『昭和探偵伝・絆』三回目

前回までの内容
第一章
 昭和三十二年、十月四日、午後九時。僕(小林星矢十五才)は、小諸、懐古園の脇の叢で死体を発見し、ヒデさんと兄の恭介さんに報せる。ヒデさんは死体の財布から勝手に何かを盗む。
 捜査が始まると、第一発見者は僕ではなく、八時にはヒデさんと恭介さんが現場にいたことが判明。二人は犯行を否認し、唐松林商事の人間がいたと証言。
 翌日、家庭教師をしている細田勇気の母親・真紀さんから呼ばれ、勇気を"狂言誘拐"するとの手紙が投げ込まれたことを教えられる。
"狂言誘拐の指示書"の内容――勇気の父親の会社の商品と愛人さんと愛人の子供を人質にとったので、四日後に開始する"狂言誘拐"に加われ。身代金は八百万円――。
細田オバさんは、犯人は愛人の赤坂オバさんと湯西だと断定し、勇気が有名になるためには、加わると所信表明する。

第二章
 僕は、母親が書いた筋書きかと思ったが、父親の会社の商品も売れ残っている(大卒の給料が一万円程度の時代に一千万の在庫)のを聞き、どちらが主導で書いた筋書きか判断がつかなくなる。
 オバさんは、勝手に"脅迫状"に『ラジオ放送を要求する』などの文を追加する。
 翌日、僕は、ヒデさんと一緒に唐松林商事へでかけてゆき、派手な闘いをする。謎の老人と遭遇。闘いの後、如月警部が現れ、唐松林商事の人間とヒデさんが、容疑者として連行される。
 
 翌七日。午後の八時半。母親から、勇気が誘拐されたとの電話が入る。四日後に勇気を隠せば良いと思っていたら、二日後に決行されてしまったらしい。
 すぐに警察に連絡する。小諸署からは逆探知の専門捜査官などが細田家に行き、僕は小諸署に呼ばれる。
 アマチュア無線などを指定してあることから、"狂言誘拐"だと詰め寄られ、犯人からの"指示書"の内容を話す。僕がオバさんの創作部分――ラジオ放送、ニュース映画撮影を要求する――を黙っていたのに、オバさんは子供を有名にするためと、在庫商品を一掃するために、それを話してしまう。
 いよいよ、翌日の午後六時。海野宿で身代金運搬前に、オバさんがスカートを捲るパフォーマンスをする。
僕は、犯人役をこなすために、隠れて無線を打つが、警部に発見され、主犯だと言われる。
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第三章
  1
僕は如月(きさらぎ)警部を前にして、必死に頭をめぐらしていた。
 ――なぜだ?
 この場所から無線を打とうと決心したのは、六時十分前である。
 誰にも教えてない。
 他の場所にも、もう一台の無線機が隠してある。
 もう一つの候補地も、同じような養蚕農家の納屋で、周囲は暗く、格子戸を空けていても見つかる可能性は低い。
 こちらのほうが二階で見とおしが良いし、家の前には木もあって隠れられるので、こっちにしたのである。
 それに、無線機を置いたのも、昼間で、尾行がないか確かめてやったし、見つかるはずはなかったのだが。
 僕は、頭の中を整理し、自分のどこにミスがあったかを探しだすために、一旦、警部にむかって掌をあげ、視線をそらした。
 海野宿は北国街道の沿道に開けた宿で、掘割があり、昼間なら鯉が泳ぐすがたも見える。
 今は、月光に照らされて、白っぽい壁が切り取られたように浮き出している。
 宿場の中心では、映画会社やラジオ局や雑誌社のライトに照らされて、太腿まで裾をたくし上げた細田オバさんが、ゆっくりとスカートを降ろす所だった。
 すぐにでも『ラジオ放送を中止して身代金運搬の開始をせよ』と無線を打つ約束になっている。
 オバさんは、まだ入電を開始しない無線を見ては、不安げな顔をしかけ、慌ててそれを打ち消して、何事もなかったかのように造り笑いをうかべ、それでも、目だけは笑わずに、周囲をちらちらと見まわしている。
 宿場の北か南か、どちらかから無線を打っているのは知っている。
 なぜなら、突発事件が起きて変更する場合が出たことを考え、「パフォーマンスが見えるところから打つ」といってあるからだ。
 周囲の人間は”身代金運搬の実況中継”なんていう前代未聞のできごとに、勇気の身の心配を忘れ、お祭り騒ぎの興奮状態である。
 ラジオ局のアナウンサーは大スクープ同然に、大声で実況を繰り広げ、新聞社や雑誌社のフラッシュが果てしなく炊かれている。
 ――そろそろ無線を打たないとヤバイな。
 そう感じた僕は、とりあえず無線のスイッチを入れ、”約束の文章”を告げ、最後に、『運搬開始は一時間後らせる』と付けたした。
 それからゆっくりとスイッチを切り、大きく深呼吸をした。
 一時間後らせるというのは、こちらに突発事項の発生した場合の暗号である。まさか、本当に役立つとは思っていなかったが。
 内容のわかっていたオバさんは、無線の音が聞えるやいなや、そそくさと無線機のイヤホーンを手に取り、目にもとまらぬ速さで頷いて、無線機のスイッチを切った。
 そして、予定通りの言葉を周囲の人間に向かって告げた。
 さすがに元女優だ。予定外のことが発生したと知っても動揺の表情は浮かべなかった。
 周囲の人間を落ち着かせるために、わざと小さい声で、一番自分の近くにいた人から順に、運搬開始は一時間後になったことだけを告げ、自分はさっさと近くの宿に入っていった。
 警察が念のために借りておいた宿である。
 無線機から手を離した僕は、一旦強くまぶたを閉じ、説明を聞きたい気持ちをおさえ、動じていないフリをするために、自分の周囲を見まわした。
 梢を旋風が吹きぬけてゆく。木枯らしよりは少し弱い。
 木の葉がざわざわとざわめいている。
 宿の端の藪の中では、野性動物がごそごそと身じろぎをしているようにも思える。
 肉食動物が、獲物を待ち構えているようだ。
 海野宿の中央では、野次馬が細田夫婦の不幸を待ち望んで目を輝かせているとも見える。

