殺戮中、5回目


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粗筋。
第一章。
佐渡で『殺戮中』というゲームが開催されている。これは、5日間殺し合って、1億円を発見すれば、それが手に入るというもの。現在、衿が、ラーの3人を殺して、一億を隠していた。だが、彼女の別人格がそれを隠したらしく、発見できない。そこで、明人は、ある方法を提案する。
第二章。衿の過去、もしくは別次元。
連続殺人犯の時雄は、昔、小型機を墜落させた過去があり、それがトラウマになっている。一年前に殺したのは麻美。半年前はカトリーヌ、今回はローリー。三人とも、眼球を切除している。衿はその捜査に当たっている。

   11

沖縄県警の警部、丸谷次男がやってきた。
外見はけっこうイケメンである。目鼻立ちは、沖縄特有の、濃い顔立ちで、鼻も高い。背は中肉中背であるが、明るいブルーグリーンのスーツにペイズリー柄のネクタイを合わせている。
「今回は、前の二件とは違う点があるんですが」
 彼は話し始めた。
「部屋で射精していないんです。近くの物置なんかもくまなく捜査したんですが、近くで射精した形跡もないんです」
「別の場所、ちょっと離れた建物の中かなにかでしたんじゃないの?」
「そうですかね。最初は、今回だけは、連続殺人にみせかけた夫の犯行とも思ったんですが」
「指紋が違うでしょ。指紋が。被害者の皮膚に付着していた三件の指紋と、夫の指紋とは、全然一致しない」
「はい。そうなんです。それに、今回の件で、夫にはアリバイもありました。最終的に、解剖の結果などからだした死亡推定時間は、七時から八時でした。このとき、夫はまだ友人の家にいました」
「とにかく、犯人は、釉薬を使う奴よ。その線は調べたの?」
「はい。島の焼き物工房を初め、沖縄中の工房を調べました」
「どうだった?」
「指紋を徹底的に検出して調べました。一致する指紋は検出されませんでした。それからB型の男がいないかを聞きました。B型の男は何人か出入りしていましたが、指紋が一致しませんでした」
「たまたま指紋の残るような所に触れてないってことね。今後も捜査を続行して」
「はい。どこかの工房には出入りしているんでしょうが」
「それに、靴痕が二十四、五センチだから、それほど背の高い男ではないわね」
「はい。今後も引き続き聞き込みを続行します」
「一回目から、振り返ってみようか?」
「はい」
 丸谷がホワイト・ボードに整理して書き始めた。
「まず、一人目。一年前の六月二日。被害者は紺野麻美。二十九歳。石垣病院に勤めていた看護師。石垣病院は、島の南の端。遺体は、近くのラブホテルで、従業員によって発見された。早朝、連れの男が帰ってから一時間後、不審に思った従業員が、空いたままのドアから入って、血だらけでベッドにあおむけになっている被害者を発見。絞殺であるとか、眼球が摘出されていたことなどは、後からまとめて述べます」
 丸谷はそこで、被害者の写真をボードに止めた。
 黒でまっすぐな髪、前は切りそろえていて、真中分け、目はぱっちりと大きく、美人。
「次に、二番目の被害者にゆきます。事件の発生は、半年後、十二月の二日。被害者は、iPS研究所で、商品購入係、兼、プログラマーをしていたカトリーヌ・ホール。三十歳。イギリス人。ダイビングが趣味で、十年前に移住してきて、同研究所で働いていた。第一発見者は木下美幸。同僚。二人は仲が良く、一緒にダイビングに行く予定だったが、同日電話に出なかったので、発見者が訪ねてきて、被害者の部屋で発見した。これは、研究所の寮です。他の二件と違うのは、争った跡があること。打撲痕はあるが、死因ではない。死因は絞殺。以下同文」
