由美姐、15,16,17回目。

粗筋。アチキは由美姐の命令で、マトリの捜査の手伝いをすることになりやした。横浜港に停泊中の難破船の中で、マトリのGメンの一人が撃たれて死亡し、もう一人が湾岸署に命からがら駆け込んできたんでやんす。

(15回目)

    六

 十分後。深夜零時頃。

 うちらは大黒ふ頭近くに碇を下ろしちょるパナマ国籍砂利運搬船に潜入したんでんがな。

一部が破損して、船体の一部から浸水し、修理のために停泊しちょるっちゅう話でしたがな。

 詳しゅう言うと、小さい破損箇所からエンジンルームに水が入ったらしく、船体そのものに大きい損傷はなかったんでっせ。

乗組員は、臨時休暇で、全員、陸に上がっちょるようでしたなあ。

港で借りたハシケから難破船に乗り移りますると、甲板には友部若頭とベトナム人の死体がありましたが。

ベトナム人はこの寒いのにアロハに薄いジャケットで、若頭はピンストライプの三つ揃いのスーツでした。

懐中電灯で、照らしてみますると、二人は、互いに腹と胸に銃弾の痕跡を残しておりました。

が、最初は下の階で撃たれたようで、階段には大量の血痕と血の色をした足跡が残っておりましたがな。

ベトナム人は片腕の肘から先がありませんでした。どこぞで斬りおうた時に失ったんでおますやろ。

懐中電灯で甲板をくまなく照らしてみると、甲板端の柵にも血の跡がおました。

血の跡に向かっては、二十四センチくらいの血の付いた靴の跡がおましたから、ミエも撃たれたのでしょう。

おっと、姉貴の推理により、撃たれたのが偽装であるなら、こっそり持っておった血糊の袋を破って、甲板まで駆け上ってきたのは間違いありまへん。

ああ、ややこしか。

それから、二十八センチくらいの、男物の靴跡もありましたから、姉貴の推測が正しければ、後から、山城組の誰かが来たのかもしれまへん。
この足跡は、明らかに、ベトナム人や友部若頭や森田の靴跡とは別の形のもんでした。

ベトナム人と友部若頭の足跡は、死体に向かってついておりましたし、その周囲を遠回りに回っておる二十八センチくらいの足跡が、森田だろうと、すぐに推測がつきました。

それらとは別に、血の海の中から、舷側に向かって歩いておる靴跡がありましたさかい、それが、山城組のあとから来た誰か、かと推理をいたしました。

うちらは錆びかけの赤く塗られた狭い螺旋階段を、掌に汗を滲ませながら下りていったんでっせ。

棚の上の小物は放り投げられておりやした。

最後に聞いたラジオのチャンネルはFENだったようで、そのまま低く音楽が流れておりました。

読み捨てられた新聞や捨てられたメモなども散らばっておりました。

棚には石鹸やタオルなど、様々な生活用品が置かれ、血しぶきがかかっておりやした。

「おい、そこの役立たず。口にしっかり手拭を突っ込んでおきーな。現場では絶対にゲロするなよな」

 血痕が飛び散り、血の川のできとる部屋に入ると、姉貴がアチキの顔を強く見て、皮肉っぽい口調でゲキを飛ばしましたんや。

ほんま、そないなこと言われても、ダメなときはダメでんがなあ。 

 最初に撃ちあいのあった現場は食堂でおましたわ。

 血なまぐさい匂いとちぎれた腕が落ちていーひんければ、何の変哲もない食事用机とカラオケのある食堂兼娯楽室にすぎなかったでんなあ。

 せやけど、中は大量の血と鉄臭い匂いで、息が出来ひんほどでおましたわ。

 機密性を重視して設計されちょる船内は、外の気温とは反対に蒸し暑く、腐敗も早いようでしたのう。

食堂の入り口に立ったアチキは、中の惨状に声すら出ないで、入り口に固まったまま立ち尽くしておりましたがな。

口と鼻をハンカチで押さえて異臭に耐えながら、アチキはきわめて陰惨な室内を見回したんでっせ。

薄暗い電球が揺れる下、染みだらけの机の上には、大量の血が流れておりましたわ。

食事をしつつウイスキーを飲んで商談をしていたのか、外国メーカーのボトルと、飲みかけの黄色い液体を入れたままのグラスが残っていたんでっせ。

一つは上を向いたまま、もう一つはフルーツ籠の間で倒れたまま、静かに船の揺れに合わせて反復運動を繰り返していましたのう。

グラスにはグリースと血で鈍く光る指紋が残り、霧雨の中の旧式の街灯のように、黄色い照明を乱反射させておりましたがな。

アチキは一瞬、昔の映画『スティング』――競馬のダフ屋が地下の薄汚れた部屋で、マフィアのボスを騙して大金をせしめるのでおますが、騙し騙されで命をかける物語――を思い出したしたんでっせ。

映画では見事にマフィアを騙して主人公たちは逃げるのでおますが、実際にこんな閉じた部屋で撃たれれば、逃げ道は海中しかないのんは、想像に難うないでっせ。

机の上には食べかけの紙箱入り焼きそばと、青海苔やソースで汚れた箸もありましたが。山下公園傍の店のロゴ入りでしたなあ。

マヨネーズはかかっていーひんかったです。マヨの小袋も見当たらなかったから、入れ忘れたままもってきたのかのう?