「ほい」
 一瞬、飛びあがるほどの声がして、肩に手をかけられた。
 痺れをきらした警部が僕の思考を断ちきったのだ。
 空気が凍りつくほどの驚きであった。
「そろそろ隠しごとは止めて、腹を割って話をしようや」
 警部の堂に入った作り笑いを前に、まだ、ナーバスな状態で、瞼がひきつっていたが、極力冷静な態度を装って聞き返した。
「どういうことですか?」
「だから、決まっているじゃねえか。今日の事件だよ。狂言誘拐は狂言誘拐なんだけど、本当の主犯はオメーなんだろろ? でなきゃ何で被害者側にいるオメーが犯人の役をしなきゃならねえんだ」
「グ」
 僕は、何と言って否定してよいかわからなかったので、とりあえず、警部を誉める方向で進めることにした。
 どんな言葉で否定しても、どうせ信用されないに決まっているのだから。
「分かりました。話ますよ。ちょっと複雑なんです。狂言誘拐です。狂言誘拐の指示書がきたのは本当です。だから、脅迫された誘拐ストーリー。犯人はわかっている。こういうのを何と言うんですか?」
「つまり、”馴れ合い誘拐”ってわけか」
 けっこう単純な警部が、にやけた顔で、顔の筋肉を緩ませた。
 おばあちゃんの好きな言葉で、”相好を崩す”とかいう奴だ。
「まあ、そうです。話します」
 僕は隠していることを話した。
 とは言っても、オバさんが自分の創作部分まで話してしまっているので、付け足すことは少なかった。
 僕の推測だけである。
 僕の推測――細田オバさんが勇気を有名にしたくて、仕組んだんじゃないか? でも確信はない。おばさんは湯西さんが主犯だと主張している。赤坂オバさんは株の才能もあるし、自分の実力があれば、いつでも会社に復帰できるから、主犯ではない。多分、社長夫人に弱みを握られたか、協力したほうが将来的に良いと判断して、協力しているだけだと思う。それから、社長も一千万円分の在庫がある。だから、計画を前から知らなかったとは言いきれない。でも、体面を気にする性格だから、共犯ではないとは思う。知っていて黙っていた程度。それを消極的な共犯というのかどうかは不明。

   2

「オメーの役割は、ここと、あともう一度、どこかで無線を送信することか?」
 僕の意見を述べ終わると、警部が上着を脱ぎながら、そばのみかん木箱に腰を下ろした。
 太いズポン吊りと、袖にはアームバンドが見えた。意外と外国映画かぶれじゃないか?
 何となく親近感を覚え、僕も少し離れた籾(もみ)の袋の上に腰をおろした。
「よく分かりますねえ」
「長年の勘だ。次の送信は上田あたりだろう」
「すごいですよ。実は僕、最初に所轄で訊問された時から警部さんの勘にはタジタジとなっていたんです。なぜなら、最初から”狂言誘拐”だと指摘したでしょう。あれで、この人は切れる人だと直感したんですよ。本当。あの時には必死でごまかしましたが、あの時にも全部を喋ってしまいそうになっていたんです。何しろ、アマチュア無線の機械を二台も貰ってしまったんですから」
 警部の反応を観察しながら、必死で頭をめぐらして、誘い水を向けると、警部が比較的楽に僕の策にひっかかってくれた。
「それだけじゃねえだろう。テレビも貰っただろう」
 軽く、有頂天の口調だった。
 ――しめた。
 僕は、ようやく、警部が、なぜ、ここの場所を特定できたかを掴んだ。
「警部さん。なぜ、テレビを貰ったことまで知っているんですかねえ。僕は、そんなことは、一言も家族や友達には話してはいないですよ。あの細田家の居間で話した以外は」
 外国映画の刑事のように僕は、下を向いて無表情で話しておいて、最後だけゆっくりと言葉をきって言いきった。
 それから、ジャン・ギャバンのようにギロっと睨んだ。
 警部の顔色が一瞬で変わった。明かにしまったと思った顔だ。
 僕は一気に反撃にでた。