 丸谷は二番目の被害者の写真をボードに止めた。
 カトリーヌ・ホールは、鼻が高く、色が白く、典型的なアングロサクソン系の顔で、髪は赤毛、目はブラウンで、こちらも美人だった。
「三人目の被害者にゆきます。事件の発生は、昨日。六月二日。被害者はローリー・ハワード。イスラエルアメリカのハーフ。小説家。三年前に夫とともに移住してきた。第一発見者は夫。夫にはアリバイあり。年齢は三十三歳。以下同文」
 丸谷は三人目の被害者の写真をボードに止めた。
 金髪で、鼻が高すぎるくらい高く、あとはアングロサクソンの特徴。こちらも美人だった。
「では、最後に、三人に共通していることを述べます。まず、死因が絞殺。眼球が切除されている。遺留指紋は全指、渦巻。釉薬の成分が付着している。一番目と二番目は、殺害現場に、遺体を放置したが、三番目は、近くの牧場まで、シーツにくるんで運んでいる。以上」
 丸谷が水性インクのマジックを置いた。
 衿はおもむろに口を開いた。
「では、検討に入ろう。まず、犯人についてだが、それらしき該当者は現れたのかな?」
「あ、はい。第一の事件の時なんですが、被害者と同じくらいの背の男が、手をつないで近くのラブホテルに向かうのが、商店街の防犯カメラに写っていました」
「そのホテルにカメラはないのかい?」
「ええ。カメラを付けると、誰が利用したかばれてしまうので、売り上げが上がらないとかで、設置してないそうです。小さい島ですから、その辺は、気を使うようで」
「そうか。それで、商店街の防犯カメラからは、それらしき男は絞れたのかな?」
 と衿。
「はい。石垣島病院の危険物処理、兼、掃除をしていた赤城時雄という男が、背格好が似ていて、指紋も一致していると、一応、絞れたことは絞れたんですが」
 と丸谷。
「そこまで絞り込めていて、なぜ、事情聴取をしなかったのかな?」
「はい。それが、事件のあった日以来、姿を消したので。でも、周囲の人間に話は聞いて、彼であると、確信は深めたんです」
「ほう。まあ、指紋が一致しているんで、間違いはないと思うが、他の点について聞こう。確信をもったのは、例えば、どの点で?」
「はい。まず、時雄の姉の証言です。弟が、眼球の写真と、猫の解剖の画像を大量に持っていたようです。解剖といっても、眼球摘出の場面をアップにしたものだったとか」
「眼球か。で、指紋の一致についてだが、時雄の部屋から指紋を採取して、本当にそれが一致したんだね?」
「はい。指紋の採取も問題なくできました。住んでいた部屋がそのままになっていましたから。時雄の部屋の指紋は、犯人が被害者の衣服などに付けた遺留指紋と、一致しました。おまけに、時雄は釉薬ももっていました」
「間違いないな。犯人は赤城時雄だよ。では、第二の事件に行こう。第二の現場の付近で、聞き込みはしたんでしょうな。iPS研究所だっけ」
「はい。写真を持って聞き込みをしました。研究員とか、被害者は寮に住んでいたんで、近くの寮の人間とかにです。ですが、該当する顔の男をみたという証言は得られませんでした。時雄は絶対に第一の事件の後、整形手術をしていますね。内地の病院へいってやったのでしょう」
「そうか。手ごわいな」

