殺戮中、4回目


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粗筋。
第一章。
佐渡で『殺戮中』というゲームが開催されている。これは5日間戦って、1億円を得るゲームで、衿が、ラーの三人を殺して、どこかにかくした。でも、別人格が隠したので、衿の人格ではわからない。明人は、それを解き明かす方法を知っているという。一方、さやかは巨大コンツェルンの御曹司の澪也を手に入れる。兄には、セレブたちが賭けた10億円を借り出すように頼む。
第二章。衿の過去。
連続殺人犯の時雄は、昔、小型機を墜落させたことがトラウマになっていて、今でも、殺戮を繰り返している。


   5

 自分の声に驚いて時雄は目が覚めた。おびただしい汗をかいていた。
 むっとした空気が口の中と皮膚の全部を覆い尽くしていた。
 自分の部屋だった。布団をはいだせいで、急速にエアコンの冷気が肌を冷やすのを感じた。
 ――また同じ夢だ。
 航空高専での修学旅行の事故以来、三日にあげず襲われる悪夢だ。
 もう十年近く前のことだ。
 事故の後、すぐに救助隊がかけつけたが、クラス全員の視線に苛まれた。
 その後もずっと他人の視線が突き刺さるような気がして、いたたまれなくなった時雄は学校を辞めた。
 あのときから体の中に穴が空いたような気がしてならない。穴を埋めるものが必要だ。
 手を伸ばすと、枕もとの瓶に触れた。
 点けっぱなしのスタンドの下に近づけてみた。
 中の小ぶりの眼球が、ホルマリン液の中で、静かに揺れていた。コルクの栓がしてある。猫の眼球である。
「綺麗だ」
 体から開放してあげると、なんて綺麗なんだ。
 眼球は完璧な球形で、水晶体はまだ生きて活動しているように澄み、静脈も美しい赤紫色を保っていた。
 顔に近づけてみた。自分の指から消毒液の匂いがした。
 病院で危険物収集と処理の仕事をしているから、いくら洗っても、この匂いは消えない。
 ガラス瓶の表面に自分の顔が映った。
 色素の薄い白い肌。細い鼻梁。薄い赤みをのこす唇。切れ長の目。自分でも認めるくらい端正な顔だ。
 瓶を枕もとの絨毯の上にもどした。
 掌に猫を殺したときの感覚がもどってきた。
 餌でつって自分の部屋におびきよせた猫を、クロロフォルムを浸した脱脂綿で眠らせた。
 部屋を閉めきって、けっこう大量の綿を猫の周囲にまきちらしたら、意外と楽だった。
 それから、温かい背中をつかんで上向きにさせて、ナイフをまぶたの縁からそろりと滑りこませて、神経の束と血管の束を切断した。
 かなり力を入れなければならなかった。
 切断手術を受けている途中の眼球は、あの飛行機事故の日、友達の刺すような批難の視線を思いおこさせたが、眼窩から外れた眼球には、もう批難の意志は宿っていなかった。
 盲目になった猫は、この先、餓死するしかない。かわいそうなので、首を絞めて死なせてあげた。
 それがせめてもの優しさだと思えた。
 
 時雄は薄い夏がけ布団から起きあがった。朝の三時だった。もう眠れない。
 布団を押入れにしまい、ホルマリンの瓶を押入れの中に隠した金庫にいれ、代わりにビニール袋に入った眼球を取り出し、金庫にカギをかけた。
 眼球入りのビニール袋は薄いブルゾンのポケットにいれ、部屋のカギをかけた。
 夏の初めで、ブルゾンはもう暑くて着ないが、他に適当なポケットがないので、しょうがない、夏でももって歩いている。
 近くの病院まで歩いていった。
 石垣病院。そんなに大きくはない。八階だてだが、一階を花屋に貸しているので、気をつけて見ないと、玄関を見過ごしてしまう。時雄の勤務している病院だ。
 ER以外は静まりかえっている。
 空気は空調で制御されているはずなのに、淀んでいる。
 息苦しい。リノリウムの床も白い壁も息苦しい。
 新鮮な女の眼球が必要だ。眼球でないとダメだ。それがないと、死んでしまうかもしれない。
 友達の視線が突き刺さって以来、視線トラウマになっている。
 地下の遺体安置所に行ってみた。
 冷房が効き、ひんやりとした遺体安置所。今日はまだ誰も運ばれてきていない。
 遺体用のベッドに横たわり、唇の上にビニール袋にいれたままの猫の眼球を置いた。
 表面は冷たいが、唇の熱で次第に温かくなってくる。
 自分の体の中に、血液が満たされ、潮のように血管の中を血が流れ出した。
 自分は生きている。