「スパイをしていたでしょう」
「…」
 警部が、関係ない方向を向いて、口を尖らせた。小さく口笛を吹いたかに思えた。
「おかしいと思ったんですよね。ここで僕が送信することは、僕と細田夫妻しか知らないことなんだ」
 僕はたたみかけた。
「それに、この場所を決めたのも、僕の考えです。ならば、僕がここで無線で送信すると考え、尾行してきた人間がいるはずだ。では、どの時点から尾行がついていたのだろう。多分、送信することが予測できた時点からだ。それはいつか? 海野宿で送信することは、細田家の居間でしか話しあっていないのだから、あの時点からだ。となると、あの居間で盗み聞きされたとしか考えられない」
 ゆっくりと言いきると、警部が大きく両手を上げた。
「わかった。白状する。部下を送り込んであった。だが、それは、オメーが前日の殺人事件の容疑者だったからだ。狂言誘拐の件は偶然にバレてしまったんだ」
「待ってください。偶然にバレたって。誰がスパイですか?」
 思わず大声を出しそうになると、警部が手で小さくしろと合図をして、自分から顔を近づけてきた。
「あの日は、臨時のお手伝いさんがいただろう」
「そういえば」
 僕は、細田家の居間での様子を思い出した。広い家で、お手伝いさんは三人ほどいる。
 確かに、あの日は新しいお手伝いさんがいた。
「でも、汚いですよ。スパイなんて」
 かなりきつい口調になると、警部もまた挑戦的な目をした。
「ほお。大きな口をきいていいのかな? オメーはまだ例の殺人事件の容疑者の一人なんだから」
「もう。阿呆なことを言わないで下さいよ。僕が死体を発見したのは、ヒデさんたちの後」
「チチチ。ヒデも最初はオメーに対して、嘘をいっただろうが」
 警部がキザな動作――指を横に振る――をした。
「そう言えば」
「ヒデは何か隠している。頭がいいようには見えないから、大きな嘘だとは思わないがな。問題は、オメーだ。オメーも嘘つき。天才的な嘘つきだと思う。大体、推理小説マニアだか何だか知らんが、探偵気取りの奴は、嘘が多くていかん。真っ正直みたいな顔をしてシレッと嘘をつく。だから、念のために部下を送りこんだんだ。繰り返すが、最初は狂言誘拐があると予想してやったわけじゃねえ。偶然だ。まあ、俺の勘のたまものかな。そのおかげで、狂言誘拐なんつうややこしいものの化けの皮が剥げ、腹の内を見せ合える仲になったんだから、感謝して欲しいのう」

「もう。ああ言えば、こう言う。わかりました。では、こうしましょう。細田夫婦にも、ばれてしまったと話します。あんな演技の下手なオバさんには、騙しとおすのは絶対に無理だと思っていましたから。僕も、話してしまったほうが安心ですよ」
「待て。もう少し待て」
「は?」
「せっかく向こうが演技をしているんだから、暖かく見守ろうじゃないか」
 ――人でなし。
 思わずそう言おうとしたが、さすがにその言葉は飲みこんだ。
 警部は騙しのプロだ。冷静にならなきゃならない。
「でも、僕はどう対応すればよいんですか? 警部さんたちには全てがバレたと思って話をしなきゃならないし、細田夫婦には、バレていないという前提で話をしなきゃならないし。頭がおかしくなりそうですよ」
 大げさに頭をかかえて埃だらけの床に坐りこむと、敵はてきめんに懐柔策にでた。
「まあ、君ならできる。絶対にできる。俺はそう思って君にこんな難しい仕事を与え」
 話が長引きそうになったので、軽く同意することにした。
「わかりました。何とかやります。でも、相手に疑われそうになったら、どんどん嘘をつきますからね」
「わかった。君の言い分は配慮しよう」
 警部は本気ではない顔で言いきり、腰を上げた。
「警部さん」
「なんだ?」
 僕は、警部を真正面からみすえた。
「もし、ここで僕が降りると言ったらどうします?」
 歩きかけた警部が、脚を止めて、じっと僕を見た。
「何を言い出すかと思えば。オメーがいやならいつでも降りられるぜ」
 暗闇の中の豹に似た目が見返してきた。
 僕は一瞬目をあわせてから、視線を外した。
「嘘ですよね。もし、僕がここで降りるといったら、僕を主犯だと記者発表する気ですよね」
「まあな。先の坂之上秀忠の件でも同様だな」
「そうですか。ではやりますが、途中で、変更だ、なんて言わないでくださいよ」
 僕は高らかに断言してやった。宣戦布告だ。
 だが、警部はまるで顔色を変える風もなく、唇の端だけ微かに上げると、顔を前に戻し、嬉しそうに歩きだした。
「ああ、そんなことは百も承知さ。常識だからな。それに、組織の中で偉くなるには、演技力が必要だからな。オメーは将来性があるぜ。あんまり大きい声では言えないが」