     12

「では、第二の犯行現場にゆきましょう。前回の現場から分かったことは、身長が一六十くらい、もしくは、もう少し低いかも。それと、全部の指の指紋が渦巻。顔は整形していると思われるので、赤城時雄の写真は役に立たない。あと、姉からの情報で、第一の事件の時、時雄は二十八歳だった。この条件で大丈夫ですよね」
 と丸谷。
「それに、釉薬を持っている可能性あり。それと、航空専門学校に通っていたので、航空機の知識はあり。特に、操縦の知識は高い」
 と、衿は補足して、手元のモニターに注目した。
「あ、そうだ。それから、今、ハルヒと進とミクルを第二の事件のあった研究所に潜入させてあるんだけど」
 第二の被害者は石垣島のiPS細胞研究所に勤めていた。その敷地の端にアパートがあり、そこで殺された。研究所が借り上げた寮である。よって容疑者も半年前はそこに勤めていた可能性がある。つまり被害者の同僚で、被害者に異常な執着をもっていた男である。
 衿は、この可能性に賭けてみることにした。
「ここに、進とミクルとハルヒの三人に装着したヘッドギアのモニターがあるんだ。スイッチを入れるね」
 衿はモニターのスイッチを入れた。
「進。今どこだ?」
 マイクに向かって問いかける。この装置は人間語からチンパンジー語などにも変換できる。
 しばらくすると、向こうからの雑音と二人のおしゃべりが聞こえてきた。チンパンジーと犬は潜入したが、鷲は外の木々の上にいると思われた。
「フヒヒヒヒヒ。ヘッホ〈へい。かっこいい姉ちゃんがいるじゃねえか。へい、彼女。いいケツをしてるじゃねえか。タッチさせろよ〉」
 進の声である。いや、正確には、進の声をコンピューターが人間語に変換した声である。
 ハルヒの声も聞こえる。
「ワウ――。ワフ〈はーい。研究員のお姉さん。股の臭いを嗅いでもいい? チーズの臭い大好きなんだけど〉」
「あのう、こいつらは、どういう目的で潜入したか、わかっているんでしょうか?」
 刑事が眉をひそめた。
「さあ。二十%くらいしかわかっていないようだね」
 コンピューターの変換機からは、女性の声がした。人間の言葉は、そのまま送るようになっている。
「あら、チンパンジー君とラプラドール・レトリバー? 君たち、研究用のモルモットなの?」
 どうやら、この研究所にも、衿と同じ研究をしている研究員がいて、ヘッドギアを装着した動物が闊歩しているらしい。だから、ヘッドギアを装着した動物をみても、誰も驚かない。
 衿がチャンスだぜ、と小さく叫んだ。
「進。手に持っているパソコンで、そうだ、と返事をしろ」
 衿がこちらからのマイクに指示を出した。
「エッホッホ〈アイアイサー〉」
 進の声と同時に、パソコンが撃たれる音がした。
「あら、あなた、パソコンを打てるの。偉いわねえ」
 女性の声。
 すかさず衿が指示を出す。
「進。おねえさんは美人だね、と打て」
「フッフ〈イエス、サー〉」
 一瞬間があって、女性が笑い声を立てる音がした。
「いやーね。お世辞が上手。でも、すごい進歩だわ。そのヘッド・ギアーで人間と会話ができて、パソコンまで打てるなんて。この研究所の成果よね」
「ワフワフ〈いやあ、おねえさんの顔の成果だよ〉」
 ヘッドギア内蔵のパソコンが、チンパンジー語を人間語に翻訳する。 
 続いてパソコンの音がする。どうやら、進が今の返事を手持ちのパソコンに打ちこんだようだ。
「進。いいぞ。彼女に取り入って、半年前の事件を聞くんだ。」
「エホッホ〈イエスサー〉」
「半年前、身長が百六十くらいで三十歳ちょっと前くらいの男がいなかったか、を聞け」
「エホ〈イエスサー〉」
 パソコンを打つ音がする。
 しばらくして女性の声。
「半年前っていうと、あんたたち、あの殺人事件のことを調べているの?」