  6

 ――数分後(朝五時十分)
 武山幸秀が石垣島病院の裏口のガラス扉の内側にスツールを持ち込んで、マンガを読んでいる。時雄はその姿を近くの物陰からのぞいていた。
 病院の規定だと外で立って警備をしていなきゃいけないのだが、暑いので、夏場はいつもガラス扉の内側にいる。
 マンガのタイトルは『monster』だ。天才的な頭脳を持つ子供が、病院内で殺人を犯すシーンから始まる。ここが大好きなようで、ほとんどは第一巻を読んでいる。
 武山は昔刑事で、人を殺してしまった過去を持つ。
 追っていたヤクザが民家に立てこもり、人質を取った。ヤクザはヤクをやっていて、一刻を争う場面だった。SATを待つ暇はなかった。撃ち合いになり、人質を撃ってしまったとか。
 それがきっかけで刑事を辞職した。
「あれから俺の流転の人生が始まったんだよなあ」
 武山が一人ごちした。ちょうど同じ事件を思い出しているようだ。
 流転の人生と言っても、あちこちの病院やビルなどで警備員をしているだけなのだが。
 刑事の仕事は二十四時間勤務できつく、帳場が立つ(捜査本部ができる)と何日も帰れなかったとか。
 だが、責任感があったから、毎日が充実していたようだ。それに比べると、今はドブねずみみたいな生活だとよく、グチる。
「ねえ、これ食べて」
 おかまのミーコがコロッケを差し入れにきた。
 もうけっこうな年で、化粧はしているが、髭剃り後が青々と残っている。
「私の唾をつけておいたから。終ったら来てね。私寂しいの〜」
 マンガからのろのろと顔をあげた武山の反応も待たずに、ミーコは片手をふり、薄手のストールをひらめかせて去っていった。
 武山がコロッケを警備員室の机の上に投げ入れると、紺野麻美が尋ねてきた。
 麻美はこの病院のナースだ。
 二十九歳で、武山をお父さんのように慕っている。
 今日は、白のシフォンのワンピースで、薄いピンクのストールを手に持っている。
 靴はサーモンピンクのショートブーツだ。
 彼女は可愛いものが好きで、ミルクというブランドが好きだと前に言ったことがある。
 そのブランドにはリボンが多くついているらしい。
 今日は、腰に幅広の濃いピンクのリボンが巻いてある。バッグはピンクのエルメスだ。
 髪はストレートで、肩まであり、大き目の瞳と切れ長の二重瞼が理知的だ。
 鼻はちょっと小さいが、かわいらしい。唇も薄く、思わずキスしたくなる。
 だが、武山は、いつもその気持ちを抑えるしかないんだ。彼は麻美を満足させられない。つまり、できないのだ。
 あのときになると、誤射して人質が死んだときのことが頭を占領して、立たなくなってしまうのだとか。
 人質の驚いたような無念そうな顔と、壁や畳に飛んだ血が網膜を覆い尽くすらしい。

