気はねかったようだ。
 水に突き落とされると、すぐに覚醒し、手足がまた蛸のように変形すて、縛られたロープを抜けると、水の中で勢い良く動き、水の上に飛び上がった。
 しとどに水滴を落としながらプールサイドに降り立つと、また、あの懐かすい人間の匂いと水の匂いの混じった空気が鼻腔に侵入すた。
「誰かわだすの餌になりてえ人間がいるのかへー?」
 まだ人間の外見をすたまま、突如、意思だけは獣に支配された口が、低い呟きを吐いた。
「ほっほっほ。美理ちゃん獣、また会ったわね。この美しい姿は、何度見てもうっとりするわ」
 二メートルほど先に咲子研究員が、にこにこ微笑んで立っていた。
 だども、その手にはしっかり黒光りする銃が握られとった。
「何をばしょっとかへー?」
 美理の質問に、咲子が答えた。
「簡単よ。あなたと決闘をしようというのよ。あなたもその教団員の銃を取りなさい」
 嬉しそうな命令の声と一緒に、咲子の指が引き金にかかり、パスンと小さい音と共に、美理のすぐそばのタイルに何かが跳ね返った。
(銃弾だっぺ)
 そげん思ったとたんに、自分の腕が勝手に反応すて、教団員の銃を取り、反射的に飛びのいて、三メートルも後ろに跳びすさっとった。
「どうしたの。それでも獣なの。撃ち返してごらんなさいよ。ほら、撃ち返さないと、私に撃ち殺されてしまうわよ」
 咲子研究員は、楽しくてたまらねように眼を細めて、何発か発射すてきた。
 まだ撃つことに抵抗のあった美理は、暫(すばら)くは逃げて我慢すたが、体の中の獣の闘争本能には火がついちまったようだった。
 一発の銃弾がふくら脛を掠ると、獣はギイイと小さく唸って、目を細めた。
 すっとー、左の乳っこに言い知れぬ快感が走り、不気味に筋肉が盛り上がり始めた。
(きたっぺやー)
 美理は、変身の兆候を実感すたが、今回は前の感覚と違ってー、変だった。
 体が分割されちょるようで、左の乳っこの上に生じた瘤は、中心線から右には広まらねかった。
 逆に右の半身を支配すちょる神経が、耐え切れね痛みを発すて、右手がゆっくりと空中に上がった。
 その手には銃が握られちょり、銃はまっすぐに自分の左の乳っこを向いていたのじゃ。
「嘘だっぺー」
 そう呟いた美理は、反射的に拳銃を捨てようとすた。
 だども、右手は決して美理の脳の命令を聞こうとはしねかった。
「ほっほっほ。そこまで。やはり催眠術は大成功だったようね。ここまでにしましょう」
 パンパンと手が打ち鳴らされ、頭の中に軽い衝撃が走った。
 そんで、右腕が拳銃を落とし、同時に天井から動物捕獲用の網が落ちてきた。
 気を失いながら、どこかで「衿の姿が見えません」と叫ぶ声を聞いたような気がすた。
    
   3

 ――数分後
 姉の衿が逃げただかや?
 淡(あえ)え期待を抱いて教団内を探すちょった由香里は、関に発見され、アリサの前に引きずり出されておった。
 艦長の言葉から、姉は何とかレーザー光線から逃れた、と推理すた。
 だども、その方法は皆目予想がつかなかったのす。
 じゃが、教団員が衿の死体を置いた場所に、死体はねがった。そんで、死体置き場を隅から隅まで探すちょって、逆に関に発見されちまったのだった。
「由香里、おめさんは、衿の死体を盗んだわね。咲子姉の命令に背いたでがんす。教団の一員として許されねことだ」
 関が由香里の体をドスンと落とすと、アリサが嬉しそうに囁いた。
 不気味なものを感じた由香里は黙ってアリサを見返すた。
「実は、おめさんは艦長に催眠術を解かれたと思っちょるじゃろが、もうひとつの催眠術はまだ解かれてねえのよ」
 アリサが目を細めて囁いた。
「別の催眠術ってなんだべえ?」
「教えるだ。『はるな』でおめさんを手術する前、艦長が医務官と相談すちょる隙にわだすもおめさんに催眠術をかけたのすっぺ。わだすの言いなりになるようになあ。それは今まで役に立ってはいねけんど、ここでじっくり役に立たせてもらうっぺ」
「待ってくれ。どんな催眠術だっぺや?」
「まんずまんず、わだすの命令に従うようによ。せば、命令を下すわの。簡単な命令だっぺ。これから姉の美理と対決すてもらうだへー」
「嘘じゃ。駄目だっぺ。わだすのはごく弱えレーザーで、とても、あげな変身人間には適わねわ。わだすが牙でやられるわへー」
「おだまり。どげな状況でも戦士は戦うことを義務付けられているのさー。最悪のシナリオの中だどもじゃー」
 アリサは言うが早(はえ)えか、パンパンと手を打った。
 すっとー、由香里の意思に反すて、右手がレーザーのスイッチにかかっただ。
「や、やんだよー」
 歯を食いしばったまま、由香里は首を振って抵抗すた。
 だども、関と屈強の教団員に腕を掴まれて、強引にプールのある部屋につれて行かれた。

