由美姐、24,25,26回目

粗筋。アチキ(小夜)は由美姐に命じられて、マトリの仕事をすることになりやした。
横浜の難破船でシャブの密売が行われたようで、売ったほうのベトナム人と、買った方の山城組の若頭が撃たれて死んでおりやした。
そこへこっそり忍びこんだマトリの一人は海へ落ちて死に、もう一人は瀕死で湾岸署に船で逃げ込んだのでございやす。
アチキは、やましろ組の賭場へ証拠をつかみに潜入せよと姐さんから命じられやした。

(24回目)
    七

次は、カジノでございます。
 どの方法で行こうかと、原付バイクの周囲を何度も歩き回りました。
 ですが、方法は一つしかありませぬ。他でもありやせぬ、電話の修理でございます。
 実は、これは、姉貴が推薦し、道具まで持たせてくれた方法です。
「賭博をやっているとしたら、その最中はケータイはご法度で、クロークに預けるんだ。だから、電話はクロークの所の一本しかねえ。よって、電話線を切断しちまえば、修理を頼むしかねえ」
 姉貴は、さっき、そうおっしゃいました。
 確かに、最近のケータイは、テレビ機能がついておるんで、色々と悪さができるんでございます。
ダチとつるんで、相手の後ろへ回って、相手のカードを撮影すれば、簡単に相手の手が判明してしまうでございやす。
 よって、賭博場では、ケータイの持込は禁止されておるんでございます。
まあ、これも、親父が賭場を開いてくださった経験があったので、知っておるんでありんすが。
 しかし、電話線切断と一言で申しましても、電柱を上るっちゅう作業をせねばならないのでございます。それも、着物で、命綱をつけてでありんす。
まあ、出てくる前に数回、強制的に練習をさせられましたので、コツはつかんだのではございますが。
「何で、アチキがこんな苦役をせにゃあかんのや」
 ぶつぶつと不平不満を申しながら、ぞうりを脱いで、命綱を電柱にかけました。
そして、足袋で、えっちらおっちらと足掛けのあるところまで登りやした。
苦しいし、怖い。
でも、やっと、上まで上りました。そして、でっぱりに腰を下ろして電話線の接続部分を探しました。
まずい。二本の線が延びているんでござんす。
一本は電線に違いありませぬ。
困りました。間違えたら、黒焦げでございます。
 落ち着け。
そう自分に言い聞かせて、注意して見ましたら、片方は、変圧器(トランス)を経て伸びておりました。
こちらが電線に違いありません。
 それでも、こわごわと姉貴から渡されたゴムベルト付き留め金を電話線――と思われる――にかけました。切断した電話線が落ちないための防護留め金だとか。
まるで、電話線切断のプロのようでして、一体、姉貴は、マトリでどのような仕事をなさっておるんでございましょうや。
 それはさておき、留め金から高電圧の電流が流れて、アチキの体から煙が昇ることはございませんでした。
 まずは、一安心。
留め金は二箇所でがっちりと電話線に食い込む設計になっておりやして、その真ん中で切断しても、電話線がぶらりと地面に落ちることはないんでやんす。
 鉄板切断用の頑丈なカッターを取り出して、留め金の中間に目標を定め、力をこめました。
 硬い。硬いでやんす。想像以上の硬さでございます。
まあ、台風でも切れないように丈夫にできておるんで、硬いのは当たり前なんでしょうが。それにしても硬い。
 アチキは全身の力をこめて、ぎこぎこと端から少しづつ切ってゆきました。
 ようやく切れ終わると、留め金がひっぱられ、電線は少し下にたわみましたが、地上から数メートルの上空でありんすし、夜ですから、誰にも気が付かれずに済みました。
 カッターを腰のベルトに戻して、そろそろと電柱を下り始めました。
 下りも楽ではありませんでした。
ちょっとの安堵が生じまして、つい足が滑りそうになってしまうのでございます。
でも、何とか下まで下り、肩で息をついて、安全ベルトをはずしました。
電柱と道路の向かいの古びた倉庫を見上げました。
寒いです。マントは羽織ってこなかったんで、寒風がミヤツ口を吹き抜けてゆくでござんす。
さあ、これからが勝負でございます。
急いで原付バイクに戻り、時間がなかったので、着物の上に作業服を着用いたしました。
足袋は脱いでおる暇がなかったので、その上から作業靴をはきました。
えらいウエストの太い作業員でやんす。
おまけに着物の裾をはしょっておりますから、太ももも異常に太いんでありんす。
仕方ありません。この際、プロポーションがどうのこうのと申しておる場合ではございませぬ。
それから、電話局にケータイで電話を入れました。
修理の依頼がきていたら、断らないといけないからです。
案の定といいましょうか、やっぱりと言いましょうか、どなたかのケータイで修理の依頼が舞い込んでおりやした。
アチキは今のは勘違いだったと言い、修理の依頼を断りました。
そして、ゆっくりと倉庫の扉脇にあるブザーを押したのでございます。
(25回目)
     八