 武山が警備をすっぽかして、警備員室に入った。
「さぼっちゃって、いいの?」
 麻美が片目をつぶって訊いた。
「いいのさ。VIPは入院してねえし、ヤクザも入院してねえ。うろちょろしているのはおかまばかりだ」
 武山がマンガ本を机の上に置くと、麻美がウイスキーのミニボトルを手にもってひらめかせた。
「今あがったばかりなの。夜食を一緒にたべようと思って。時々裏口を警戒していれば、大丈夫よね」
「俺は勤務中だから」
「じゃあ、お酒は私だけってことで。毎度ながら、これは度胸をつけるためだからね」
 麻美は買ってきた巻き寿司といなり寿司の箱をあけ、二人はお寿司を摘んだ。 
「こんなくたびれた中年のどこがいいんだ?」
「死んだお父さんに似てるんだもん」
「俺のことなんか忘れて、さっさと嫁にいけよ。出世を約束された医者の卵がごろごろいるだろうに」
「ダメダメ。あいつら、皆、開業医の娘しか興味ないの」
「なんで?」
「勤務医は三十六時間労働とかザラで、体がもたないの。で、開業医の、それも救急指定のないところなら体が楽だから、そっちに行きたがっているの。でも、初期投資がものすごくかかるでしょ。それに顧客がつくまでに時間がかかるし」
「それで、開業医の娘か」
「ま、そんなとこ」
 そこで麻美は、ミニボトルをラッパ飲みにした。
 いつものことだ。インポだと報せてないから、麻美は、自分の押しが足りないのだと思って、酒の勢いを借りて、迫っているのだ。
「帰れ。俺は人を殺めた人間だぞ」
 武山は今日も冷たく突き放した。
「そんなこと関係ないわよ」
「いいや、あるさ。いざとなると、できねえんだ」
 わざとぼかして伝えた。
「え、そうなの? でも私が治してあげる」
 潤んだ瞳をして、麻美が手を握った。大きな瞳からは、涙が溢れそうになっている。
 インポは簡単に治ると思っている。
「あのなあ、警備会社は転勤もある。何よりも年の差が問題だ。俺は四十九で、お前さんはまだ二十九だ。二十年経ったら、幾つになる。あ? 例え、インポが治ったとしても、とってもお前さんを満足させられなくなっちまうだろう」
「だから、そんなに先じゃなくて、私は、今、武山さんと一緒にいたいの」
「無理だ。同い年くらいの男を選んだほうがいい」 
 武山はすがりつく麻美の手を振り切った。
「さあ、帰った。帰った。俺は、女には興味はねえんだ」
 強く腕を握って立たせると、恨みがましい色を瞳にいっぱいに浮かべて、麻美は渋々警備員室を出た。
 その後姿をみながら、武山がぽつりと呟いた。
「未練ができると、別れられなくなっちまう」

       7
 
 ――十分後。(五時二十分)
 赤城時雄は、警備員室から出た麻美を尾行していた。
 黎明時の、まだ暑くなる前の時間。清掃車が街角のごみを収集している。
 麻美は前から好きだった。正確に言うと、麻美の瞳が好きだった。
 今日は、麻美は泣いて歩いていた。
 潤んだ瞳は、食べてしまいそうなくらい美しかった。
 麻美は泣きながらちょっと離れた場所にあるスナックに入った。ルージュという名前だ。
 時雄も迷わずに、後に続いた。
 スナックの中は、薄暗いキャンドルがぼんやりと点り、レンガ造りで、暖かい雰囲気だった。客は麻美しかいなかった。
 三十代後半の無愛想なバーテンがグラスを拭いており、麻美はカウンターに突っ伏していた。
 まだ何のオーダーもしていないらしい。
 バーテンは、いらっしゃいませの代わりに軽く瞼を伏せた。
 時雄は黙って麻美の横のスツールに腰を下ろした。
「困っちゃいますよね。今日も武山って人に振られたみたいで」
 バーテンが時雄の前だけにお冷とおしぼりを置いた。 
「いつもこうなんすか?」
「まあね。うちで呑んでくれれば、売上にもなりますが、武山って人と話し込んでいるときに飲んでいるらしいの。お酒、弱いのに。だからここへ来るときは、酔ってて、オーダーなしよ。おまけに荒れてて、武山のバカヤローを繰り返しているだけ。始末が悪いわ」
 おかまっぽいバーテンが、ウイスキーの棚をさして、どれにします、の仕草をする。
 時雄は、バーボンと小さく呟く。
「たまに、アルコールを頼んでも、一杯くらいで、ひどいときは、ここでミニボトルをラッパ飲みしているのよ」
 バーテンが手際よく、バーボンの水割りを出した。
「ふーん。武山が好きなんだ。僕はさっき見たけど、結構な年だった。あんなおじんのどこがいいんだろう」
「ファザ・コンなんですよね。きっと。強引に誘おうとして、気合を入れるためにウイスキーを飲んで迫っているらしいんですが、相手がうんと言わないんですよ、いつも」
「何でだろうね。こんな若くて美人なのに」
「それが、武山って人は、インポらしいのよ。話のときどきに呟くのからすると」
「へ?」
「この前、ここへ来てこぼしてたわ。昔、刑事で、人質を誤射してしまったことがあって、それ以来、ダメになってしまったんだとか」
「へえ。彼もはっきり言ってやれば、彼女も諦めがつくのにね。それか、別の恋人ができるとか」
 掌でグラスを包んで、バーボンをゆっくりと口に含む。
「そうですよ。あ、そうだ。あなた、誘惑してあげれば?」
「僕が?」
「そう。年は同じくらいなんだし。インポじゃないでしょ」
「まあね」
 グラスの中で氷がことりと音を立てた。
「それなら、強引に抱いちゃいなさいよ。それで、インポは治らないって教えてあげれば、彼女も諦めますよ。ね、そうなさいな」
 睫毛の長いバーテンは流し目をくれた。
「それもそうだね。このままじゃ彼女がかわいそうだし。僕も彼女の瞳は大好きだし」  
 時雄は麻美の肩に手をかけた。
「麻美さん、麻美さん。起きて」
 数回強くゆすると、やっと麻美は目を覚ました。
「あら、誰だっけ?」
 頬に張り付いた髪の毛を払いもせずに、まぶしそうに時雄を見上げた。時雄は同じ病院で掃除係をしているが、それほど親しくはない。
「誰でもいいじゃないか。君が泣いていたから、心配でつけてきちゃったんだ。何かあったの?」
「振られちゃった。一体あたしのどこがいけないっていうのよう」
 麻美がばしんとカウンターを叩いた。
「そうか。じゃあさあ、二人で泣き明かそうよ。徹底的に僕がつきあうよ」