「そうだ、といえ。殺されたカトリーヌ・ホールと親しかった男を調べていると打て」
「ホホホ〈アイアイサー〉」
 キーを打つ音と、それから、女性の声。
「それは、わからないわ。沢山いたから。この研究所の全員が親しかったといえば、言えるし。それに、犯人が、彼女と親しかったとも限らないし。一番親しかったのは私だし。私、実は第一発見者なのよ。ダイビングの約束をしていたのに全然現れないし、電話にもでないから、行ってみたら、部屋中が血だらけで、超驚きだったわ」
 丸谷が口をはさんだ。
「お、彼女は第一発見者の木下美幸ですね。彼女の顔を見て、顔の情報を送ってください」
 丸谷がモニター兼こちらからの発信パソコンに口を近ずけた。
「ヒホ〈ラジャ〉」
 しばらくして、モニターに木下美幸のアップが映った。
 まるでキャバ嬢だ。眉が細くて、二重の付け睫毛で、目の周りはラメ入りのメイクで、髪は金髪に近い茶髪で、後ろに大きく盛り上げている。白衣を着ている。
 衿は、先を進めた。
「被害者の女を付け回していた男はいないか、聞け」
「ヒホ〈ラジャ〉」
 カチャカチャというキーの音。そして、美幸の声。
「つまりストーカーってわけね。難しいわ」
 美幸が黙ってしまったので、衿が、先に進めた。
「今の情報に付け加えて、身長が百六十くらいか、それ以下で、焼き物が趣味で、ああ、そうだ、姉の証言から、飛行機の操縦にも詳しいと打て」
「ヒホ〈ラジャ〉」
 パソコンを打ち込む音と、しばしの沈黙。
 丸谷が口をはさんだ。
「そういえば、半年前の捜査では、操縦に詳しいことまでは聞きませんでしたねえ。聞き込みはかなりやったんですが。操縦に詳しいというキーワードで先が開ければいいんですが」
 しばらくすると、キャバ嬢(美幸)の声が聞こえてきた。
「飛行機の操縦に詳しいねえ。そういえば、雪人ちゃんが、ちょっと詳しかったかしらねえ」
「ワウ〈雪人?〉」
「そう。身長が私くらいだったし、彼なら可能性はあるわねえ。カトリーヌの隣に住んでいた人で、商品の調達係と、プログラマーをやっていた人。そう言えば、あの事件の後、いなくなったし。まだ十二月なのに従業員の入れ替えがあって、内地に行った人が何人かいたんで、あの時は疑わなかったけど、今思えばあやしいわねえ。ええとねえ、私もパソコンのシミュレーション・ゲームで、操縦のゲームをやったことがあるから、ちょっとはそっち系の言葉には詳しいの。それで、たまに、彼が、『エルロン』とか『バンク』とか言っていたのを聞いたから、あれって思ったの。あれは、操縦には詳しいわね」
 確信のある声だった。
「そいつの写真がないか、聞け」
 と衿。
「ホホ〈ラジャ〉」
 キーを打つ音。
 しばらくして、美幸の声。
「ああ、そうねえ。一緒にプリクラをとったことがあるけど。あれ、どこに貼ってあるかしらねえ」
 考え込んだ声。
「ええと、休憩室で探してみるわ。あそこのロッカーに鞄が入っているから。ああ、それに、雪人ちゃんなら、女性にマメで、いろんな人とプリクラ取っていたと思うから、皆にも聞いてあげるわ。ついてきて」
「ワヒワヒ〈はい、どこまでもついていきます〉」
しばらくして、休憩室に到着したらしかった。二人は、そこにいた研究員たちの注目の的になった。場所は、休憩場所のような所。椅子が幾つか並べてあって、後ろに自動販売機がある。すぐに美幸が、おしるこの缶を買った。甘党か?
やがて、キャバクラ姉ちゃん(美幸)が、プリクラを探しだしてきた。
それを見た。情報が端末から流れ込んできた。
前の時雄の顔から比べれば、かなりたれ目になっていた。
「いいぞ。それでも、新しい顔の情報だ。それをもらえ」
衿が指示を出した。
「ヒホ〈ラジャ〉」
 