しばらくは何も起こりませんでした。
ブザーの音も聞こえませんし、窓に灯りが点ることもございません。
アチキは数回、押しました。
が、何の変化もありませんでした。
不安になってまいりました。
倉庫の周囲には防犯カメラが設置されておって、さっき、アチキが電信柱に登っていたのが見えていたんじゃないか。
そうだとしたら、どうなるんでございましょうか。
もしかすると、今、中で、狙撃隊が組織されているのではないか。
だとしたら……。
などと考えておるうちに、上のほうから鈍い音が聞こえてきました。
見上げると、昔の映画にあるような、鉄柵で囲まれたエレベーターが三階からぎしぎしと音を立てながら降りてまいりました。
倉庫の端で、スレート壁の外にあるということは、昔は、荷物運搬用として使われていたと思われまする。
エレベーターが止まると、中にいた黒ずくめ――暗くてよく分からないでのやんすが――の男が、柵を開けました。
「電話の修理にうかがいました」
 極力事務的な声と口調で申し上げやした。
「早かったじゃねえか」
 男は、ボソッと言葉を吐きますと、アチキが乗り込むのを待って扉を閉め、レバーをひきました。
 ビビアン・ウエストウッドの出てくるような、ある意味では趣のあるエレベーターは、ゆっくりと上がり、金属のこすれあう音を立てて、三階で止まりました。
 鉄柵扉を開けると、そこは、鉄製の踊り場でした。
男は、鍵でドアを開け、薄暗い廊下に入りやした。
 そして、廊下を進み、扉を二つ過ぎたところで鍵で分厚い扉を開きました。
 そのドアを抜けると、突然、まばゆい光とサンバのメロディが襲いかかってまいりました。
この階だけは、防音装置がきっちりとほどこされておるんでしょう。
 耳を弄する音楽、ルーレットが回る音、スロット台が回転する音、笑い声、などなど。大盛況でした。
 思わず、ぼんやりと見とれていると、案内してきた男が、こっちだ、とぶっきらぼうにおっしゃいました。
 その声で、電話の修理に来たのだと思い出しました。
 わざとらしく修理道具の金属製の音を響かせ、アチキは、案内の男の後について、部屋の片隅のクロークと書いてある箇所に向かいました。
「電話は、ここだけ?」
 極力事務的な声で訊きました。
「他にも事務所にも」
 クロークに詰めていたいかにも執事顔の男が、二つ隣のドアを指しました。
「じゃあ、ここのから始めますか」
 クロークは薄暗く、後ろのクローゼットには、ずらっと客のコートやジャケットが並んでかけられております。
隣のドアからは、忙しく、ピザやアルコールを載せたトレーを持ったボーイが入ったり出たりしております。
 アチキは、薄暗がりの中で、電話機を分解にかかりました。
そして、中の部品に聴診器のような物――姉貴が持ってゆけと言ったのでございますが――を当てて、微弱な音を聞き取りました。
 執事顔の男が、じっと見つめておりますので、心臓はばくばくと波打っております。
故障すると変な音がするので、それをキャッチしようとしていると、彼の目に見えることを、心底から願っております。
 しばらくして、その受話器を組み立てまして、執事顔の男に聞きました。
「これ自体は異常はありません。とすると、外の電話線以外には考えられないですが、念のため、もう一つの受話器も点検させてもらえますか?」
 ここよりも、隣の事務所のほうが、秘密の話をする確率が高い、と読んだのでございます。
「電話線なら、そっちは点検の必要はないだろう」
男は、ぼそっと答えました。
失敗したでやんす。
結い上げた髪の上からかぶった帽子のゴムが、ぎしっと頭皮に食い込むのを感じました。
確かに、敵さんのいうとおりです。
しかし、盗聴器は、そっちにしかけなきゃ意味がございません。
 そこで、勝負に出ました。
「そうですか。では、外の電話線を先に点検させてもらいますが、そっちにも異常がなかった場合、またこの電話機を分解しなきゃなりません。それに、さっき、ドアの外で待っている時、十分以上待たされました。それをまた繰り返すとなると、二十分以上は電話不通の時間がかかることになります。もしその間に、どこぞの親分さんが急に参加したいと思われて、電話をなさってきた場合、電話がつながらないとなると」
「分かった。分かった。しかと分かった。事務所から調べていい」
 執事顔は、黒尽くめの男に、くいと、顎で合図をなさいました。
 黒尽くめの男が、案内してくれたのは、壁にずらーっと防犯用のモニターの並ぶ事務所でした。
 賭博場の各所に設置してあるカメラで、不正がないかを監視している場所でございやす。
 モニターの前には、四人ほどの組員の方々がはりついておりやして、一人三台ほどの割り当てで、監視をなさっておられました。
事務所の真ん中にはソファーやテレビなどがございまして、飲み物や、コカインと思われる白い粉の袋が無造作に置かれておりました。
が、組員の方々は、今大切なお仕事の最中で、誰も、それらに手を出す者はおられませんでした。
アチキは早速、部屋の隅のテレホンデスクの上にある電話機の解体にかかりました。
が、隣で、黒尽くめの男が、じっとみつめておりました。
これでは盗聴器の仕掛けができません。
ちょっと肩をそびやかして、甘え気味に言いました。
「あのう、音が煩くて、機械の雑音が聞こえないんだけど、小さくしてもらえるかしら。不具合があると、独特の雑音がするの。お願い」
相手は、電話会社の人間と信じておるようで、すぐに、音源調節装置のあるほうへ向かいました。
しかし時々ちらちらと後ろを振り向いております。
まるで、こいつの手元を監視してなきゃ怪しいが、それでも、本当の故障で、こいつが本当の修理人だった場合、修理をさせなきゃ、自分が兄貴分に焼きをいれられるかも知れねえし、そのためには、こいつの言うように、ボリュームをさげなきゃいけねえし、と思っておられるようでした。
アチキは周囲を見回しました。幸い、黒づくめはアチキからは見えないところに行ってしまいましたし、皆がモニターに釘付けで、誰も、こちらの方に注意を向ける輩はおりませぬ。
大急ぎで、盗聴マイクを埋め込み、組み立てにかかりました。
やり方は姉貴に叩きこまれておりましたので、簡単でございました。
埋め込みと組み立てはすぐに済み、黒尽くめが帰ってきたときは、全て終わっておりました。
「どうも。ありがとうさん。これも異常がなかったの。なので、外の電話線を点検させてもらいますね。何、すぐに済みますわ」
といって、軽くウインクをしてドアに、向かいました。
本当は駆け出したい心境ですが、そこはぐっと堪えて、すり足に近い速度で進みました。
(26回目)
    九