    8

 ――十分後。(五時三十分)
 時雄は麻美を近くのラブホテルに連れ込んでいた。
 麻美は痩せていて、そんなに重くはないのだが、酔っ払っているせいか、やけに重く感じた。
「よっこらしょ」
 ようやく重い体から開放された時雄は、額の汗をぬぐって机の上にルームキーを置いた。
「エルロン、エルロン、エルロン、バンク、ガッシャーン、ガリガリガリ
 思わず鼻歌を口ずさんでいた。
 美しい瞳が手に入るのだ。これが興奮せずにいられようか。
 時雄は、激しくなりそうな動悸を必死に理性で抑えながら、ポケットからハンカチを出して、キーの指紋をぬぐった。
 次には、ポケットから手術用の薄いゴム手袋を出して両手にはめた。
 ドアのノブの指紋もぬぐった。扉の内と外の両方を丁寧に拭いた。これで証拠は残らないはずだ。
 ホテルの入り口では顔は見ないし、防犯カメラにも残らない。
 ここはおかまさんが多く利用する。
 有名人にもおかまは多く、プライバシーを守るために、防犯カメラは設置してあるが、ビデオの録画なしを店の売りにしている。
 そのことは、病院の仲間から聞いた。そうしないと、お客が入らないのだとか。
 ベッドに横たわる麻美の身体を眺めた。
 ほんのりピンクに染まった頬。乱れた髪。額にはりついたほつれ毛。ちょっと上向きの鼻。小さい唇。痩せて鎖骨の浮き出た胸。小さい乳房。ほっそりとした首。
 服は脱がせてないから、腰から下は分からないが、麻美は全てが美しかった。
 しかし、その眼球の美しさは例えようもない。今は瞼に覆われているが、眠っていないときは何物も適わない。
「エルロン、エルロン、エルロン、バンク、ガッシャーン、ガリガリガリ
 時雄はベッドに横たわって、枕もとのスイッチを押した。
 ゆっくり天井の鏡が現れる。薄暗い照明の中で、自分の顔を眺めてみた。かすかにやつれている頬。亡霊のように見える唇。
 しかし、両眼は、美しい眼球を手に入れられる期待で輝いている。
 上の階のおかまの嬌声が聞こえた。
 神聖な空間を汚された気がしてイラッとしたが、これからのお楽しみを考えて我慢することにした。
 横を向いて、改めて麻美を見た。ぐっすり寝ている。
 規則的に上下している胸。ワンピースの下の起伏。かすかにウイスキーの匂いの残る息。小さい手。そして、薄く静脈の浮き出る瞼の下の眼球。
 これが恐怖に見開かれ、体が打ち震える様を想像して、思わず、時雄はイキそうになってしまった。
「エルロン、エルロン、エルロン、バンク、ガッシャーン、ガリガリガリ
 時雄は立ち上がり、ポケットからクロロフォルムを浸した脱脂綿入りのビニール袋を取り出した。