   3

 十分後。
 海野宿の裏手にある、神社の庫裏(くり)で作戦会議が持たれた。
 神社は、警備陣の待機場所として借りてあったのである。
 僕らは、ごく少数の警備の人間と一緒に庫裏にはいった。
 高床式の神社の社。
 宿場からの小道にはお地蔵さんがある。村の辻にある庚申(こうしん)塚には、お団子が供えられている。
 遠くからは、ぬえの声か、からすの声か分からないが、鳥のなき声が聞える。
 庫裏の中には、薄ぐらい電灯がともっている。
戦時中みたいに黒い布をかぶせてあるので、欄間から漏れる電灯の光は、月光よりも僅かだ。
 真犯人が別にいた場合、警察が動くのは勇気の命に関わるので、神社はほとんど電気をつけずに、幽霊でも出そうな雰囲気だった。

「君らに喜ばしい報告がある。味方が増えた。小林星矢君が協力してくれることになった。こちらの情報係となって、運搬車に乗ってもらう。では、その際の対策と布陣を検討する」
 警部と磯田警部補、浅井沙耶警部補のほかに十名程度の刑事が揃うと、警部が低い声で話し始めた。
「重要なのは、どこまで湯西がからんでいるかっちゅうことだ。あの夫婦と”小林少年”だけでは、我々の警護の裏をかいて、身代金を受け取って隠すことは不可能だ」
 警部はそこで、わざとらしく、チラッと僕を睨んだ。
 僕は、「だから、僕は違いますよ。誘い込まれただけです」と抗議するのも面倒くさくなって、ふてくされた顔で、横を向いていた。
「さて、それでは、運搬中に湯西が周囲にいるかどうかを発見する方法だが」
 警部が合図をすると、磯田さんが、一枚の写真を机の上に出した。
「これは、細田社長の弟の細田信二に頼んで手に入れたものですが」
 湯西さんが、妹と一緒に撮影した写真で、女優志願だった妹も本人も目鼻立ちのはっきりした顔だった。
 ちなみに、被害者との交渉も、苦情処理も社長の弟さんが担当していたんだとか。
 さらに、磯田さんが、愛人の最新の写真ですがと言って、赤坂オバさんの写真も並べた。
 赤坂オバさんのは、実際に見るよりもぽっちゃりした体型で、髪型もちょっと昔風。どこにでもいる母親風で、見ていて落ち着く感じに写っていた。
 どうみても、株取引のやり手で薬剤師の資格までもっている職業夫人には見えない。
 赤坂オバさんの手前にはオバさんの子供・大樹もいる。公園のスナップらしく、母親の足にまとわり着いている。
 勇気も大樹も保育園のバッグを持っているから、保育園の帰りらしい。となると、去年の写真だ。
  
「君が私たちの陣営についてくれたってことは、ミリエルも分かっているみたい」
 頭の上から声がしたので、見上げると、浅井沙耶警部補――通称、沙耶さん――が自分のバッグから三毛猫を覗かせてにっこりと笑っていた。 
 今日の沙耶さんは、大きいボタンのついたワンピースで、頭にはスカーフを細長く畳んでカチューシャのように結び、手には黒の網手袋をしている。
 いつもミリエルという猫をバッグに入れている。
 おとなしい猫で、ほとんど鳴かないが、気に入らないことがあると、急にひっかくことがあるので、要注意だ。
 恭介さんの情報によると、彼女は県警本部長の娘だとか。祖父も本部長だったようだ。
恭介さんは自分から捜査協力を申し出したのだ。
「自分は幾多の難事件を解決してる名探偵だ」とか言って。
 そう言えば、どこかに恭介さんもいるはずだ。
 後ろのほうから自分のスクーターで追いかけてくる予定らしい。