第三章 衿の過去、もしくは別次元

   1

――半年前。
 時雄は、大きいベッドの中にいた。
 カトリーヌ・ホールのアパートに窓を割って侵入したのまでは覚えていた。
 そこで、彼女の帰りを待って絞め殺すつもりだった。例の病気だ。眼球が欲しくてたまらなくなったのだ。侵入したのは午後の八時。
 それから長い時間、暗闇の中でじっとしていた。
 うとうとしたような感覚はある。その後が夢なのか現実なのか、分からない。
 気がつくと、目の前に高校のときの友達が立っていた。
 飛行機事故で顔を半分、失った姿だった。
「返して、私の顔を返して――」
 友達が血だらけの手を伸ばした。
 顔はショベルカーで削られたように、鼻の脇で縦にけずられていて、骨と血まみれの肉と、ピンクの筋の入った筋肉と、白い脂肪が、縦に筋を作っていた。眼球は、片方が半分ひっぱられて、垂れ下っていた。
「ごめん、止めて。僕のせいじゃないんだ。僕は精いっぱいやったんだ」
 時雄は、両手で顔を覆って逃げようとした。
 でも、体が動かない。棒のように動かない。
 心臓が、あばら骨をぶち破りそうに激しく鼓動を打っていた。
 頭蓋骨のなかを血液が、濁流となって駆け巡っている。
 体中の筋肉や、腱がこわばり、キリキリと鋭い痛みが走っている。
 周囲は真っ暗。
「返してくれないのなら、時雄の眼をほじっていただくから」
「そ、それは……」
 口では言っていたが、頭はうなづいていた。
「ト・キ・オ――」
 バイオリンで不協和音を響かせるような、不気味な声が友達の喉からほとばしり、そいつの手に持ったナイフが、時雄の喉に押しつけられてきた。
「大丈夫。叫ばないから、お願い」
 時雄は声を上げないと宣言した。
 のどに押しつけられたナイフが刀のおうに、強靭に感じられた。
 同時に、友達の手が遠のき、カチッという音がして、光がまたたき、目がくらんだ。
 ベッド脇の照明がついたのだ。
 友達の顔は、さっきと同じままで、どす黒い皮膚とピンクと白の縦じまが走っていた。
――やはり、夢か?
 友達の手が、眼球の脇にナイフの切っ先を突き立てた。
 プツッと小さい音がして、皮は切れたが、中までは侵入してこない。
 映像はリアルだが、痛みはない。でも、動くことも、息を吸うこともできない。
 友達の顔は、口の右はじから切れている。息を吸うたびに、口の端が持ち上がる。
 痛そうだ。
「ああ、この眼球なら、簡単にほじくり出せそうだ」
 友達の唇が、嬉しそうに歪む。
「や、やめて。目なら、いくらでもあるから。ホルマリンずけにしてあるから」
 時雄は、とりあえず宥めようと、めちゃくちゃな事を言ってみる。
 とびとびの考えが暴風雨のように、頭の中を駆け巡る。
 鉄臭い味――血に違いない――がする。
――お願い。あれは、僕のせいではなかったんだ。
 めくれた飛行機の床が眼前をよぎる。
 ジェットコースターのように捲れあがって、途中に、椅子がくくりつけられていた。
 そこに座っていた生徒の腕はなくて……。
――やめて、お願い。あれは、事故。精いっぱいのことをしたが、事故。
 断片的な光景がよぎる。 
「どうか、僕に弁解をさせて」
 喉越しにくいこむナイフが、カミソリのように冷たい。
 時雄は涙を浮かべた。
 顔の半分ない同級生の気を落ち着かせようとして、涙を浮かべた。
 しかし、彼女の髪は、蛇のように荒れ狂っている。怒髪天を衝くってのは、このことだ。
 彼女は荒い息をしている。
「お願い、だから」 
 喉から木枯らしのように、懇願の声が漏れた。
「うるさい」
「聞いてくれ」
「私に眼球をくれれば、許してやる」
 喉を押さえた手に、ぐっと力がこもった。
 顎が、卵の殻のように、クチャッと割れて、へこんだ。痛みはない。 
 ――殺される。
 そう痛感した。しかし、そこで、同級生は、部屋の中の別のほうへ目を向けた。
 そこにランプがあった。
 ――それで殴るつもりか?
 でも、また、視線を戻した。違うようだ。何を考えているのか?
半分ない顔の肉から、血と脂があふれ出し、顎からポタポタと滴り落ちている。
 時雄は、全身が硬直し、舌が痺れた。
 心臓が、コツコツと、鼓動を打つ音が、部屋中に響く。
「お願い。その手を下げて」
 彼女が目を離した隙に、ベッド脇のライトで殴ろうか?
 しかし、体は一ミリも動かない。彼女の腕に力がこもった。 
「さあ、最後よ」
 ナイフが喉に食い込んだ。
「助けて」
 もがいたら、少し腕が動いた。
 しかし友達の力には、とても敵わない。
「覚悟しな」
 巨大なライオンの口から響いてくるような、低く太い声がした。
「やめてくれ――」
 時雄は力のかぎり叫んだ。そして、ベッド脇のテーブルを探った。
 そこで、冷たい何かが手にふれた。それを掴んだ。
 あっという間だった。必死でそれを振り上げて、ベッドの上に起き上がった。
 足にシーツが巻き付いて、転びそうになった。
 しかし、それでも、その冷たく重い物を彼女の頭の上に振り下ろした。
 すべては一瞬だった。グシュッという湿った音がした。
 ライトの中、後ろへ、彼女はのけぞった。グエッという声をあげて、ドサリと床に倒れた。そこで、時雄も気を失った。

