由美姐、27,28,29回目

粗筋。アチキ(小夜)は由美姐に命じられて、マトリの仕事をすることになりやした。

横浜の難破船でシャブの密売が行われたようで、売ったほうのベトナム人と、買った方の山城組の若頭が撃たれて死んでおりやした。

そこへこっそり忍びこんだマトリの一人は海へ落ちて死に、もう一人は瀕死で湾岸署に船で逃げ込んだのでございやす。

アチキは、やましろ組の賭場へ証拠をつかみに潜入せよと姐さんから命じられやした。

そこで、やましろ組の賭場の行われているビルのそばの電話線を切って、電話の修理を装って潜入したのでございます。で、ひやひやしながらも、なんとか盗聴器を設置して脱出いたしやした。

(27回目)
     十

でもって、電話線の接続は、思った以上に困難でやんした。
さっきは気を張っていたので、電柱に登るのもそんなに怖くはなかったのですが、安心した後は、怖さが先にたって、上り下りに十分以上かかってしまいやした。
電柱の頂上でも、風が怖くて、無事に全てを終わらせたのは、二十分以上後だったかもしれませぬ。
もし、この間、どこぞの親分さんが、急に賭博をなさりたいと思い至っておりましたら、きっと、激怒して、舎弟を叱りつけていたかも知れませぬ。
あ、いや、ケータイは死んではいないのですから、山城組の親分さんのケータイにかければよろしいか。
ま、それはともかく、全てが済んで、バイクに戻って、受信用の機材を点検いたしました。
点検終了の合図の電話をするのを忘れていたと思い出したのは、下りた後でした。でも、まあ、よろしいか、合図の方法も知らないでやんすし。 
 電柱の下の側溝の中には、上から紐でつるして、ケータイ程度の大きさのマイクロ・レコーダーをおいてきました。
 で、自分の仕事が完璧に遂行できたかを確認するために、一つはなれた道にバイクを止めて、盗聴器の点検にかかりましした。
 周波数を合わせると、受信機には、次々と、事務所内の会話が流れ込んでまいりました。
盗聴器は確実に仕事をしているようでございます。
しばらく、耳にイヤフォーンをつけて、バイクにまたがって、音楽を聴くふりをして、盗聴器の音に聞き入りました。
本牧や山下町は木が多く、陰になるので助かりました。
一時間ほどそうやって聞き入っておりました。
たまに人が通る時には、作業着であることを利用して、どうもうまくいかないなあ、この辺に盗聴器があるはずなんだがなあ、などと聞こえ加減に呟きながら、盗聴バスターズを装いました。
今日は、事務所の方は、留守番のあのあんちゃんが一人でいるだけのようで、会話は賭博場からだけでした。
それも、ほとんどが、どいつが怪しいとか、あいつは、親分筋に当たる組の舎弟で、うっかり声をかけると問題になる危険性があるんで、もう少し様子を見ろだとか、賭博に関するものだけでおました。
十キロのコカインの取引は、山城組にとっては些細な、話題にするような事例でもないのでしょうか?
まあ、『極妻』を見ても、親分さんたちの博打となると、一晩で数億が動くらしいですから――うちの親父さんが催した賭場ではどくらい動いたか教えてはくれませんなんだが――、五千万くらいは、目くじらたてるような大金ではないのかも知れませんが。
一時間ほど盗聴バスターズまがいのことをしておりましたが、コカイン紛失事件に関して、誰も話題にしないので、そろそろ帰ろうかと思い始めました。
ですが、もう少しと思って、十分、がんばってみたところ、一回だけ、情報が流れてめーりやした。
山城組の親分さんが、ケータイで若頭に、「例の件はどうなっておるんじゃ」とお聞きになったのでございます。
山城組には、刈谷という名の若頭がいると、姉貴から教わっておりましたので、「刈谷に電話しろ」とお命じになった時点で、相手が若頭だとすぐに分かりました。
「ふん。金もブツも見つからねえんだな」
相手の方が何かおっしゃいました。
「さよか。ならば、うぬがきっちし始末をつけるんじゃな。ちゃっちゃとやっちゃれや。五千万と言やあ、うちの組にとっても小せえ額ではねえしよう。それに、わては、気が短いさかいにのう」
 相手の方が、了解しやした、とお答えになったのを最後にケータイは切れました。
 どうやら、若頭はんが、責任を持って回収なさると断言なさったのだろうと思われまする。
それにしても、今回に限っては、姉貴の推理は外れたようでございます。
この会話の様子では、金もコカインも山城組の手中に入っていないようです。
 (28回目)
      十一