 警部が僕と沙耶さんの間に強引に割り込んで、口を開いた。
「それから、浅井君。君には重要な任務を負ってもらわねばならない。父親がどこまで知っているのか。それを調べてもらう。父親に張り付いていてもらいたい。男は、若い女性が近づいてくれば油断する。それに君は県警本部長の娘だ。エリートだ。それに、磯田では無理だ。こいつはB型。心が顔に出てしまう。我々が全て知っている事実。それが、顔に出てしまう。それでは困る。ここは君しかない」
 ――これは半分は正しい。
 たしかに、この任務は磯田さんでは無理だ。
 だからと言って、沙耶さんでよいかと言うと、それは考え物だ。
 なぜなら沙耶さんも磯田さんと同じB型。気まぐれなところもある。
「でも、私は母親の護衛をすると最初に言われましたが」
 沙耶さんは、戸惑ったようだった。
「大丈夫。母親は我々が守る。しかし父親の気持ちをほぐす任務は美人の君にしかできない。もし我々が細田社長の傍でにっこりしたら、気持ち悪いだろう。この任務には、どうしても、男心をやんわりと溶かす、君の妖艶な笑顔が必要なんだ。な、頼んだよ」
「わかりました。やるしかないのなら、やります」
 沙耶さんと猫は、うなづいた。

   4

 捜査会議は続行する。
「運搬車の後ろには父親の車。8ミリフィルムを撮影して、湯西がいたら撮影するためらしい。夫の主張だが。その五百メートルくらい後ろに我々の覆面パトがつく。どこかで路線変更などの指示が来るかもしれないから、布陣は途中で再度検討しよう」
 警部がボードに下手なイラストを書きながら、これからの手順を話し始めた。
 まずは、海野宿。次は、国道18号線を北西に進み、上田の入り口と出口、そして、川中島の古戦場跡と進路を書き入れる。
「さらに北進して善光寺。ここまでは、指示がきている。問題はその先だ。善光寺の前の広い通りに出て、もっと北進するか、途中で急にわき道にそれるか。どっちにしろ、広い道を選ぶと思われる。そのほうが野次馬に進路を妨害される危険性も少なく、逃げるにも都合が良い。最終的には野尻湖辺りを西に進んで途中で夫が騒ぎを起して、妻が急に姿を隠すとか。そのくらいの筋書きを用意していると思われる」
『夫は、これらの地点で八ミリカメラを一周して、撮影する予定』とも書き込んだ。
「私としてはどこかに湯西がいて、暗い場所で身代金を受け渡すと読んだ。それから、ラジオ放送に関してだが、『放送は禁止だ』と小林少年が無線で告げたが、ラジオ局は引き下がらないと思う。今までの話をまとめると、”ラジオ放送”の一文は、子供を有名にするための妻の創作らしいが、湯西にとっても都合が良い。なぜなら、湯西が傍に行くなどの危険な行動はしなくても良い。目的の地点でゆっくり待っていられる。我々はそれを読んで、善光寺などの主用地点には数台、覆面パトを待機させてあるが」
 警部は、善光寺周辺を描き、数箇所覆面パトの待機する場所を描きいれた。
 警部の予想では、覆面パトは十台もいれば大丈夫らしい。それだけしか描き入れなかったから。
「しかし、逆にあの夫婦と共犯者にとって不都合な点もありますよね」
 磯田さんが横から口を挟んだ。警部の手が一瞬止まった。
「中継されれば野次馬が集まり、追いかけるスクーターや自転車も多いでしょうから、隠密行動はとりにくいですよね。だから善光寺あたりで、”今日は中止だ”と送信してくる可能性は大ですね」
「そうだ、そうだ、それもある」との意見があちこちから出された。
 表情を変えずに警部が両手を上げて、刑事たちの騒ぎを収めた。
「その時は我々が野次馬を遠ざける以外ないな。敵は、その裏をかく準備もしているだろうがな」
 将棋の何手か先を読むときににも似た顔の警部は、自分の手を薄ぐらい電球にかざし、それに囁きかけながら歩きまわり始めた。
 ――ふむ。なかなか鋭い。そういう勘には感心する。