 美理は、また頭を揺すられて覚醒すた。
 まだプールサイドにおっただ。網は取り去られちょったが、二メートルくれえ先に妹の由香里が立ちすくんじょった。
 頭は嫌々をしちょるのじゃが、両脇から教団員に抱えられ、乳っこはまっすぐに美理を向いて、歯は食いしばっちょった。
「由香里」
 今は人間状態の美理は、思わず駆け寄ろうとすた。だども、由香里が涙を浮かべて頭を横に振った。
(おかすいっぺ)
 そう察知すた美理はとっさに後ろに向かって走り始めた。
 だども、「追いかけろ」っつう咲子の妹の命令と共に、由香里が自分を追いかけ始めた。
(催眠術だっぺやー)
 悟った美理は、後ろも見ずにプールサイドを走り抜け、入り口から外に飛び出そうとすた。じゃが、そこには屈強な教団員がまちかまえとった。
 おまけに、催眠術にかけられた由香里は、咲子の妹の命令があると、逆らえねえで、自分に向かってレーザーを発射すてきた。
「危ねえ。こっちだ。跳べ」
 広い実験棟のどこか、二階部分の張り出しの暗がりから鋭い女の声がすた。それは衿の声だった。
 美理は跳んだ。獣の意思と瞬時に変化できるようになってきた美理には、二階部分まで飛び上がることは造作もねかった。
 美理が衿の傍に着地すると、アリサが悔しそうな声をあげた。
「衿。生きちょったのかやー」
「ふっふっふ。おいどんがそう簡単にお主らにやられると思っちょるんかいな?」
 衿の気丈な含み笑いに、由香里が思わず問い返すた。
「だども、どげんして。何かあるとは思っていたけんど、方法までは思いつかねかった」
「実は、おいどんは昔、科学警察研究所にいとって、そこでも人間兵器の開発が行われていたんだちゃー。こげなこつ、お主らには言うてねかったけど、おいどんの乳も片方は人工で、中にレーザーが仕込まれているきにー。おまけに後ろからの銃弾を防ぐ目的もあって、防弾チョッキさ着ちょるきにー。だからー、さっきのは、防弾チョッキにレーザーが当り、人工乳首からおいどんのレーザーが発射されただけきに。おいどんの心臓は焼ききれていねえのよー。騙してほんまにすまんかったのう」
 勝ち誇った姉の説明に、由香里は嬉しさからか、がっくりと床に崩れ落ちた。
科学警察研究所っつうと、通称科警研科警研ってそんな研究やっていたかしら?」
 咲子研究員が怪訝な目を向けた。
「そんだ。対外的には秘密だきに。内部ではハイパー科警研って呼んでいるきになあ」
 衿も負けずに言い返すた。
「ほっほっほ。騙すんなら、身内から騙せっていうきに」
 衿はまた高らかに笑いかけたが、憎しみの目で見上げるアリサが叫んだ。
「二人を襲うがやー。中二階の張り出しの上だっぺやー」
 命令がかかると、由香里の体はヒョイと方向を変え、二人に向かってレーザーを照射し始めた。頭でどげん抵抗すても、言うことをきかんかった。
「逃げるきにー。二手に分かれれば大丈夫ださけえー」
 衿が叫びを発すて、恐怖で獣に変身しはじめた美理は張り出しの上を右方向に走り始めた。
 由香里は一瞬迷ったが、一秒後には、命令通りに、美理に向かって走っとった。
「マシンガンでも追い詰めろ」
 咲子の声に、教団の男たちが、マシンガンを持って美理の行く先を妨害すた。
 由香里も階段を上って、四足走りになりかけた美理の後ろから追いかけてきた。
 美理は、とうとう入り口の上の部分で追い詰められた。 