 しばらくして気がつくと、女が床に倒れていた。同級生ではなく、同僚のカトリーヌ・ホールだった。
 さっきのは、夢と現実がごっちゃになっていたのだと気がついた。
 カトリーヌはナイフなど持っていなかったから、冷たい爪で、時雄の喉を掴んで、揺り動かしたのだろう。起こそうとしたのだ。
 それとも、自分のアパートに、同僚の男が寝ていたから、ちょっと不気味になり、出て行ってといって、強く突き動かしたのだろうか?
 彼女の頭からは出血していた。金髪が血で汚れていた。
 時雄が夢うつつで、ライトでぶって、倒してしまったのは現実だった。
 時雄は、神の導きだと思った。
 彼女の眼球が欲しくて、部屋の中で待ち伏せしていたのだから。戦いは覚悟していた。
あるいは、彼女がそれほど攻撃的ではなく、時雄が覚醒していたら、持参したワインを持ち上げて、「ごめん、自分の部屋と間違えた。一杯やらない?」と、誘うことも考えていた。
 いずれにしても、彼女は失神している。
時雄は隠し持っていたスカーフをとり出した。
「エルロン、エルロン、エルロン。バンク、ガッシャーン、ガリガリガリ
これで、二人目の血祭りだ。
ゆっくり絞殺してから、眼球を切除することにしよう。 

   2

――現在。
衿は、iPS細胞研究所の講堂に来ていた。そこで、ある教授の講義があるのだ。近くにある大学院の院生向けの講義である。名前は会田教授という。
 殺人事件の捜査といっても、専門分野に少しは詳しくないと、聞き込みをしても、まったくわからんということがあるので、捜査には講義を聞くことが必要なのである。
 ちなみにチンパンジーの進や犬のハルヒや鷲のミクルは別行動である。
「iPS細胞は、大人の体からとってきた細胞を出発点にしながら、動物の身体を構成するさまざまな種類の細胞をつくり出すことができる。これは、ES細胞と対にして語られる。君たちはES細胞というのを知っているかな?」
 会田教授の講義が始まった。比較的広い講義室である。
 建物の三階にある。教授の後ろには大きな窓がある。町や牧場や田畑を一望できる。
 川が蛇行している。きらめく布晒しの布のようだ。つぎはぎ模様に見える花畑もある。
 教授の髪は長い。真中分けにしていて、頻繁に髪を耳にかける。海援隊の頃の武田鉄也みたいだ。
「ES細胞は、体の中にあるどんな細胞でもつくり出す能力をもつことから、再生医療研究の中心になるだろうとされていた。その一方で、論理的な問題点をはらんでいると考える人も多く、実用化されるには大きな障害となっていた」
 講義を聞いている学生は十人くらいだろうか。皆、まじめにメモを取っている。
「iPS細胞にはそのような問題点はなく、今やES細胞に代わって再生医療研究の中心であるという。で、ES細胞になるが、胚と幹細胞という二つの言葉の頭文字をとっている。ヒトの場合、だいたい受精後、十四日目くらいまでが胚と呼ばれる対象のようだ。つまり、ヒトES細胞というのは、受精卵となって十四日目までのものから得られる細胞である」
 教授が黒板にES細胞と書く。
「受精卵の場合、受精から3日目には分裂した細胞が桑の実かラズベリーのような形をした桑実(そうじつ)胚と呼ばれる段階になり、五日目になると、それまで均一な細胞の集団だった胚が、別の性質をもつ二つの集団へと別れてゆく。これが胚盤胞(はいばんほう)とよばれる段階で、ちょうどシュークリームに似ている。胚の表面には層状になって並ぶ栄養外胚葉(えいようがいはいよう)という細胞があり、内部のカスタードにあたる部分には、内部細胞塊(ないぶさいぼうかい)という細胞が塊をつくっている」
 次にシュークリームのイラストを描く。
「ES細胞は、内部細胞塊からつくられた細胞だ。ここでエヴァンスらの実験を示そう。彼らは、黒いマウスからES細胞をつくり、白いマウスから得た胚盤胞の空洞部分に打ち込んで、ちょうど人工授精と同じようにマウスの子宮に移植してやった。すると、白と黒の斑のマウスができた。再度言うが、ES細胞は、内部細胞塊からつくられた細胞だ。これを胚盤胞に注入してやると、内部細胞塊としての性質を取り戻したかのように分化してゆく。しかし、受精卵の中では、白と黒の細胞それぞれが分化していき、生まれたときには、一匹のマウスの中に、もともとの受精卵由来の白い体毛をもつ組織と、ES細胞由来の黒い体毛をもつ組織の両方が混在していたということなのだ」
 教授は、これをキメラという、といいながら、ボードにキメラと書いた。
「受精から二週間後、次の局面に入る。内部細胞塊の細胞は、外胚葉、中胚葉、内胚葉の三種類の胚葉という細胞に変化する。外胚葉からは皮膚や神経に、中胚葉は血管や骨や筋肉、そして、内胚葉は肝臓などの内蔵器官に、というように廃寺の中で形づくるべき組織、細胞がおおまかに決まってゆく。ある細胞が特定の機能や特徴的な形をもつ細胞に変化していくことを、分化といい、逆に、ES細胞のように、まだ何ものにでもなれる細胞のことは、未分化な状態にあるという」