「でも、もっと前に野次馬は巻いておいたほうが良いですよ。急に巻こうったって、群集心理でパニック状態になってしまったら、コントロールできるものではないですよ。私に一つ案があるわ」
 沙耶さんが、手を上げた。
「はい。浅井君」
 沙耶さんは、まっすぐボードの前まで歩き、三台の車を描いた。
「一台目の車には母親と小林少年が乗ります。二人で周囲に見える物をさりげなく喋ってもらい、小林少年がそれをアマチュア無線で我々に送信します。周波数は定期的にかえますので、アマチュア無線マニアに聞かれる危険性はないと思います」
「で?」
「で、二台目は五百メートルくらい離れて父親と私の車が尾行する。さらにその後五百メートルくらい離れて警部や磯田君や他の刑事、その後からラジオ局の車が尾行すると思われます」
「すると、ノロノロ運転をしたとして、五分くらいの時間差で本物の運搬車と尾行の車の放送が流れるわけだ。運搬車の無線の周波数は警察しか知らないが」
「そうです。となると、野次馬がラジオ放送を聞いて運搬車がいると思う地点に行く頃は、本物の運搬車はすでに三キロ以上先にいっているわけです」
「そうか。当然ながら、ラジオ局の人間には、先読みをした発言はしないでくれと、きつく頼む必要がありますね」
 ここで、磯田さんが口を挟んだ。
「でも、野次馬が先読みをして、三キロ以上先に行ってしまったら、どうするんですか?」
「ああ、そうか。そういう可能性もあったわね」
「待て。頭が痛くなってきた」
 警部が今度は大きく両手を上げて頭を抱えた。脳みその容量を越えたに違いない。
「分かった。ちょっと情報がこんがらかって、私の思考が着いてゆけそうにもないので、時間差放送は中止にする。ラジオ局の人間はここで足止めをくわせろ」

   5

 午後七時。
 僕は、海野宿の端に停車している車――ダイハツ・ミゼット――の前の座席に坐って、出発を待っていた。
 隣には沙耶さんがいる。これは二台目の車として使用される予定である。
 海野宿の真中、事件現場とも言える場所は騒然としていた。
 ラジオのアナウンサーが、潜めた声でマイクに語りかけている。
「被害者の夫婦は何を考えているのでしょう? 噂によりますと、一千万円分のストッキングが売れ残っているようで」
 ――どこからそんな情報が漏れたのだろう?
 一瞬だけ疑問に思ったけど、すぐに噂を流した張本人は誰か、想像がついた。
 警部に違いない。
 きっと、オバさんたちにとって嫌な情報を流して、オバさんたちを窮地に追い込み、最後には、自分たちの口から、「これは狂言誘拐だから、そんなに騒がないで」と暴露させるつもりなのだろう。
 
 ――どこかで突発的な事故でもあって、中止になれば良いのにな……。
 そんな淡い期待をいだいて周囲を見まわす。
 でも、絶対に無理だろう、とも思う。
 海野宿の中心では、警察官たちが、ラジオ局や新聞社の人間を排除しはじめている。
 海野宿のメインストリートだけでなく、脇の道や裏の通りまで出版車の人間や車でごった返していた。
 野次馬が騒いでいる。
 不穏な状況になっている。
「お願いします。犯人からの要求を聞いてラジオ放送は中止してください。うちの息子の命を助けてください。この子の命を奪わないでください」
 オバさんはそういって、勇気の写真をニュース映画のカメラに度アップにしている。
 僕らの車の側では、細田のオジさんが、警部に囁いている。 
「絶対に途中で、運搬車に近づかないで下さいね。子供の命がかかっていますから。タバコの火を借りるふりをして近づくなんて真似は、ご遠慮願いますよ。それは刑事の一番やりそうなことで、ばれバレになってしまいますからね」
 オジさんは何度も何度も念を押している。
 僕も不安な気持ちが勝ってきて冷や汗が滲みだしている。
 が、心配しているのは僕だけのようで、隣の沙耶さんなんか、タバコをふかして、ミリエルに話しかけている。
「あーあ、さっさと運搬を再開してくれないかな。早い時点で終わらないと、睡眠不足になって、またニキビが増えちゃう」
「ミャーオ」

 ところで、警部とオジさんは、さっきから、八ミリフィルムの撮影で揉めている。
「だから、何で、わざわざ八ミリフィルムの撮影をしなきゃいかんのじゃ? 我々が警備をすれば必要ないだろう」
 警部が脅し口調でつめよると、オジさんが、蚊の群がる街灯を見あげてボソッと呟いた。
「八ミリフィルムの撮影は必要です」
 そこで一回、言葉を切った叔父さんは、説明を続けた。
「湯西は一人で全てを片付けなきゃいけないんです。人質の赤坂君にはこんな仕事は手伝わせられません。仲間割れが起こる危険性があるからです。うちの妻は子供を有名にするためなら何でもします。だから、途中で警察に投降したりはしませんが、赤坂君は冷静です。最後までこんな馬鹿な筋書きに従うはずがありません」
「まあなあ。となると、赤坂さんはどこかに閉じ込められていると」
「その通りです。ですから実行犯は湯西一人です。湯西は実況中継を聞いて、運搬車がどこまできているかを把握している。湯西は、善光寺の先の辺りで画策するべき装置を設置して待っている。警察通信を撹乱する装置かもしれない。だから、善光寺の近辺で、彼がこの八ミリカメラに写る可能性は大なんです。カメラに写れば証拠として使えるでしょう」
 断言したオジさんに、警部が冷たい声で答えた。
「なるほど。つまり、善光寺の先辺りに警察の通信電波を撹乱する装置が置いてあると。だが、それは、お宅の奥さんが、協力しないという仮定の話だよな」
「どういう意味ですか? うちの妻が勝手に車を暴走させれば、妨害電波を出す機械なんて必要ないって意味ですか? いくら何でもうちの妻はそこまではしないと思いま……」
「どうかな。自分で考えな」

