赤猫異聞

「赤猫異聞」(浅田次郎
時代物に転向したから、言葉の勉強だと思ってよんでみたの。その点では役に立ったんだ
けど、内容は今一だったわね。後から本人が回想しているので、あんまりスリルとサスペ
ンスがないの。途中、ベランメー調になるところは、ちょっと面白かったけど。
筋。明治一年。年号が変わって、明治政府になったからって、実際はそう変わってはいな
かった。伝馬町の牢屋は開府以来、ずっと牢役人を務めていた笹山伊三郎が自費で賄って
いた。
さて、その年の暮れ、おしつまって、火事が起きた。火事は伝馬町の牢に迫っている。
ここで囚人の解き放ちが行われた。
最初は、牢屋敷同心の中尾新左エ門の証言。牢は、百姓牢、無宿人牢。女牢に分かれて
いて、これとは別格に旗本牢があり、(畳の部屋、畳の廊下)、一人の旗本が入っていた。
彼は、鳥羽伏見の戦い、京都の戦いに敗れ、徳川方が北海道へ逃げた後も、江戸に留まり、
7人もの薩長の兵士を切った。よって辻斬りの罪で死刑。
ほかに、死罪、繁松。彼は、やくざで、さいころ賭博師。中盆とよばれていた。今の
やくざで言えば、若頭。明治になって、賭博が禁止になったので、親分に命じられて
出頭してきた。賭博の罪は、徳川270年の間は、遠島。それが、親分が裏で手を
回したので、いきなり死罪になった。しかし、あわや首を切られる土壇場で、火事。
中止になった。
もう一人、お仙という女がいた。彼女は、夜鷹の組織の元締め。売春が禁止になった
ので、とらまえられて、遠島。ほかの囚人は、それ以下の罪なので、浅草の新寺町の
善慶寺まで行って、解き放ち。火事が鎮火した日の(鎮火の鐘が鳴る)暮れ六つまでに、
その寺に戻れば、罪一等を減じる。逃げれば、どこまでも探して死罪。
さて、三人が残った。最初は死罪にしようと意見が出たが、一人の牢役人の言で、三人
とも帰れば、無罪。一人でも帰らなければ、三人とも死罪。三人とも帰らなければ、そ
の役人が腹切りと決まった。さて、次はお仙が語る。
お仙は、自分をだました同心を切るつもりで、そいつの家に行った。そしたら、すでに
切られていた。
繁松。彼も同じ。元親分の家に行ったら、切られていた。
旗本の七の丞、旧友と飲んで寝てるうちに時刻になってしまった。それで、三人は寺に
帰ってくる。
さて、それでは、切ったのはだれか?
人情本だから、そこは、同情した役人の誰か。誰かは読んでくれ。

追伸。
今週、冷凍食品の投票というのをやっていたけど、全然無名なところが一位から三位までを独占していたの。あれって、どう考えても八百長だわよねえ。どこで、インタビューをしたかによって、全然違ってくるもの。あれだって、関西限定で有名な会社かもしれないじゃない。それを関西、それも、その会社のある土地でインタビューをすれば、そこが上位独占するのは決まっているわよねえ。おまけに、会社の人間を、こっそりインタビューされる側に数十人もぐりこませておけば、簡単。どうせ、インタビューをしたのは、宣伝会社だろうから、そこの担当者に、そうなるように、袖の下を渡したのかもしれないし。