 黒尽くめは、鍵を開ける必要があるので、後ろからがちゃがちゃと鍵束を取り出しながら、付いてきました。
 しかし、廊下へ続く扉を開けた時に、思わぬ災難が待ち受けておりました。
 廊下からちょうど中へ入ろうとしていた男がおったのです。
それは、三軒となりの事務所で株のデイトレードをしていた舎弟でした。
 心臓がきゅんと縮まり、口から飛び出しそうになりました。
 顔を見られたら、一巻の終わりでございます。
さっき防犯装置の点検と言って、組の事務所に行ったばかりなのでございまするから。
アチキの足が一瞬、そこで止まってしまいました。脇の下からザーッと冷や汗が落ちてきました。
どうしよう?
くるりと後ろを向いて、忘れ物を思い出したふりをして、取りに行きやしょうか?
だめじゃ。余計に注意を引いちまうぜ。
注目されずにやりすごすのが一番でやんす。
作業服を着ておりますし、作業帽をかぶっておるので、さっきの着物の姐御とは、よもや思いはしねえでしょう。
しかし、ウエストが不自然に太いし。
いやいや、きっと、作業用のウエストポーチが後ろに回ったとしか思わないだろう。
どうか、気が付かないで、素通りしておくんなさいまし。
必死で下を向いて、平常心を装って、傍を通り過ぎると、株取引をしていた男は、ちらっとこちらを見ただけで、特別注意を払わずに通り過ぎ、カードの台のほうへ向かっていったのでございます。
思わず息を吐きまする。
「さっさとしてくれねえかな」
いつの間にかアチキを通り越して、先に廊下に出ていた黒尽くめが、廊下の先のほうで、自分の仕事に徹するかのように、アチキをせかしよりました。
その言葉で自分が電話会社の人間に変装しているのを思い出しました。
今までの遅れを取り戻すかのようにそそくさと廊下を急ぎ、外への扉をくぐりました。
今度は、黒尽くめは、一緒にエレベーターに乗りはせずに、レバーの押し方を教えただけで、さっさと踵を返してしまいました。
「終わったら、電柱の上から終了の合図を送ってくれればいいから」
そうおっしゃって、中に入ってしまいやした。
アチキは、腹の底から安堵の息を吐きやした。エレベーターを下に動かすのを忘れて、数分間、うずくまっておりました。
すると、ポケットの中で、ぶるるるとケータイが振動しやした。
ヒッと思って、出ると、トシでございました。
「どうしたんだ? 誘拐されたんじゃねえのけ」
思わず安堵の声を出しますると、笑い半分の声が返ってめーりやした。
「君の姉貴、馬鹿だよね。誘拐しておいて、ケータイを取り上げないでやんの。それに、僕が、オランウータン並の腕力を有しているって知らないの。だから、天窓からしのび出して、閉じ込められたところから出てきちゃった」
「そりゃ、そりゃ。で、どこ?」
 相手は場所をいいました。這っているのか、ずるずると体を引きずる音が混じりました。
「はあ、野毛山動物園の傍。姉貴の居たところのすぐ傍じゃん。迎えに行こうか。這って帰るんだ大変じゃん」
アチキは申しましたが、相手が、一人で帰れるというので、じゃあ、と電話を切りました。
そして、まだ、電話線の接続が残っておるのを思い出して、やっと冷や汗でびっしょりになった腰を上げたのでございます。

追伸。明日から仕事なので、明日から三日分です。
それと、選挙。民主党が圧勝でしたねえ。まあ、マニフェストはおいおいやっていただくとして、一番先に小沢君にやってほしいのは、拉致被害者の救出ですねえ。小泉君もそれをやってあれだけ人気を継続させたのだから、ぜひ、その線でいってほしいですなあ。