 由香里は今や、一メートルの地点まで姉の美理を追い詰めていた。
 頭のどこかでは「逃げてくんろー。お願えだ。後ろに窓があるだに」と叫んじょるのじゃが、どげんしても声が出てこねえ。 
 こちらを牽制しちょる美理も気がつかねえ。
 ついに、「やれ」という咲子の妹の命令とともに、自分の胸から、真っ赤な細い線が迸り始めた。
 レーザーは、迷うことねく、美理の眉間に突き刺さった。
 だども、その時じゃった。
 美理の後ろの、張り出し窓の外から男の手が伸びて、美理の前に何かを翳すた。
「カール」
 手を伸ばすたのは、カールじゃった。そんで、翳すたのは鏡じゃった。
 由香里は、嬉しさと安堵で、張り出し部分に崩れ落ちそうになった。
 だども、アリサがまた、「攻撃すっぺや」と鋭い命令を下すた。
 由香里の顎がまた上がって、指がスイッチを押すて、赤い線が走っただー。
 まだカールは鏡を翳すてた。その鏡に到達すた赤(あけ)え光は反射すて、今度は咲子研究員の眉間へ突き刺さっていった。
「危ねえ」
 一瞬早くその道筋に気がついたアリサが、赤い光が到達すた直後に、咄嗟に腕時計の強化ガラスの面を翳すて、咲子研究員を守った。
 だども、そこで屈折すたレーザー光線は、今度はまっすぐに由香里自身に向かって撥ね返り、由香里の眉間に吸い込まれてきた。
 ぎゃあと悲鳴をあげた由香里は僅かに顔を背けた。
 するとー、胸のレーザーは美理のいる場所とは九十度離れた地点のガラスに向かって迸って行き、そこで撥ね返り、今度は美理とは反対の窓にぶつかり、また反射すて、同様に九十度離れた地点の窓に当たり、再度、美理の眉間に向かって吸い込まれていっただ。  
 新たに生まれたレーザーの軌跡は、カールの鏡を翳すちょる面とは逆から突き刺さっていった。
 最初の防御で安心すて、かつ一瞬の光跡の変化で、筋肉の固まってちまったカールは、とっさには鏡の向きを変えられねかった。由香里も同様だった。
 数十秒間、照射は続いた。
 固まったまんまレーザー光線の照射を受けた美理は、じっと硬直すておったが、やがて、ふっと嬉しそうに微笑んだ。
「やっと終った。これで眠れる」
 そう呟いた半身人間、半身四足獣の美理が、ガラスを突き破って外の森の中にダイブすたのだった。
 
(第一部了)
おまけ、あるいは、第二部へのイントロダクション。

   1

 数日後。
 教団『ラー』の中でも、武闘派の『ラー・チップ』に属する大貫は、深い森の中で、演習開始を待っておった。
『ラー』は『パンジー教団』のある御岳(みたけ)山のさらに山一つ奥にある。
 今日は、埼玉の比較的に里の方に降り、森の中にあるロケット部品工場を襲撃する予定じゃ。
 一月後には国土交通省辺りを占拠の計画があり、部下にロケット砲などの使い方を伝授しなければならね。
 大貫は七十四歳。三島由紀夫の作った『盾の会』の会員だった。今もその当時の制服を着用すちょる。
 占拠の計画は大貫の進言できまった。占拠すて、官僚社会に対する檄文を読み上げるつもりだ。その先は、まだどうするか決めてね。病院や学校など、補修の必要な施設や道路はいっぺえあるのに、無駄な道路や箱物を作っちょる国交省に怒っとった。
 木の陰では、『ラー』のメンバーたちが、覆いを被せた懐中電灯の明かりの中で、復唱をしながら、RPGの組立てをすちょる。片耳を食われた男とちびで手の骨折がまだ完全に直ってねえ男である。
 RPG7は、ソ連で開発された対戦車ロケット弾じゃ。寸法は全長=九九〇ミリ、筒口径=四〇ミリ、弾丸径=八五ミリ、重量=発射機七キロ、弾=二・二五キロ、有効射程=三〇〇〜五〇〇m、初速=三〇〇m/秒、砲口=数メートルで、内部暖体ロケットに点火する。発火機構を改良したHEAT弾またはHE弾頭は、厚さ三二〇ミリの装甲を貫徹する。専用の光学照準機PGO7を使う。