   3

衿はイヤホーンをして、進たちからのインターフェースにつないだ。
まず進とのチャンネルに合わせた。
まず目からの情報が入ってきた。進はある研究室にいた。
 昨日の女性研究員――木下美幸――がいるから、美幸の所属する研究室だと思われる。
 高そうな顕微鏡があった。右側は本棚。
 左側はパソコンや私物などを入れるロッカー。
 真中に細長いテーブル。両脇は椅子。裸電球。古い型のラジオ。
 あいている壁の部分にはピカソリトグラフ。『鳩』か?
 エレガントな猫の模様のティーポットがある。
 ピカソの青の時代の花瓶もある。ピカソが好きなんだろう。コバルトブルー、オレンジ、レモンイレローが大胆にかつ伸びやかに使われている。
 セラミックの猫。チェシャか?
 猫も好きなようで、猫の模様の飾り皿がある。
 ガラスの花瓶にはスイートピー。赤いブーツが二足。
 机の上には白いパソコンとプリンター。
「ワフワフッヘッホ〈へい。お姉さんは何をしている人?〉」
 進が呟きながら、パソコンのキーを叩いた。
 美幸がそれを読んで答える。
「薬品の調合をしたり、分析をしたり、そればかり」
 すかさず衿が指示を出した。
「もう少し詳しく聞け」
「ホヘ〈ラジャ〉」
 キーを打つ音。美幸が口を開いた。
「そうねえ。まず、検体をすりつぶして薬品と一緒に機械に入れる」
 美幸がすりつぶす真似をする。
「それから、待っている間に、筋の入った寒天を作り、青い液体と検体を入れる」
「ホヒ〈ふむふむ〉」
 一丁前に進が合槌を打つ声が聞こえる。
「それから、電気泳動という機械に入れて、電気を流す。ついで、青い液体を寒天の中に移したら、寒天に解析シートを張り付ける」
「ホヒヒ〈なるほど〉」
「さらに濾紙を重ね、重石をのせ、ゆっくり押しつぶす」
「ホヒヒヒヒ〈なーるほど、なーるほど〉」 
「これで、寒天に取り入れられたPCRプロダクツが解析シートに移る」
「ホホホホッホッヒ〈ふむふむ〉」
「三時間ほど待って、寒天から解析シートをはがし、生理的食塩水で洗う。それからビニールに液体を入れて、振動する機械に置く。そんなことばっかり」
「フヒヒヒッヘッヘ〈まるっきり、わからないや〉」
 そういいながら、進むはピーナツバターを食べた。ポシェットの中にたくさん入っているのだ。足元ではハルヒが猫の人形をなめている。
 それから、ハルヒは美幸の足の間にばかり入って、上を見上げている。
 ハルヒからのインターフェースでは、捜査とはまるっきり違う情報ばかりが入ってくる。
「ワヒワヒパンティ〈今日の彼女のパンティは、水色地に、金魚の刺繍だ〉」
 そう言った瞬間だった。
バシ。蹴られた。

(続く)注、iPS細胞の説明のところで、「iPS」細胞という本からの引用があります。もし、著作権の点で問題なら、全面的に削除します。