 ――数分後。赤い鮮血が頭部を汚しつつある麻美の顔を見下ろしながら、時雄は感激に浸っていた。
 その手には、二つの眼球が切除されて乗っていた。
 眼球のあった部分はへこみ、眼窩の形が現れ、人造の骸骨のようだった。首には紐状になったスカーフが巻き付いていた。
 赤紫色に変色した舌が、信じられないくらい長く飛び出していた。
 皮膚には静脈が浮き出し、切開した眼の血管からは、まだ血が滲み出していた。
 股間からは失禁して、ワンピースとベッドを濡らしていた。
 さっき絞め殺す瞬間は、麻美は一瞬、気がつき、恐怖の目を向けた。皮膚の静脈も一瞬で数ミリは浮き上がり、鬼の形相になったが、今では、沈静化していた。
 時雄は、取り出した眼球を、そっとホルマリン入りのビニール袋にいれ、ブルゾンのポケットにしまった。
 それから、麻美の顔の横においてあったメス――病院から持ち出したものだが――をハンカチでくるんで同じくブルゾンのポケットに入れた。
 ついでにホルマリン漬けの脱脂綿で、麻美の血だらけの顔を丁寧にぬぐった。頬も鼻も唇も、ゆっくりゆっくりぬぐった。
 舌を口に押し戻そうと思ったが、戻らなかった。
 だが、血がぬぐわれただけで、少しは生前の美しさが戻ってきた。
 ♪セーラー服を、エルロン、脱がさないで、バンク♪
 いつの間にか鼻歌を歌っていた。
 ここで、摘出したばかりの眼球を唇に乗せ、すぐにでもマスターベーションをしたかった。今ならすぐにイキそうな気がした。
 だが、それでは、精液を残してしまうことになるので、意を決して我慢した。
 飛行機事故の現場を想起して、はやる気持ちを抑えた。
 時雄は立ち上がった。
 血だらけのゴム手袋を、裏返して手から剥ぎ、ビニール袋を出して、中に入れた。
 血の飛んだベッドに横たわり、まだ生きているかのようなピンクの頬をしている麻美に、小さくキスをした。
「おやすみ、麻美ちゃん」
 時雄は鼻歌を歌いながら、ドアをあけ、ラブホテルを後にした。
 別のラブホテルに行くつもりだった。
 その前に服を買い、どこかの物陰で着替えなければならない。そのラブホテルに防犯カメラがあったときに、姿が残ってしまう。
「どこで服を買おうかな」
 時雄は、まだ目覚めていない街を見回した。
 コンビニくらいしか開いていない。帽子とサングラスくらいは売っていそうだ。
 悩んだ時雄は、暑さを我慢してブルゾンを裏返しにして着用し、帽子を買うことにした。
「エルロン、エルロン、エルロン、バンク、ガッシャーン、ガリガリガリ