 釧路が、一番熱心に組立てをすとる。釧路は二十歳代後半の青年で、最近『ラー』に入った。
 髪は金髪に染め、あまり体を使う戦闘訓練には熱心ではねえ。機械関係には興味はあるみてえだ。
 戦闘訓練にも積極的には参加せず、暇があると、教団のビルのほうさいって、若い女性教団員と遊んどる。
 本当は、あまり信用できねえのだが、戦闘部員がすくねえので、参加させざるを得ねえ。
「弾頭にブースターをセット。ポッチを上に向け、砲筒に根元まで差し込み、軽く押しながら気持ち左右に捻る。お、カチっと来た。これでハンマーを下げ、セーフティを解除すれば楽勝だ」
 RPGの弾頭は命中と同時に数千度の炎の球と化し、戦車や外壁や装甲を溶かすて、中の兵員を焼き殺す。
 だが、壁に命中しても、それだけで吹き飛ぶようなことはねえ。ちっと大きめの穴が壁に空く程度だ。RPGの弾頭が爆発の効果を一点に集中するようにできちょるからだ。中に入ってから大爆発を起こす。
 今回も、中に敵がいれば、火の球に焼き殺されるだろう。中のロケットも、胴体から部品に至るまで焼け爛れる。
 訓練であるから、ロケット部品の破壊と、燃料貯蔵庫の爆発だけを行ったらすぐに撤収する計画じゃ。
 大貫は、足音を立てぬように、崖の上のほぼ真っ直ぐな獣道を選び、崖の先端のほうへ移動すた。下生えの藪の小枝に躓きながら、道なき道を歩いた。
 微かに頂上らしくなっちょる部分を避け、下りぎみの斜面に来た。誰にも尾行されてねえのを確認すた。
 更に、充分な距離を取ってからDMC−120衛星通信アンテナを起動させた。
 これは、SATCOシステムっちゅう衛星通信システムで、アンテナを通信衛星の角度と方位に合わせて使う。
 コンパクト化され、携行が可能となってる。八〇年代後半から、アメリカ軍が、特殊部隊を中心に配備をしたものである。
 ナンバー2の熊川の持ち込んだものであるが、アンテナ開発会社から横流しさせたとか。安くはねえ。
 これと、スペクトラム拡散方式の暗号変換機器を組み合わせて、使う。
『前略、将軍・由比殿』
 暗号機が、充電のため、秘めやかな音を立て始める。ウォームアップまでに原稿を考える。通信文だのに文章が手紙調になっちまうのは、慣れてねえからじゃ。
『釧路の過去に関して、至急に情報を与えられたし。釧路に疑義なる行動が見受けられます。釧路に疑義が生じた場合は、作戦決行は中止。これは、全権を委任された自分の決断である。失敗は許されませぬ。五時までに回答なき場合は、自分の責任で作戦を中止します』
 ここまで原稿を書いて、いざ語例を選び出そうとすて、ほとんど語例がないのを発見すた。受け取るだけで、打つのは初めてじゃった。大貫は一度だけ受けた講習を思い出すて、慎重に言葉を選んだ。
『こちら大貫。釧路、疑問あり。五時までに返答なき場合、攻撃、中止』
「何を、一人でこそこそやってるんすか?そんなオタクっぽい道具より携帯でやったほうが楽なのに」
 打電装置が打電を終わらぬうちに、すぐ傍で釧路の声がすた。
「あ、いや、なに、つまらぬ確認事項だ」
 大貫は思わずしどろもどろになり、慌てて通信装置の蓋をすた。ここで釧路に勘付かれたら終わりだ。背中を冷たい汗が流れ落ちた。
「そうすか」
 釧路は大貫の言葉を信じた様子じゃった。
「じゃあ、五時の決行は、変更無しすね」
 釧路は畳み掛けた。
「あ、いや、まあ、ほぼ」
 大貫はまたも曖昧に頷いた。
「そうですか。ならば、隊長の大貫さんにも、RPGを持ってもらおうかな」
 釧路が軽い調子で、顔を近づけた。
「確か、武器全般に関しては、専門家なんすよね。訓練も受けてるし。栄えある第一号攻撃は、やっぱり大貫隊長でなきゃ」
 釧路が大貫の手を取り、畳み掛けた。
「五時なんて言ってねえで、さっさとやっつけちまいましょうや。どうせ訓練なんだし」
 釧路は強引に大貫の手を引こうとすた。大貫は手を払った。
「指令では五時に作戦着手のことと記されている。作戦は統一性を持ってやらねば失敗する。それまでに確認事項があるゆえ、釧路は自分の配置について準備を固めよ」
 大貫が毅然と言い放つと、釧路は不満そうに唇の端を持ち上げた。
「何か、不満か?」
 大貫が、目を上げると、額の前に、鈍く光るナイフの先が押し付けられとった。
「どういうつもりだ?」
 と、言葉には出したが、大貫は、やはりっちゅう思いだった。
「貴様、教祖に雇われていたんだな」
 大貫が、唇の端から、それだけ言葉を押し出すと、釧路は、言い憎そうに口を開いた。
「俺、本当は、こんなことはしたくねえんだけど、手を下した人間に百万だというから」
「そうか。して、依頼されたのは、貴様一人か?」
 大貫の声は、釧路の耳には入らなかった。
「俺、パチンコの借金が一千万あって、本当はやりたくないんすよ」
 釧路は、苦しそうに、ナイフを握り締めた。 