   6

 いよいよ身代金運搬は開始された。
 ラジオ局や他のマスコミの人間もすべて排除され、僕は、一台目の車の後部座席に乗って、オバさんが運転する様子を見ていた。
 だが、まずい状況になりつつあった。
 一時間待機している間に、これは狂言誘拐だとの噂が流れたのだ。
 でも、考えれば当然ではある。
”身代金運搬の実況中継”なんて、誰が考えたって、自分か子供を売り込むための売名行為だ。
 冷静になって考えれば、すぐに判るのに、やはり、欲に取りつかれた人間には、そこまで読めなかったようだ。
 さて、運転を開始すると困った事態がおこった。
 すぐにオバさんはウイスキーの小瓶をポケットから出し、チビチビとのみ始めたのだ。
 周囲は暗いし、僕が黙っていれば、呑んでいることは警部たちにはわからない。
 ――警部に伝えるべきか? 伝えないでおくべきか?
”馴れ合い誘拐”であれ、開始してしまったのだし、勇気も誘拐されているのだから、たとえ”狂言誘拐”と非難されようが、もう後戻りはできない。
 酔っ払ってストレスを忘れてでも先に進むしかない。
 そんなオバさんの気持ちは痛いほど分かるのだが……。
 出発してすぐに、僕はまた悩みを抱えてしまった。

 まだ無線機のスイッチさえ入れてない。
 もっとも、出発してすぐは湯西さんがどこかで待機していたとしても、すぐに連絡してくるはずがない。
 なにしろ、上田では、僕が二度目の送信をする予定になっていたのだから。
 そう考えていると、後ろの車から呼びかけがあった。
 僕の持ちこんだアマチュア無線機が出番を迎えたのだ。
「今、どこらへんだ?」
 僕は無線機のスイッチをいれながら、ゆっくりと周囲を見まわした。
 まだ上田に入る前で、ほとんど田園風景である。
 困ったふりをして、オバさんに聞いてみた。
「今、どの辺ですかね?」
「見えるものを言えば良いのよ」
 まだ酔いがまわっていないけど、異常に陽気なオバさんが笑いながら答えてくれた。
「でも、見えるものは、普通の民家ですよ。かわら屋根と土壁の家で、軒下には蓑(みの)やざるがひっかけてあるし。そうですねえ。壁は板ばりで、軒下には吊し柿。あ、リヤカーもあります」
 僕は、向こうから送られてきた無線に応えるふりをして、送信をしはじめた。
「アーーッハッハ。君はなかなか詩人だわねえ。そうよ。見えるものを片っ端から言ってゆけば、そのうちにはきっかけになるものが見つかるに違いないわよ――。私たちは迷子なんだからね――。どうしようもなく、不安定な迷子なんだよ――。キャー―っほっほっほっほ」
 オバさんが笑い転げる。

「そのままの状態で先に進め」
 無線機からは、警部の命令が響いた。
 そのままの状態とは、無線機のスイッチを入れたままという意味である。
 だが、オバさんには分からない。
 車はすぐに上田市内に入った。信濃国分寺跡と書かれた地点を通過した。
「左手に広い森がある。大きい建物もありますよね。ああ、門に看板があります。信州大学・繊維学部と書いてあるけど、間違いないよね」
 僕は、オバさんに話しかけるフリをしながら、警部に電波を送る。
 出発する前は、オバさんを裏切る行為なんか、落ち着いてできるはずがない、と思っていたのに、意外と冷静にできる。
 ――僕って、嫌な奴かも。スパイになれるかも。
 繁華街をぬけると、すぐに上田城跡が目に入った。
「三つのやぐらと石垣が見えるよね。あれが上田城跡? オバさん」
 語りかけると、すぐに返事があった。  
「そう。お堀の一部も残っているのよ――」
 オバさんが愉快そうに笑う。
 しかし、その声は、さっきとは微妙に違う。
 ――酔っ払っている。
 僕は直感した。
 さっきからポケットサイズのウイスキーをちびちび飲んでいるのだから、酔うなというほうが無理だが。
 それにしても、こんな所で酔ってしまうのは困る。
 本当に事故になってしまうかも知れないじゃないか?
 僕は祈る気持ちで、オバさんの肩に片手をかけた。