   9

――一年後。
 しのつく雨が石垣島の石垣牧場に降りしきっていた。
 六月二日は、一日中ふったり止んだりの繰り返しだった。
 夜に入りかけの六時三十分頃に、一度小やみになった雨は、その後またぶり返し、ユリの花に降り注いでいた。
ユリの茎は、急速に動く群雲から時々さす夕焼けの残照に、濡れた色を照り返し、草の上には、風で飛んだ木の葉が踊っていた。
 牧場でも、ちょっと低い草地は川となり、あちこちに水たまりができていた。
 雨の中をチンパンジーと犬が走り回っていた。
 吉川衿は、その二人の後ろを、息を切らして追いかけていた。
 三人は、昨夜に捜索願の出ていた、ローリー・ハワードを探していた。
 チンパンジーの名前は古代進。犬の名前は涼宮ハルヒ。それぞれの名前は、それぞれの好きなマンガ――古代進は『宇宙戦艦ヤマト』、涼宮ハルヒは『涼宮ハルヒの憂鬱』――から取ってつけた。
 二人とも三歳。チンパンジーはオスで、犬はメスで、ラプラドール・レトリバー。
 当時、吉川衿は沖縄の科捜研に属している警部だったのだが、今は、休暇で石垣島に遊びに来ている。
「ワオーワオーン〈待ってよ、ススム――。ちょっと待ってってば――〉」
 衿の手の中にあるパソコンから、ハルヒの声が響いている。正確には電子音声だが。
 進とハルヒの頭には脳波と音声を拾うヘッドギアがかぶせられている。
 これが小型の音声変換パソコンにインターフェースしており、陽介の手の中のパソコンに電波を飛ばし、人間語に翻訳してくれる訳である。
ゴゴゴ――。
 轟音と強風をともない、隣の石垣島飛行場に飛行機が着陸した。
「エホ――、ゴッゴ、ゴッホ〈未確認飛行物体襲来。未確認飛行物体襲来。古代進、臨戦態勢に入る〉」
 進が叫んだ。
 進は『宇宙戦艦ヤマト』のファンなので、自分に進と命名した。
「ワウ――、ワ――ン〈ミクル――、何か発見したか――?〉」
 ハルヒが叫んだ。
 ミクルは鷲の名前。朝日奈ミクルという。彼女の頭にもヘッドギアが装着されている。
 ミクルは『涼宮ハルヒ』のシリーズのファンなので、そう呼ばれている。
 いずれも、飼い主の陽介の影響で、それぞれの作品のファンになった。
「ピヒ――、ピッキ〈対象物体発見。対象物体発見。前方、藪の中。シートにくるまれている〉」
 ミクルが叫ぶ。そして嬉しそうに付け加える。
「エホ、エッホッホ〈無視できないイレギュラー因子を発見したようですわ。ミクル、素敵〉」
 ハルヒが嬉しそうに眼を細める。
「無視できないイレギュラー因子」は、『涼宮ハルヒ』の中のハルヒの口癖である。
 鷲の目には、夜でも見えるように、人間の眼球組織が移植されている。
ハルヒが叫ぶ。
「ワオ――。ワオワオ〈ちなみに『涼宮ハルヒの憂鬱』の中では、無視できないイレギュラー因子はハルヒなんだけど〉」
「ウヒッホ〈現場へ直行せよ。戦闘態勢にはいるぞ〉」
 進も叫ぶ。
ところで、最初に死体を発見したのは、ミクルである。上空を散歩中に、たまたま発見し、三人に伝えた。 
 昨日、深夜になって、ピート・ハワードという男から、妻――ローリー・ハワード――の捜索願が出されていた。
 この当時、科警研に包めていた衿は、たまたま休暇で、沖縄県の科捜研にいる友達のところを訪ねてきている時に、この事件に遭遇した。
 そして、地元の警察に協力して、妻、ローリーを探していたのである。
 当然、いつも陽介と行動を共にしている三匹の動物、チンパンジー、犬、鷲も協力し、散歩がてら探していたわけである。
 衿たちは藪に急いだ。
 死体は、かなり深い藪の中に放置されていた。
 黒いシーツにくるまれていた。そのせいで、体表からは、微細な遺留物が流されずにすんだ。
 ハワード夫妻は、夫の話によると、三年前に、石垣島に移住してきた。ダイビングが趣味なので、小説を書きながら、ダイビングを楽しみつつ、生活をしてきた。
 妻が小説を書き、夫がそれを翻訳していた。
 夫が言うには、昨日の午前中に喧嘩をした。それで、夫は友達の家にゆき、午後の九時まで飲んで、帰宅した。
 妻はいなかった。でも、近くに買い物にでも出たのかと思い、深夜の零時まで待った。
 でも、帰ってこないので、捜索願を出したということだった。
 衿は確認のために、シーツをめくることにした。
 ゴム手袋をして、端からめくった。
被害者は確かに白人の女性だった。三十歳くらいだろうか。金髪を後ろでゆるく編んでおり、手足がありえない方向に曲がっていた。
中肉中背で、首に、絞殺の跡と、手首をしばった跡が、痣になってのこっていた。
着衣はなかった。眼球がえぐり取られていて、眼窩が落ちくぼんでいた。それさえなきゃ、目鼻立ちのはっきりした美人だったろう。
衿は、所割の警察に連絡を入れた。
周囲を、進とハルヒが興奮して歩き回っていた。