    2

 十分後。
 十二月に入ってすぐの長い夜は、まだ明けようとはしねえ。
水平線の彼方がほんの僅かだけ白味を帯びてきちょるが、他は、山も海も崖も、すべてが薄墨を流すたような、曖昧な黎明の中に佇んじょる。
『ラー・チップ』ナンバー1の由比から返事は来ねえ。公安などの情報収集に忙しく、他の任務に目を向ける暇がないのじゃろう。
 釧路は、何とか説得すて、持ち場に帰らせた。
人間を殺すのに慣れてねえ釧路は、できればやりたくなさそうじゃった。
 そこで、「任務の後、自分の腕を切って与えるから、それを証拠に持ってゆけ」と言った。
 自分が命を狙われる理由は、察しがついた。
 自分は、『ラー・チップ』の中では疎んじられとるんじゃ。
『ラー・チップ』の中では、由比と熊川とフランツ・ノーシが実力をもっとる。
 由比は、あちこちで悪さをすて、全国を流れ歩き、最後にここに漂着したらしい。四十歳くれえで、酒に焼けた不健康な顔をすて、普段は戦闘訓練もせずに、自堕落な生活をすちょる。
 表面では、檄文を読み上げると言っとったが、本当は金が目的らしか。
 熊川は元暴力団の構成員で、やっぱり、金が目的。年は三十五くれえなのじゃが、シャブに染まっておる。地下ルートで教団に入ってくるシャブが吸えるのが魅力で、教団にいついちょる。主に、団員たちに、銃の訓練や組み立ての指導などを行っちょる。
 フランツ・ノーシは、最近、どこかの教団から移ってきた。冷静沈着なのだが、何を考えているか分からね。 
 じゃが、チップの団員はまだ良い。
 教団を仕切っちょる幹部たちは、世俗にまみれ、できれば宗教的行事等を疎かにすて、今のままの生ぬるい生活に浸っていてえと思っちょる。
「いずれにしても、悪いのは税金の無駄使いをしちょる官僚だ。教団を立て直すのは、官僚に対して檄文を読み上げた後でも間に合う」
 大貫は無線を見おろすた。返事はまだこねえ。
「きっと、ナンバー2の熊川の差し金に違いない。あいつは日本粛清の計画には反対だから」
 その時、後ろから声がすた。
「大貫隊長さーん」
 大貫はゆっくり携帯をしまった。
 釧路だった。獣道の上で、カバーを掛けた懐中電灯を振り回すておった。
「もう、五時すよ。さっさとやっちゃいましょうや。もう、待ちきれませんて。大貫隊長が後方に回るっつうなら、俺らだけでも充分すから」
 釧路は、心の中の重みを告白すて気が緩んだのか、上機嫌だった。
 唇の端では、くわえ煙草のままの赤い火が、上下に揺れておった。
 大貫はカチンと来た。いつもくわえ煙草で喋るなとは言わないが、作戦の間だけは、自分の部下なのだ。それが、上官に向かって、くわえ煙草で喋るとは。
「作戦は、もう一時間延期する」
 毅然と言い放った。なんでそげな言葉が出たか、自分でも説明がつかねかった。
「あのねえ、隊長はーん。約束が違うじゃないすか」
 釧路が、横柄にタバコを口からぺっと吐いた。
 上下に揺れる赤い火が、放物線を描いて、地上に落ちた。後から唾が随行してゆくのが見えるようだった。
「確認に対する返事がきとらん。作戦は、全て系統だってやらねばならん。返事が来ぬのは、作戦のどこかに支障を来してる証拠だ。返事が来るまでは待ちだ」
「命令を無視、するんすか」
 釧路は反抗を露わにすた。
「何とでもほざけ。貴様が何と言おうと、作戦は延期だ」
 大貫は立上がり、比較的大きい声で告げる。
 釧路は、何を思ったか、突然ポケットから携帯を取り出すた。
「あのなあ、作戦は、延期だとよう」
 相手が出ると、不機嫌を絵にかいたようなトーンで、携帯に告げた。
 ここまで反抗すておきながら、それでも大貫の指示に従うつもりなのか?
「こんな山の中で、あと一時間も隠れて待つんだそうだ。ナンセンスも良いところだぜ」
 釧路が語り始めた時だった。
「え?」という答えと同時に、崖の向こうで巨大なマッチを擦った時のような、赤黄色い炎が走った。携帯をもったままの釧路の手が止まった。
 強烈な閃光が崖の上の獣道を釧路目掛けて走った。
 RPGのブースターは暖まるのに三十秒かかる。
 携帯のコール音を発射の合図だと勘違いすて、崖の上でハンマーを叩いた隊員が、釧路を振り返った。その途端に、RPGが発射されたんじゃ。
 ほんの数瞬遅れて、すざまじい炸裂音が、釧路のそばに立っとった樹を中心に広がった。
 黎明の中でもくっきりと、灼熱の赤と、目を射る黄色の炎の雲が立ち上がった。
 一本の木が爆風にあおられて、根こそぎ倒れた。幹の真ん中を裂かれて、枝が台風の時のように舞い狂った。
 土が抉れて舞い上がり、巨大な土塊が獣道の途中にいた人間の上にまで、噴水のように、降り注いだ。
 その場所にいた二人の人間を、もろともに中空に舞い上がらせた。
「暴発だ」
 呟く大貫の目の中で、特撮さながらの光景が展開されておった。
 