 さらに一時間後。
こんな仕事辞めてやると決心して家に帰りますると、姉貴がしょげかえっておりました。
 すぐに帰っても良かったのでがんすが、姉貴に仕事をしていたと思わせるために、浜の近くのカラオケで歌ってから帰ったのでございやす。
姉貴がしょげかえるのは、張り切っているのと比べて、害はないですし、妹としては嬉しいことでやんすが、一応、心配顔で訊いてあげ申した。
「何かあったのかい?」
すると、姉貴がボソッとおっしゃいました。
トシが誘拐されて、脅迫状が届いているんだとか。
アチキは、トシが逃げ出したことを承知しておりやしたが、少しは姉貴を心配させたほうがよいと思い、できるだけ心配顔で、嘘ーーと叫んでやりました。
「さっき、コトンと音がしたんで、オメーが帰って来たのかと思って、玄関を見たんだよ。そしたら、新聞受けの間から、こんなもんが差し込まれておったんじゃ」
姉貴は脅迫状と書かれた白い封筒を差し出しました。
マジでしょうか。まじだとしたら、几帳面な犯人でやんすが、それにしても、トシはいつ誘拐されたんでしょうか。
一人で帰る途中に山城組の舎弟にばったりとであったんでしょうか。まあ、山城組の組員は大勢いやすから、なきにしもですが。
脅迫状は次のような調子でやんした。
『前略。極道にはあるまじきことをしちまいやした。おたくのでーじなトシさんをお預かりしておりやす。ついては、横取りなすったコカイン十キロもしくは五千万円をトシさんの身代金がわりに頂戴いたしとうござんす』
 ふむ。このお人はんにとっては、ヤクの密売は極道にあるまじきことではなく、誘拐だけは、あるまじき事なんでございましょう。
さっき盗聴していた時の電話の内容と照合しまするに、脅迫状を書いたのは、若頭の刈谷君であると推測されやす。
おやっさんに何とかしろと命令されて、誘拐なんつう手に出たのでございましょうか。
脅迫状は続きまする。
『本気である証拠に、小指を同封いたします』
 そこで姉貴が分厚い封筒を逆さにすると、小指の先がぽろりと零れ落ちやした。
「キャー」
 思わず悲鳴を出して、一メートルも後ろに飛びずさりますると、姉貴が、驚くねいと制しやした。
「小学生にしては、ちょいと大きすぎねえか」
 確かに、トシは、ゴリラかオランウータン並に腕が発達しておりますが、小学校四年ですから、トシのものにしては第一関節までの長さがちょいと長すぎやす。
「鑑識を呼ぶぜい」
 姉貴がケータイを取り出し、西島警部を呼び出して、何かごにょごにょと囁きました。
「すぐに鑑識のものを呼ぶってさ。それまでに小指の指紋を探しておいてくれってよ」
 電話一本で警察の鑑識を呼びつけたのでございます。
(29回目)
       十二

 十分後。
西島警部、菅原警部と、鑑識の人間と、捜査会議をいたしました。
小指の指紋は、鑑識が来るまでに、トシのコンビニまで行って、トシが使いそうなものを採集してきやした。
小指の指紋となると、なかなかありませなんで、マウスがちょうどよいかと、ようやく決定したのでして、持ってきたんでありんす。
その間に、トシにケータイを入れたのでございまするが、電源は切られておるとのアナウンスが流れただけでした。
どうやら本当に誘拐されたらしいです。
にわかに心配になってきました。
さて、鑑識さんの調べたところによりますと、やはり、小指はトシの指紋とは別でありんした。
どうやら、脅迫状の『本気』とは、誘拐が本気という意味で、小指を落としたのは、若頭が、自分の部下、もしくは同僚の不始末――横取り――の責任を取ってのことだと思われました。
脅迫状の先を読みますると、明日、身代金の運搬方法を電話で教えるので、それまでにコカインか五千万を用意せよと書いてありました。
脅迫状には指紋はありませなんだ。
それと、脅迫状は、パソコンの文字でございましたから、生活安全課にある、山城組の組員さんたちの書いたメモ――別件での捜査の最中に収集したもの――と照合することは不可能でござんした。