    10

――三時間後。
衿は科捜研にきていた。
科警研に属しているし、友達がここにいるので、特別に中に入り、捜査状況を見学できることになった。
衿は動物の脳のインターフェースの研究をしている。
動物の思考や声をヘッドギアの高速パソコンで、日本語に翻訳するのである。
そのため、いつも、進とハルヒとミクルが一緒だ。
比較的自由に移動し、いろんな所でデモンストレーションして、警察のPRをしたり、あるいは、各地からの要請で、現地へ赴いたりする。
たとえば、人間の潜りこめない所――ヤクザの事務所とか狭い所など――に潜りこんで、覚せい剤が隠してないか、などの捜査を行う。
今は、レーザー検査室にきていた。中は暗い。
周囲には、磨かれたステンレスの流し台、カートなどがある。カートの中には、解剖用の器具が載せてある。消毒薬の臭いが鼻をつく。
暗い中で、ぼーっと浮かびあがっているのが、レーザー装置である。
発電して、レーザーをためる機械がある。十四インチのブラウン管テレビくらいの大きさだ。
 前面には、輝く、緑色の豆電球がいくつもついている。暗い空間では、美しい飛行物体のようだ。
 その箱からコードが伸びて、レーザーを発するボールペンくらいの棒がついている。
 レーザーは高エネルギー状態にして、一定の波長の光を当てると、原子からは、位相の揃った光が放出される。これを励起という。その光をコンピューターで解析するのだ。
 衿は、検視の前に、レーザー捜査を要求した。
 被害者の皮膚の上に、微細な遺留物が残されていないかどうかを調べるのである。これは、解剖などをして、血が付着してしまってからでは遅い。
 レーザーは、犯人の指に付着した無機質まで分析することができる。
 例えば、犯人が、石鹸やクリームを使用していたとして、その石鹸かクリームに研磨剤が紛れ込んでいれば、それを検出できる。
 あるいは、研磨技師で、あまり手をよく洗わない性質であれば、その研磨会社が特定できる。
 あるいは、本人でなくとも、会社の同僚にこういう人がいたとして、その人とクリームを共有していた場合、犯人の皮膚には研磨剤が移動する可能性があるので、会社を特定できる。
 処で、被害者について、もう少し詳しく言うと、被害者は、イスラエルアメリカ人のハーフで、三年前に石垣島にダイビングにきて、ここが気に入ってしまい、ここに住み着いた。前に言ったが、夫婦で移住したのである。
 ダイビングを大幅に取り入れたボーイズラブの小説を書いて生活していた。
妻が英語で書いた小説を、夫が日本語に翻訳していた。
 本は売れていたようで、毎月、連載を持っていた。
 また再度になるが、夫は昨晩、九時に帰宅した。
 家の中は荒らされていて、リビングに血痕まであり、妻の姿がなかった。妻の靴は全部あった。
 バッグや財布やケータイや、お気に入りの服もすべてあった。
 なのに、姿が見えない。
 最初は、近所に買い物に行ったかと思って十一時まで待ったが、ドアのかぎがかかっていないのも変だし、第一サイフを置いて、靴もはかずに買い物というのも変。たとえ、近所のコンビニでも変。
 血痕は、酔っぱらって、ガラスが割れて怪我をしたと考えたとしても、寝室の黒のシーツがなくなっているのも変。
 それで、あちこちの友達に電話して、どこにも行っていないと判明してから、警察に連絡した。
 警察は、最初、あまり真剣に取り合わなかった。
 というのは、ローリーには黙ってふらりと外出する癖があったから。それも心配させるために、裸足で外出ということもあった。
 とくに、夫婦喧嘩をした時などは、裸足で、酔っぱらって、近くの公園で歌を歌って寝てしまうこともよくあった。
 それで、警察は、夫に強く聞いた。喧嘩をしなかったかと。
 夫は最初しぶっていたが、ついに、喧嘩をしたと白状した。
 簡単な検視で――死後硬直の様子から――死亡推定時刻は、昨晩の七時から九時ころと判明していた。
 この時間、夫は、友人の家で飲んでいたので、アリバイは証明された。
 今日、死体が発見された後、まさか、連続殺人の犯人に殺されるなんて、と夫は泣いていた。
 連続殺人というのは、夫が言い出したことだった。
 ここ一年ほど、女性が二人殺されていた。
 最初は一年前。名前は紺野麻美。病院に勤めている看護師。
遺体は、ラブホテルで発見された。首に絞殺の跡があり、目がえぐり取られていた。
 二人目は、半年前。英語教師のカトリーヌ・ホール。
 同じように、首に絞殺の跡があり、目がえぐり取られていた。
 今回も眼球がえぐり取られているから、夫にいわれるまでもなく、連続殺人であるとは推測された。二番目の殺害現場――被害者のアパート――では精液が発見された。このことから、犯人は男で、B型であることが判明した。
 前の二人の皮膚には、レーザーで、きらきら光る無機物質が残っているのが発見された。
 今度も無機物質が発見されれば、連続殺人を強力に証明することになるだろう。
 