 どのくれえ経ったじゃろうか。大貫は我に返った。
 多分時間にすれば、五分くれえに過ぎぬじゃろう。
 黎明が進んどった。人の影が判別できるほどの明るさになっとった。
 暴発の瞬間の映像を思い出すた。
 確か、獣道には人間がおった。そんで、弾頭はその人間の肩を掠めて飛翔すて、飛び去ってゆくのがみえた。その先に木があった。
 キャーっと悲鳴がした。命中すたかにみえた。
 慌てて走っていってみると、女が倒れていた。上半身がライオンの形をしていた。だが、ライオン型の上半身は、急速に変化すて、人間に戻りつつあるように思えた。
 だども、口の周囲だけは、なかなか元に戻らねかった。口の周囲にはライオンの牙に似た歯が、びっしりとはえとった。
 女は額に小さい焦げ跡があった。
 大貫は、女の肩にやさしく手をかけて、泥と木の破片を払った。
 暫くすて、安心すたのか、口の周辺のライオン型の空洞は急速に収縮すて、普通の口に戻った。
「お、お前は、一体?」
 女は大貫の問には答えはねかった。
「君は誰なんだい? 名前を教えてくれるかな?」
 今度は釧路がやさしげに聞いた。女は安心すたのか、今度は、記憶をたどりながら、答えがあった。
「わだすは、美理。レーザーで額を焼かれたけんど、すぐに逃げたから、大丈夫。だども、他は覚えてねえ」
 今の爆発のショックで記憶喪失におちいったと思われた。
「よーし、この女を確保しろ」
 釧路の口調が豹変して命令すた。大貫の腕を切り取って持ってゆくことなんか、完全に頭からすっとんじまったようだった。

(おまけ了)。第二部は数ヵ月後の予定。