「『横取り』と書いてあるんだから、どう読んでも、誘拐犯は山城組の連中だよねえ」
アチキが呟きますると、菅原警部が、口を開きました。
「情報が少ない中で、即断は禁物だ。山城組の連中のふりをして、別人が書いたのかもしれねえ」
 アホウかこいつは、と心底思いやした。
『横取りされた』と書いてあるじゃねえか。
昨日、ブツを横取りされた事実を、山城組の組員以外の、誰が知っておるっちゅうんじゃ。
 それよりも、翌日に連絡が来るっちゅうことでありまして、これ以上の対策は練ることができないんでやんすから、捜査会議はここでお開きとなりました。
最後に、身代金として渡すコカインは最悪、マトリで廃棄が決まった物を流用することにいたしました。
あちこちで摘発して、集めた劣悪なコカインでございます。
何度か卸しの手を経ており、純度は良くありませぬが、まあ、あいつらは、すぐにはベトナム人が持ち込んだ物と同一かどうかは分からないだろう、と姉貴が申しました。
しかし、ばれた時は怖いので、一応二十キロを用意いたしました。
その他に、電話で、予備の二十キロも運んでくるように、姉貴は、マトリに手配をいたしやした。

それにしても、どうしてトシの居所がわかったのでございましょう?
そこでアチキははたと気が付いたのです。
さっき、アチキが山城組のカジノを出たところで、トシからケータイがきました。
姉貴が取り上げてなかったので、ケータイで今居る場所などを話したのでございまする。
あの時はまだ黒尽くめの男が廊下にいたのでございましょう。
あの会話を黒尽くめの男に聞かれ、「動物園のそば」と、「這って帰る」っちゅう言葉が頭の隅に残ったのに違いありません。
「這って帰る」→「足が悪い」
 この言葉は、どこぞで訊いたことがある。
黒尽くめの男の脳みその片隅には、この言葉がひっかかっておったのでございましょう。
その後、黒尽くめの男は、賭場に戻り二十分くらいは自分の仕事をしたんでしょうなあ。
で、その後、カジノとなっておる大きい部屋に出て歩いていました。
そしたら、そこに山猫建設の社長がいて、何気なく、「オタクの狙っておる土地は、コンビニの跡地って聞いておりやすが、そこに足の悪い人間はいやすか」と聞いたんでしょう。そしたら、山猫建設の社長がおるおると応えたのですなあ。
それだけじゃないです。葉桜組の元姐さんが、バイトしておると応えました。おまけに、マトリに姉妹がおって、ちょくちょく手伝いをしているっちゅう、余計な情報までもっておって、それを教えてあげたのでございやす。
黒尽くめは、それで、トシとアチキと由美姉の関係を掴んだのでしょう。
つまり、アチキは、今は純粋に電話会社の仕事をしているけど、ちょっと前はトシの店でバイトをしていて、姉同然ではないかと。
その頃、たまたま山城組の若頭がディーリング・ルームに入っていらして、黒ずくめに、横取りされたコカインをどうにかして取り戻さなきゃならねえ、とおっしゃいました。
ピントきた黒尽くめは、次のように言いました。
「トシっつう足の悪いガキが、今、動物園の傍を這って歩いておりやす。
すぐにそこに向かえば誘拐できます。さらにトシの店では、葉桜組の姐御がバイトをしていやす。
そいつは、マトリにいたことがあるようでして、今度の横取りのブツに関しても、関与しているかもしれやせん」
 そこで、山城組の若いもんが動物園の傍まで飛び、トシを確保したんでしょう。
アチキが、一本離れた道で、盗聴をしている間にこれだけのことがおこなわれ、さらにカラオケをしている間に、若頭の刈谷君に連絡を取り、刈谷君は脅迫状を書いて、持たせたのでございましょう。
アチキが誘拐されなかったのは、この会話のなされたのが、エレベーターを出てから二十分過ぎていて、すでに、アチキが一本離れた道に移動しており、みつからなかったせいか。
あるいは、単に、アチキよりトシの方が小さくて誘拐しやすい、と判断したから。
かくのごとき推理が導かれました。そうに違いありませぬ。
アチキが、それを姉貴に話しますると、姉貴にひどく責められやした。
なんで、そんな、敵のアジトのすぐそばで重要なヒントになるような言葉を喋るんじゃ、と。
アチキとしては、ケータイを持たせたままトシを監禁した姉貴を責めるつもりで話したのですが、やぶへびでござんした。