マヨが嫌いならいざ知らず、一味足りひん焼きそばは、人生最後の食べ物にしては味気なかったに違いないでおましたやろなあ。

それはとも角、密売人が食事をしている時に、かなりの撃ち合いと斬りあいと殴り合いがあったらしゅうて、机上の大量の血の脇には、中途半端に噛み砕かれた焼きそばの塊がへばりついておりましたがな。

麻薬の売り手の口の中から吐き出されたのか、買い手の喉の中から押し出されたのかは不明だったんでっせ。

島状に盛り上がる焼きそばを侵食しつつある血の海は、端のほうから乾きかけておりましたなあ。

焼きそばのほかにテイク・アウトのピザがありましたが、手はつけておらんかったなあ。

(16回目)

    七

森田はんの話と血の乾き具合から、三時間ほど前に事件は起こったらしいでっせ。ほんまに。

Gメン森田がハシケを操って横浜湾岸署に向かい、途中で救急要請をしたのが二時間前であるから、森田は、逃げるまでの数時間をこの船のどこかに隠れていたことになりまんなあ。

片腕を撃たれ、深い創でよく耐えたものだと思いますると、やはり麻薬Gメンであるには、人並外れた根性が要求されるのかもしれへんなあ。

机の脇には碇の刺青を入れた剥き出しの腕が、無残にも千切れた状態で一本落ちていたんでっせ。

陽に焼けてナイフを硬く握ったままの肘から先の腕どした。

拳銃で狙い撃ちされ、その後ナイフで斬られたのか、肘の関節が砕けた状態で、ぐじゃぐじゃに細断された肉の間から白い欠片が見えておりましたわ。

周囲には薬きょうや開封された麻薬の小袋や、私から見れば高額な小切手――千ドル――が一枚、血に染まったまま落ちていたんでっせ。

千切れた腕は、血管が数ミリも浮き立つほど強く拳銃を握っておりましたがな。

銃撃のエネルギーをまともに受けて、千切れたところからは、生白いピンクの管が数センチも飛び出しており、ミンチ・サイズから大きな塊までの幾つかの肉魁が、管の周囲を取り巻いていたんですなあ。ほんまほんま。