「大丈夫。こんなのは慣れている。女優時代、なかなか主役がもらえなくて、毎日、浴びるほど安いお酒を飲んでいたから」
 オバさんが、軽く僕の手を叩き返した。
 確かに、車の運転はふらふらしていないから、お酒には強いのかも。
 僕は、気を取りなおして、また警部に情報を送り始めた。
「ええと、赤青白の捩れ回転をする奴。あれは、床屋さんのサインポールですよねえ」
「理髪店と呼んで欲しいわ」
 オバさんが訂正した。
「さいでした。それから、駄菓子屋も見えるし、自転車屋さんもあるようだし」
「まだまだ他にも明りがついてにぎわっている店があるでしょうに。何しろ、上田は大きい町だから」
「そうですけど、僕は始めてだから、」
 言いかけると、元女優さんが、次々と説明を始めた。繁華街には詳しいようだ。
「ええとねえ、一番大きな声が響いてくるのは、歌声喫茶。店に来た全員が声を合わせて唄を謳うの。他にもダンスホールだとか、純喫茶というのもあるわ。いかがわしい店や本当のコーヒーを飲ませる純喫茶。外見では区別がつかないけいどね」

 上田の市内を抜けると、真田町をとおり、車はやがて、戸倉川東温泉や、上山田温泉のある温泉街に出た。
 芸者さんの置き屋がある。
 旅館のあちこちの部屋では、酔った客が歌ったり踊ったりしている姿が見える。
 他には、パチンコ屋がある。立ったままでやるパチンコ台が幾つか並んでいる。
 カフェもある。

 半分ヤケクソで見たことを、そのまま喋っているうちに、また寂しい場所に出た。
「川を渉ったけど、これって、信濃川ですよねえ」
 オバさんに話しかけると、かなり陽気になったオバさんが、にこやかに教えてくれた。
「そうよーーん。これは信濃川。これを渉ればいよいよ長野市内。右にノロシ山、左手に茶臼山が見えまーす。昼間でないと駄目だけど」
「例の武田信玄上杉謙信が戦った川中島ですか?」
 誰にともなく問いかけると、警部の声で返信があった。
「そうだ。間違いない。川中島の古戦場跡近辺にさしかかっている。そろそろ進展があるかもしれんから、気を抜くな」
 一キロほど後ろの警部の車からだ。
 しだいに興奮してきた僕はなおも、正確な場所を特定するのに手がかりになるものを探しつづけた。
 だが、その時キィーーという急ブレーキ音が聞えた。
 前を見ると、車のすぐ前に、電信柱が立ちはだかっていた。
(続く)

作者注・登場する団体や名称はすべて架空のものであり、現実のものとは関係ありません。
 
今週の新冷麺開発プロジェクト
 今週は、ドレッシングに挑戦。
 まず、麺に合いそうなドレッシングから。
 ゴマドレ、玉葱ドレッシング、サウザンド・アイランド、コールスローなど、ありますが、今回はゴマドレで。
 ゴマドレは甘さも酸味も塩気もあり、それだけでも合いますが、薬味を合わせると、和風になる。(和風にしたからどうなんだ?って問題はさておき)
 例。葱、大葉、茗荷、ピリカラらっきょ、などのみじん切りをかけて。
 市販の薬味(ねぎ、しょうが、大葉)などでもよいかと。
 さらに、細切り海苔、煎りゴマをかけてもOk.

 さて、いよいよ来週はYahooブログにデビュウでやんす(”唐沢通信2”)。そちらでは小説以外のネタをやるつもり。
 頁はもう確保してあるのですが、まだ記事を書いてないので、検索はむりかも。内容よりも、プレミアム会員になって犬とか猫とかペンギンを育てるほうが楽しみだったりして。
 内容も、映画紹介だけでは(小説はこのブログでやるので)アクセス数も今一だし、と思って前を探していたら、時事ネタが良いと気がついたべ。
 で、新聞を読んでいたら、今度打ち上げるロケットの内部に空きがあって、そこに乗せる小型の人工衛星を募集しているんだけど、まだ応募がないっつう記事がありました。
 人工衛星なら、デセプション・ポイントの中にも出てきたし、散々調べたし。
 つうことで、来週は映画紹介と時事ネタと新麺の写真と、アバターのペット育成でアクセス数稼ぐぜ。

 それから、健さんへのお手紙の件は、ご高齢だし、監督業は激務だし、などと考え始めたらなかなか進められなくて、最初は、挨拶程度でした。しばらくは(多分数年は)棚上げです。