 衿は、台のそばに立ったまま、薄茶色のゴーグルをかけ、薄暗闇の中に浮かびあがる白い死体を見ていた。
 体の下には、発見時と同じ、黒いシーツがしいてある。微細な遺留品を逃さないたまに、シーツのまま運んでもらった。
 技師の坂田一郎がレーザーのスイッチを入れた。
 レーザー本体から同調し、位相の揃った光が棒状の装置を通って、先端から走った。
 まぶしい明滅を繰り返している。
 坂田が、絞められてうっ血した皮膚の上を、一ミリづつ調べてゆく。
 四十代後半で、髪の毛がほぼ後退して、酒焼けの気味で、やや細すぎの坂田は、器用に、あちこちの微細遺留品を集めてゆく。
 暗い部屋のそこだけ明るい光の輪の中で、微細な遺留品が、輝く針先のように浮かび、坂田の持つピンセットの先が、慎重にそれらをつまみあげる。
 光は明滅しているが、スローにも見える。
 レーザー装置の先が、体のあちこちを照らしだしてゆく。
 体のあちこちをくまなく走査してゆくと、首に、人間の指先サイズの斑点が五つ浮かびあがった。
「今回もだ」
 坂田がうなり声をあげた。
 警察の捜査資料を読んだ限りだが、前の二人にも同じような遺留指紋があった。
 つまり、素手で触れて絞殺したってことだ。実際に首を絞めたのはスカーフだが。
そして、臆面もなく、今回も。
 まるで、警察へ挑戦しているかのようだ。
 坂田が、指紋から発射した、位相の揃った光の輪をコンピューターで分析する。
「前回の二件と同じだ。灰の成分が検出された。組成は、長石――多分、釜戸長石−−、陶石、石灰石、マグネサイト、硅石、酸化鉄、酸化銅だ。釉薬の成分だ」
「やはり。どこかで釉薬を使って、それが犯人の指に残って、洗っても落ち切れなかったってわけね」
「その通り。犯人は焼き物工房に通っている。あるいは窯は、自分で持っているかも」
 坂田を指紋を顕微鏡撮影した。
「鑑定するまでもない。きれいな渦巻が五指。前回もそうだった。同じ犯人に間違いない」
 衿は、スカーフで絞殺したかのような首の、やや幅広の痣に目をやった。
 喉骨が折れている。急速に力を込めて一気に絞殺したのだろう。
 衿は、改めて体全体を見た。
 光る指紋は、眼窩の周囲――眼球は切除され、落ちくぼんでいる――、肩、乳房、腰、などに幾つもあった。
 家の外には裂かれた薄手のセーターやスパッツが落ちていたそうで、それも運んでもらったのだが、それらにもあった。
 衿は、警察の報告書から推理した。
 犯人は、裏口から部屋に侵入し――二十四、五センチの泥靴の跡が、裏口から点々とついていた――、リビングのソファーの上で、うたたねをしていたローリーの首を、後ろから絞め、一気に殺したのだろう。
 被害者の体に殴った跡もなく、被害者の爪のあいだに犯人の肉もなかった。ということは、争って、鎮めるために手首を縛ったのではない。死んでから縛ったのだ。
 ということは、眼窩を切除すると、霊魂などが復讐のために襲ってくるというような幻想にとらわれていたのではないだろうか。犯人は。
 それに、家の外に切り裂かれたセーターとスパッツが落ちていたことから、殺して、眼球を切除して、セーターなどを切り裂き、それから、セーターなどを家の外に捨て、死体は、シーツにくるんで、引きずって、手押し車に乗せて――手押し車は農作業用においてあった――近くの牧場に捨てた。手押し車もそばに捨ててあった。
 今回は、射精した痕跡はなかった。
 一回目は、ホテルの近くの空き家に、精液の痕跡があった。二度目はアパートの中。同じ血液型(B型)だった。でも女性は犯してはいなかった。眼球に異常に固執するインポーテンツか?

続く。