ミハスの落日。御庭番通史

「ミハスの落日」(貫井徳郎
1「ミハスの落日」
僕は、ミハスのお金持ちの老人の家に招かれる。母と昔、幼馴染だったとのこと。
そして、バルセロナであった密室殺人について話す。バルセロナでは、一人の男性と仲がよかった。まだ二人は小学生くらい。男性は、働いていなかった。金はあって、二人によくお菓子などをくれた。あるひ、母が、その男の家に一人で行った。それは、男が、一人で呼ばれたと言ったから。そして、男は、子供のポルノ写真を撮っていたので、脱がせようとした。母は暴れて、男をストーブに突き飛ばした。電気ストーブだったので、電流ショックで、男は死亡。しかし、ドアの鍵が内側から閉まっていたので、自殺と思われた。このトリックについて、老人は語る。男が手にライターを持っていた。それが、電流のショックで、飛んで、鍵に当たった。鍵は落としこむ形式だったので、落ちて密室になった。

2「ストックホルムの埋み火」
ストックホルムのビデオレンタル屋に僕は勤めている。クリスという美しい子を好きになって、ストーカーを始めた。たくましい男と付き合っている。二人の仲を裂こうとして、無言電話を何度かかけると、「止めろ、ビデオやのヤローだとう」と怒鳴られた。
身分がバレたので、彼女を殺してやろうと思って、彼女のアパートにいくと、彼女は殺されていた。絞殺だった。
さて、ケーサツが登場。ケーサツが行ったのは、心臓をナイフで一突きにされた死体。クリスチャンソン(彼女とつきあっていた彼氏の方)。ケーサツが聞き込みをすると、彼女とはよく喧嘩をしていたとのこと。
この後、刑事の過去が語られるが、カット。
さて、私の所へ、刑事が訪ねてきた。クリスチャンンソンの彼女、クリスティーヌの着信履歴を調べていたら、私から、何度も電話しているので来たのだ。
私は思わず喋る。「私が訪ねて行ったら、クリスティーヌは殺されていた」
すると刑事が言う。「クリスティーヌじゃなくて、クリスチャンソンの殺害について聞きに来たのですが。クリスティーヌの死体はまだ発見されていないのですが。発見されたのは、刺殺されたクリスチャンソン」。それで、私は喋ってしまう。
「クリスティーヌに何回も電話していたのは、私だと、クリルチャンソンにバレたから、殺した。そして、クリスティーヌの死体は、山の中に隠した」
どうやら、クリスティーヌを殺したのはクリスチャンソンらしい。クリステッィーヌの首に、クリスチャンソンの指紋がついていたのだ。

3「サンフランシスコの深い闇」
これははたしてミステリーなのか?
サンフランシスコで、200万ドルの保険をかけられた男が、ベランダから落ちて死んだ。妻はその時、スーパーにいた。妻の連れ子の証言。燕の巣を取ってくれている最中に、脚を滑らせて死んだ。
この妻、4年間で、3度も夫が保険をかけられて死んでいた。でも、最初の、4年前のは、交通事故。5万ドルの保険。二年前のも交通事故。50万ドルの保険。ブレーキなどに細工した形跡もなし。遺体から睡眠薬も発見されなかった。
で、今度。娘に聞く。3人の夫ともにDVを妻にしていた。なので、私は、二人は、魔法で殺した。でも、今回は、私が押した。

ほかにも驚きのトリックが二つ。
電子出版から。
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「御庭番通史」(若桜木虔
評論だけど、江戸時代もので新人賞を狙うひとは、ぜひ読んだほうがいいわ。
まず、吉宗のしたことが全部紹介されているの。すごい詳しいのね。その一つ、たとえば、青木昆陽のことを調べたいときなど、読んで、新人賞用に作品を書いても、取れると思うわ。
それも、すべて、御庭番であることから書き進めてあるの。新鮮。目から鱗よ。
まず、吉宗のしたこと。新田開発。これは松坂コネクションを使って、すごい大規模にやったんだって。それから、オランダ語学の充実。薬草学。これは全国へ御庭番を派遣して、徹底させたそうよ。それで、健康の増進を図ったの。それから、飢饉が頻発したので、青木昆陽なんかを登用して、さつまいもなどの米以外の物を積極的に作らせたんだって。
それから、大畑才蔵は、真田幸村から治水工事を学んで、大規模な治水工事をしたんだって。
それから、結構意外だったのが、大岡越前。農政に力を入れて、町火けしの充実をしたんだって。さらに、伊能忠敬の登用。杉田玄白の登用。これは、「蘭学事始め」で、教科書でも習ったわよね。
総合すると、江戸時代、吉宗が将軍についたときは、江戸城の金蔵は0だったのが、百万両の備蓄金ができたんだって。
でも、飢饉が頻発して、いきづまったらしいわ。特に、飢饉は、関東から東北に集中していたのだけど、吉宗は和歌山育ちで、飢饉を知らなったので、処理は無理だったんだって。
さて、ここでトリビア。江戸時代は、よほどの偉い武士でないと、玄関つきの家を持つことはできなかったんだって。これはしっているべきよね。こんなことで落とされたらつまらないもの。
吉宗の続き。田沼意次。明和4年に側用人になったの。この二年後に老中。彼は、株仲間の結成、銅座、鉄座、真鍮座、朝鮮人参座などの専売制をしき、上納金で、印旛沼の開拓工事をしたんだって。けっこう、私利私欲じゃなかったのね。あ、でも、税金で自分の故郷の開発ばかりをして、顰蹙を買う。あれかな? 最近もいたでしょ。税金で、一本でいいのに、4本も、四国に橋をかけて、顰蹙を買った政治家。あれと同じね。
でも、田沼こそが吉宗の後継者と言ってもいいらしわ。
それから、笠森お仙(美人画で有名)の夫倉持政之助は、お庭番だったけど、金奉行に登用されて、大出世をしたらしいわ。
さらに、御庭番は、外国語の習得スピードが速く、ロシアなどとの貿易にも大活躍したんだって。さらに吉宗はシーボルトにも協力を惜しまなかったそうよ。
あと、間宮林蔵もお庭番出身で、薩摩藩の島津家の鹿児島城になんなく忍び込んだそうよ。
ざっと、これだけ読んだだけでも、すごい勉強になるわね。私も、最近、占い師さんに、3年後には、時代小説の大ブームがくるといわれて、時代小説に転向したんだけど、特に歴史ものを書く人はぜひ読んだほうがいいわね。まあ、私が時代物をブログで紹介すれば、それだけで、時代小説ブームは来るんだろうけどさ。