ピンクの管は、一目見ただけでは血管か神経の束か判別がつきひんかったどすなあ。

それらはすっかり乾ききっておったのどすが、姉貴が持ち上げると、何滴かの赤黒い血液が、じとじとと押し出されてきたんでっせ。

そこまでを一瞬で見て取ると、アチキは、思わず口を押さえて、今さっき降りたばかりの階段を駆け上りましたがな。

突然吐き気を催したのでありますのや。

あまりに突然だったんで、後ろにいた姉貴が壁にぶつかったほどでしたなあ。

吐き気の原因は傍におちていた拳銃の型だったんでっせ。

拳銃は連射ではなく、一回一回撃鉄を起こす回転式どした。

森田はんのものでっしゃろか。

腕はベトナム人のものでっしゃろうが、そばには女物のブランドバッグ――グッチ――落ちてましたがな。

ミエのものだっしゃろなあ。中から写真が覗いてましたなあ。

碇の刺青をいれ、黒く日焼けした写真でおました。

――密売組織に潜入するために、船員風に碇の刺青を入れて、陽焼けサロンで黒く焼いたのですやん。

それが、まじで、命をやり取りする現場になっちまったんどすなあ。

――何ヶ月も極秘捜査をし、言葉も体も怪しまれないように改造し、やっと潜入が許されたと同時に、突然撃たれるとは……。

撃たれたっちゅう森田はんの情報を信用するとしてだすが。

そう思った瞬間、アチキは雷に打たれた以上のショックを受けましたでんなあ。

とうとう我慢のできなくなったアチキは、甲板端の鉄の柵に身を乗り出して、海の中に激しく嘔吐したんでっせ。

「どうだ。新人。マトリほど素敵な商売はねえじゃろう。こういう現場を数回見れば、おメーさんも、確実に数キロは痩せられるぜ」

 胃の中のものをすっかり吐き終わった頃に、後ろから嫌味たっぷりの低い声が聞こえましたん。

 振り向くと、とっぷりと日の暮れた霧雨の中でタバコに火を点け、細い目で天を仰いでいる姉貴どしたん。

 八

うちらはそれから、一時間かけて、船の中じゅう探しまわりましたん。

何をって、勿論、持ち去られたブツか金の隠し場所を特定するための手がかりだす。

「もしも、もしも撃たれても逃げ出せたと仮定してだがのう」

姉貴がつぶやきおりました。

「ミエは、ベトナム人と若頭が撃ち合いをしている間に、海へ逃れ、ベトナム人の乗ってきたボートで逃げたんだろうなあ」

ミエと森田はウエットスーツで泳いできたのやさかい、脱いだ服は、船の周囲に浮いているはずだすが、暗いんで、確認できまへん。

 次に、森田は、後から急襲してきたどこぞの組の舎弟の眼を逃れてどこぞに隠れておって、友部若頭の乗ってきたボートで逃げたんでっしゃろな。

自分も腕を負傷しとったんで、もし眼が合うたとしても、後からきた舎弟とそれ以上撃ち合う気はありまへんどしたやろう。

 そして、全部を横取りした舎弟は、自分できたボートで逃げたんでんなあ。姉貴の推理でゆけばだすが。

逃げる途中で、靴のかたっぽでも脱げておれば、手がかりになりまんがな。

 そう思ったのだすが、そないな、シンデレラみたいなアホな舎弟はめったにおらへん。

「しゃあないな。後は、警察にお願いして、横取り犯の手がかりを探してもらうか」

 姉貴は、そうおっしゃいますと、やっと、警察に電話をかけたんでっせ。

(17回目)
 第三章

    一

作者「ストップストップ。やっぱり、大阪弁は苦しゅうて仕方おへんがな。ばってん」

読者「荒川」バシ。「て、九州しか受けんて」

作者「がってんで」

読者「それは、時代劇」

作者「満点」

読者「パパ」バシ。「伸介かー。て、古いがな」

作者「ならば、半纏」

読者、バシ。「それは、着るもの」

作者「寒天」

読者、バシ。「それは食べ物。だから、この先、どうしようと思うてまんのや?」

作者「だから、また任侠言葉に戻そうと。満点」

読者「そやから、最初からそのままにしとけばいいんや。パパ―。て、伸介かー」

   二

十二月も半ばの横浜港は冷たい雨が降っておりやした。

肌を突きとおす細かい雨と深い霧に覆われた早朝の港は、体の芯が震え上がるほど冷え込み、人も波も船すらも、ムンクの絵にある沈欝なグレーに塗り込められておりやした。

午前六時。

アチキと姉貴は横浜湾岸署に向かったのでがんす。

病室の外には監視の警察官がいました。森田の要請で、はりついているのだとか。

本当はどこぞへ逃げたいのだけど、逃げたら横取りしたと思われるので、ここにこもっていると思われるんでございやす。

所轄では、命からがら逃げてきた男と面会し、生まれて初めて麻薬Gメンなる者の顔を、至近距離から見ました。姉貴以外のGメンでございます。

姉貴は何の職業をしても、一目で元極道の姐と判明いたしまする外見をしておりまするので、参考にはなりやしませぬ。

映画ではいつも銃の手入れを怠らないコワモテの風貌で描かれるんですが、今日見た男は、四十歳くらいで、のっぺりとしてどこにでもいそうな顔でございました。

腕には深く銃創が走っておるようで、片方の腕だけ白い包帯を巻かれて横浜湾岸署の医務室に寝かされておりやした。

頭部を強打したのか、ところどころ血に染まった包帯をぐるぐる巻きにされた顔には精彩がなかったでございます。

というよりも、斑記憶喪失は本当らしく、表情そのものすら窺えなかったでんなあ。

無機質な廊下の先にある警備の人間でガードされておる医務室。

コンクリートと鉄と白っぽいカーテンで囲まれ、刑務所とよく似た箱の中に横たわる麻薬Gメンは、左脳の一部麻痺、前頭葉の機能不全に陥っていると教えられました。

男は警察に対しては、名前以外は一切語らなかったのです。

一緒に潜入した同僚の名前も、自分の部署すら覚えてないと言っておりました。

姉貴は怒っているんでございました。

「なんで、わてに言わんで、二人で行ったのや」

 ――チャンスがあったら横取りするために決まってるやおへんか。

 言わずもがなの質問に、相手は記憶喪失を装って、頭を抱えておりやした。

「そやかて、姉貴に言ったほうが怖いんと違いまっか。なあ」

とアチキが応酬しますと、ベシっと後ろから平手打ちが飛んでめえりやした。

「口には気をつけろ。目玉を失いてえか」